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1. ナタリー
しおりを挟む「ナタリーっていうんだ」
オーウェンがそういって紹介してくれた女の子はひどく怯えた様子でリアンを見つめていた。
お世辞にも綺麗とは言えない粗末な衣服。薄茶色の髪はところどころはねており、肩口でざっくりと切られている。手足は小枝のように細く、ひどく痩せていた。平凡というより、みすぼらしいと言える少女のなり。
だがそれを払拭するかのように青い瞳が綺麗だと思った。むしろその瞳を際立たせるために他がおざなりなのかと疑うほどに。
リアンは一目でその子が気に入ったので、一歩大きく踏み出すと、自身の右手を差し出した。
「俺はリアンだ。よろしくな、ナタリー」
ナタリーは戸惑うようにオーウェンを見上げ、彼は大丈夫だからと挨拶するよう促した。
「よ、よろしくお願いします」
恐る恐る差し出された手。なんで敬語なんだろうと思いながらも、その子の小さな手をリアンは握りしめたのだった。
ナタリーはオーウェンと同じ孤児らしい。もともとは捨て子だった彼女をとある金持ちの家の主人が気に入り、そこで働かせてもらっていた。だが事情があって、今は孤児院で他の子どもたちと一緒に育てられている。
「前の屋敷で酷い目にあったみたいで、ひどく人を怖がるんだ」
夕飯の買い出しにとお使いに来ていたオーウェンと町でちょうど出くわしたリアンは、この機会にとナタリーのことを尋ねていた。彼と遊ぶ時には必ず彼女がそばにいるので、その場できく勇気はなかった。実際にオーウェンに事情を聞き、そうしてよかったと改めて思った。
「酷いやつでさ、子どもにも容赦なく手をあげてたらしい」
許せないよなと語るオーウェンの声は静かだが、押さえきれない怒気が込められている。声を震わせて怒るオーウェンの姿に、リアンはやや大げさすぎるような気もした。
孤児院に集められた子はだいたい似たりよったりの境遇で預けられるから感覚が麻痺してしまったのかもしれない。それくらいリアンは友人のオーウェンから他の子どもたちの境遇について聞かされていた。
「金持ちだが何だが知らないけど、子どもに暴力振るうやつは死ねばいい」
リアンに訴えるオーウェンの目には、弱者を力でねじ伏せる強者を憎む色が強く宿っていた。そうだな、とリアンは同意しながら話を進めた。
「ナタリーがいつもびくびくしているのって、そのせいなんだな」
人と話すとき、何かに怯えるような眼差しをする彼女にリアンは納得する。そしてオーウェンの憤る気持ちも、今までにない過保護ぶりも腑に落ちた。彼は弱い者を放っておけない、正義感あふれる少年だった。相手がか弱い少女ならば、なおさらだ。
「ナタリーは可哀想なやつなんだ……」
「まだ何かあるのか?」
オーウェンのきりっとした眉はぎゅっと寄せられたままだ。どうやらまだあの少女には秘密があるようだ。
リアンはどういうことだと純粋な好奇心からオーウェンに尋ねた。彼は絶対に他には誰にも言うなよと釘をさし、それにしっかりと頷いたリアンを確認すると、辺りをはばかるような小さな声で話し始めた。
「ナタリーが屋敷で働くきっかけになったのは、彼女がきちんとした身なりをしていたからだ。だからもしかしたらどこかの貴族の娘かもしれない。保護するべきだって屋敷の使用人たちが連れ帰ったらしい」
その時の彼女はひどく取り乱した様子だったらしい。ここはどこ? あなたたちは誰? とまるで記憶喪失に陥ったかのようなパニック状態で、たいそうなだめるのに苦労したそうだ。あの大人しいナタリーが泣きじゃくったのだから、よほど怖かったのか、混乱していたのだろうとリアンは思った。
「彼女はどこで拾われたんだ?」
「泉の近くだって。ほら、前に冒険だって行ったところ」
ああ、あそこかとリアンは納得した。町から外れた森の奥深くにある泉。そこには悪戯好きな妖精がいて人を攫ってしまうから絶対に一人で行ってはいけないときつく注意されていた。冒険好きのリアンとオーウェンは二人で時々こっそりと出かけて真偽のほどを確かめようとしたが、どう見ても普通の泉にしか見えなかった。
「でも、なんでそんなところで……」
「きっと親に捨てられたんだ」
どこかの美しい女性が身分ある男性と一夜を過ごして身ごもった子ども。女は子どもを途中まで懸命に育て上げたがとうとうそれも無理だと悟り……なんて想像をしたリアンだが、本当だろうかとも思った。
「どうせ捨てるなら、教会の前に捨てればよかったんじゃないか?」
「ふん。そんなの知るかよ。きっと何も考えていない能天気な親だったんだよ」
そうだろうか。どんな親であれ、我が子を捨てることは辛いはずだ。そう思うのは、自分に両親がおり、愛されているからだとリアンは気づかなかった。
「ナタリーは自分のことについて何も話さなかったのか?」
いくら小さくても、自分の親のことくらいは覚えているはずだ。それを手がかりに、彼女を探せなかったのか。そうリアンがたずねると、オーウェンは暗い顔のまま小道の石を蹴った。
「なんにも覚えていないってさ……きっと親に捨てられたショックで、思い出すことを拒んだんだ」
「そうか……」
まだどこか納得できない部分はあったが、それ以上たずねるのも酷な気がした。
「それで、彼女はしばらく屋敷に保護されていたんだよな?」
「ああ。どこかのお偉い貴族が探してるかもしれないからしばらく様子を見ようって。でも結局そんな話はなくて、放り出すのも可哀そうだから下働きとして置いておくことに決めたんだ。……けど、さっきも言ったとおり、そこのクソ親父が乱暴なやつでさ、すいぶんと酷い目にあったらしい」
リアンは初めてナタリーと会った時のことを思い出す。とても容姿が綺麗だったとは思えないくらい、彼女は身も心も疲れ切っていた。それはつまりそれだけ酷い目にあった……と考えたところで、リアンはオーウェンと同じように眉を顰めた。
「それで?」
「それでまあ、見かねた使用人がこっそりと逃がしてやって、ナタリーは教会に駆け込んだ。教会の方も動いてくれて、ナタリーは孤児院に預けられることになったんだ」
「ふうん。屋敷の主人は連れ戻そうとしなかったのか?」
「最初は連れ戻そうとしたみたいだけど……前々から似たようなこともあって、教会の方でもいろいろ疑ってたらしい。使用人たちの評判も悪かったし、下手に動けばボロが出るって思ったんじゃねえか?」
「ナタリーは何があったのか、話さないのか?」
そこでオーウェンは困ったような顔をした。
「何もありませんでした、って頑なに首を振るんだ。報復されるのを恐れているのかもなあ」
許せねえよな、とオーウェンは拳を宙に向かって突き出した。まるでその時の男を殴るように。
「まあ、だからあいつは自分のかつての記憶とかそういうのも含めて不安定なんだ」
リアンはまだ会って間もないナタリーにそんな複雑な事情があるとは知らず、ただあのいつも何かに怯えた表情には深刻な事情が隠されていたのだと知り、今度こそ納得した。そして自分もできるだけオーウェンのように気にかけてやろうと決意したのだった。
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