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 本に囲まれている生活が好きだ。

 普段は目を向ければ怖がられるが、本屋に入ってくるような客は本しか見ていない。

 店番をしている男が冷たい目をしていても、構いやしないのだ。

 窓に映る自らの瞳は月の色。青白い肌と黒い髪。店番をしている間だけちょんと括っている髪が、尻尾のように背後に突き出ている。

「セレくん。今日は新月で、そろそろ日没だそうよ」

 店主である年配の女性は、梯子から降りた。

 取り出した本を手に持ち、勘定場の奥にある安楽椅子に腰掛ける。

 ナデシコという名の本好きで穏やかな店主は、嬉しそうに頁を捲る。数頁捲った時、ああ、と何事か思い出したように顔を上げた。

「新しい家、見つかった?」

「いえ、今度の休日に探そうかと」

「そう。お手間を取らせちゃって御免なさいね」

「店が古くなったのは、ナデシコさんの所為ではありません」

 この書店の二階に、現在の俺の家がある。店主は別に家を持っており、書店は亡き夫の持ち物だった。

 踏みしめれば揺れる階段を始め、古くなった建物はお役所から早く取り壊しか建て替えを、と勧められていたそうだ。

 だが、店自体を続けていくにも、店主は歳を取り過ぎた、と言う。

 かといって、俺にこの書店を建て替えるような金がある筈もなかった。

「家が決まったら、お伝えします」

「ええ。まあ、今日明日壊れるようなものでもないでしょうけれど、セレくんの新しいおうちが決まったら、本を知り合いの店に移し始めないとねえ」

 自分にもっとお金があったら。そう思いながら、力が足りずに何もできることがない。頭を下げ、帰宅の準備を整えた。

 書店のある一階から二階に上がろうとした時、常連客と擦れ違う。見るからに上質な服を着た、医学書ばかり買っていく男だ。

 宛名に書く名は『ルシオラ』。緩く弧を描く薄い金髪に、黄色みがかった緑の瞳をもつ美しい人。この古びた建物には、似つかわしくない容姿をしていた。

 視線が合う。頭を下げると、彼は唇を開いた。

「こんにちは。……こんばんは、かな。セレ君」

「こんばんは、ルシオラさん。探し物ですか?」

「特定の本が欲しいわけじゃなくて、いい本がないかな、とね」

 医学書の棚には、他の書店よりも稀少な本が揃っている。彼には、廃業予定の話を伝えていただろうか。

 念のため、と、俺は珍しく会話を続けた。

「あの、うちの店。少し先にはなるんですが、廃業予定なんです」

「え!?」

 彼はあからさまに困った、というように声を上げた。ほんの少しだけ、無くなってしまう店を惜しむ人がいることに安堵する。

「なので、気になった本は、買っておいた方がいいと思います」

「教えてくれて有難う。……廃業、って店舗が古いから?」

「はい。直近で嵐が来たときに、重要な柱が痛んでしまったそうで。建て替え、するにも店主も高齢ですし……」

「けど、あれ? セレ君って家、この建物の上階にあるんじゃなかった?」

「そうなんです。だから、俺も引っ越しを予定しています」

「そうかぁ、残念だ。……今は時期が悪い気がするけど、新しい家は決まったかな?」

 丁度この時期は、家を移る人々が多い時期ではある。

 まだ部屋を探してはいないのだが、最初から部屋探しが難航するであろうことは分かっていた。

「いえ。次の休日に探しに行こうと思っています」

「じゃあ。対応の良かった店を紹介するよ」

 彼は懐から手帳を取り出すと、いくつかの店名を書き付けて頁を破り取った。

 差し出された紙片を、両手で受け取る。

「助かります。長いこと、ここの二階で暮らしていたので、店の善し悪しは分からなくて」

「良い家が見つかるといいね」

 話題も一区切りして、別れる、と思いきや、彼はまだ会話に追い縋った。

 ぱたん、と手帳を閉じ、懐に仕舞う。

「あ、急いでいたら悪いんだけど……。店の外でこうやって話ができるのは初めてで。前々から、相談したいと思っていたことがあるんだ」

「それなら、大丈夫。これから家に帰るだけです」

 その返事に、彼はほっとしたように息を吐いた。

「セレ君、知り合いに獣人はいないかな?」

 獣人は、人と獣、二つの姿を持つ種族だ。

 日が出ている間は人でいられるが、闇が深い夜には人の姿を保てない。そして、人の姿とは別に、それぞれがとある種族の、決まった獣の姿をひとつ所持している。

「ええと、…………何故、そんなことを聞くんですか?」

 はい、と返事ができないのは、獣人だけが持つ力に由来していた。

 獣人は生涯に一度だけ、心から星に願いを懸ければ叶えてもらえる。

 もともと獣人の多かった自国には、守護神がいる。この神に対し、獣人だけが願いを声に乗せ、届けられるのだ。

 勿論、世界の滅び、などの願いは許されず、世界の運行を妨げない願い、など幾つかの制約は存在するようだ。

 これらは獣人が心から願ったものしか叶えられない性質上、脅して自らの願いを聞き届けさせる、ということは出来ないが、それを理解できずに願いの強制を狙い、獣人の存在を探ろうとする人がいる。

 だから、獣人は闇の深い新月の日……獣の姿を取らざるを得ない日は、日が落ちる前に家に帰り、鍵を掛けて家に閉じ籠もるのだ。

「妹が重い病で、『星への願い』を譲ってくれる獣人を探しているんだ」

 迷いなく、はっきりと伝えられた理由に、俺の方が面食らってしまった。

「…………あ、ええと」

 獣人には、心当たりがある。

 しかも、子どもの頃に『星への願い』を消費してしまう獣人もいる中で、まだ願いを使い切っていない獣人にも、心当たりがある。

 知らない。そう言ってしまえばいい筈なのに、相手の視線に動揺する。

「勿論。生涯に一つの願いを譲ってもらう訳だ。それ相応の、謝礼はするつもりでいるよ。まあ、金銭でできる謝礼なんて、たかがしれている訳だけど」

 苦笑している彼は、頻繁に書店を訪れ、多くある医学書を端から端まで追っては買い求めていた。

 確か、心臓に関する書籍が多かったような気がする。

「………………」

 俺には、叶えたい願いがある。

 元は、田舎の村で両親と三人で暮らしていた。成人する前に、両親を崩落事故で亡くし、街に出てきた。

 両親が存命の間は、日が昇れば畑を耕し、日が落ちると家に入って三人で寝転がった。それぞれの毛皮を枕にし、身を寄せて寒さを凌いだ。

 父と母は、仲の良い番だった。俺もまた、ああなりたい。寒い夜に、身を寄せ合う相手がほしい。

 だから、そういった相手に出逢えたら、『自分を好きになってもらえるよう』願うつもりだった。

「ルシオラ、さん」

「何かな」

「ごめんなさい。俺には叶えたい願いがあります。だから、貴方にお譲りすることができません」

 黄緑の瞳が、丸く開かれたのが見えた。

 俺が身を翻すより先に、腕に肩を掴まれる。

「君は、獣人?」

 こくりと頷く。

「願いを、残している?」

 また、こくりと頷く。

 彼の瞳に、どろりと欲が湧いた。けれど、瞬きの間にそれらは消え去る。

「もし。君の願いを私が叶えたら、君の願いを譲ってはくれないか?」

「難しいと、思います」

「どうして?」

「…………ややこしい、願いなので」

 まず、俺が伴侶に相応しいと思う人を見つけて、その上で相手が自分を好きになるように願う。

 いくらこの人が頑張ったとしても、他人が他人を好きにさせるのは至難の業だ。

 けれど、そう言っても彼の視線は縋り付いてくる。

「君の願いを、教えてくれないか?」

 黙ることは、妹の病を治したいと努力をしている彼にとって、失礼なことに思える。保身よりも、その瞳の真摯さに負けた。

「……生涯の伴侶を得ることです」

 俺の答えに、彼はぽかんと口を開けた。流石に、想定外の願いだったようだ。

 申し訳なく思いつつも、縋り付く腕の所為でその場に留まる。ぐるぐると頭を巡らせているようで、その視線は様々な方向へと巡った。

 そうして、ようやく言葉が発される。

「私が伴侶になるのは、どうだろう……?」

「いや。正気ですか」

 二人して黙り込み、ただ視線を交わし合った。

 夕日が地平線に近づき、円だったものが欠けていく間に、周囲が暗くなっていった。

 俺は掴まれている肩に視線をやる。周囲に人影がなく、目の前の男以外に見られる余地はないのが救いだった。

「あの。日が沈むと────」

 次の言葉を言い終わらぬ内、妙な提案に脱力していた俺の輪郭は、朧げに解けていく。

 すとん、と着地すると、ばさばさと服が降り注いだ。暗くなった視界から抜け出ると、ぽかんとこちらを見下ろす視線がある。

 彼の瞳に映るのは、三角耳をした獣の姿。ふさりとした毛皮に包まれた真っ黒な身体。月を宿したような、と言われる瞳と、長い尻尾を持つ種族。

 服が当たって据わりが悪くなってしまった髭を、前脚で整えた。

『猫になってしまう、と言うつもりだったのですが。……遅かったようです』















 俺はルシオラさんに服を拾ってもらうと、書店の上階に借りている自室まで案内した。

 鍵を渡して扉を開けてもらい、とっ、と室内に着地する。

 猫の姿は外敵に対して弱いが、彼は暴力を振るおうとするような素振りはない。ただ、初めて接したのか、獣人に驚き、声を届けるたびに不思議そうにしている。

 耳で拾うのは猫の鳴き声だろうが、人としての言葉を同時に、魔力を通して届けている。その感覚は、聞き慣れないものだろう。

『お茶などは出せませんが。どうぞ、椅子を使ってください』

 店主夫妻が若い頃に住んでいた一室は丁寧に使われていたようで、年季は感じるものの、過ごす上での不便はない。

 ただ、床がふっくらとしていて、次の嵐で倒壊しない、と胸を張って言えはしなかった。

「ああ……、ありがとう」

 彼は近くにあった椅子に腰掛ける。俺の座る場所は無くなったが、猫である。床に腰を下ろし、尻尾を前脚の前に丸めた。

『あの、先程の話なのですが』

「ああ。私は、冗談を言っているつもりはなかったよ」

『お気持ちは大変ありがたいのですが、ルシオラさん自身が伴侶にならなくとも。……例えば、俺が伴侶を得る協力をする、という選択肢もあるかと思うのですが』

「もし、その伴侶が君を道半ばで捨てるような相手だったらどうするつもり? 君が『星への願い』を使えば、生涯の伴侶が得られる。君に願いを譲ってもらう対価は、確実に、君へ生涯の伴侶を与えなければならない、のではないかな」

 彼の言いたいことは理解できる。『俺が本来願うつもりだった事柄を叶えること』を対価とするなら、生涯を共にする伴侶が得られなければならない。

 困った、という気持ちが落ち着かず、前脚で顔を洗う。俺がそうしている様子を、ルシオラさんは物珍しそうに眺めていた。

「君の好みはどんな相手? 獣人でなければならないかな?」

『特に……そういうものはなくて。ただ、寄り添ってくれる相手が、欲しい……というか』

「では、私なんてどうかな。君より数歳は上だと思うけど、君に衣食住を十分に与えられる職だと思うよ」

 急に伴侶として売り込まれ、ええと、あの、と口籠もってしまう。尻尾は揺れ、無駄に顔を洗ってしまう始末だ。

『いくら妹さんの為とはいえ、生涯の伴侶に、ろくに話をしたこともない獣人を選ぶのは……』

「けれど、私は君じゃなければこんな提案はしなかった。どうかな? 私が君の信用に値するか、しばらく交流を深めてみる、というのは」

 俺が彼を伴侶に定め、妹さんに『星への願い』の内容を譲ることができるのなら、それで丸く収まる。それに、もし彼を好きになったとしたら、彼の妹の病を治すことは、心からの願いに値するだろう。

 何より家族を失っている身としては、家族のため、と食い下がる彼を突き放せはしなかった。

『妹さんの病は、そこまで余裕があるものですか?』

「症状は落ち着いているし、入院して体調管理もしてもらっている。ただ、病が治らなければ、退院、は難しいかな』

『そんな中で、俺が回答するまで、待てますか?』

 彼は俺の身体を抱き上げると、自らの太股の上に乗せた。服に毛がつくことに怯えてしまうが、相手は気にしている様子もない。

 猫の抱き方に慣れている為か、指先で撫でられると、ぐるぐると喉を鳴らしてしまう。

「もう、十数年そんな状態だからね。それに、『星への願い』を、これまで頼み込んだどの獣人も口を揃えて、重いものだ、と言ったよ。譲ってもらうことを、軽く考えたいとは思わない」

『けれど。俺の願いは、生涯の伴侶を得ること、ですよ』

 彼の大きな掌が、首から背を撫でる。

 ゆったりした撫で方は、ただ優しかった。更に盛大に喉が鳴ってしまいそうだ。

「それが君にとって、生涯の願いを懸けるに値する事なんだろう? 以前、もう両親は亡くしたと言っていたね。では、君にとって『星への願い』は、新しく家族を得られる手段な訳だ」

 太い指が、耳の裏を掻いた。

 掻いてほしい場所に指先を誘導すると、察してくれたようで皮膚を擦ってくれる。

「やっぱり、重いね。ひと一人の、現在の医学では治らない病を治すことができる願いは、とても重い」

『交流を深める話。撤回、しますか?』

「しないよ」

 奇妙な提案をしておいて、退くつもりもないらしい。

 彼の掌はまず及第点、といったところだが、交流を深めたところで、正反対とも言えそうな彼と愛を育めるのだろうか。

 悩みにこんがらがって、太股の上で転がる。

「まずは、そうだな。医学書を積んでいるだけの部屋があるから、その部屋を片付けよう」

『はぁ……』

 彼の言葉の意図が掴めずにいると、傾いだ顔がこちらを覗き込む。本当に、綺麗な顔をした男だ。

「引っ越し先、決まってよかったね」

 にっこりと笑う大きな男の圧に、小動物ではとても敵わない。逃れようと言葉を紡いでみたが、綺麗に丸め込まれ、白旗を揚げる羽目になるのだった。




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