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第3章

第2話

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 早瀬も少し打ち合わせがあるということだったので、地下の駐車場に車を駐めて一緒に最上階のペントハウスに向かった。いつもは自分で開錠して入室する玄関で、今日は部屋の主が出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 深みのある美声で迎え入れられて、思いのほか緊張してしまう自分がいた。二週間前、自宅に招いたのは身元不明の生命の恩人だった。いまは、世界的に事業を展開させている大企業の経営者であることが判明している。なにより、自分の雇い主でもあった。あまりにも立場が違いすぎて、どう接したらいいのかわからなくなっていた。

「あ、あの、おはよう、ございます。その後、お加減は如何ですか?」
「ああ。おかげさまで、もうすっかりいい。その節は本当に世話になった。それから、突然の頼みにもかかわらず、快く仕事を引き受けてくれてありがとう。おかげで毎日、とても快適に過ごせている。今日の朝食も、とても美味しかった」
「いえ、そんな。お礼を言うのは僕のほうです。本当に、とてもよくしていただいて。あの、食事も喜んでいただけてよかったです」

 遠慮がちに莉音が言うと、あざやかなサファイア・ブルーの双眸がやわらかくなごんだ。
 一見すると冷たい印象だが、こんな表情をしていると、モデルか映画俳優ばりに端整な貌立かおだちがいっそう際立って見惚みとれてしまう。目の保養になる人というのは、本当に存在するのだなと変なところで感心してしまった。


 リビングに移動した後にヴィンセントと早瀬は打ち合わせをはじめたので、ふたりにコーヒーを出した莉音は早速今日の業務に取り掛かった。
 ゴミをまとめて玄関周りや風呂場、トイレを順番に掃除し、廊下や階段をモップがけして各部屋のドアや鏡、窓を磨いていく。ランドリールームでクリーニングに出す衣類をまとめてからダイニングに戻った。
 打ち合わせをしていたはずの早瀬もいつのまにか辞去したらしく、仕事をするために書斎に移動したらしいヴィンセントの姿もまた、すでにリビングから消えていた。仕事の邪魔にならないよう、今日は掃除機の使用は控えることにした。


 時計を見れば、すでに十一時半をまわっている。掃除はひとまず中断して、昼食の準備に取り掛かることにした。
 食材は、マンション一階部分の複合施設に出店しているスーパーで、昨日のうちにある程度まとめ買いしてある。夕食の支度はしなくていいので、昼食にひと手間かけようと思った。
 朝は豚肉と葉物野菜の胡麻和ごまあえに和風オムレツ、豆腐と滑子なめこの味噌汁という献立だったので、昼は洋風にすることにした。
 ざっと冷蔵庫の中身をチェックしてメニューを決めたところで、ヴィンセントがリビングにやってきた。

「あ、すみません。いまから昼食の用意をしますので、もう少しお待ちいただいてもいいですか?」
「もちろんかまわない。メニューは?」
「えっと、エッグベネディクトにしようかと。もしご希望があれば、そちらをお作りしますけど」
「いや、それでいい。急がなくていいから、ふたりぶん用意してくれるか?」
「はい、もちろんです。おふたりぶんですね。どなたか、お客様がいらっしゃるご予定ですか?」
「いや、君と私のぶんだ」
「え?」

 莉音は驚いて、ヴィンセントの顔を見返した。

「ひとりで食事をしても味気ない。君も以前、そう言っていただろう? どうせなら一緒に食べよう」
「あ、でも僕、お昼持ってきてて」
「それは冷蔵庫にでも入れておけばいい。明日の朝食にでもさせてもらう」
「えっ!? でっ、でもっ! 焼きおにぎり、とかですよ?」
「充分だろう。明日いただく」
 念を押すように言われてしまうと、それ以上断ることができなかった。

「す、すみません……」
「べつに謝らなくていい。こちらの都合で頼んでいることだから」
「いえ、でも、自分で食べる用にと思って、出掛けにすごく雑に作ってきたので、なんか申し訳なくて……」
「気にすることはない。君の作るものは、私の好みにとても合っている」
「はい、ありがとうございます」
 はにかみつつ礼を言う莉音に、ヴィンセントもまた目もとをなごませた。

「ところで、『莉音』と下の名前で呼んでも?」

 唐突に言われて、またしても目を瞠る。だが、すぐに笑顔で頷いた。

「はい、ぜひそう呼んでください」
「私のことは、アルフ、と。肩書なしで、気楽に接してもらいたい」

 それだけ言うと、支度ができたら呼びに来るよう言い置いて、書斎へと戻っていった。
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