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聖女の願い

変わったこと、変わらないこと

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 アーサーはキャサリン嬢との婚約を解消した。解消と言っても、相手は駄々を捏ねたので一方的と言った方が正しいかもしれない。一筋縄ではいかなかった。

 けれどアーサーも今度は徹底的に反抗した。彼にとって誰かに逆らうというのは初めての経験であった。

 最終的に未婚の女性としてはあり得ない振る舞いが槍玉に挙げられ、決定打となった。それでもキャサリン嬢は諦めきれず、泣いて彼に縋ったようだけれど……

「私以外にもきみを想う男性はたくさんいるようだから、そちらに慰めてもらえればいいではないか」と笑顔で突き放したそうである。

 彼は変わった。

 キャサリン嬢の実家である公爵家を僻地へ追いやり、友人を心の底から信用せず、それとなく距離を置くようになった。彼女に懸想していた近衛騎士の任も解いて、別の人間を採用した。甘やかされていた弟に厳しく接するようになり、父に忌憚ない意見を述べるようになった。

「フィリップではこの国をまとめる力はないでしょう」

 反発はあったけれど、彼は穏やかな笑みを浮かべながらすべて力でねじ伏せた。ただ優しいだけの王子様はもうおらず、周囲も次第に彼を王として認識するようになっていく。

「父上。父上も十分王としての責務を果たしました。ですがあと一つだけ、役目を残しておられます」

 誰の血も流さず、わたしの存在もなしに竜の呪いを解く方法は結局見つからなかった。アーサーは考えた末、見つける必要はないと判断した。呪いを解く術は、もうずっと前からわかっていたのだから。

 国王が病で崩御されたと国民に発表された数日後、フィリップ殿下も若くして命を落とした。兄に対する反逆か、他の誰かの恨みを買ってか。わからないけれど、新しい国王は弟の死を精神が錯乱した末の自殺として処理した。


「アーサー。今日の朝食、とても美味しかったわ」

 向かいの席に座るアーサーにそう感想を述べれば、彼は完食された皿をちらりと見て、泣きそうな表情を浮かべた。

「ミレイ。よかった……」

 二人が非業の死を遂げたおかげで呪いは解けた。わたしの身体は元の世界に居た時のような平凡なものへと戻り、もう聖女として振る舞う必要性はなかった。

 それでも彼はわたしを捨てることはしなかった。


「貴女が今までやってきたことは、間違いなくこの国を救うものだった」
「わたしは特に何もしていないわ」
「いいや、ミレイがいてくれたから、私は……」

 彼は変わったけれど、変わらない所もある。弱い者を思いやる心も失われてはいない。彼はわたしのおかげだと言うけれど、わたしも同じだろう。彼のおかげで、完全に心を壊さずに済んだ。

 一方で怖くもある。わたしの中で、彼はいつしか途方もなく大きな存在へと変わっていたのだから。

「貴女のことを愛している。どうか私と結婚して欲しい」
「……責任を感じているなら、」
「ミレイが好きなんだ」

 だめだろうか……と犬の耳がしゅんと垂れたように落ち込むのはずるい。

「……わたし、王妃として相応しくないわ」
「相応しいよ。街を一緒に回った時、みんなが貴女のことを歓迎していて、感謝していただろう?」
「貴族とか、そういうやり取り、怖い……」
「あれはキャサリン嬢の取り巻きだったから敵対的だったんだ。あなたの功績もいまいち伝わっていなかった。けれど今は違う。ミレイの功績を国中に伝えた。貴女に好意的な人間も必ずいる」

 確かに国王となった彼に表立って逆らう者はいないだろう。でも、王妃として相応しいかはまた別の問題だ。

 わたしは一時でも彼と気持ちが通じ合えただけで満足していた。それ以上は望んでいなかった。でも……

「ミレイ。お願いだ……」

 戻る術はもうない。わたしはこの世界で生きていかなければならない。平民として働いていくことは、わたしの想像よりずっと大変なことだろう。貴族の妻として生きていくこととどちらがましだろうか。

 結婚する場合、夫となる男はわたしのことを愛してくれるだろうか。

 無理矢理異世界に連れて来られて、帰ることもできなくなって、たくさんの孤独を味わって、もうどうでもいいやと思ったけれど、今はそれほど悲嘆には暮れていなくて、アーサーが前よりずっと明るい表情を浮かべるようになって、わたしの名前を呼んでくれるたびに、わたしの中である感情が芽生えていった。十分だと思っていた気持ちはさらに欲深くなってゆく。ああ、わたしはこんなにも彼のことを――

「……式典とか、大切な行事の時は出席するから、それ以外はずっと屋敷に閉じ籠っていていい?」
「ああ、いいよ。でも時々私と一緒に庭を散歩して欲しいな」
「……あなたが一緒なら」
「ありがとう、ミレイ」

 わたしは彼との結婚を受け入れた。惚れた弱みである。

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