27 / 33
クロエの賭け
しおりを挟む
「クロエ。とってもきれいね」
エリーヌがうっとりとした表情でクロエの花嫁姿を褒めた。エリーヌが嫁ぎ損ねた花嫁衣装だが、クロエには十分だとわざわざ新調することはなかった。一緒にいるラコスト夫人も満足した様子で、今日ばかりは柔和な表情を浮かべている。
やっと憎い娘を厄介払いできるからだろう。
「よかったわね、クロエ。お前のような娘をぜひ娶りたいという殿方が現れてくれて」
「ええ……本当に、そう思います」
そう言いながらも、膝の上で固く握りしめられたクロエの手は小刻みに震えていた。気づいた姉が落ち着かせるようにそっと手を重ねてくる。
「クロエ。大丈夫よ。ガルニエ男爵はお優しい方だと聞くわ」
妻を三人も亡くして、毎日色事に耽っている、成り上がりの貴族。それがガルニエ男爵。どこからクロエの噂を聞きつけたのか、ぜひとも結婚して欲しいという話が舞い込んできたのだ。
エリーヌの縁談がなかなかまとまらず、クロエのことが後回しになっていた兄は一も二もなく承諾した。今度はラコスト夫人も反対しなかった。姉のエリーヌでさえ。
「あなたなら、きっと幸せになれるわ」
(本当に? ねぇ、お姉さま……)
頬を撫でる姉の掌が冷たかった。
「私たちは式には行けないけれど、とても素敵なものになるよう、願っているわ」
式など挙げる予定はなかった。ただ着飾った花嫁が一人、この屋敷を後にするだけだ。
「さようなら、クロエ」
クロエはラコスト家の紋章が入った馬車に乗り込む直前、一度だけ振り返って、姉に目をやった。もう会うことのないだろうエリーヌの姿をこの目に焼き付ける。クロエの愛していた人。愛されたかった人。
(さようなら、お姉さま)
ガルニエ男爵の屋敷はラコストの領地から離れている。到着するのは日が暮れる頃か、夜だろう。そのままクロエは男爵に純潔を捧げる流れとなるはずだ。好きでも何でもない男に抱かれるのは地獄のような苦しみだろう。けれど覚悟はできていた。
(これで本当に終わりだわ)
突然ガタンと馬車が大きく揺れて、止まった。御者が何か喚いている。ガタガタと小さく揺れ、扉が外から開けられた。クロエは狼狽えることなく、ただ一心に窓の外を見つめていた。
「クロエ」
そしてその声に、諦めたように――やっぱり、と思いながら振り返ったのだった。
「アルベリク様」
アルベリクはどういうことだと怒気を孕んだ眼差しでクロエを射貫いた。急いで駆けつけてきたせいか、額には玉のような汗を浮かべ、癖のないきれいにまとまっていた髪も乱れ、呼吸もひどく忙しなかった。
「クロエ。今すぐここを出てくれ」
「どうして」
アルベリクの眼差しがさらに冷たいものに変わる。いつもは触れるのに躊躇いがあるくせに、今は決して離すまいと白い手袋をはめたクロエの手を握りしめている。彼の怒りが熱となって、そのまま指先から伝わってくるようであった。
「どうしてだと? そんなの決まっている。このままあなたが居座っていれば、あなたはガルニエ男爵の花嫁になるからだ……!」
そんなの絶対認められない、と握る手に力がこもった。
「こんな真似はしたくなかった。けれどあなたが他の男のもとへ行くことは絶対に認められない。だから、」
このまま俺が攫う。
アルベリクが攫うと言ったら、その通りにするだろう。非力なクロエには太刀打ちできない。
「あなたって本当に乱暴ね」
「わかっている。でも、嫌なんだ」
子どものような我儘を貫き通す彼がクロエにはいつも眩しかった。自分の気持ちを臆面もなく伝えられるのがずっと羨ましかった。
「クロエ、悪いがあきらめ――」
アルベリクの息を呑む気配が伝わってくる。彼はやっぱり急いでいた。汗と彼自身のにおいが混じっている。シャツ一枚だけを着た胸板が大きく上下している。クロエの名前を、戸惑ったように呼ぶ声に彼女は密着していたアルベリクの身体から離れ、顔を見上げた。
「あなたのもとへ嫁ぐわ。そのつもりであなたを待っていたの」
諦めの中に、わずかに芽生えた感情。アルベリクの執念に、クロエは負けを認めた。
エリーヌがうっとりとした表情でクロエの花嫁姿を褒めた。エリーヌが嫁ぎ損ねた花嫁衣装だが、クロエには十分だとわざわざ新調することはなかった。一緒にいるラコスト夫人も満足した様子で、今日ばかりは柔和な表情を浮かべている。
やっと憎い娘を厄介払いできるからだろう。
「よかったわね、クロエ。お前のような娘をぜひ娶りたいという殿方が現れてくれて」
「ええ……本当に、そう思います」
そう言いながらも、膝の上で固く握りしめられたクロエの手は小刻みに震えていた。気づいた姉が落ち着かせるようにそっと手を重ねてくる。
「クロエ。大丈夫よ。ガルニエ男爵はお優しい方だと聞くわ」
妻を三人も亡くして、毎日色事に耽っている、成り上がりの貴族。それがガルニエ男爵。どこからクロエの噂を聞きつけたのか、ぜひとも結婚して欲しいという話が舞い込んできたのだ。
エリーヌの縁談がなかなかまとまらず、クロエのことが後回しになっていた兄は一も二もなく承諾した。今度はラコスト夫人も反対しなかった。姉のエリーヌでさえ。
「あなたなら、きっと幸せになれるわ」
(本当に? ねぇ、お姉さま……)
頬を撫でる姉の掌が冷たかった。
「私たちは式には行けないけれど、とても素敵なものになるよう、願っているわ」
式など挙げる予定はなかった。ただ着飾った花嫁が一人、この屋敷を後にするだけだ。
「さようなら、クロエ」
クロエはラコスト家の紋章が入った馬車に乗り込む直前、一度だけ振り返って、姉に目をやった。もう会うことのないだろうエリーヌの姿をこの目に焼き付ける。クロエの愛していた人。愛されたかった人。
(さようなら、お姉さま)
ガルニエ男爵の屋敷はラコストの領地から離れている。到着するのは日が暮れる頃か、夜だろう。そのままクロエは男爵に純潔を捧げる流れとなるはずだ。好きでも何でもない男に抱かれるのは地獄のような苦しみだろう。けれど覚悟はできていた。
(これで本当に終わりだわ)
突然ガタンと馬車が大きく揺れて、止まった。御者が何か喚いている。ガタガタと小さく揺れ、扉が外から開けられた。クロエは狼狽えることなく、ただ一心に窓の外を見つめていた。
「クロエ」
そしてその声に、諦めたように――やっぱり、と思いながら振り返ったのだった。
「アルベリク様」
アルベリクはどういうことだと怒気を孕んだ眼差しでクロエを射貫いた。急いで駆けつけてきたせいか、額には玉のような汗を浮かべ、癖のないきれいにまとまっていた髪も乱れ、呼吸もひどく忙しなかった。
「クロエ。今すぐここを出てくれ」
「どうして」
アルベリクの眼差しがさらに冷たいものに変わる。いつもは触れるのに躊躇いがあるくせに、今は決して離すまいと白い手袋をはめたクロエの手を握りしめている。彼の怒りが熱となって、そのまま指先から伝わってくるようであった。
「どうしてだと? そんなの決まっている。このままあなたが居座っていれば、あなたはガルニエ男爵の花嫁になるからだ……!」
そんなの絶対認められない、と握る手に力がこもった。
「こんな真似はしたくなかった。けれどあなたが他の男のもとへ行くことは絶対に認められない。だから、」
このまま俺が攫う。
アルベリクが攫うと言ったら、その通りにするだろう。非力なクロエには太刀打ちできない。
「あなたって本当に乱暴ね」
「わかっている。でも、嫌なんだ」
子どものような我儘を貫き通す彼がクロエにはいつも眩しかった。自分の気持ちを臆面もなく伝えられるのがずっと羨ましかった。
「クロエ、悪いがあきらめ――」
アルベリクの息を呑む気配が伝わってくる。彼はやっぱり急いでいた。汗と彼自身のにおいが混じっている。シャツ一枚だけを着た胸板が大きく上下している。クロエの名前を、戸惑ったように呼ぶ声に彼女は密着していたアルベリクの身体から離れ、顔を見上げた。
「あなたのもとへ嫁ぐわ。そのつもりであなたを待っていたの」
諦めの中に、わずかに芽生えた感情。アルベリクの執念に、クロエは負けを認めた。
48
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~
春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。
6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。
14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します!
前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。
【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
溺愛される妻が記憶喪失になるとこうなる
田尾風香
恋愛
***2022/6/21、書き換えました。
お茶会で紅茶を飲んだ途端に頭に痛みを感じて倒れて、次に目を覚ましたら、目の前にイケメンがいました。
「あの、どちら様でしょうか?」
「俺と君は小さい頃からずっと一緒で、幼い頃からの婚約者で、例え死んでも一緒にいようと誓い合って……!」
「旦那様、奥様に記憶がないのをいいことに、嘘を教えませんように」
溺愛される妻は、果たして記憶を取り戻すことができるのか。
ギャグを書いたことはありませんが、ギャグっぽいお話しです。会話が多め。R18ではありませんが、行為後の話がありますので、ご注意下さい。
筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した
基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。
その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。
王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる