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28、女同士の会話

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 マティルダは本宅の方ではなく、離れに客を招待した。なにせシェイラは体調を崩しているのだ。だから少人数の、内輪向けの集まりにしよう。そう決めて初めて自分で何から何まで決めて、大変だけど、充実していて、楽しくて、良い経験をしていると思った。

「きみから招待されるなんて嬉しいよ」

 薔薇の花束を手渡しながらキースがそう言った。

「あなたのことだから、彼は呼ばないと思っていたわ」

 パメラにこっそりと耳打ちされ、マティルダは悪戯っぽく笑った。

「誘わなかったら、押しかけて来そうなんだもの」
「……それもそうね」

 他の客人と話していたキースはちょうどこちらを向いて、優しく微笑んだ。パメラがまるで付き合い立ての恋人ねと少し嫌悪感を滲ませた声で呟く。

「こういう時は普通、夫が守るべきなのに。あなたのご亭主は今どこにいらっしゃるのかしら」
「お仕事をなさっているのよ」
「こんな時間まで?」

 マティルダもわかっている。本当はもう仕事なんてしていない。彼はシェイラの看病をしている。看病じゃなくても、いろいろと傷心している彼女を慰めている。

「気が向いたら顔を見せてくれるよう言っておいたから、もしかしたら後で来てくださるかもしれないわ」
「たぶんその時が、この夜会を終える時ね」

 パメラは悪いことを聞いてしまったと、話を変えた。

「それにしても、こういうこぢんまりとした催し物もいいわね」
「本当?」
「ええ。騒がしすぎず、かといって格式ばってもいない」

 ふふ、とマティルダはそこでちょっと笑った。

「そう言ってもらえて安心したわ。あなたはうんと華やかなものがお好きだと思っていたから」
「いつもの感じも好きよ。ぎらぎらして、非日常の、夢みたいな世界。みんな狂っていくなかで、どれだけ自分を保っていられるか、そういう駆け引きに生きてるって感じがするのよね」

 そういうのを生真面目な人は厭うのだろうけれど、パメラは違うらしい。

「あなたってわたしのお父様に似ているわ」
「あら、男爵も生きるか死ぬかを喜びとしていらっしゃるの?」
「ええ」

 父が与えられた爵位は一番低い男爵だった。鉄道建設や世界中の技術を披露するための催し物でこれ以上なく力を貸してやったわりには、割り合わないのではないかと父に好意的な人間は不満を覚えた。

 でもこの国には陞爵しょうしゃくと言って、功績次第では爵位が上がる制度がある。それを目指せばいいだけのことだと、父は愉快そうに言ってのけた。

「周りが敵ばかりだと、余計に燃えるんですって」

 パメラは今日一番面白いことを知ったというように笑った。

「あなたのお父様、いいわね。一度二人きりでお話してみたいわ。恋人はいらっしゃるのかしら」

 急な距離の詰め方にマティルダは少し驚く。

「いないけれど……恋人はいいの?」

 パメラには何人かの若いつばめがいた。

「そろそろ巣立ちの時よ」
「悪い人ね……」
「愛の手解きよ。あなたにもいつかそういう役割が来るんじゃないかしら」
「わたしは愛する人は一人だけだと決めているの」
「まぁ立派なこと」

 つまらないこと、と聞こえたので少しムッとする。

「我が家はみんなそうなの」
「じゃあ男爵も?」
「ええ。お父様はお母様のこと、ずっと愛していらっしゃるわ」

 昔、再婚をしないのか父に尋ねたことがあった。父はしないよと優しい口調できっぱりと答えた。それが娘ながら疑問に思ったので、どうしてとさらに聞いたのだ。

 父はマティルダを抱き上げ、膝の上に座らせると、おまえの母親を愛しているからだよと教えてくれた。商人だった父は、遠い異国の地で母を見初め、口説き落として、自分の国へと連れて帰ってきたそうだ。

 言葉も文化も違う異国での生活はさぞ大変だったろうが、母は父と生きる道を選んだ。

『彼女は多くの男性を虜にしながらも、決して私のそばを離れなかった。すべてを捨てて私を選んでくれた。だから私も一生を懸けて、彼女の想いに応えなければならない』

 そういつになく真面目な口調で語ってくれたので、今でもよく覚えている。

 どこまで本気かはわからないが、母が亡くなった今でも浮ついた話一つ聞こえてこないので、案外守り続けているのかもしれない。

 たとえこっそり遊んでいたとしても、すぐに話題になるような相手を父は決して選びはしないだろう。

 マティルダがそういったことを伝えれば、パメラががっかりした顔をしつつ、でもそれはそれで興味深いといった表情をする。

「案外情熱的な方なのね」
「そうね。わたしも、何だか意外だわ」
「それだけ素敵な奥方だったんでしょうね。あなたを見ていると、わかる気がするわ」

 パメラはそう言うと、マティルダの頬を指先でくすぐった。

「わたくしはね、あなたでもいいのよ」
「相手が女性でも、愛していいの?」
「いいに決まっているじゃない。愛に性別は関係ないわ」

(世の中にはわたしの知らないことがまだたくさんあるのね)

 マティルダが感慨深く思っているのを迷っていると受け取ったのか、パメラが身体を寄せて誘惑するように囁いてくる。

「女のことは女が一番よく知っているわ。怖いことは何もないのよ。あなたが身を委ねてさえくれれば、殿方には決して与えられない悦びを贈ってあげるわ」

 マティルダとパメラは顔がくっつきそうなほど近い距離で見つめ合い、マティルダが手を伸ばして――パメラの形のよい耳朶を軽く引っ張った。褐色の瞳を真ん丸とさせる彼女にマティルダはだめよと甘い声で返す。

「あなたはとても魅力的な人だもの。ただの戯れで誰かに愛を捧げてはいけないわ」
「あら。お断りと称して説教するつもり?」

 そういうわけではない。ただ――

「もし本当にお付き合いするつもりなら、わたしはすべてを捨ててあなたを愛するわ。あなたはそれくらいの人なのよ」

 パメラにとっては特に思い入れのない相手と愛し合うこともできるのだろうが、マティルダは彼女のような人間は、自分の命まで投げ打って構わないような、そんな情熱的な人間に愛されてほしいと思うのだった。

「大げさね。あなたが思うほど、私はできた人間はないのよ?」
「相手がどんな性格かなんて、愛するのに関係ないわ。たとえあなたがどんな悪い女性だとしても、この世すべての財貨を積んでも得られない価値があなたにはあるのよ」

 柔らかな口調でどこまでも真面目に語るマティルダにパメラの方が気恥ずかしくなったようだった。珍しく視線を逸らせて、零れた髪を耳にかけたりする。

「そう。ありがとう」

 そっけなく答えるのも照れているように見え、可愛いとマティルダは頬を緩ませた。気づいたパメラがやや恨みがましい目で見てくる。

「どうやらあなたに対しての認識を改めなくてはいけないようね」
「ふふ。性格の悪い子?」
「男女問わず虜にする魔性の女よ」

 マティルダは鈴を鳴らすように笑った。

「あら。わたくしは本気で言っているのよ」
「ありがとう。でも本当にそうなら、今こうしてあなたとお喋りもできていないわ」
「今はわたくしがあなたを独り占めしているの。――それにほら、もうそろそろ我慢の限界だって、あなたを攫いに来た人間がいるわ」

 パメラの視線の先にはキースがいる。彼はパメラに断り、マティルダを踊りへと誘う。

「彼女と何を楽しそうに話していたんだい?」
「内緒ですわ」

 彼女はゆったりとした音楽に身を任せて初恋の人に微笑んだ。お酒も飲んで、上気した頬。潤んだ黒い瞳。魅入られたようにキースは顔を寄せ、人前であることも気にせず、ただ二人だけの世界だというようにマティルダに口づけしようとする。

 パメラは自分を攫いに来た人間がいると言った。キースに――あと、もう一人。

「マティルダ」

 閉じていた扉を開けたのは、マティルダの夫、オズワルドであった。


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