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73.ナタリーの騎士
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「え」
リアンはナタリーの言葉に驚く。そんな彼の様子を見てナタリーが微笑む。
「驚いた?」
「あ、ああ……。ナタリーは聖女としての役目を最後まで果たすって思っていたから……」
力の喪失を望むことは聖女の務めが終わることも意味していた。ラシア国に留まりたいと願ったナタリーではあるが、聖女としての地位を降りたいとは決して言わなかった。彼女は人を救うことには強い責任を感じており、自分の果たすべき仕事だと考えていたから。
でも本当は違ったのだろうか。
「やっぱり傷を治すのが辛いのか?」
だから聖女の力がなくなるべきだと言ったのか。
もしそうならばジョナスに相談して聖女としての役目を降りさせよう。反対するだろうが、無理強いはしないはずだ。
リアンの思いつめた表情に、ナタリーは慌てて「違うよ」と否定した。
「ナタリー。正直に言ってくれ」
「違うの、力を使うのは辛くないわ。以前よりもずっと楽」
「じゃあどうして、」
「……この力のおかげで、わたしは本当に何も知らないまま人の命や怪我を治しているでしょう? それがね、時々怖くなるの」
「怖い?」
うん、と彼女は小さく呟いた。
「医学についての難しい本を読んで、実際に経験を積んで、人は少しずつ怪我や病を治す術を身につけてきた。宮廷の医師でも町医者でもそれは同じこと。でも、わたしは違う。本来得るべき過程を得ずにいきなり治癒力なんて魔法みたいな力を手に入れてしまったから、多かれ少なかれ彼らの反感を買ってしまった」
「でも、それは、」
わかっている、というように彼女は頷いた。
「この力のおかげで救われた命がある。授けて下さって、感謝もしている。でも、本来人間が少しずつ得ていく知識や技術を学ぶ機会を奪っているような気もするの」
かつて王都を襲った原因不明の流行病。もしナタリーの力がなければ大勢の人間が死んでいただろう。国中に被害は拡大していた可能性もある。
けれど一方で、医療の重要性が増し、医学についての知識を深めようという流れにもなったはずだ。小さなきっかけが、大きな進歩となっていたかもしれない。
「だからいずれは……聖女の力は消えていくべきだと思う。神の力ではなく、人の力で守っていくべきだと……そう、思うようになったの」
奇跡のような力を持つナタリーがそのような考えに至るとは意外だった。いや、手にしているからこそ、気づいてしまったのか。
「だから教育にもっと力を入れるよう進言したのか?」
「うん。医学を学びたいって思う人を増やすには、まず基礎的な知識を身につけさせる所から始めようってジョナスさんたちと話したの」
もちろんそれは医学だけじゃないけどね、とナタリーは付け加えた。
リアンはナタリーの考えに目を瞠った。
(ナタリーはアレクシス陛下と同じ考えなんだな)
彼の方はもっと極端かもしれないが、根底にあるものは同じだろう。神ではなく、人の力で。
(もしかすると神は試しておられたのかもしれない)
自分の意思で道を選び切り開いてゆくことを。あるいは自分の意思を持つことの大切さを。
(ディアナもきっと……)
死に際に見せた晴れやかな笑み。リアンはずっと彼女の最期に対して痛々しく、憐れむ気持ちが渦巻いていた。けれどあの時彼女は自分自身の運命を受け入れたのだ。理不尽な死を嘆くよりも、自身が大切だと思う人のために生涯をかけて尽くせたこと。きっとそれで彼女は満足した。
彼女の気持ちを大切にしたい。そしていつか――アレクシスの死後、あるいは王位を退いた時、聖女として人々の記憶に刻まれて欲しい。
「この力が尽きるまでは、人々の苦しみを癒すわ」
「そうか……」
ならば自分の役目は決まっている。
「ナタリー。立って」
「え?」
ほら早く、と急かす。どうしたの? と目を丸くするも素直に従い、彼女はふちから腰を上げた。リアンはナタリーの前に跪き、右の掌を心臓にあてて彼女の顔を見上げる。
「私、リアンはナタリーの騎士として生涯この命を捧げることを誓います」
一度王女に誓いを捧げたが、今度はリアンの意思でナタリーに誓う。
「リアン……」
ナタリーは呆然としていたが、やがてそっと手の甲を彼の前へ差し出した。そこに恭しく口づけを落とす。
「きみをいつまでも守るよ、ナタリー」
リアンの誓いに、ナタリーは涙ぐみながらも微笑んだ。
その後ナタリーはラシア国内の教会を定期的に訪れ、奇跡と呼ばれる力で人々を癒した。聖女という尊い存在でありながら、彼女はいつも親しみやすい態度で彼らを労わり、自分のことのように苦しみや喜びを分かち合った。
多くの人を癒し続けたせいか、しだいにその力は失われ、晩年は奉仕活動に専念しつつ、夫や子どもたちに囲まれて穏やかな時を過ごしたという。彼女が残した功績は大きく、いくつもの時代を下った今でも、隣国の聖女ディアナと並んで人々に語り継がれている。
そんな聖女のそばには、いつも一人の騎士が寄り添っていた。
彼女を守るために、ずっと。
おわり
リアンはナタリーの言葉に驚く。そんな彼の様子を見てナタリーが微笑む。
「驚いた?」
「あ、ああ……。ナタリーは聖女としての役目を最後まで果たすって思っていたから……」
力の喪失を望むことは聖女の務めが終わることも意味していた。ラシア国に留まりたいと願ったナタリーではあるが、聖女としての地位を降りたいとは決して言わなかった。彼女は人を救うことには強い責任を感じており、自分の果たすべき仕事だと考えていたから。
でも本当は違ったのだろうか。
「やっぱり傷を治すのが辛いのか?」
だから聖女の力がなくなるべきだと言ったのか。
もしそうならばジョナスに相談して聖女としての役目を降りさせよう。反対するだろうが、無理強いはしないはずだ。
リアンの思いつめた表情に、ナタリーは慌てて「違うよ」と否定した。
「ナタリー。正直に言ってくれ」
「違うの、力を使うのは辛くないわ。以前よりもずっと楽」
「じゃあどうして、」
「……この力のおかげで、わたしは本当に何も知らないまま人の命や怪我を治しているでしょう? それがね、時々怖くなるの」
「怖い?」
うん、と彼女は小さく呟いた。
「医学についての難しい本を読んで、実際に経験を積んで、人は少しずつ怪我や病を治す術を身につけてきた。宮廷の医師でも町医者でもそれは同じこと。でも、わたしは違う。本来得るべき過程を得ずにいきなり治癒力なんて魔法みたいな力を手に入れてしまったから、多かれ少なかれ彼らの反感を買ってしまった」
「でも、それは、」
わかっている、というように彼女は頷いた。
「この力のおかげで救われた命がある。授けて下さって、感謝もしている。でも、本来人間が少しずつ得ていく知識や技術を学ぶ機会を奪っているような気もするの」
かつて王都を襲った原因不明の流行病。もしナタリーの力がなければ大勢の人間が死んでいただろう。国中に被害は拡大していた可能性もある。
けれど一方で、医療の重要性が増し、医学についての知識を深めようという流れにもなったはずだ。小さなきっかけが、大きな進歩となっていたかもしれない。
「だからいずれは……聖女の力は消えていくべきだと思う。神の力ではなく、人の力で守っていくべきだと……そう、思うようになったの」
奇跡のような力を持つナタリーがそのような考えに至るとは意外だった。いや、手にしているからこそ、気づいてしまったのか。
「だから教育にもっと力を入れるよう進言したのか?」
「うん。医学を学びたいって思う人を増やすには、まず基礎的な知識を身につけさせる所から始めようってジョナスさんたちと話したの」
もちろんそれは医学だけじゃないけどね、とナタリーは付け加えた。
リアンはナタリーの考えに目を瞠った。
(ナタリーはアレクシス陛下と同じ考えなんだな)
彼の方はもっと極端かもしれないが、根底にあるものは同じだろう。神ではなく、人の力で。
(もしかすると神は試しておられたのかもしれない)
自分の意思で道を選び切り開いてゆくことを。あるいは自分の意思を持つことの大切さを。
(ディアナもきっと……)
死に際に見せた晴れやかな笑み。リアンはずっと彼女の最期に対して痛々しく、憐れむ気持ちが渦巻いていた。けれどあの時彼女は自分自身の運命を受け入れたのだ。理不尽な死を嘆くよりも、自身が大切だと思う人のために生涯をかけて尽くせたこと。きっとそれで彼女は満足した。
彼女の気持ちを大切にしたい。そしていつか――アレクシスの死後、あるいは王位を退いた時、聖女として人々の記憶に刻まれて欲しい。
「この力が尽きるまでは、人々の苦しみを癒すわ」
「そうか……」
ならば自分の役目は決まっている。
「ナタリー。立って」
「え?」
ほら早く、と急かす。どうしたの? と目を丸くするも素直に従い、彼女はふちから腰を上げた。リアンはナタリーの前に跪き、右の掌を心臓にあてて彼女の顔を見上げる。
「私、リアンはナタリーの騎士として生涯この命を捧げることを誓います」
一度王女に誓いを捧げたが、今度はリアンの意思でナタリーに誓う。
「リアン……」
ナタリーは呆然としていたが、やがてそっと手の甲を彼の前へ差し出した。そこに恭しく口づけを落とす。
「きみをいつまでも守るよ、ナタリー」
リアンの誓いに、ナタリーは涙ぐみながらも微笑んだ。
その後ナタリーはラシア国内の教会を定期的に訪れ、奇跡と呼ばれる力で人々を癒した。聖女という尊い存在でありながら、彼女はいつも親しみやすい態度で彼らを労わり、自分のことのように苦しみや喜びを分かち合った。
多くの人を癒し続けたせいか、しだいにその力は失われ、晩年は奉仕活動に専念しつつ、夫や子どもたちに囲まれて穏やかな時を過ごしたという。彼女が残した功績は大きく、いくつもの時代を下った今でも、隣国の聖女ディアナと並んで人々に語り継がれている。
そんな聖女のそばには、いつも一人の騎士が寄り添っていた。
彼女を守るために、ずっと。
おわり
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