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第1章 4歳児、奴隷になる

8.幼女

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 鎧の物理防御効果のおかげで痛みはなかった。

 ……だが、それだけの話しだった。

「そいつを引きずり出せ! 手足を引きちぎっても構わん。中身はどうせ捨てるだけだ」
「へい!」

 ジャンユーグの手下が、まずは無理矢理、脱がせるために僕の手を色々と動かしてみた。

「痛……くは無いけど、壊れちゃう! 僕が壊れちゃうよ!」

 明らかにおかしい方向に腕が曲げられ、強引に袖から脱がそうとする。なぜか、僕の身体は痛みを発する事もなく、手下どもが僕の手を離すと、形状記憶合金のように、僕の腕が元の状態に戻る。

「絶対防御に復元効果か……なんとしても、手に入れるぞ。おい、ノコギリを持って来い」
「へい」

 僕は上から押さえつけられ、ノコギリで斬られた。
 身体を通るノコギリの刃の感触はあるが、それが僕の身体を通る事は無い。

「くそ、刃がいかれちまった」
「ハンマーをもってこい。あと、万力を用意しろ。潰すか引きちぎるか出来ないか試せ!」
「へい」

 何かを試して、駄目であれば僕は一旦、部屋の隅に放り投げられる。見張りがいるにはいるが、僕はもう動く気力は無い。

(壊されちゃう……僕が壊されちゃう……)

 痛みも怪我もしないが、それでも体格が違うため反撃すら出来ず、押さえつけられ、あらゆる方法で、こいつらは僕を壊そうとした。

 杭を打つような大きなハンマーで全身を殴られ、万力で固定された状態で、強引に腕を引きちぎろうと引っ張られ、酸のような液体をかけられ、油を浴びせられ火をつけられ、建物の上にある塔のような場所から地面に放り投げられ……

 こいつらが思いつく限りのあらゆる手段で、僕を壊し続けた。

 それでも……

「ハァハァ……駄目だ! びくともしない」
「何ていう魔法効果だ……」

 僕の身体は、全く変化はなく、痛みもなく……ただ、ただ……地獄が続いていた。

 途中から日付の感覚なんかはなくなっていた。
 壊すことが目的だから、当然、食事なんかも与えられることは無い。

 ただ、ひたすら無感動に、僕は僕の身体が一切ダメージを受けていないという事も含めて、『僕』の心が壊れていくのを眺めていた……

----- * ----- * ----- * -----

 何日が過ぎたのだろう。

 僕は気がつけば、再び木の檻に入れられ馬車に揺られていた。
 いかんいかん、完全に情動が停止していた。

「ここは……」

 久しぶりに出した声は掠れ気味だが、何とか生きているらしい。
 よし……『俺』再起動……ぶーん……ぴぴ……エラー……バックアップからリストア……成功……

「なんて、簡単にいけばいいんだけど」

 まぁ、人間、機械のようにはいかない。
 記憶はぼんやりしているが、僕はひたすら、物のように扱われ、転がされ、燃やされ、溶かされ……と色々な事をされ続けていたようだ。

 痛みが無いもんだから、そのうち、普通に寝たり起きたりするようになっていた。冷水をかけられても、冷たくないし、熱湯をかけられても熱くない。ただ、ぼんやりとテレビでも見ているように、僕は虐待を受け続けた。

 『俺』としての意識は戻った気がするけど、どこか『僕』全体に薄らぼんやりしている。まぁ、いいや……とりあえず、活動開始。

 ということで……ここはどこだろう。

 いつから意識を失っていたか解らないが、ふと気がつけば、檻におしこめられ、馬車に揺られて……薄暗い山道のような場所を進んでいるようだ。

「ここは、どこですか?」

 僕を運んでいる御者に聞いてみると……

「ちっ、意識を取り戻したか……」
「はぁ」

 僕を散々、痛めつけてくれた一人だった。
 とりあえず、他の人はいないようだ。
 まぁ、全員の顔は覚えているけどね。

 僕を買ったジャンユーグ氏を含めて、全部で7人。
 ジャンユーグ以外は名前が解らないが、顔は覚えた。

「お前を今から、蒼龍の迷宮に放り込む」
「はぁ」
「正規の入口ではなく、裏口があるんだが、そこにはプレートメイルも溶かすような強酸性の毒液を吐き出す蜘蛛が巣を作っていて、今はもう誰も使わなくなっているんだ」
「はぁ」
「その蜘蛛の巣に放り込んで、数日間、毒蜘蛛の強酸を浴びて入れば、中身が溶け出すんじゃないかと、うちのボスが言い出したんでな」
「はぁ」
「俺達は諦めたらどうかって言ったんだが、その鎧が無いと、商会が破産しかねないんでな」
「そうなんですか……それは、大変ですね」

 どうやら、僕はまた非道い扱いをうけるらしい。
 蒼龍の迷宮なんて、いかにも……いかにもな感じのネーミングじゃないか。どんだけ、フラグが埋まっているんだろう。

「そこで溶けなかったらどうなるんですか?」
「さぁな。それはボスが決める事だ」
「はぁ」

 そうこう言っているうちに、馬車が止まった。

「よし、ここからは歩きだ」
「はぁ」
「お前、自分の足で歩けるか?」
「多分、大丈夫です……」
「そうか」

 男はそう言うと、檻の扉をあけ、僕の首根っこを持ち上げ、外へ放り出した。

「ごろごろごろ」

 とりあえず、転がったので、そう呟いてみる。
 なんか、もう痛そうとか、怖いとか、無いんだよね。うん、このまま転がって、どっかに行っちゃおう。

「ちょっと待て!」
「ぐっ」

 僕は上から顔面を踏みつけられた。
 いたくは無いけど、ばっちぃので、思わず声が出る。

「ぺっ、ぺっ」

 土が口の中に入ったじゃないか!

「お前、逃げようとしたな」
「いえ、ごろごろ転がっただけです……」

 そう答えると、なにか不気味な生き物を見るような顔つきで、こっちをみて、

「ちょっとそこを動くな!」

 そう言って、荷馬車の荷台でゴソゴソすると、何かを持ち出してきた。

「あ、それは……」

 懐かしい。
 そこには懐かしの麻袋。全てはそこから始まった麻袋。

「それって」
「入れ……」
「……はい」

 麻袋の口をあけ、こちらへ向けてそう言われたので、僕は素直に入る。うん、2回目だけど、なんだかなれた気がする。

「ドナドナドーナ、ドーナー」

 袋の中で歌い出す。

「うるせー!」

 袋の外から何かで殴りつけられたけど、そんなものは痛くも無いので、僕は歌い続ける。

「ドナドナドーナ、ドーナー」

----- * ----- * ----- * -----

(そういや……)

 僕は歌いながら、ふとジャンユーグ達にボコボコにされている時に聞いたような気がする言葉を思い出す。

「……とりあえず、奴隷の刻印だけ打ってしまいましょう。逃げられたりしたら面倒です」
「ああ」
「くそ! 刻印魔法すら通じないのか」
「それだけ、魔法効果が高い、高価な鎧なんでしょう」
「だが、これじゃ投資した金が回収できないぞ!……どうやって、こいつが我々の持ち物だと証明する?」
「売買契約書があれば、大丈夫ですよ」
「くそ、売買契約書は偽造されたらアウトだ。なんとかして……」

 確か、泣いてうずくまったまま動けなくなってしまった僕の頭の上で、そんな相談していたみたいだ。

 売買契約書がある限り、僕は奴隷扱いなんだ……ふーん。
 僕は無感動ながら、その知識を脳内に残しておく。
 ジャンユーグ商会の7人、売買契約書。エズの村の若夫婦に、役場受付のお姉さん。他に……ああ、僕を食べようとしたオーグ達、僕を置いて村に走っていってしまったセリア……うん、このあたりはきっちり覚えておこう。

「ふぅ、ここか……」

 麻袋入りの僕を担いだ男が、立ち止まった。

「坊主、まぁ、運がなかったな。蜘蛛に溶かされなくても、飲まず食わずだったし、そろそろ限界だろ。恨むなら、俺じゃなくてボスを恨めよ」

 無理だよ。

「ちょっと待って下さい。そういえば、事が終わった後、誰がどうやって鎧を回収するんですか?」
「ん? ああ、蜘蛛の巣になっているからな。普通は入れないんだが……」
「はぁ」
「月に2回、満月の夜に蒼龍が出て来る日は、1日中、蜘蛛が引っ込んだまま出ないんだ。その時に回収に行く」
「そう……ですか……お気をつけて」

 蜘蛛だけじゃなく、龍がいるんだ……

「まぁ、なんだ……頑張れ」

 僕はこの状況で、今更、何を応援されているのだろう……
 そんな事をボーッと考えたら、突然の浮遊感。

 浮遊感はしばらく続き、

 ドサッ! ガッ! ドサッ!

 結構な衝撃で、僕はどこかに何度か叩きつけられ……止まった。

----- * ----- * ----- * -----

「よいしょっと」

 しばらく待っても、誰も何も言ってこないので、僕は落下の衝撃で出来た麻袋の裂け目から、外へ出てみた……暗い。

「ここはどこだ?」

 蒼龍の迷宮の裏口って言っていたけど、随分狭い縦穴の底に放り込まれたみたいだ。上を見上げても、縦穴は何度か曲がっているみたいで、空は見えない。目を凝らして見回すと、縦穴のあちこちに、いくつかの小さな横穴が空いている。そして、僕がいる一番底には、大人が立っても余裕で通れるくらいの横穴があり、その奥から薄明かりが漏れている。

 そして、恐ろしい事に、僕は大量の骨の中で立っているのだ。

「これが蜘蛛に溶かされた骨って事かな……」

 先程の男の言葉を思い出す。
 強酸性の毒液を持つ蜘蛛がいるって言ってたよな。人間の骨は少ないようだけど、骸骨みたいなものも転がっているし、見たこともない大きさの羽根を持った生き物の白骨も転がっている。

 こんな大きさの動物を溶かす……という事は……

 穴の途中途中にある横穴が蜘蛛の巣で、一番底の横穴がボスみたいな蜘蛛の巣穴って事か? 大人の背丈よりもあるんだが……。

「逃げ出す……のは……ちょっと無理かな」

 僕は上を見上げてそう呟く。

 僕が放り込まれたと思しき場所は、僕の位置からは見えない。見えている範囲だけでも30メートルくらいの高さはあり、その上が、どうなっているのかすら解らない。落下していた時間を考えれば、相当な高さがありそうだ。穴が狭いので、両手両足を精一杯使えば途中まではいけそうだけど、上まではさすがに幼児の力では力尽きそうだ。あ……たとえ前世の『俺』の体格と力があっても無理。ボルダリング歴1回で挫折したのは伊達じゃない。


 それに、無数に空いている大小の穴から蜘蛛が出て来る事を考えると、ちょっと厳しい。

 そうなると選択肢は少ない。
 僕は、すぐ目の前にある一番でかい横穴をみつめ、

「ま、あいつらに鎧が渡るよりはいいか。鎧が手に入らなければ破産するかもしれないらしいし」

 そう決意した。

 こんな小さな子供を、こんな所に放り出したので、穴の底で踞って泣いている事を想定していたであろうジャンユーグ氏御一行は、次の満月の日、僕……というより、僕が着ている鎧を回収しにくるらしいので、さっさと移動しちゃおう。例え、この先で死んじゃうにしても、あいつらに簡単には、この鎧は渡さない。

 出来るだけ、面倒くさい所まで入り込んでやる!

「さて行きますか……それにしても、明かりがあるって不思議だ……」

 半ばやけくそで、ジャンユーグの破産を願いながら、僕は奥から淡い明かりが漏れている横穴に入っていった。


----- * ----- * ----- * -----

「よいしょっと」

 横穴は入口から30メートルくらい入った辺りで、縦穴に変わっていた。
 普通であればロープや梯子が必要な場所なんだが……

 僕は何のためらいもなく、10メートルくらいの落差をジャンプ。そして膝で衝撃を吸収して着地。我ながら華麗な姿勢だったと思う。まぁ、死ぬなら、いつでもいいやっていう諦めきった気持ちがあったこその行動なんだけど……

 そこで、なんとなく身体の埃を払い気持ちを切り替える。
 こんな所まで入り込む事をジャンユーグは想定していないだろう。ざまぁみろ。
 4歳児が30メートルの縦穴に棄てられ、その後、穴奥深くでさらに10メートルのダイブ。普通は考えないよな。

 よし、もっと奥へ進んでやれ。

 そこまで考えて、ふと気が付いた。
 よく考えたら、こうやって拘束や監禁もされていない状態で一人になったのは、旅に出てから初めてだ。ここにいる限り、売られてたり、殴られたりする事は無い……はずだ。たとえこのダンジョンで死ぬ事になったとしても、僕は僕の意思で前へ……これが僕の冒険の始まりだ! 最初のダンジョン! 例え最後のダンジョンとなったとしても、ここから先は僕の意思だ!

 少し溢れてきた涙を、これが最後と振り払い、強張る顔に無理矢理笑みを浮かべた。

「さて、進みますか」

----- * ----- * ----- * -----

 ダンジョンの奥から明かりが漏れていたのは、どうやら、このあたりの地形が原因のようだ。仕組みは解らないけど、天井全体が淡く光っていて、その光が通路全体を照らし出してくれていた。どうも自然にできた洞窟とは思えない。こんな巣を作る、どでかい蜘蛛がいるんだろうか?

 とにかく、僕はいつ襲われても反応ができるように、周囲を警戒しつつ歩き始めた。何かは出てくるだろうと覚悟はしていたけど、まさかたった10歩で襲われる事になるとは……

 僕の目の前で突然、バリっと音をたて、通路の右側の壁に裂け目が生まれた。そこから大人くらいの大きさはある巨大な白い蜘蛛が姿を現す。

「え?」
「シャー!」

 シュバ!っという音とともに、蜘蛛は口から白い粘液のようなものが発射した。

 狙いは僕の顔面。咄嗟の事に全く身動きが出来なかったのだが……粘液が鎧に触れる直前、水蒸気を上げて粘液は蒸発してしまった。

「ええ?」
「シャー! シャー!」

 その様子に蜘蛛は不気味な唸り声をあげ、再び僕に向かって粘液を飛ばす。だが、鎧はおろか、むき出しになっている僕の顔や腕に向かって飛んでくる粘液も、僕にあたる直前に蒸発する。やがて、蜘蛛の巨大な8つの黒い目が赤く染まり、今度は大量の粘液を僕に飛ばしてきた。

「わ、わわ」

 僕は颯爽と避けたつもりだったが、ほぼ全量が僕にあた……る寸前に蒸発する。

「ええー、ちょ、ちょっと、待って……」

 再び、大量の粘液。僕は華麗に身を躱す……が、やはり全量の粘液が僕にあた……る寸前に粘液が蒸発する。

「どうしよう、どうしよう」

 呆然と立ち尽くす僕に、蜘蛛は何度も粘液を飛ばす。だが、いっこうにダメージを与えられない事に気がついたのか、ようやく僕を警戒するように蜘蛛は一歩さがり、首をかしげた。その様子に知性のようなものを感じた僕は、

「蜘蛛さん! 待ってください! ここは平和的に話し合いましょう!」
「シャー?」

 蜘蛛の目の色がゆっくりと元の黒へ戻っていく。これはいけるか?

「僕は何もしません。ただ、ここを通り抜けたいだけなんです」

 僕の呼びかけに応えるように蜘蛛が少し頷き、ゆっくりとお尻から自分が出てきた隙間に入っていった。

 よし、もう大丈夫だ。やっぱり知性があったんだね。そんな気がしたよ。白い蜘蛛って何だか神の使いっぽいもんね。何事も平和が一番。それでもモンスターを相手に油断はしないように……と、僕は警戒しつつ蜘蛛が入り込んだ隙間の前をゆっくりと通り抜ける。

「ありがとう。君とは友達……ブベッ」

 隙間から白と灰色の縞々の足が2本伸びてきて、僕の顔面と腰を引き込み、そのままダンジョンの壁にホールドされた。へー、蜘蛛の足って毛がびっしりと生えているんだね……

「ま、待って? あれ? 今、僕ら分かり合えたよね? 友達になったよね」
「シャー!」

 白い蜘蛛は、背中や首に牙を立てようとしているのか、肩のあたりに何度も衝撃が走る。ヘルメット……じゃない、鎧の加護がなかったら、即死していた!

「食べるの? 僕をたべちゃうの? 美味しくないって! うわー! やめてー!」

 幸いにも手と足に自由があったので、なんとか引き剥がそうとするけど、必死に動いたけど、蜘蛛の足をピクリとも動かす事はできない。

「あ、魔法! 魔法を僕は使えたんだ……」

 海賊船の出来事を思い出したが……
 ジャンユーグ相手では、親に迷惑をかけると思って使うのを躊躇っているうちに、忘れてたが、こいつら相手だったら遠慮はいらない……が、

「後ろに向かって、どうやって飛ばせばいいんだ?」

 背後から襲われている状態なので、どうやって狙いを付ければいいのか解らない。

「どうしよう! 助けを呼ぶ? って、たった今、ここに突き落とされたばかりじゃん。そ、そうだ、何か武器に……武器……?」

 僕が旅に出る時に父上からもらった剣! あれを使えば……!

「って、船長に取り上げられて、海に棄てられたじゃん!」

 あー、あれがあれば! 僕は悔しさのあまりに手足をバタバタと動かす。蜘蛛はそれを見て、僕を固定する足の力をさらに強める。僕は全然、動けなくなってしまった。

「ぶーきー! 何か武器になるもの! 僕の武器・・・・!」

 動けなくなった僕は何とか、この状況を打開しようと、魔法の力で武器を出す事にした。ファンタジーの世界だ! この鎧の魔法効果もあるし、きっと出来る! 信じるものは救われる! さぁ、いまこそ顕現せよ! 

 僕は、必死に念を右手に送る。

 イメージ……イメージが大切だ。

 僕は右手に剣を握るイメージを強く持つ……徐々に右の手のひらが熱くなり……こ、これは……

 僕は自分の心に従い、声にならない声をあげ、右手を天に掲げた……

「……」
「……」
「……」
「……」
「シャー」
「かー! 何にも出ない!」

 やはり、無理だった。蜘蛛も空気を読んだか、一瞬、噛み付くのをやめ、様子を見ていたようだ。

 ガシガシガシ!
 蜘蛛の攻撃が増した。

「照れるなよ。僕も恥ずかしかったんだからさ……」

 だが、僕の言葉を無視して蜘蛛はひたすら牙をたてようと、僕の首筋や肩を攻撃してくる。

「このまま食べられなくても、蜘蛛に抱えられたままなんて嫌だー! だー! だー! だー!」

 ダンジョンを僕の声がこだました……

----- * ----- * ----- * -----

「……」
「……」
「シャー!」
「うぉ、寝てた!」

 蜘蛛にホールドされた状態のまま、牙でガシガシやられる事、数十分。その衝撃がマッサージ効果を生み、どうやら僕は寝てしまっていたようだ。

「ああ、ごめん。大丈夫、続けて……」

 ちょっと気持ちよかったし、僕は蜘蛛にリクエストしたが、僕の言葉を聞いたからなのか、蜘蛛は、突然、僕の事を放り出した。

「うわ……あ! な、なんか、ごめん……」

 振り返ってみると、蜘蛛が僕から目をそらす所だった。
 僕はゆっくりと立ち上がり、裂け目から離れる。

「シャー」

 力の無い唸り声が聞こえた後、蜘蛛は裂け目の中に入っていった。どういう仕組なのか……蜘蛛が完全に裂け目の中にはいると、その裂け目すら閉じてしまい、表面から見えなくなってしまった。そして、何かが擦れるような音がしばらく続き、やがて蜘蛛の気配が全くしなくなった。

「助かった……って言っていいのかな?」

 後半は寝ていたのでよく解らないけど、とりあえず僕は蜘蛛に抱えられたまま一生を過ごすという事態は避けられたらしい。昼寝とマッサージ効果でむしろ体調は良くなった。人間、何が幸いするか解らないね。それに、強酸性の毒液とやらも、僕には効果がなかった。

「ざまぁみろ、ジャンユーグ。僕は、このままここで生き残ってやる!」

 ようやく、その事で、僕の中に「生きる」という選択肢が戻ってきた。

「へっ、今回だけは見逃してやる」

 蜘蛛が消えた裂け目を睨みつけ、そう呟く。

 そして、すっかりコリのほぐれた肩を回した。
 この数日のドタバタで、すっかり恐怖耐性がついたと言えよう。SAN値も回復したんじゃなかろうか。よし! もう何が出てきても恐れる事はないぜ!

 そう思いダンジョンの奥へ視線を移した瞬間。

 ペタ……

「ひぃ」

 どこからか、まるで水に濡れた足で歩くような音が聞こえた!

 ペタ…… ペタ……

「どこから……」

 前後を見回す。誰も見当たらない。

 ペタ…… ペタ…… ペタ……

 近い! 近い! これそこら中から聞こえていない? でも、どこか解らない! 何これ、怖えー!

「うわぁ!」

 突然、肩を軽く叩かれた。僕は、それに驚き腰を抜かしてしまった。

「ひ、ひぇ……ひぇ……」

 怖くて立ち上がれない。絶対、アレな奴だ。振り返ったら、絶対ダメなやつだ!
 僕は、四つ這いでダンジョンの奥へ進む。

 ペタ…… ペタ…… ペタ……

「ひぃ! 付いてくる!」

 見ちゃダメだ! 見ちゃダメだ! SAN値がなくなってしまう!

「ひっ! ひっ! ひっ……ぶっ! え? 何?」

 恐怖に目を閉じて進んでいたために、顔を湿った何かにぶつけてしまった。僕は慌てて、目を開け、ぶつかった「何か」を恐る恐る見上げる。そこには……

「わっ!」

 僕は意識を気持ち良く手放した。

----- * ----- * ----- * -----

 パチン! パチン!

 何かの音が聞こえる……ああ……これは肌を叩く音だな……叩かれているのは……

「僕だ!」

 頬を何度も叩かれていた事に気がつき、僕は上半身を起こした。
 僕の視線の先、ちょうど腹の上に跨るように座っているのは……

「誰?」

 全裸の幼女でした。

 全身に水滴と白い砂が付いていて、まるで海水浴場から帰ってきたような姿だ。綺麗に切り揃えられている黒髪の上には、ご丁寧にでっかい昆布が乗っかっている。ツルだし、ペタだし、僕と同じくらいの背丈だ。とりあえず、幼女である事は間違いない。

 その幼女が、僕が気が付いたにも関わらず、何度も頬を叩いていた。

「えーと……とりあえず、どいてくれるかな」

 幼女は僕の上から動かずに、文句を言い始めた。

主様ぬしさま、いきなり私の顔を見て倒れるとは、失礼な話」
「はい?」

 全裸の女の子と言っても、僕と歳も変わらないくらいの子供なので、何も感じないのだが、さすがに気まずい。ロリ属性を持っていないが、さすがにドギマギしてしまう。僕は幼女の身体をできるだけ見ないようにしながら、

「えーと、主様? 僕の事?」
「そう。主様、私を呼んだ!」
「えーと、君は誰?」
「私は私」

 どうも、話が通じない。

「えーと、僕は君の事を知らないんだけど……説明してくれるかな?」
「面倒。主様が自分で理解すべき」
「そんな無茶な? だいたい君は、どこから来たの?」
「あっち」

 僕が入ってきた方を指差す。

「名前は?」
「無い」
「お父さんは? お母さんは?」
「いない」

 いくら何でも情報がなさすぎでしょ。

「さっきのペタペタという音は君が?」
「これ」

 幼女はようやく僕の上から降りて、その場で行進をするような仕草をした。

 ペタ…… ペタ…… ペタ……

 ああ、それだ。でもさっきは全方位から音がしていたような……そう思って見ていると幼女の姿が消え、再び僕の全方位から音が聞こえ始めた。

「え、何? 消えた? え?」
「ここにいる」
 
 幼女が再び僕の目の前に姿を現した。

「これ」

 これ? 
 ああ……全方位で聞こえたり、突然、目の前に現れた事を説明してくれているのか……

「い、いや、それはいいけど……」

 一体どう言う仕組みで……

「シャー!」「シャー!」
「シャー!」

 その時、僕たちが立っていた通路の両側の壁にまた隙間が生まれ、再び巨大な蜘蛛が出てきた。今度は黒いのが2匹。そして更にその奥から、再び白い蜘蛛が出てきた。これは仲間を呼びに言っていたのか?

「やばい、隠れて!」

 慌てて僕の背中に幼女を隠す。いくら何でも3匹はマズイだろう。僕は平気でもこの子が危ない。怪しい所だらけだけど、女の子だし、子供だ。僕が護らないと……

「大丈夫」

 幼女は僕の手をゆっくりと払いのけ僕の前に進み出る。

「主様、頑張る」
「え?」

 女の子が突然光に包まれ……

 カシャン!

 いままで僕の目の前にいたはずの全裸の女の子が忽然と消え、目の前には見覚えのある黒い鞘と昆布がまとわりついた抜身の剣が転がって……いる?

「え、え、えええ?」

 ……僕はこうして待望の武器……全裸の幼女ショートソードを手に入れた。

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