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2018 4/10「藍二乗」
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作品の中にこそ神様は宿る。
だから僕の人生は作品として終わらせたい。
人生の価値はきっと、終わり方だろうから。
「4/10、日記を書く。
もう音楽は辞めよう。
僕の人生は音楽だった、けどそれも終わりだ。
今から僕はここを発つ。君にはもう会えないと思う。」
少年は立ち竦んでいた。
ガスも水道も止められた。もちろんテレビも何も無い。
何も無い部屋には机がひとつと椅子がひとつ。
机の上には花緑青のインクが置いてある。
花緑青というのは、毒性の人工塗料だ。
彼はこのインクに自分を映していたのだ。
少年は立ち竦んでいた。
だが、何も恐れてはいなかった。
もとより何も手に入れてすらいなかった彼は己の人生を音楽に捧げることしか考えていなかったのだ。
ふと部屋に差し込む街灯の明かりが点滅する。
昨夏の逃亡を思い出す。
熱帯夜の小雨の中、少年は何もかもが嫌になって発作的にバイトを逃げ出したのだ。
しかし逃げ切る体力も気力も無かった少年は最終的には戻ってきて奴らに頭を下げる他に無かった。そして彼の人間としての性根はすでに腐りきっていたのだ。
それと時を同じくして彼の体には異変が起きていた。心臓を患っていたのだ。
一般に狭心症と呼ばれる病気を患っていたが、病院にも行けない彼は治療はおろか、その存在すら認知していなかったのだ。
そしてこれが彼の人生を加速させる要因のひとつとなる。
結局バイトは辞めてしまい、生活はさらに苦しくなることになってしまう。
ギター1本持って、路上ライブというものも頻繁に行った。
しかし観客は集まらず、唯一立ち止まってくれた男性は
「詰まらない歌だな」
と一言いって立ち去っただけだった。
これにはさすがの少年もかなり堪えたが今もそのことを覚えているのかは定かではない。
その頃からもはや何を歌えば売れるのか彼には分からなかった。
「人生は妥協の連続だ。
そんなことはとうに分かっていたんだ。でも、例えもう君とは会えないとしても、ただ、ただ君を描いた。
君だけが僕の音楽だったんだよ、エルマ。」
彼はすでに人間を辞めていた。
そして人間である前に芸術家であった。
人間である前に芸術家であり、芸術のために生きていた。だが、いつの間にか「売れる」ことに自分の意識が集中しすぎていたことに気が付く。そして彼は自分自身に烈火の如く煮えたぎる憤りと全てを諦めさせるような冷酷な失望を抱いていたのだ。
しかしそんな彼にもう一度芸術家としての誇りを蘇らせたのが手紙の相手、"君"である。
彼女の名を、エルマという。
…カメラ、アコースティックギター、木箱、万年筆、瓶に入れた花緑青のインク、そしてわずかな金。
持ち物の確認すらせずに彼は履き潰しすぎた靴に無理やり足をねじ込み、アパートに最後の別れを告げることも無く湿った、生暖かい外の空気を吸い込んだ。
その空気は昨夏の逃亡を思い出させる。
暮れの街灯はほぼ全て灯り揃い、キリギリスが狂ったように鳴いていた。
この場所の変わらない風景も彼はすぐに忘れてしまうだろう。昔ずっと、頭に描いていた夢さえも大人に近づくほど時効になっていくかのように忘れ去っていたのだから。
雲を見上げると、視界が流れる。
彼はスウェーデン行きの片道切符を右手に握りしめていた。
遂に彼の芸術家としての最後の旅が動き始めた。
彼の名を、エイミーという。
だから僕の人生は作品として終わらせたい。
人生の価値はきっと、終わり方だろうから。
「4/10、日記を書く。
もう音楽は辞めよう。
僕の人生は音楽だった、けどそれも終わりだ。
今から僕はここを発つ。君にはもう会えないと思う。」
少年は立ち竦んでいた。
ガスも水道も止められた。もちろんテレビも何も無い。
何も無い部屋には机がひとつと椅子がひとつ。
机の上には花緑青のインクが置いてある。
花緑青というのは、毒性の人工塗料だ。
彼はこのインクに自分を映していたのだ。
少年は立ち竦んでいた。
だが、何も恐れてはいなかった。
もとより何も手に入れてすらいなかった彼は己の人生を音楽に捧げることしか考えていなかったのだ。
ふと部屋に差し込む街灯の明かりが点滅する。
昨夏の逃亡を思い出す。
熱帯夜の小雨の中、少年は何もかもが嫌になって発作的にバイトを逃げ出したのだ。
しかし逃げ切る体力も気力も無かった少年は最終的には戻ってきて奴らに頭を下げる他に無かった。そして彼の人間としての性根はすでに腐りきっていたのだ。
それと時を同じくして彼の体には異変が起きていた。心臓を患っていたのだ。
一般に狭心症と呼ばれる病気を患っていたが、病院にも行けない彼は治療はおろか、その存在すら認知していなかったのだ。
そしてこれが彼の人生を加速させる要因のひとつとなる。
結局バイトは辞めてしまい、生活はさらに苦しくなることになってしまう。
ギター1本持って、路上ライブというものも頻繁に行った。
しかし観客は集まらず、唯一立ち止まってくれた男性は
「詰まらない歌だな」
と一言いって立ち去っただけだった。
これにはさすがの少年もかなり堪えたが今もそのことを覚えているのかは定かではない。
その頃からもはや何を歌えば売れるのか彼には分からなかった。
「人生は妥協の連続だ。
そんなことはとうに分かっていたんだ。でも、例えもう君とは会えないとしても、ただ、ただ君を描いた。
君だけが僕の音楽だったんだよ、エルマ。」
彼はすでに人間を辞めていた。
そして人間である前に芸術家であった。
人間である前に芸術家であり、芸術のために生きていた。だが、いつの間にか「売れる」ことに自分の意識が集中しすぎていたことに気が付く。そして彼は自分自身に烈火の如く煮えたぎる憤りと全てを諦めさせるような冷酷な失望を抱いていたのだ。
しかしそんな彼にもう一度芸術家としての誇りを蘇らせたのが手紙の相手、"君"である。
彼女の名を、エルマという。
…カメラ、アコースティックギター、木箱、万年筆、瓶に入れた花緑青のインク、そしてわずかな金。
持ち物の確認すらせずに彼は履き潰しすぎた靴に無理やり足をねじ込み、アパートに最後の別れを告げることも無く湿った、生暖かい外の空気を吸い込んだ。
その空気は昨夏の逃亡を思い出させる。
暮れの街灯はほぼ全て灯り揃い、キリギリスが狂ったように鳴いていた。
この場所の変わらない風景も彼はすぐに忘れてしまうだろう。昔ずっと、頭に描いていた夢さえも大人に近づくほど時効になっていくかのように忘れ去っていたのだから。
雲を見上げると、視界が流れる。
彼はスウェーデン行きの片道切符を右手に握りしめていた。
遂に彼の芸術家としての最後の旅が動き始めた。
彼の名を、エイミーという。
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