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第1章 4歳児、奴隷になる

2. 旅立ち

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「ははうえ、僕は旅に出ます!」

 僕は母に自分の決意を伝えた。
 ダメだ、痛すぎる。一分一秒足りとも、ここにいたくない。

「まぁ、シャルル、どうしたの? お父様に何か言われましたか? 私に話してちょうだい」

 そう言って母は僕を膝の上に抱き上げ、ギュっと抱きしめてくれた。柔らかいオッパイの感触に決意が揺らぎそうになるけど、あ……シャルルの部分は、もうフニャフニャになって眠気すら覚え始めている。だが、今日は負けん!

「ははうえ! 男にはやらなければならない時があるのです。僕は旅に出ます!」

 それは昨晩の話……

----- * ----- * ----- * -----

『日本の消費税は今、何%になった?』

 書斎にあるソファに腰をかけた僕の目をじっとみつめ、父は日本語で問いかけてきた。

『しょうひぜいですか? ちちうえ?』

 父が日本語で話しかけてきたので、僕もそのまま日本語で答えてしまった。それから、はたと気がつく。

(日本語?)

「そうだ。『消費税だ』……あーもしかしたら、名前が変わっているかもしれん。ちなみに、平成はまだ続いているか?」

「ち、ちちうえ?……まさか……」

 黒髪に黒い目。『消費税』に『平成』という日本の元号。

「ち、ちちうえは、日本人なんですか!?」

 それまでするどかった父の視線が、ふと柔らかくなった。

「ああ、やっぱりそうか……」

 そう言って立ち上がり、戸棚から茶色い色のお酒を取り出す。ウイスキーっぽい色だが、4歳児の身体では確認しようも無い。そしてガラスのコップを取り出し、そこに酒を注ぎこみ、

「そうすると、シャルルは日本人が生まれ変わったって事でいいか?」

 そういうと、一気にその酒を飲み干した。

 僕は父のその言葉に答えるのを一瞬ためらったが、覚悟を決めてコクリと頷いた。

「そうか……ふぅ……お前の出生を考えると、その可能性はあると思っていたんだよな」
「どういう意味で……」
「ああ、それはそうと、シャルル、お前は日本では子供だったのか?」

 何やら僕の出生に纏わる秘密を口にしそうになって誤魔化したようにも感じたが、それ以上に、父がぶつけてきた質問に困惑した。思わず父から目を逸らしながら……

「え、えーと」

 視線が定まらない。僕の目は大海原を遊泳中不審者の目だ。
 なにせ、僕は生まれた時から母のオッパイを吸ってきた(当たり前の話だが……)すなわち、三十路のおっさんが、父の妻たる女性オッパイの所有者のオッパイを吸ってきた訳だ。

「ふむ……子供じゃなかったのか……少し複雑だな。まぁ、いい」

 いいの? 本当にいいの? 中身、おっさんだよ? 多分、あんた父上より、年上の男だよ?
 
「少し、俺の話をしよう」

 その言葉に、僕も動揺を抑え、父の目をみつめた。

「俺はお前とは違い、突然、この世界に連れてこられたんだ」

 なんと! いわゆる異世界召喚パターンか?

「俺が日本にいた頃は……1993年。大学4年生だったんだが、なかなか就職が決まらなくてなぁ」

 ああ、就職氷河期と呼ばれ始めた頃だな。俺は小学生だった。あれ? おかしくないか……

「内定が決まらねーって、友人と愚痴りながら飲んでいて、気がついたら、目の前にオッパイのでかい姉ちゃんがいてな」

 それはびっくりだ。一晩の過ちって奴か?

「これから異世界に放り出すから、特殊能力をいくつかつけてやるって言われて、送り出されたんだ。次に気がついたら、偉そうな爺さん達に囲まれていて、あれよあれよと勇者に祭り上げられて……」

 どうやら過ちではなかったらしい。

「え、父上って勇者だったの?」
「魔王を2回ほど倒して、領地をもらって、現在に至るって訳だ」

 おいおい、勇者に魔王って、ロールプレイングゲームの世界かよ。これ、本当に異世界転生ものに巻き込まれたって事か? オッパイのでかい姉ちゃんは、女神か何かだろうか。『俺』がこっちへ来る時は、そんなシーンは無かったはず。

「シャルル、今度はお前の話をしてくれ」

 まだ混乱している僕に父は質問をしてきた。

「お前は、どうやってここに来た? 覚えている事でいいから、教えてくれないか?」

「ぼ、僕は……」

 どう答えたら、いいんだろう。一瞬、逡巡したが、正直に答える事にした。

「ぼ、僕……僕は、死んで生まれ変わったんだと思う。父上がこっちへ来てから20年以上経過した世界で、消費税は8%。元号は平成のままでした」

「そうか……俺がこっちへきてから7年だから、時間の進み方も違うのか。並行世界とも思ったが、そういう訳では無いのかもな」
「そう……ですね」
「死んだ時の記憶はあるのか?」
「は、はい。飲んでいて、ちょっと頭に来ることがあって、道路へ飛び出して、そこに多分、トラックかバスが突っ込んできて……」
「そうか」
「ただ、オッパイのでかいお姉ちゃんは出てきませんでした。だから特殊能力とかも、もらっていません」

「それはいいとして、酒が飲める年齢だったんだな」
「え、あ、そ、それは……」
「マリアのオッパイに吸い付いたな……」
「え、えーと、うーん」
「ずっとマリアのオッパイを飲んでいたな……」
「で、でもそれは……」

「俺のオッパイが……」

 父が拳を握りしめ、何やらブツブツと呟いている。

「ち、父上!」

 ゴゴゴと、父の背中から音が聞こえてきそうだ。
 そのプレッシャーに僕は耐え切れなくなって、ソファから飛び降り、そのままジャンピング土下座。

「も、申し訳ありませんでした。ご主人の気持ちを考えずに、奥様の事を……」

 そうだよな。こんなおっさんに奥さんのオッパイを吸われたら切れるよな。僕でもその気持は解る。僕は床に頭を擦り付け、お詫びの言葉を繰り返した後、父の顔もみずに書斎から逃げ出した。

「お、おい、シャルル! じょ……」

 父の声が背中から聞こえたが、僕のチキンハートではこれ以上、この雰囲気に耐えられない。自分の部屋に駆け込み、ベッドに飛び込むと、毛布を頭からかぶり、これからの事について考え始めた。

----- * ----- * ----- * -----

 そして、冒頭に戻るわけだ。

「ははうえ、僕は旅に出ます!」

 母の顔をまともに見られない。
 僕は顔を伏せたまま、母にこう宣言をした。

「どうしたの、シャルル? 昨日、お父様とお話して、なにか言われたの?」

 そんな僕に、母は優しく声をかけてくれた。でも、ごめんなさい、母上。可愛いシャルルの中身は、よそのお家の小汚い30歳のおっさんなんです。あなたのオッパイにむしゃぶりついていたのは、純真な子供じゃないんです。

 そんな思いが頭をグルグルまわり、僕は何も言えなくなってしまった。

「そう……ちょっと待っていてね。お父様とお話してきます」

 僕のそんな様子を見て、母の雰囲気が変わった。なんだが、母からもゴゴゴという効果音が響いてきている気がする。似たもの夫婦なんだな。そんな感想を抱いた僕を残して母は父の元へ向かった。

----- * ----- * ----- * -----

 30分も経っただろうか。
 戻ってきたのは母ではなく父だった。

「シャルル! マリアの了解を取ったから、行って来い! 冒険の旅に!」

 昨夜の話もあり、顔を合わせたくなかったのだが、そんな気持ちも父の顔を見て吹き飛んだ。

「ち、父上……って? どうしたんですか! その顔は!」
「いやー、ちょっとな」

 近づいてきた父の顔は傷だらけだ。

「マリアの奴が怒ってな。お前が急に旅立つと言い出したのは、俺のせいだって……あやうく三途の川を渡る所だったよ」
「そ、そうですか……」
「まぁ、それは気にするな。それよりも、昨日の事もあるし、俺としては可愛いお前と離れてしまうのは寂しい限りだが、お前の気持ちも解る。マリアには理由は詳しく説明しなかったが、必要だって事は理解してもらった。4歳という年齢では早過ぎるとは思うが、中身が大人なら、何とかなるだろう」

「はい! じゃぁ、早速今から出発します!」

 いくら息子として接してくれても、こっちは間男の感覚だ。気まずさでまともに顔が見れない。一分一秒でも早く、この屋敷から逃げ出すしか無い。

「いや、ちょっと待て」
「はい?」
「何とかなるだろうといっても、やはり体力的な不安もある。少しだけ……少しだけ、準備に時間をくれ。そうだな……4日、4日後を出発の日としよう。その間に、俺の方で、お前の旅立ちのための準備をしておく」
「わかりました! それじゃ、僕は4日間程、軽く家を出ておきます。また4日後に!」

 旅立つにしても、家にいられる訳は無いじゃないか!
 僕は父の返事をまたずに、家を飛び出した。パンツ一丁でベランダから飛び降りる羽目にならなかっただけでも、間男としては上等な方だろう。

----- * ----- * ----- * -----

 ……という事で4日間のサバイバル生活開始。

 いや、4歳児が一人で屋敷の外で生きていくなんて、一体どうやるんだという疑問は良く分かる。僕もそう思う。勿論、一人では死んでしまっていたかもしれない。父もそう思ったんだろうな。僕が屋敷から飛び出した後ろから、僕のお付のメイドであるセリアが追いかけてくれた。

「ぼっちゃま! 一人では危険です。ご一緒します」

 所詮4歳児の全力ダッシュなので、すぐに追い付かれ、僕はセリアに抱き上げられた。屋敷から、まだ100メートルも移動していなかったので、ものの数十秒という所だったんだろうな。

「セ、セリア! 離して!」
「大丈夫です。4日後に戻るんですよね。それまでのお世話を言い使ってきました。お任せ下さい。セリアがお供します」

 あばれようにも、この年齢で10歳近い年齢差を跳ね返すのは難しく、僕は諦めておとなしくなった。その様子を見て、僕を降ろしてくれたのだが、そのスキにダッシュ。5秒後に確保。これを3回程、繰り返して、僕はとうとう諦めた。

「はぁはぁはぁ……地味にきつい」

 数メートルのダッシュと、腕の中で暴れるのを繰り返したので、もうクタクタだ。

「大丈夫ですか? 息が整ってから、村の方へ行きましょう」
「はぁはぁ……村?」
「はい。元々、昨日行くつもりだった屋敷から一番近い村です。領主様を尊敬している人ばかり集まった村ですので、とても安全な場所なんです」
「そうなんだ……」

 父の息がかかった村へ逗留するのは、どうかとも思ったが現実問題、4日後には一度戻るんだし、近場がいいか。これを機に内政チートの準備と旅立ちの準備をしてみよう。

「わかった。そこへ行こう。セリア、道案内をお願い」
「はい」

 こうして、僕はセリアと手をつないで道を歩き出した。

 とりあえず、うかつに近づけなくなった母と違い、セリアとは安心して手をつなぐ事が出来る。そう、これはまるでデートみたいだ。僕は今、14歳の女の子とデートしているんだ!

「ぼっちゃま、疲れたら言って下さい。セリアが抱っこかおんぶいたしますので」

 うん、なんか違う。これはデートじゃない。調子に乗ってました。

----- * ----- * ----- * -----

 昨日、オーガがやってきた川の反対側へ渡り、さらに10分程あるくと、眼下に大きく広がる村が見えてきた。数百件、もしかしたら千軒以上の家が立ち並んでいる場所だ。中心部には家が密集していて、そのまわりに広大な畑、そして畑の中にいくつもの集落がある……そんな状態だった。

「これが……村?」
「はい。これが、我が領地のお膝元の村になります」

 なんだか、想像していたのと違った。
 村というからには数十軒の家がポツンポツンとあり、寂しい感じを想像していた。でも、僕の想像とは違い、人口も多そうだ。こんな大きな村が屋敷の近くにあるなんて、知らなかった。箱入り息子にも程があるよな。

「と、とりあえず、村の中に入ろう。村長とかいるのかな?」
「村の長は、直轄地ですので領主であるお父様になります。ただ、代官がいますので、最初に代官の所へいきましょうか」
「うん、邪魔じゃなければ行ってみたい」

 そもそも、昨日やろうとしていた事だ。初志貫徹。両親に合せる顔はなくなってしまったが、それでも自分の存在意義を出すために、やれるだけの事はやってみよう。

「こんにちわー」

 村の中に入り、30分くらい歩いて、ようやく代官の家にたどり着いた。
 代官屋敷といっていいのか? 代官というから、日本の武家屋敷みたいなイメージをもっていたが、どちらかといえば、明治時代のバロック様式なのか、大手銀行の本店のような感じだ。そんな我が家よりも立派な3階建ての石造りの建物の前で、「◯◯ちゃん、遊びましょ」くらいの呑気なノリで叫ぶセリアの声が響いた。

「はーい」

 その声を受けて、なかから、若い感じの女性の声が響き、代官屋敷の大きな玄関が開け放たれた。

「いらっしゃーい、セリア。久しぶりね」
「お姉ちゃん、久しぶり!」

 随分フランクな感じで出てきたのはセリアとそっくりな顔の女性だった。あ、でも、セリアよりは少し大人びた雰囲気かな。

「今日は、シャルル様をお連れしました」
「ああ、そうなの」

 じっとみつめる僕に合わせてくれたのか、その女性は僕の目線まで身体をかがめた。
 しゃがんだ拍子に女性のオッパイが持ち上がる。どうやらセリアよりも大きいみたいだ。

「お初にお目にかかります。セリアの姉、カリナでございます。お父様より、この村の代官を仰せつかっております」
「え、ええ? 代官?」
「はい」

 とても素敵な笑顔で肯定してくれた。
 セリアの姉というのは、「お姉ちゃん」という言葉からそうなんだろうと思っていたが、代官とは想像がつかなかった。セリアの姉という事は10代後半か、せいぜい20歳を超えたくらいなんじゃないか? 見た目からも、そんな感じだ。

「あら、どうしたのかしら」
「ぼっちゃま?」

 思わず固まってしまったが、気を取り直そう。
 父が勇者で日本からの転生者だ。それなりに、ドラマがあったんだろう。できれば、父の活躍を小説で読みたかったくらいだ。そのドラマに巻き込まれた一般人としては、この先、道化にならないよう気をつけなければ。

「シャルルです。いつも父がお世話になっています」

 とりあえず。型通りの挨拶をしてみる。

「うーん、あのクソ領主に似合わないくらい、しっかりしたご子息ね」
「そうなの! 可愛いでしょ」

 あれ、何だか父の扱いが……

「シャルル様。あの領主様がお父様では、色々と大変でしょうが……まぁ、実際の所、大変なのは私達、代官組なのですが……今後ともよろしくお願いします」

 領主たる父の部下と、領主の息子の初対面の会話としては、おかしな感じだが、一旦後回しだ。

「それで、カリナ様」
「カリナで結構ですよ。ぼっちゃま」
「ありがとうございます。それじゃ、カリナ。僕は4日程、屋敷に戻らないつもりなので、できれば、どこか寝る場所を手配していただきたいのですが、お願いできますか」
「それはもう。ここは、そもそもクソりょ……お父様の持ち物ですので、いくらでも使って下さい。早速部屋を用意させましょう」

 そういって、カリナは一旦、中に入り、またすぐ戻ってきた。

「今、すぐにゲスト用の居室を片付けさせますから、ぼっちゃまとセリアは応接室の方へ」

 そういって、僕らを先導し、代官屋敷の中に入っていった。
 
 代官屋敷の中は昼間だという事もあり、かなり明るく、石造りの冷たい感じも窓枠から垂れ下がってる赤を基調としたラグで、暖かい感じになっている。

「本当は、このダビド王国の旗を意識して、青いラグにしたかったんですけどね」

 僕の視線に気が付き、カリナが教えてくれた。

「でも、領主様が、赤いと3倍という事に頑なに拘って……」
「ぶっ!」

 思わず吹き出してしまった。
 さすがは70年代生まれ。父は、まさしくあの世代なんだろう。それを理解してしまう僕も僕なんだが……

「ですので、この建物の家具や絨毯は赤を基調とした色で統一しているんです。また領主旗も赤を基調としてますしね」

 そう言って、窓から見える庭の先にさしてあるポールと、その先に付いている旗を指差した。

「ぶっ! あれはジ◯◯公国旗」

 旗を見て、またもや吹き出す羽目になった。父の頭は、一体、どうなっているんだ。領主旗として庭に掲げられていたのは赤地に白と黒の線で十字に象られ、真ん中には例の紋章。

「旗はセンスがいいと思うんですけどね」

 いや、あの旗もナチスを模した独裁国家の旗なんですけどね。父が怖くなるよ。

「でも室内まで赤ばかりだと、どうも血が滾って……」

 赤い部屋は攻撃的な打ち合わせをする時に使ったりしている外資系企業もあるくらいだし。逆に青い部屋は相手の怒りを抑える時に使っていたらしいが……色の効果というは恐ろしい。3倍もあながち嘘じゃないのか。

「そ、そうなんですか。父がご迷惑をおかけしています」

 とりあえず、素っ頓狂な父の趣味に付き合わされて大変みたいなので、肉親としては、素直に頭を下げておこう。

「いいのよ。シャルル様が悪いわけでもないんだし、あれでも、良い所が沢山あるから、私達は付き従っているんだからね。決して悪い領主って訳じゃないの。うーん、まだ難しいかもしれないけど、簡単にいうと、うざいuzaiって所かな?」

 へ、今、音としても「uzai」って言ったよね?
 うざいは異世界でも利用可能な言葉になっているんだろうか……父が持ち込んだとみた。というか、父がいた頃の日本にも、うざいって言葉があったんだな。僕たちの若いころの言葉なんだと思っていたよ。それはそうと……

「いえ、お気になさらずに」
「はぁ……あいつの子供とは思えないくらい、しっかりしているわね。セリア、本当に、あのクソ領主のお子様?」
「それは勿論! だいたい、お姉ちゃんも、マリア様がシャルル様を出産された時に、すぐそばにいたじゃない」
「それもそうね」

 話を聞いている限り、父とカリナは単なる上司部下という訳でも無いんだろうな。憎まれ口を叩きながらも、どこか愛情がある感じがある。はっ! ま、まさか愛人!? 父の奴、母というものがありながら……やはりオッパイは僕が守らないと……

「お姉ちゃん、シャルル様が、領主様と代官の関係が悪いと誤解しそうだから、もう止めてね」
「そうね。もうこの辺にしておくわ。それでは、そこが応接室になってますので、どうぞ腰をお掛け下さい」
「はい」

 大丈夫です。二人の仲が悪いなんて、これっぽっちも疑ってませんよ。ええ。とりあえず、この問題は4日後に追求させていただきます。

「それでは、改めまして、領主様よりこの村の代官職を仰せつかっております、カリナ・マイ・マトリです。領主様、シャルル様には、妹がいつもお世話になっております」
「ご丁寧にありがとうございます。シャルル・アリスティド・ジェラール・クロイワです。父がいつも世話になっております」

 名刺があれば、差し出したい所だが、仕方あるまい。とりあえず、自分の名前を噛まずに言えた所を褒めてもらおう。最近、やっと、つっかえずに全部言えるようになったんだ。

「それで、今日はどういったご用向きで? ただ、お泊りに来たということでしょうか?」
「いえ、これから4日ほど、この村に滞在させていただきたいと思っています。それで、もしよろしければ、この村で困っている事があれば、ご相談いただければ、何か知恵を出せるんじゃないかと……」
「ああ、それでここに」

 そう言って、カリナはセリアの方へ視線を送った。

「お姉ちゃん、何か困っている事は無い? シャルル様は、『ぼうえき』か何かでアイデアがあるみたいだよ」
「貿易ですか……うーん、とくにこれと言って、思いつかないですね」
「例えば、塩の精製とか困っていませんか? 海水があれば塩を安価に製造する方法が……」

 海水から塩を精製する方法は、小学校の自由研究のテーマだった。

「海水からですか。そうですね、この辺ですと海岸が無いのですが、領内には海辺の地域もありますし、そこで天日製塩法以外の効率的な方法があれば」
「いえ、すみません。その方法です」

 これは駄目か……

「じゃぁ、農作で困っていませんか? 一つの畑で効果的に沢山の作物を育てる方法とか……」
「え、そんな事が出来るんですか!?」
「はい!」

 カリナが飛びついてきた。中学生の社会の授業をちゃんと聴いていて良かった。

「多毛作や輪作に変わる新しい農作が出来れば、我が領地も飛躍的に……」
「すみません。その方法です……」

 まだまだ!

「金融システムで……」
「医療保険制度を……」
「民主的な政治形態……」
「……」
「……」
「……」
「二次元の絵師を揃えて、ポップカルチャーを……いえ、もういいです」

 カリナは気長に3時間くらい付き合ってくれたが、僕の心はとうとう折れた。

「お役に立てずに申し訳ありません」

 話を総合すると、どうやら父がこの領地を貰った後、徹底的に内政チートを進めていたらしい。医療の知識でもあれば別だったんだろうが、単なる元サラリーマンでは、この世界に役に立つような専門レベルの知識なんて無かった。『俺』の知識は、この世界では役には立たない……

「いえ、お付き合いいただき、ありがとうございます。それでは部屋をお借りして、休ませていただきます」

 落胆した僕は、カリナにそう告げた。

「分かりました。それでは、食事は後ほど、ご一緒させていただ……」
「申し訳ありませんが、疲れてしまいましたので、出来れば部屋の方へ運んで下さい。あ、セリア。お姉さまと積もる話でもあるでしょ。僕は部屋で休むから、ゆっくりしていきなよ。うん……ちょっと一人にしてくれるかな……」

 そう言い残し、僕は応接室を後にした。
 用意してくれた部屋まで、代官屋敷の使用人なのか、メイド服をきた老齢のご婦人が案内してくれたが、特に会話をする事もなく、僕は部屋に入り、そのままベッドに倒れこんだ。

「僕の名前は、シャルル。でも本当の名前は違う。父と違い、父が転移した23年後の世界で死に、ここに生まれ変わってきた。その正体は、ただのうだつの上がらないサラリーマンだった30歳の男だ」

 誰もいない部屋で僕は呟く。

「父も母も他界していた。兄弟はいなかった。僕が死んで悲しむ恋人もいない。友人や同僚はいたが、それほど深い付き合いもなかった……」

 幼いシャルルが流す涙とは違う種類の涙が、瞳から流れ落ちている気がする。

「ここで新しくやり直せるかとも思ったけど、父に知られてしまった。もう一緒に暮らす事は出来ない。でも、この世界で……僕は……無力だ」

 そこで、『俺』から『シャルル』へスイッチする。

「は、母上、ははうえ……ははうえ……」

 もう声を殺すことも出来ない。幼い僕の心には、母と別れなければならないという思いは、耐え難いものだった。僕はベッドに突っ伏し、少しでも声が外に漏れないようにしながら、泣き続けた。

----- * ----- * ----- * -----

 結局、4日間。ほとんど部屋から出ることもなく、僕は過ごしてしまった。
 頭では、これから旅に出る事に備え、少しでもこの世界の事を知るために、村の中を散策すべきだったのだが、僕にはその気力が無かった。

「カリナ、お世話になりました。セリア、心配をかけた。もう大丈夫。屋敷に戻ろう」
「そ、そうですか……」

 セリアは、部屋から出てきた僕の様子にオロオロしている。そりゃそうだろう。4歳児が、食事をろくにも取らず、4日間、部屋へ引きこもっていたんだから。でも、大丈夫。こんな年から、引きこもった生活をするつもりは無い。今日は、僕の旅立ちの朝なんだ!

 4日間で、僕は覚悟をした。
 やるだけやろう。
 前世のような生き方はもうしない。
 前に進みだそう! 居場所が無いなら、作るしか無い。どこか父の影響が無い所まで行って、何とか内政チートでやり直そう。

 そんな僕の雰囲気を察したのか、カリナは何も言わず、ゆっくりと頭を下げ、僕を送り出してくれた。

 久々に出た外は、快晴。
 まるで心機一転した僕を祝うようだ。
 来た道をもどり、両親が待つ屋敷に戻る。

 そして、屋敷の門をくぐると、玄関の前で父が待っていた。

「ち、父上。戻りました」
「ああ、お帰り」

 父は笑顔で僕を迎えてくれたが、その笑顔が僕には居心地が悪い。一刻も早く、ここから逃げ出したい。

「それでは、僕は旅に出ようと思います」
「決意は代わらなかったんだな」
「はい」
「そうか……寂しいが仕方ない。幼いという不安もあるが、可愛い息子の門出だ。これを持っていけ」
「はい?」

 そういうと、父はどこから取り出したのか大きな包を僕の前に置いた。いや、あんた、今何も持っていなかったよな?? 突然の事に驚く僕をよそに、父はその包みを解く。

「この世界、解っていると思うが、日本とは大きく違う。大人であっても冒険の旅に出るというのは大変なものだ」
「冒険?」

 そういえば、この間もそんな事を言っていたな? 顔の傷に驚いて、それどころじゃなかったが……

「そのための装備が必要だ」
「装備?」

 いや、ここでの生活から逃げ出すだけのつもりで、何とか内政チートを……

「これが、お前専用の鎧だ!」
「鎧?」

 ジャーン! という効果音が出るんじゃないかという感じで、父が満面の笑みをうかべ、僕の目の前に深紅の色をした何かを差し出した。それは薄い鉄の板のような物を何枚も組み合わせたような素材で、その表面はザラザラとしている。

「これは、俺が昔し討伐した炎龍の鱗を利用した鎧だ」
「炎龍?」

 ちょっとまって、龍ってどういう事?

「この鎧には絶対的な物理防御力、あらゆる耐性異常を防ぐ特殊効果! 着用者の体型や、その時の状況によって可変するフォルム! 変型は大事だぞ。そして、何より赤い! 赤はいいぞー! 3倍だ! 3倍!」

 いや、そんな事はどうでもよくて、龍がいるのか? 龍が? 説明する父の目が怖いんですけど……

「そして、剣だ!」

 今度も、またどこからか新たな包みを持ち出してきた。細長い板状のものを包んでいる布だ。その中に剣が入っているのね。

「みてみろ。この真っ黒な鞘を! そして、その中には……ジャーン!」

 今度はとうとう口で効果音を出しちゃったよ。

「シャルルの身長に合わせて、今のところは短いが、この剣の良い所は錆びない! そして呼べば飛んでくるほど、所有者に対しての絶対的な忠誠。ちょっと愛想が無いのが玉に瑕だが、きっとお前も満足してくれる」

 剣に愛想も何も無いだろうに。

「さぁ、付けてみろ」
「え、どうやって……」
「いいから、まずは鎧を付ける事をイメージしてみな」
「あ、うん。じゃぁ……」

 父から龍の鱗が繋ぎあわせたあるだけの良くわからないものを渡された。思ったよりもずっと軽い。見た目からそれなりの重さなんじゃないかと思っていたのだが、まるで綿をもっているみたいだ。これがどうして鎧なのかという事は一旦忘れて、この素材をベースとした深紅の鎧をイメージしてみた。すると……

「へ!?」

 手に持った龍鱗の塊が一瞬、輝いたかと思うと消えてしまった。そして……

「おお! やっぱりよく似合う」

 僕の身体に誂えたようにピタリと合う深紅の鎧になってしまった。頭を守る兜、顔は露出しているが、頬は守られている。そして、肩は覆われ、指先は出ているが篭手で手の甲が守られている。
胸当、腰当、すね当にブーツ。あの龍鱗の塊が、なんでこんな形になってしまったのかは解らないが、ちゃんとした鎧となって、僕を覆っている。

 だが、この状態となっても重さは全く感じない上、身体を動かすのに邪魔になるような事も無い。そして何故だろう。露出している部分も護られている事が解ってしまった。

「うん、赤はいいなー」

 父は満足そうだ。

「次はこれだ」

 黒い鞘ごと、剣を渡される。これもびっくりするくらい重さを感じない。

「これは斬れるぞ。斬って斬って斬りまくっても、その斬れ味は落ちることは無い、特別製だ。そして、これが大事なのだが、お前が斬りたくないものは斬れない。斬りたいものだけを斬ることが出来る」

 いや、父上。あんたはどこかのマッドサイエンティストですか? 僕はあくまでも、この屋敷で子供として両親の側で暮らし続ける事が出来ないと思ったから……ほとんど家出同然で出て行くつもりだったというのに……

「あと、その鎧には特殊な効果もあってな。食料や着替え、路銀などをいつでも取り出せるようにしておいた。これでシャルルの旅は快適なものになるだろう」
「ちょっと待って下さい。父上。僕は、そういう感じで旅にでるんじゃなくて、ただ、そばで一緒に暮らすのが……」
「皆まで言うな、シャルル。男には旅立たねばならない時がくるのは、俺もよく解っている。4歳という、まだ幼い年齢では早いとも思ったが、お前が誰の生まれ変わりであったとしても、俺の息子だ。充分、冒険は出来るだろう」
「だから、冒険なんて……」
「さぁ、行け! 行って男になってこい! 世界はきっとお前を歓迎してくれる!」

 父が拳を握り、両手を振り上げ、空を見つめ、こう叫んだ。そしてそのまま固まる。
 僕はその様子をじっとみつめている。
 父は動かない。
 僕はみつめる。
 ……。
 ……。

 あ、これって、このまま行けって事なんだろうか。
 父の振り上げた手がプルプルと震えだした。

「あ、え、えーと、それでは、シャルルは旅立ちます。お世話になりました。はい」

 鎧の背中に鞘を持って行くと、自然と鞘が固定された。
 振り返り、僕はゆっくりと門に向かって歩き出す。
 その背中に、向かって父が言葉をかけてくれた。

「シャルル! 忘れるな! 一番怖いのは人間だ。注意しろ! 刮目しろ! お前が出会う全ての人が、お前の成長の糧となる。お前は知るだろう。この世界の残酷さを! 優しさを! 父も母も、いつでもお前の事をみつめているぞ!」

 涙で前が曇ったが、僕は歩き続ける。そして、門をくぐり、屋敷の外へ一歩踏み出す。

 行ってきます、父上!
 最後の挨拶をしたかったけど、名残惜しくなるので、このまま行きます! またいつか! 母上!

 さよなら、僕の安住の地。さよなら、僕の桃源郷オッパイ


 僕は……僕は、こうして冒険の旅に出た。
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