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第9章
第2話(4)
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「そっか……」
群司はホッと息をついた。
「営業部にいた伊達という男が兄貴で間違いないですね?」
「間違い、ない」
「それじゃあ、あなたも警視庁の人?」
早乙女は、これにはかぶりを振った。
「違う。私は、厚生労働省に所属してる」
「厚労省――ってことはもしかして、麻薬取締官?」
早乙女はこれにもきっぱりと頷いた。
「そうか。そういうこと……」
深々と嘆息した群司は、すぐ横の壁に背中を預けた。
「なんかいろいろ、納得できた気がします」
言って、かすかに笑った。
「すみません、ほんとに。頭に血がのぼって、危うくあなたを傷つけるところだった」
「いい。自業自得だから」
早乙女は俯いたまま、小さく呟いた。頼りなげなその姿に、群司は苦笑を滲ませた。
「ダメですよ、そんな全部の責任、自分ひとりで背負いこむような考えかたしちゃ。兄貴を殺したっていうさっきのあれも、助けられなかったっていう後悔で自分のこと責めちゃってるんでしょう」
「でも……」
「ダメです。少なくとも兄貴は喜ばない。自分があなたを悲しませていることを知ったら、心を痛めるはずです」
きっぱりと言いきった群司は、早乙女に手を伸ばしかけ、思いとどまった。
頬の涙を拭ってやりたかったが、力尽くで組み敷いて乱暴な真似をしたあとでは、気安く触れるのは躊躇われた。
「さお――ルイさんの本当の名前、訊いてもいいですか? 早乙女圭介って、偽名ですよね?」
取り繕うように、群司は別の問いかけをする。
ようやく群司の顔を見た早乙女は、わずかな逡巡を見せた後、意を決したように口を開いた。
「『早乙女圭介』は、捜査上名乗っている偽名で間違いない。本名は、きさ――」
言いかけた早乙女の声を掻き消すように、そこで群司の腹が盛大に鳴った。早乙女も群司も、ともに虚を衝かれて互いに顔を見合わせる。直後。
「うわっ、マジか俺っ。カッコ悪っ」
深刻な雰囲気を一瞬でだいなしにした群司は、恥ずかしさのあまり熱くなる顔を両手で覆った。
臨戦態勢を解いた直後の失態。
張りつめていた緊張をゆるめはしたが、完全に気を抜いたつもりはなかった。むしろ真剣な話をしていたぶん、意識をそちらに向けていたはずなのだが身体は正直だった。
いまさら誤魔化すことも取り繕うこともできず、群司は頭を抱える。その耳に、不意にプッと吹き出す声が聞こえた。
指の隙間から覗き見ると、口許を押さえた早乙女が小刻みに肩をふるわせていた。
「あの~、ルイさん?」
「すまない。笑うつもりじゃ……」
言いながらも、堪えきれないでいる口許を隠すように顔を背ける。ああ、本来の彼は、こんな素直な反応をする人間だったのだと、はじめて素の部分に触れた気がした。
「え~と、すみません。雰囲気ぶちこわしたついでってわけじゃないんですけど、トイレ、借りてもいいですか? あとできれば、シャワーも軽く浴びられたらなって。汗でべたべたで、気持ち悪いんで」
「わかった。そのあいだに簡単に食べられるものを用意しておく」
群司の希望を受け容れた早乙女は、ベッドを降りると床に落ちた優悟の携帯を拾い上げ、破損した部分がないかをたしかめるように表面をそっと撫でた。それを、サイドテーブルの上に大切そうに置く。そのまま隣の部屋に消えていくと、すぐになにかを手に戻ってきた。
足を出すよう言われて群司が従うと、早乙女は足首のベルトに小さな鍵を差しこんで南京錠をはずした。
群司はホッと息をついた。
「営業部にいた伊達という男が兄貴で間違いないですね?」
「間違い、ない」
「それじゃあ、あなたも警視庁の人?」
早乙女は、これにはかぶりを振った。
「違う。私は、厚生労働省に所属してる」
「厚労省――ってことはもしかして、麻薬取締官?」
早乙女はこれにもきっぱりと頷いた。
「そうか。そういうこと……」
深々と嘆息した群司は、すぐ横の壁に背中を預けた。
「なんかいろいろ、納得できた気がします」
言って、かすかに笑った。
「すみません、ほんとに。頭に血がのぼって、危うくあなたを傷つけるところだった」
「いい。自業自得だから」
早乙女は俯いたまま、小さく呟いた。頼りなげなその姿に、群司は苦笑を滲ませた。
「ダメですよ、そんな全部の責任、自分ひとりで背負いこむような考えかたしちゃ。兄貴を殺したっていうさっきのあれも、助けられなかったっていう後悔で自分のこと責めちゃってるんでしょう」
「でも……」
「ダメです。少なくとも兄貴は喜ばない。自分があなたを悲しませていることを知ったら、心を痛めるはずです」
きっぱりと言いきった群司は、早乙女に手を伸ばしかけ、思いとどまった。
頬の涙を拭ってやりたかったが、力尽くで組み敷いて乱暴な真似をしたあとでは、気安く触れるのは躊躇われた。
「さお――ルイさんの本当の名前、訊いてもいいですか? 早乙女圭介って、偽名ですよね?」
取り繕うように、群司は別の問いかけをする。
ようやく群司の顔を見た早乙女は、わずかな逡巡を見せた後、意を決したように口を開いた。
「『早乙女圭介』は、捜査上名乗っている偽名で間違いない。本名は、きさ――」
言いかけた早乙女の声を掻き消すように、そこで群司の腹が盛大に鳴った。早乙女も群司も、ともに虚を衝かれて互いに顔を見合わせる。直後。
「うわっ、マジか俺っ。カッコ悪っ」
深刻な雰囲気を一瞬でだいなしにした群司は、恥ずかしさのあまり熱くなる顔を両手で覆った。
臨戦態勢を解いた直後の失態。
張りつめていた緊張をゆるめはしたが、完全に気を抜いたつもりはなかった。むしろ真剣な話をしていたぶん、意識をそちらに向けていたはずなのだが身体は正直だった。
いまさら誤魔化すことも取り繕うこともできず、群司は頭を抱える。その耳に、不意にプッと吹き出す声が聞こえた。
指の隙間から覗き見ると、口許を押さえた早乙女が小刻みに肩をふるわせていた。
「あの~、ルイさん?」
「すまない。笑うつもりじゃ……」
言いながらも、堪えきれないでいる口許を隠すように顔を背ける。ああ、本来の彼は、こんな素直な反応をする人間だったのだと、はじめて素の部分に触れた気がした。
「え~と、すみません。雰囲気ぶちこわしたついでってわけじゃないんですけど、トイレ、借りてもいいですか? あとできれば、シャワーも軽く浴びられたらなって。汗でべたべたで、気持ち悪いんで」
「わかった。そのあいだに簡単に食べられるものを用意しておく」
群司の希望を受け容れた早乙女は、ベッドを降りると床に落ちた優悟の携帯を拾い上げ、破損した部分がないかをたしかめるように表面をそっと撫でた。それを、サイドテーブルの上に大切そうに置く。そのまま隣の部屋に消えていくと、すぐになにかを手に戻ってきた。
足を出すよう言われて群司が従うと、早乙女は足首のベルトに小さな鍵を差しこんで南京錠をはずした。
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