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▽10
番を前提とした恋人関係、と思っていたのは俺だけで、環はさらりと実家を訪れ、兄たちや父母に挨拶を済ませた。
それから何度か家を訪れるうちに、最初は不機嫌だった兄達も歓迎ムードへと変化していく。気づいたときにはもう、家族の中では俺の番、というような位置づけになっていた。
環の両親への挨拶も、『遊びに来ない?』という軽い誘いを受けたところ、こちらは最初から歓迎ムードでもてなしを受けた。
アルファにしては番を定めようとしなかった環のことを、ご両親はそれなりに心配していたらしい。もし良ければ番に、と言われてしまえば、頷く他なかった。
更なる転機が訪れたのは、半同棲状態だった俺が『しばらく実家に帰る』と言い出した事からだ。
「え?」
「別にあんたに不満があるとかじゃなくて、来週から発情期なんだよ」
「何で言ってくれなかったの!?」
「言ったって、どうせ休み取れないだろ。普段でさえ忙しいのに」
「取れるよ! 待ってて」
有言実行、を地で行った環は、元社長……彼の親族を期間限定で社長業に戻すことで長期休みをもぎ取ってきた。
休みが決まったから一緒に過ごそう、と迫る環に、俺が逃げる術はどこにも残されていなかった。
用意していた発情期の休暇は、実家ではなく、環の家で一緒に過ごすことになった。
体調を心配する恋人は、黙っていても何もかも世話してくれる。本格的に発情期に入っていない、熱っぽいくらいの体調なのに、ソファで自堕落に過ごすことを勧められてしまう。
「なぁ、環。俺、手伝うことない?」
「食器も洗い終えたし、掃除も済んだよ。寝ていて」
ずっとこの調子だ。普段の休日よりのんびり過ごしていると、次第にむずむずとした感覚がせり上がってくる。
与えられた毛布を引き寄せ、匂いが漏れないようにする。だが、直ぐに環はこちらに気づいて近寄ってきた。
「そろそろ限界?」
「かも。匂いきつくないか?」
「まあね。さっきから理性ぐらぐらで、気分転換に家事してたし」
俺が立ち上がると、環が支えるように腰を抱く。
ゆっくりと廊下を歩いて寝室に向かい、整えられたベッドに腰掛けた。身体を洗ったばかりだというのに、パジャマの裾を鼻に当てると、匂いが既に染み付いている。
環が隣に腰掛けると、アルファの匂いが急に膨らんだ。
「なんか。急に匂いが強くなったんだけど」
「そりゃあ、抱きたくて仕方ないからね」
しれっと言う環は、唇を寄せてくる。目を閉じ、触れてくる感触を受け止めていると、ぬるりとしたものが唇を割った。
唾液と共に、アルファの匂いが混ざって飲み込まされる。舌を絡め、唾液を交換し、媚薬とも呼ぶべき液体を飲み干す。
「ん……ぁ、ふ。…………ンン」
のし掛かるように唇を押し付けてくる身体を受け止め、唇が離れた隙に急いで呼吸する。こくん、こくん、と相手の体液を身体に入れるたびに、腹の奥でぼっと灯るものがあった。
唇が完全に解放されると、深く息を吸い込む。
「…………熱い」
「服、脱がそうか?」
くすくす笑う様子に、むっと唇を尖らせる。
「自分で脱ぐ」
言い張ってボタンに手を掛けると、そっと掌が重なる。
やがて、役目を奪い取られ、長い指がボタンを外し始めた。自分の手は下ろし、されるがままに様子を見守る。
「なんか、恥ずかしいな。これ」
「今度は、遊が脱ぐとこ見せてね」
パジャマの上がシーツに落とされ、上半身が露わになる。
弛んでいる訳ではないが、美しいとはとても言えない、中肉中背の身体だ。
「綺麗だよ」
ちゅ、と頬に唇が押し当てられた。
つい、そんなことはない、と否定が口をついて出ようとする。けれど、視線を合わせた時の愛おしげな目は、真実だけを語っていた。
「あんたも脱げよ」
「いいよ」
今度は俺が、環の服に手を掛けた。もたもたとボタンを外していく様を、眼差しが追いかけてくる。
上の服を脱ぎ落とすと、線が入り、盛り上がった筋肉が見える。アルファは体格がいい者が多いにしても、しっかりと鍛えられた身体だった。
「いい体してるな」
「ありがとう。気を付けてるのは、仕事帰りのジムくらいのものだけどね」
ぺたぺたと身体に触れていると、相手の掌も俺の身体を触り返す。首筋に指が当てられると、ぴくん、と反射的に肩が跳ねた。
「首。軽く歯を当ててもいいかな?」
「い、……いけど。なんで」
「本番の時、どれくらいの力で牙を立てればいいか、柔らかさが知りたくて」
身体の向きを変え、側面から首筋が見えるよう傾ける。
環は顔を近づけると、首筋を舐めた。
「な……ッ! 牙を立てるんだろ」
「ちょっとくらい味見してもいいでしょう?」
そう言うと、首筋にキスをし、舌を這わせる。
敏感な場所を触れられる快楽に、ほんの一滴、本能的な恐怖が混ざる。唾液で濡れたその部分に、アルファは軽く牙を立てた。
戯れのようなものだったが、身体の中を何かが巡るような感覚がある。本気で牙を立てられたら、細胞ごと作りかえられてしまう気がした。
「力加減、分かったか?」
「うん。けど、思ったより噛み心地が良くて、本気で牙を立てるところだったよ」
「おい……。せっかく休みが取れたのに、番になるのは失敗、とか嫌だぞ」
「それは俺も嫌だなぁ」
全く深刻そうな様子はなく、環は俺の胸元に唇を触れさせる。キスした場所を指で追うと、すす、と左右の胸の中心に指先を這わせた。
「ちょ、……待て。おい」
「え。胸はだめ?」
「さ、触るものなのか?」
「触るものだよ」
きっぱりと言い切られ、勢いに負ける。長い指は薄い胸の肉を揉みしだくと、中央にある突起を弾いた。
快楽と呼ぶには薄いが、くすぐったさはある。
「遊。俺の肩に手を掛けてくれる?」
突然の要求に訝しむが、初心者故に指摘もできない。身長差の所為で座っているとやりづらく、膝立ちになって、彼の両肩に手を置いた。
すると、相手の腕が俺の腰に回った。ぐい、と引き寄せられ、相手の唇が胸の中心に触れる。心臓の上からキスをするような格好だ。
「な、にして……」
「遊の胸にもキスがしたくて」
「しなくていいっての……!」
腕の中で藻掻いていると、胸の先端に吸い付かれる。背を抱かれ、口の中で粒を転がされた。
ぬるりとした感触が纏わり付き、かと思えば吸い上げられてじんとした痺れが走る。
「……ぁ、うぁ。……ン、ふ……」
最後に軽く歯を当てると、彼は胸から顔を離す。
吸われた乳首は淫靡に色を変え、つんと立ち上がっていた。
「もう片方も、可愛がってあげないとね」
「も、い……。ふ、……っく」
同じくらい丁寧に両方の突起を可愛がり、彼は満足げに唇を舐めた。
普通は、こんなに乳首に吸い付かれるものなのだろうか。息を荒らげながら、彼の肩に寄りかかる。
大きな手のひらは胸から腹へ伝い下りると、腰を撫でた。快楽を得る場所ではない筈なのに、どこを触られても僅かに痺れるような感覚がある。
彼の手は、布越しの俺の股間へ触れる。
「下、脱がせていいかな」
「…………好きにしろよ」
両手が服の腰あたりを掴むと、下着ごと引き下ろす。足を上げて、と指示された通りに動くと、器用に服を抜き取られた。
いくら番候補とはいえ、裸を晒すのは初めてのことだ。かっと頬に血が上り、視線を合わせられない。
「そうだ。ローションも買っておいたんだよ」
「…………え、あ。準備がいいな」
彼に指示されたベッド脇の小机の一番上を開けると、確かにローションの入ったボトルがあった。
持ち上げて環に手渡すと、蓋を開け、中身を手に広げる。
「やっぱりほら。オメガの身体って繊細だし、遊が遊び慣れてるようには見えなかったしね」
「当たり前だろ」
「嫉妬する先が減って嬉しいよ」
粘り気のある液体を手に広げると、彼は俺の茂りを撫で下ろした。柔らかかった毛は濡れ、ぺったりと肌に貼り付く。
指が濡れた幕の下に潜り込むと、俺の半身を引き摺り出した。大きな掌が包み込み、一撫でする。
「かーわい」
「……ン。あ、……っァ。ヒぁ、……ンン、く」
乳でも絞り上げるように、円を描いた指が根元から先端へ行くにつれて輪を窄める。ぷっくりと膨らんだ先っぽは、指の腹で撫でられ、涙を零していた。
同じ造りの器官を知っているからか、的確に弱い処を追い詰められる。
「も……い。からァ……イ、……っく」
熱が漏れ出る前に、悪戯な指先は前から離れた。
じとりと責めるような視線を向けてしまうが、環は平然とそれを受け流した。
「どっちかっていえば、本番はこっちでしょう」
背後に伸びた掌に、尻の肉を鷲掴まれる。ついでとばかりに揉みしだき、環は柔らかい感触を楽しんでいた。
彼は尻から手を離すと、ボトルの中身を指先に塗り広げる。ぬめりを帯びた指は谷間を割り開き、隠れていた窄まりを探り当てた。
「う、あ゛ッ……!」
「力抜いててね」
「でき、な……、ひッ」
指先が肉輪を割り開くと、内部を探るように挿し込まれる。ぬるぬるとした液体を纏っているからか、ずるりと滑る感覚が生々しい。
身体の内側から、太い指で押し上げられる。
「……ぁ、ふ。…………う、わ……」
内部を拡げ、何処かを探っているのは分かっていた。だが、何を探っているのか分からない。
そんな俺に、指先がその場所に辿り着いたことを、快楽を伴って知らされる。
「ひ──! ……ァ。そこ、何……っ!?」
「気持ちいいとこ」
探り当てた場所を、指の腹で捏ねられる。身体の奥から湧き上がる痺れは、前を触るときのそれよりも長引く。
見知らぬ快楽に混乱し、突き入れられた指を締め付ける。けれど、それすらも悦く、身を苛んだ。
「力抜ける?」
「……ァ、ン。ん、が、……、ばる」
意気込みを伝えてみたものの、環に知られたその部分を触れられれば、反射的に身体が動いてしまう。
そうしているうち、指先が引き抜かれた。
「……も、いのか…………?」
「本当は、もうちょっと丁寧にしてあげたかったけどね。匂いで誘われ続けてるから、こっちも限界かな」
彼が手を重ねた自らの股間の部分は、服を押し上げるように隆起している。
つい視線を向けてしまい、唾を飲み込む。次に与えられるのは指先ではなく、あの膨らみそのものだ。
環は服に手を掛けると、躊躇いなく引き下ろす。
中から転がり出た肉塊は、何かを突き上げる形状へと変化し、凶悪にその身を火照らせていた。
彼はローションの入ったボトルを持ち上げると、中身を自らの雄へ垂らす。ぬらぬらと濡れ光った逸物は、更に存在を主張している。
「遊。項が見えるように四つん這いになって。お尻はこっちにね」
言われた通り四つん這いになると、項が見えるよう頭を下げる。背後から躙り寄る気配がして、膨らんだソレが太股に擦り付けられる。
押し上げる塊の感触で、指とはあまりにも質量が違うことを悟ってしまった。
「本当はゆっくりしてあげたいけど、余裕がなくてごめんね」
背中にキスが落とされ、指でほぐされたそこに熱が押し当てられる。ちゅ、ちゅ、と肉輪に亀頭が当たった。
ようやく狙いが定まったのが、ぐ、と力を掛けられる。両腕が俺の腰を掴み、背後へ引いた。
「う、ぁ────! あ、……ァ」
「これは凄いな……、ッ」
ぐぶ、と張り出した部分が一気に押し込まれる。圧迫感に息を詰め、シーツに爪を立てた。
身体は逃げを打つが、がっしりと腰を掴まれ、逃げ場はなかった。ゆっくりと含まされるのが尚更辛かった。
じわじわと知らない感触を長く与えられ、その度に腹を相手の肉棒が埋めていく。快楽と捉え、感じるほど質量が主張するのだ。
「い、ァ。も、……ナカ、おも、い……ァ、ひう」
「……っ、まだ入るから。我慢してね」
「ひ、ィ────!」
ずっ、ずっ、と小刻みに腰が打ち付けられ、腹の奥が揺れる。
指先で探り当てられた場所までその振動は響いて届き、俺は今日初めて知ったはずの快楽に酔い痴れていた。
口から漏れる声は言葉にならず、だらりと涎が口の端を伝う。
「そう。ココ、だっけ」
軽い響きとは裏腹に、突き上げは重かった。
「ぁ、ん。ア──! ぁあ、うあ。……ひ」
「当たっ、た……。悦い、みたいだね」
彼は何度かその場所を捏ねて苛めると、更に奥へと歩を進めた。
指で届かない場所は、割り拓かれるたびに妙な刺激を伝えてくる。一体どこまで届いてしまうのか、それが恐ろしくて仕方なかった。
支えていた腕はとうに崩れ、肩で上半身を支えている。持ち上がった唇は、濡れて光っていた。
「ちから、抜ける?」
「ァ…………。な、に?」
問い返しつつも、腹の力を抜くように努める。すると、奥に在る塊が、こつん、こつん、とその場所を小突いた。
扉をノックするような、何かを割り開こうとする動きに、本能的な恐怖が絡み付く。それでも、俺は唾を飲み込んで、彼に言われた通りに動いた。
「いけそう」
「な──? あ、……え?」
先端が、ようやく割れ目を捉えた。肉の塊をその場所へと滑り込ませ、質量で割り開く。
ずっぷりと、その場所に重たい肉が埋まった。どくん、と胸が妙な脈打ち方をする。
許してはいけない場所を、ゆるしてしまった。
「あァ……っ、うあ。……ヒ、……ぬ、ぬい」
「ふふ、抜いたらね。……きっと、もっとヒドいよ」
埋まった屹立が小刻みに揺らされる。突き入るわけではない僅かな動きさえ、理性を削り取った。
雄を、アルファを受け入れなければ知らない感覚は、あまりにも強烈だ。別の価値観を埋め込まれるようで、怖いのに、逃れたくない。
ずっと、このアルファに杭打たれていたい。
「うァ、あ。……い゛、ア……っ! これ、こわい……」
振り返って懇願すると、ご機嫌そうに笑う綺麗なアルファの顔と視線が合う。その時、願いは聞き届けられないと悟った。
「じゃあ、早めに終わらせようね」
「そう、じゃな……っ! ────! い、……ァ、そこ。ぁ、だめ……!」
相手の膨らみは割り入った領地を確保したまま、少しずつ大きな揺れを与え始める。頭の中が本能で塗り潰され、濁った声を上げながら腰を上げた。
大きく腰を引かれると、相手の亀頭に吸い付いた媚肉ごと持っていかれる。そうやって離れたと思えば、また戯れのように、ずしん、と腰を打ち付けられる。
「あ、……あ゛ッ! イっ……、ひぐ、ぁ、うあ、あ、あ」
「……気持ち、いいよ、遊。こんなに濃く交わったら、きっと……番に、なれるね」
ぐぐ、と相手の身体が傾ぎ、体重が掛けられる。
相手の指が、俺の髪を払った。項が露わになる。動きを追おうとした視界の端で、牙が煌めいたのが見えた。
「あッ、あ──! …………ァ、あ。ヒッ、ぁああああぁぁあぁッ!」
ぐぐ、と項に牙が埋められ、沈み込んでいく感触と共に、躰の中でアルファの熱情が迸る。
みっちりと雄が埋まるまで押し込まれた上での放出は、確実に実を結ばせようという執念すら感じるほどだった。ゆるく腰を揺らし、最後の一滴まで押し込める。
どっとその場に倒れ込むと、ようやく牙が離れた。相手の体が俺を押しつぶすようにのし掛かり、膨らみが嵌まった場所を刺激する。
「…………ッ。抜かない、の……か」
「んー。此処、居心地がいいからね」
彼が身を捩るたびに、腹の奥が捏ねられる。びくん、びくん、と反応する躰は、彼の半身に支配されていた。
相手の身体の下で、すんすんと啜り泣く。番になったのだから逃がしてくれ、という訴えは、発情期が終わるまで叶えられることはなかった。
「酷い朝だ……」
発情期明け、隣ですやすやとお眠りやがっている頭を軽く叩き、まだミシミシと関節が痛む身体を起こす。
皮膚を確認すると、汚れは洗い落とされているようだ。だが、自らの腹を擦ると、やはり内部に違和感がある。
アルファはみんな『ああ』なのだろうか。それとも、自分の番が偶然、絶倫だったのだろうか。
ベッドから起き上がり、落ちていた服を拾い上げて身に纏う。寝室を出てキッチンに向かい、空腹に導かれるように冷蔵庫を開け、牛乳をカップに注いだ。
慣れた手つきで中身を温め、椅子に腰掛けて両手でカップを握り込む。項は消毒され、傷テープが貼られているが、まだじんと痛みが残っていた。
「確かに、……環の匂いはわかるけど。他の匂い、薄くなったな」
これから俺は、別のアルファを誘うことはない。番だけの匂いしか届かない身体になった訳だ。
指も、手首も。表面上は何も変わらないが、細胞ごと作りかえられた感覚は悪いものではなかった。
一人で飲み物を楽しんでいると、途中で環も起床したようだ。足音が響き、食卓に一番近い扉が開く。
「おはよう」
「おはよ。絶倫」
「…………盛り上がった自覚はあるけど、俺、性に関しては淡泊なほうだと思うけどな」
「嘘だろ」
相手の反論を切り捨て、カップに口をつける。
環は頭を掻くと、自らも牛乳をカップに注いで温め始めた。
「体調は平気?」
「疲れてる」
「……それはごめん」
文句を言っていると、電子レンジから温め終わった旨が告げられる。彼はカップを持つと、俺の向かいに腰掛けた。
長いことベッドの中での会話ばかりだったからか、今の空気はまだ静かに思えた。
「────番になるって、こういう事なんだね」
「匂いの変化か?」
「そう。遊以外の雑な匂いが、まっさらになったみたいな」
彼の言葉に同意する。覗き込んだカップの中身は、何も混ざらず真っ白だった。
世界から薄布を剥ぎ取ったような。もしくは、俺と彼以外との間に薄布が張られたような感覚だ。これは、後者なのだろうか。
「嬉しいか?」
「嬉しいよ。遊と番になれたことも、君が、もう別のアルファの匂いに振り回されないこともね」
時おり覗かせるぞっとするような独占欲に、俺はこっそり身を震わせる。
彼は最終的に、匂いで番を選んだ。匂いはアルファとしての本能に直結する感覚だ。本能に一番近い部分が、俺を定めた。
「あんたこそ。俺に飽きないといいな」
「飽きないよ」
環はきっぱりと言い切ると、少し冷めた牛乳を口に含んだ。
彼にとっては、何かしらの確信をもって俺を選んだようだ。それならいいか、と息を吐く。
「────今日の、少し疲れた顔も素敵だね」
ただ俺の顔が好きだ、と言い張る番は、こちらを見て、心底幸せそうに笑っていた。
番を前提とした恋人関係、と思っていたのは俺だけで、環はさらりと実家を訪れ、兄たちや父母に挨拶を済ませた。
それから何度か家を訪れるうちに、最初は不機嫌だった兄達も歓迎ムードへと変化していく。気づいたときにはもう、家族の中では俺の番、というような位置づけになっていた。
環の両親への挨拶も、『遊びに来ない?』という軽い誘いを受けたところ、こちらは最初から歓迎ムードでもてなしを受けた。
アルファにしては番を定めようとしなかった環のことを、ご両親はそれなりに心配していたらしい。もし良ければ番に、と言われてしまえば、頷く他なかった。
更なる転機が訪れたのは、半同棲状態だった俺が『しばらく実家に帰る』と言い出した事からだ。
「え?」
「別にあんたに不満があるとかじゃなくて、来週から発情期なんだよ」
「何で言ってくれなかったの!?」
「言ったって、どうせ休み取れないだろ。普段でさえ忙しいのに」
「取れるよ! 待ってて」
有言実行、を地で行った環は、元社長……彼の親族を期間限定で社長業に戻すことで長期休みをもぎ取ってきた。
休みが決まったから一緒に過ごそう、と迫る環に、俺が逃げる術はどこにも残されていなかった。
用意していた発情期の休暇は、実家ではなく、環の家で一緒に過ごすことになった。
体調を心配する恋人は、黙っていても何もかも世話してくれる。本格的に発情期に入っていない、熱っぽいくらいの体調なのに、ソファで自堕落に過ごすことを勧められてしまう。
「なぁ、環。俺、手伝うことない?」
「食器も洗い終えたし、掃除も済んだよ。寝ていて」
ずっとこの調子だ。普段の休日よりのんびり過ごしていると、次第にむずむずとした感覚がせり上がってくる。
与えられた毛布を引き寄せ、匂いが漏れないようにする。だが、直ぐに環はこちらに気づいて近寄ってきた。
「そろそろ限界?」
「かも。匂いきつくないか?」
「まあね。さっきから理性ぐらぐらで、気分転換に家事してたし」
俺が立ち上がると、環が支えるように腰を抱く。
ゆっくりと廊下を歩いて寝室に向かい、整えられたベッドに腰掛けた。身体を洗ったばかりだというのに、パジャマの裾を鼻に当てると、匂いが既に染み付いている。
環が隣に腰掛けると、アルファの匂いが急に膨らんだ。
「なんか。急に匂いが強くなったんだけど」
「そりゃあ、抱きたくて仕方ないからね」
しれっと言う環は、唇を寄せてくる。目を閉じ、触れてくる感触を受け止めていると、ぬるりとしたものが唇を割った。
唾液と共に、アルファの匂いが混ざって飲み込まされる。舌を絡め、唾液を交換し、媚薬とも呼ぶべき液体を飲み干す。
「ん……ぁ、ふ。…………ンン」
のし掛かるように唇を押し付けてくる身体を受け止め、唇が離れた隙に急いで呼吸する。こくん、こくん、と相手の体液を身体に入れるたびに、腹の奥でぼっと灯るものがあった。
唇が完全に解放されると、深く息を吸い込む。
「…………熱い」
「服、脱がそうか?」
くすくす笑う様子に、むっと唇を尖らせる。
「自分で脱ぐ」
言い張ってボタンに手を掛けると、そっと掌が重なる。
やがて、役目を奪い取られ、長い指がボタンを外し始めた。自分の手は下ろし、されるがままに様子を見守る。
「なんか、恥ずかしいな。これ」
「今度は、遊が脱ぐとこ見せてね」
パジャマの上がシーツに落とされ、上半身が露わになる。
弛んでいる訳ではないが、美しいとはとても言えない、中肉中背の身体だ。
「綺麗だよ」
ちゅ、と頬に唇が押し当てられた。
つい、そんなことはない、と否定が口をついて出ようとする。けれど、視線を合わせた時の愛おしげな目は、真実だけを語っていた。
「あんたも脱げよ」
「いいよ」
今度は俺が、環の服に手を掛けた。もたもたとボタンを外していく様を、眼差しが追いかけてくる。
上の服を脱ぎ落とすと、線が入り、盛り上がった筋肉が見える。アルファは体格がいい者が多いにしても、しっかりと鍛えられた身体だった。
「いい体してるな」
「ありがとう。気を付けてるのは、仕事帰りのジムくらいのものだけどね」
ぺたぺたと身体に触れていると、相手の掌も俺の身体を触り返す。首筋に指が当てられると、ぴくん、と反射的に肩が跳ねた。
「首。軽く歯を当ててもいいかな?」
「い、……いけど。なんで」
「本番の時、どれくらいの力で牙を立てればいいか、柔らかさが知りたくて」
身体の向きを変え、側面から首筋が見えるよう傾ける。
環は顔を近づけると、首筋を舐めた。
「な……ッ! 牙を立てるんだろ」
「ちょっとくらい味見してもいいでしょう?」
そう言うと、首筋にキスをし、舌を這わせる。
敏感な場所を触れられる快楽に、ほんの一滴、本能的な恐怖が混ざる。唾液で濡れたその部分に、アルファは軽く牙を立てた。
戯れのようなものだったが、身体の中を何かが巡るような感覚がある。本気で牙を立てられたら、細胞ごと作りかえられてしまう気がした。
「力加減、分かったか?」
「うん。けど、思ったより噛み心地が良くて、本気で牙を立てるところだったよ」
「おい……。せっかく休みが取れたのに、番になるのは失敗、とか嫌だぞ」
「それは俺も嫌だなぁ」
全く深刻そうな様子はなく、環は俺の胸元に唇を触れさせる。キスした場所を指で追うと、すす、と左右の胸の中心に指先を這わせた。
「ちょ、……待て。おい」
「え。胸はだめ?」
「さ、触るものなのか?」
「触るものだよ」
きっぱりと言い切られ、勢いに負ける。長い指は薄い胸の肉を揉みしだくと、中央にある突起を弾いた。
快楽と呼ぶには薄いが、くすぐったさはある。
「遊。俺の肩に手を掛けてくれる?」
突然の要求に訝しむが、初心者故に指摘もできない。身長差の所為で座っているとやりづらく、膝立ちになって、彼の両肩に手を置いた。
すると、相手の腕が俺の腰に回った。ぐい、と引き寄せられ、相手の唇が胸の中心に触れる。心臓の上からキスをするような格好だ。
「な、にして……」
「遊の胸にもキスがしたくて」
「しなくていいっての……!」
腕の中で藻掻いていると、胸の先端に吸い付かれる。背を抱かれ、口の中で粒を転がされた。
ぬるりとした感触が纏わり付き、かと思えば吸い上げられてじんとした痺れが走る。
「……ぁ、うぁ。……ン、ふ……」
最後に軽く歯を当てると、彼は胸から顔を離す。
吸われた乳首は淫靡に色を変え、つんと立ち上がっていた。
「もう片方も、可愛がってあげないとね」
「も、い……。ふ、……っく」
同じくらい丁寧に両方の突起を可愛がり、彼は満足げに唇を舐めた。
普通は、こんなに乳首に吸い付かれるものなのだろうか。息を荒らげながら、彼の肩に寄りかかる。
大きな手のひらは胸から腹へ伝い下りると、腰を撫でた。快楽を得る場所ではない筈なのに、どこを触られても僅かに痺れるような感覚がある。
彼の手は、布越しの俺の股間へ触れる。
「下、脱がせていいかな」
「…………好きにしろよ」
両手が服の腰あたりを掴むと、下着ごと引き下ろす。足を上げて、と指示された通りに動くと、器用に服を抜き取られた。
いくら番候補とはいえ、裸を晒すのは初めてのことだ。かっと頬に血が上り、視線を合わせられない。
「そうだ。ローションも買っておいたんだよ」
「…………え、あ。準備がいいな」
彼に指示されたベッド脇の小机の一番上を開けると、確かにローションの入ったボトルがあった。
持ち上げて環に手渡すと、蓋を開け、中身を手に広げる。
「やっぱりほら。オメガの身体って繊細だし、遊が遊び慣れてるようには見えなかったしね」
「当たり前だろ」
「嫉妬する先が減って嬉しいよ」
粘り気のある液体を手に広げると、彼は俺の茂りを撫で下ろした。柔らかかった毛は濡れ、ぺったりと肌に貼り付く。
指が濡れた幕の下に潜り込むと、俺の半身を引き摺り出した。大きな掌が包み込み、一撫でする。
「かーわい」
「……ン。あ、……っァ。ヒぁ、……ンン、く」
乳でも絞り上げるように、円を描いた指が根元から先端へ行くにつれて輪を窄める。ぷっくりと膨らんだ先っぽは、指の腹で撫でられ、涙を零していた。
同じ造りの器官を知っているからか、的確に弱い処を追い詰められる。
「も……い。からァ……イ、……っく」
熱が漏れ出る前に、悪戯な指先は前から離れた。
じとりと責めるような視線を向けてしまうが、環は平然とそれを受け流した。
「どっちかっていえば、本番はこっちでしょう」
背後に伸びた掌に、尻の肉を鷲掴まれる。ついでとばかりに揉みしだき、環は柔らかい感触を楽しんでいた。
彼は尻から手を離すと、ボトルの中身を指先に塗り広げる。ぬめりを帯びた指は谷間を割り開き、隠れていた窄まりを探り当てた。
「う、あ゛ッ……!」
「力抜いててね」
「でき、な……、ひッ」
指先が肉輪を割り開くと、内部を探るように挿し込まれる。ぬるぬるとした液体を纏っているからか、ずるりと滑る感覚が生々しい。
身体の内側から、太い指で押し上げられる。
「……ぁ、ふ。…………う、わ……」
内部を拡げ、何処かを探っているのは分かっていた。だが、何を探っているのか分からない。
そんな俺に、指先がその場所に辿り着いたことを、快楽を伴って知らされる。
「ひ──! ……ァ。そこ、何……っ!?」
「気持ちいいとこ」
探り当てた場所を、指の腹で捏ねられる。身体の奥から湧き上がる痺れは、前を触るときのそれよりも長引く。
見知らぬ快楽に混乱し、突き入れられた指を締め付ける。けれど、それすらも悦く、身を苛んだ。
「力抜ける?」
「……ァ、ン。ん、が、……、ばる」
意気込みを伝えてみたものの、環に知られたその部分を触れられれば、反射的に身体が動いてしまう。
そうしているうち、指先が引き抜かれた。
「……も、いのか…………?」
「本当は、もうちょっと丁寧にしてあげたかったけどね。匂いで誘われ続けてるから、こっちも限界かな」
彼が手を重ねた自らの股間の部分は、服を押し上げるように隆起している。
つい視線を向けてしまい、唾を飲み込む。次に与えられるのは指先ではなく、あの膨らみそのものだ。
環は服に手を掛けると、躊躇いなく引き下ろす。
中から転がり出た肉塊は、何かを突き上げる形状へと変化し、凶悪にその身を火照らせていた。
彼はローションの入ったボトルを持ち上げると、中身を自らの雄へ垂らす。ぬらぬらと濡れ光った逸物は、更に存在を主張している。
「遊。項が見えるように四つん這いになって。お尻はこっちにね」
言われた通り四つん這いになると、項が見えるよう頭を下げる。背後から躙り寄る気配がして、膨らんだソレが太股に擦り付けられる。
押し上げる塊の感触で、指とはあまりにも質量が違うことを悟ってしまった。
「本当はゆっくりしてあげたいけど、余裕がなくてごめんね」
背中にキスが落とされ、指でほぐされたそこに熱が押し当てられる。ちゅ、ちゅ、と肉輪に亀頭が当たった。
ようやく狙いが定まったのが、ぐ、と力を掛けられる。両腕が俺の腰を掴み、背後へ引いた。
「う、ぁ────! あ、……ァ」
「これは凄いな……、ッ」
ぐぶ、と張り出した部分が一気に押し込まれる。圧迫感に息を詰め、シーツに爪を立てた。
身体は逃げを打つが、がっしりと腰を掴まれ、逃げ場はなかった。ゆっくりと含まされるのが尚更辛かった。
じわじわと知らない感触を長く与えられ、その度に腹を相手の肉棒が埋めていく。快楽と捉え、感じるほど質量が主張するのだ。
「い、ァ。も、……ナカ、おも、い……ァ、ひう」
「……っ、まだ入るから。我慢してね」
「ひ、ィ────!」
ずっ、ずっ、と小刻みに腰が打ち付けられ、腹の奥が揺れる。
指先で探り当てられた場所までその振動は響いて届き、俺は今日初めて知ったはずの快楽に酔い痴れていた。
口から漏れる声は言葉にならず、だらりと涎が口の端を伝う。
「そう。ココ、だっけ」
軽い響きとは裏腹に、突き上げは重かった。
「ぁ、ん。ア──! ぁあ、うあ。……ひ」
「当たっ、た……。悦い、みたいだね」
彼は何度かその場所を捏ねて苛めると、更に奥へと歩を進めた。
指で届かない場所は、割り拓かれるたびに妙な刺激を伝えてくる。一体どこまで届いてしまうのか、それが恐ろしくて仕方なかった。
支えていた腕はとうに崩れ、肩で上半身を支えている。持ち上がった唇は、濡れて光っていた。
「ちから、抜ける?」
「ァ…………。な、に?」
問い返しつつも、腹の力を抜くように努める。すると、奥に在る塊が、こつん、こつん、とその場所を小突いた。
扉をノックするような、何かを割り開こうとする動きに、本能的な恐怖が絡み付く。それでも、俺は唾を飲み込んで、彼に言われた通りに動いた。
「いけそう」
「な──? あ、……え?」
先端が、ようやく割れ目を捉えた。肉の塊をその場所へと滑り込ませ、質量で割り開く。
ずっぷりと、その場所に重たい肉が埋まった。どくん、と胸が妙な脈打ち方をする。
許してはいけない場所を、ゆるしてしまった。
「あァ……っ、うあ。……ヒ、……ぬ、ぬい」
「ふふ、抜いたらね。……きっと、もっとヒドいよ」
埋まった屹立が小刻みに揺らされる。突き入るわけではない僅かな動きさえ、理性を削り取った。
雄を、アルファを受け入れなければ知らない感覚は、あまりにも強烈だ。別の価値観を埋め込まれるようで、怖いのに、逃れたくない。
ずっと、このアルファに杭打たれていたい。
「うァ、あ。……い゛、ア……っ! これ、こわい……」
振り返って懇願すると、ご機嫌そうに笑う綺麗なアルファの顔と視線が合う。その時、願いは聞き届けられないと悟った。
「じゃあ、早めに終わらせようね」
「そう、じゃな……っ! ────! い、……ァ、そこ。ぁ、だめ……!」
相手の膨らみは割り入った領地を確保したまま、少しずつ大きな揺れを与え始める。頭の中が本能で塗り潰され、濁った声を上げながら腰を上げた。
大きく腰を引かれると、相手の亀頭に吸い付いた媚肉ごと持っていかれる。そうやって離れたと思えば、また戯れのように、ずしん、と腰を打ち付けられる。
「あ、……あ゛ッ! イっ……、ひぐ、ぁ、うあ、あ、あ」
「……気持ち、いいよ、遊。こんなに濃く交わったら、きっと……番に、なれるね」
ぐぐ、と相手の身体が傾ぎ、体重が掛けられる。
相手の指が、俺の髪を払った。項が露わになる。動きを追おうとした視界の端で、牙が煌めいたのが見えた。
「あッ、あ──! …………ァ、あ。ヒッ、ぁああああぁぁあぁッ!」
ぐぐ、と項に牙が埋められ、沈み込んでいく感触と共に、躰の中でアルファの熱情が迸る。
みっちりと雄が埋まるまで押し込まれた上での放出は、確実に実を結ばせようという執念すら感じるほどだった。ゆるく腰を揺らし、最後の一滴まで押し込める。
どっとその場に倒れ込むと、ようやく牙が離れた。相手の体が俺を押しつぶすようにのし掛かり、膨らみが嵌まった場所を刺激する。
「…………ッ。抜かない、の……か」
「んー。此処、居心地がいいからね」
彼が身を捩るたびに、腹の奥が捏ねられる。びくん、びくん、と反応する躰は、彼の半身に支配されていた。
相手の身体の下で、すんすんと啜り泣く。番になったのだから逃がしてくれ、という訴えは、発情期が終わるまで叶えられることはなかった。
「酷い朝だ……」
発情期明け、隣ですやすやとお眠りやがっている頭を軽く叩き、まだミシミシと関節が痛む身体を起こす。
皮膚を確認すると、汚れは洗い落とされているようだ。だが、自らの腹を擦ると、やはり内部に違和感がある。
アルファはみんな『ああ』なのだろうか。それとも、自分の番が偶然、絶倫だったのだろうか。
ベッドから起き上がり、落ちていた服を拾い上げて身に纏う。寝室を出てキッチンに向かい、空腹に導かれるように冷蔵庫を開け、牛乳をカップに注いだ。
慣れた手つきで中身を温め、椅子に腰掛けて両手でカップを握り込む。項は消毒され、傷テープが貼られているが、まだじんと痛みが残っていた。
「確かに、……環の匂いはわかるけど。他の匂い、薄くなったな」
これから俺は、別のアルファを誘うことはない。番だけの匂いしか届かない身体になった訳だ。
指も、手首も。表面上は何も変わらないが、細胞ごと作りかえられた感覚は悪いものではなかった。
一人で飲み物を楽しんでいると、途中で環も起床したようだ。足音が響き、食卓に一番近い扉が開く。
「おはよう」
「おはよ。絶倫」
「…………盛り上がった自覚はあるけど、俺、性に関しては淡泊なほうだと思うけどな」
「嘘だろ」
相手の反論を切り捨て、カップに口をつける。
環は頭を掻くと、自らも牛乳をカップに注いで温め始めた。
「体調は平気?」
「疲れてる」
「……それはごめん」
文句を言っていると、電子レンジから温め終わった旨が告げられる。彼はカップを持つと、俺の向かいに腰掛けた。
長いことベッドの中での会話ばかりだったからか、今の空気はまだ静かに思えた。
「────番になるって、こういう事なんだね」
「匂いの変化か?」
「そう。遊以外の雑な匂いが、まっさらになったみたいな」
彼の言葉に同意する。覗き込んだカップの中身は、何も混ざらず真っ白だった。
世界から薄布を剥ぎ取ったような。もしくは、俺と彼以外との間に薄布が張られたような感覚だ。これは、後者なのだろうか。
「嬉しいか?」
「嬉しいよ。遊と番になれたことも、君が、もう別のアルファの匂いに振り回されないこともね」
時おり覗かせるぞっとするような独占欲に、俺はこっそり身を震わせる。
彼は最終的に、匂いで番を選んだ。匂いはアルファとしての本能に直結する感覚だ。本能に一番近い部分が、俺を定めた。
「あんたこそ。俺に飽きないといいな」
「飽きないよ」
環はきっぱりと言い切ると、少し冷めた牛乳を口に含んだ。
彼にとっては、何かしらの確信をもって俺を選んだようだ。それならいいか、と息を吐く。
「────今日の、少し疲れた顔も素敵だね」
ただ俺の顔が好きだ、と言い張る番は、こちらを見て、心底幸せそうに笑っていた。
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