稀代の悪女に名を連ね

真朱マロ

文字の大きさ
上 下
2 / 5

そのに 虹色の薔薇

しおりを挟む
 寂しさに気付いてしまうと、気持ちが高ぶってポロポロと涙が零れ落ちる。
 庭園の中に満ちた花の香りは甘く優しいけれど、涙で視界がぼやけてよく見えなかった。

 いい加減、涙を止めて茶会に戻らないとお父様に心配されてしまう、とゴシゴシと目をこすったラヴィニアに、横からハンカチが差し出された。
 うつむいて気が高ぶっていたので、ハンカチが差し出されるまで横に人が来たのに気が付かなかったから、ひどく驚いてしまう。
 
「虹は好き?」

 唐突に尋ねられて、パチリと大きく瞬いて顔を上げた。
 知らない男の子が横に居た。
 魔法使いみたいなズルズルと長いローブをまとい、耳ではキラキラと輝く三日月のピアスが揺れている。
 艶々した黒髪と鮮やかな蒼眼が印象的な少年は、線が細いけれど賢そうな眼差しをしていて、ラヴィニアよりも2つ3つ年上に見えた。

「花は好き?」

 少年は流れ落ちる涙に手を伸ばし、ハンカチで押さえるように拭き取りながらそんな風に尋ねてくるので、コクリ、とラヴィニアは小さくうなずいた。
 先ほどの茶会の参加者の顔と名前を記憶から引っ張り出し、該当者がいない事を確かめてから「あなたはだぁれ?」と尋ねてみる。

「エルダリオン・シルヴァンドール。エルでいいよ、お姫様」
「シルヴァンドール様のお弟子様? お姫様じゃないのよ。わたくしはラヴィニア・ドラクロワ」

 王宮勤めの筆頭魔術師であるシルヴァンドールは後進の教育にも熱心で、才能のある孤児を数名引き取って育てていると聞いていた。
 そのうちの一人だろうと思考を巡らせていたら、エルダリオンは手にしていたハンカチをラヴィニアの手に握らせる。

「僕にとって貴族のお嬢様は、みんなそろってお姫様さ」

 そんな風にクスクス笑うので、ラヴィニアもつられて笑ってしまった。
 たったそれだけで不思議なことに涙が止まる。
 今日初めて見た屈託ない笑顔に、心のひび割れが癒えてきた。
 そして泣き顔を見られた恥ずかしさにうつむき、キュッと手の中のハンカチを握りしめる。そっけないほどシンプルな木綿のハンカチは、ラヴィニアにとってはとてつもない宝物と同じだった。

「あの……あのね。本当は洗濯をしてお返しするものだけど、次にお会いできる日が来るかもわからないの。あなたのハンカチを汚してしまったから、わたくしのハンカチと交換してくださる?」

 ドレスのポケットから絹のハンカチを取り出して差し出すと、エルダリオンは困ったように眉を寄せた。
 けれど、ハンカチ交換を申し出るなんて我儘過ぎたかもしれないとションボリするラヴィニアの様子に気付いて、サッと絹のハンカチを受け取ると自分のポケットにしまい、ありがとうと言ってエルダリオンは立ち上がる。

「勘違いしてるみたいだけど、木綿と絹じゃ価値が吊りあわないと思っただけで、別に嫌ってわけじゃないから。お姫様が良ければ、交渉成立」
「ふふ、なら良かった。ラヴィと呼んで、わたくしはお姫様じゃないもの」
「あ~光栄だけど、調子に乗るなって師匠にボコボコにされるから、お姫様の名前は呼べない。代わりに良い物やるよ」

 そう言ってパチリと指を鳴らすと、キラキラと光の粒がラヴィニアの周りに舞い散って集まり、エルダリオンの手の中で虹色の薔薇の花になる。
 生まれて初めて見る魔法に声もなく魅入っているラヴィニアに、満足げな笑みを浮かべたエルダリオンはその手を取って立ち上がらせる。
 ドレスに汚れを軽く払って綺麗になったのを確認すると、複雑に編み込まれたラヴィニアの銀の髪に虹色の薔薇を飾った。
 
「送るよ、会場まで。そろそろ戻らないと、誰かが探しに来てしまうだろ?」

 茶会の出来事を思い出して、ヒクリ、と口元をひきつらせたが、ラヴィニアはコクリとうなずいた。
 どれほど嫌でも、会場に帰らないという選択肢はない。
 それに、例え会場内まで付き添ってもらえなくとも、近くまでエルダリオンが来てくれるなら怖くないと思った。

 茶会の会場までは短い距離だったけれどエルダリオンとの散策は、ラヴィニアにとって今日一番の幸せな時間となった。
 花壇に咲いているどの色の花が好きか、とか、明日の天気がわかる魔法があるのか、とか。二人並んで歩きながら、そんなふうにとりとめのない話をしただけだが、それだけでラヴィニアの気持ちは上向いていく。

 茶会の会場手前にある薔薇のアーチに辿り着くのはあっという間だった。
 ラヴィニアは別れを惜しみながらも感謝を込めてカーテシーを披露すると、エルダリオンは赤くなって横を向いた。カーテシーは目上の者への挨拶であり、最上級の敬意や感謝を伝える方法であることも知っていたのだ。
 つまり、侯爵家のラヴィニアがマナーとしてカーテシーを贈るのは、通常なら王族と公爵家に限られるから、感謝の度合いの大きさに照れるのも当たり前だった。

 素直になれない年齢の少年らしい「たいしたことしてねぇし」といった小さな照れ隠しは風に紛れたが、エルダリオンは長いローブをバサリと後ろに払い、胸に手を当てる魔導士の正式な礼をする。
 丁寧な動作で顔を上げると、彼本来の素の表情でニカリと笑った。

「なにがあったかわかんないけど、自信持てよ。その辺の貴族のおばさんたちより、お姫様の方が大人で淑女だ」

 率直すぎる言葉に、一瞬、胸が詰まった。
 ラヴィニアはクシャリと顔をゆがめ、何とか笑顔を取り繕う。
 先ほどまで泣いていた自分自身と一緒に、お友達との出会いを楽しみにしていた昨日までの自分も、エルダリオンの笑顔に報われた気がしたのだ。

「ありがとう、エル」
「どーいたしまして。じゃぁな、綺麗で可愛いお姫様」

 ニッと楽しげに笑うと片手を軽く上げて、エルダリオンは早足に去っていった。
 遠ざかる藍色のローブが見えなくなってから、ラヴィニアはペチペチと自分の頬を軽く叩いて気合を入れると、薔薇のアーチをくぐった。

 泣いてしまった子供の自分とは、これでサヨナラ。
 まだまだ未熟でも、ここからは大人で淑女のわたくし。

 顔を上げて、堂々と胸を張って席に戻る。
 花摘みからの戻りが遅い事をあてこすられても、ニコリとやわらかな微笑みで「途中の庭園の花が見事で時間を忘れていました」と流した。
 さんざんラヴィニアについて好き放題言ったくせに、茶会に参加したすべての人の名前を正確に呼んでみれば、貴婦人たちの顔色は悪くなった。
 はじめに挨拶を交わして顔も名も晒しているのに、普通の子供同様にすべてを記憶できないと思っていたらしい。

「わたくし、お話した人の名前と顔を覚えるのは得意なのです。もちろん、聞いたお話も忘れないように努力いたしますわ」

 嘲笑と揶揄に染まった空気が完全に消えた。
 親にならっていた子供たちはピンときていないようだったが、その母親たちは違う。
 宰相補佐の父に「嘘をついてもすぐにばれてしまうから、今日の事はそのまま話すつもりです」と言い切ったラヴィニアの清々しい笑顔に、恐れおののいていた。
 ドラクロワ家の正統な後継者が誰であるのか、ようやく気付いたのだろう。

 微笑むラヴィニアは、それから揺るがなかった。
 小さく無防備だった女の子を、悪女に作り変えたのはこの人達なのだ。
 賢しらだと評されようとその姿は貴婦人然としていて、実年齢の幼さを感じなさせないものだったから、嘲笑できるはずもない。
 この先、どんな風に父が行動していくかなんて、ラヴィニアにはわからないので気付かない振りをして流しておく。

 寂しくないと言ったら嘘になるけれど、ポケットには木綿のハンカチ。
 髪には魔法の薔薇がある。

 終盤とはいえ、まだ茶会の途中。
 とりとめのない話が続いたけれど、ラヴィニアは親である婦人たちの集まりの中で、各々の領地の話を聞いて過ごした。

 難しい言葉の意味は分かりづらいが、記憶するのは得意なのである。
 同年代との交流は無理だと割り切って、収集した情報を父に伝えることに目的を切り替えれば、なんてことないのだ。

 エルダリオンとのやり取りを思い出すだけで、顔を上げて微笑む事が出来るラヴィニアだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

< 小話まとめ >悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります

立風花
恋愛
連載中の「悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります」の「小説家になろう」の後書きで掲載を始めた小話をまとめたものです。 初見の方にはバラバラのエピソードのまとめの投稿であることを、先にお詫び致します。開いていただいたのに申し訳ありません。 読まなくても本編にはもちろん影響はありません。 それぞれのキャラクターの視点で、本編には入らなかったお話や後日談になどを書かせていただいてます。 もっと本編がお楽しみいただける小話です 時々覗いて楽しんでもらえたら嬉しいです。 掲載は新着ではなく話数順に並べ替えております。 初めは本文に無理に掲載したり、おまけ章を作ったのですが収まりが悪くて最終的にこの形にしてみました。 各話にタイトルと視点をつけさせて頂きました ※小話で見たい登場人物などあればお知らせください。出来るだけ楽しんで頂ける小話にしたいと思ってます。筆力不足で無理なものもあるかもしれませんが、頑張ります!

王太子様お願いです。今はただの毒草オタク、過去の私は忘れて下さい

シンさん
恋愛
ミリオン侯爵の娘エリザベスには秘密がある。それは本当の侯爵令嬢ではないという事。 お花や薬草を売って生活していた、貧困階級の私を子供のいない侯爵が養子に迎えてくれた。 ずっと毒草と共に目立たず生きていくはずが、王太子の婚約者候補に…。 雑草メンタルの毒草オタク侯爵令嬢と 王太子の恋愛ストーリー ☆ストーリーに必要な部分で、残酷に感じる方もいるかと思います。ご注意下さい。 ☆毒草名は作者が勝手につけたものです。 表紙 Bee様に描いていただきました

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

【完結】幼い頃からの婚約を破棄されて退学の危機に瀕している。

桧山 紗綺
恋愛
子爵家の長男として生まれた主人公は幼い頃から家を出て、いずれ婿入りする男爵家で育てられた。婚約者とも穏やかで良好な関係を築いている。 それが綻んだのは学園へ入学して二年目のこと。  「婚約を破棄するわ」 ある日突然婚約者から婚約の解消を告げられる。婚約者の隣には別の男子生徒。 しかもすでに双方の親の間で話は済み婚約は解消されていると。 理解が追いつく前に婚約者は立ち去っていった。 一つ年下の婚約者とは学園に入学してから手紙のやり取りのみで、それでも休暇には帰って一緒に過ごした。 婚約者も入学してきた今年は去年の反省から友人付き合いを抑え自分を優先してほしいと言った婚約者と二人で過ごす時間を多く取るようにしていたのに。 それが段々減ってきたかと思えばそういうことかと乾いた笑いが落ちる。 恋のような熱烈な想いはなくとも、将来共に歩む相手、長い時間共に暮らした家族として大切に思っていたのに……。 そう思っていたのは自分だけで、『いらない』の一言で切り捨てられる存在だったのだ。  いずれ男爵家を継ぐからと男爵が学費を出して通わせてもらっていた学園。 来期からはそうでないと気づき青褪める。 婚約解消に伴う慰謝料で残り一年通えないか、両親に援助を得られないかと相談するが幼い頃から離れて育った主人公に家族は冷淡で――。 絶望する主人公を救ったのは学園で得た友人だった。   ◇◇ 幼い頃からの婚約者やその家から捨てられ、さらに実家の家族からも疎まれていたことを知り絶望する主人公が、友人やその家族に助けられて前に進んだり、贋金事件を追ったり可愛らしいヒロインとの切ない恋に身を焦がしたりするお話です。 基本は男性主人公の視点でお話が進みます。 ◇◇ 第16回恋愛小説大賞にエントリーしてました。 呼んでくださる方、応援してくださる方、感想なども皆様ありがとうございます。とても励まされます! 本編完結しました! 皆様のおかげです、ありがとうございます! ようやく番外編の更新をはじめました。お待たせしました! ◆番外編も更新終わりました、見てくださった皆様ありがとうございます!!

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

処理中です...