命のたまご

いすみ 静江

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第五章 大学のしこり〔平成〕

19 十九の沈黙

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  1 沈黙

 カタンカタン……。
 コトンコトン……。

 私は、私鉄の終電に揺られていた。
 車内は空いている。
 好きな隅の席に腰掛けて、重いピンクのリュックを抱えた。
 そして、羽理科大学へ来る迄の軌跡を辿る旅に出ていた。

 一つ目の大学、紫藤美大の時は、木工や金工や陶芸等の工芸とデザインを学ぶ学科にいた。
 上手いか下手かと言えば、残念な実力しかなかったと今尚思う。
 美大の付属中学、高校と好成績は実技では出せなかった。
 しかし、短期大学を選んだのではなくて、この学科に来たかったと中学一年生の時に紫藤美展を見て、思ったのだった。
 曲ぐる事なく、志望の学科に入れたのだから、悪くはなかったろう。
 先生も、専門では四大に負けないと仰っていた。
 私は、デザインを二年生で専攻した。
 その中でもプロダクトデザインだ。
 そして、資料をかき集めて、卒業制作には、自助具のデザインをした。
 どんなにがんばっても、得られないものがあった。
 評価だ。
 姿を見ない教授と言う方から、『そんなものは高齢者も障がい者も使いたがらない』と、テーマを否定された。
 成績はオールAでも、卒業制作の評価が低かった。
 どこを直せば良かったのか、教えて欲しかった。
 決して遊んでいた訳ではないのに。
 
 部活でも学校は休みたくなかったし、教諭免許の教育実習でさえ、大学を休む事を恐れた。

 紫藤美大の部活は、一年間だけクラシックギター部にいた。
 よく楽器に背負われていると言われたが、それなりに参加した。
 でも、部活の友達はできたけれども、何かが難しかった。
 他の大学と合同でギターの練習をしたりもしたのも楽しめればよかったのに、人を意識してしまって、上手く行かなかった。
 決して相手の大学生から粗末に扱われた訳ではなかったが。

 思い返してみれば、楽器が好きだったのかも知れない。
 小学一年生からバイオリンを始めた。
 理由は、私の手が小さいと将来ピアノで躓くからと言うのと、ピアノが買えないからと言うのだった。
 葵からは、散々同じ話をされたので、親の方針としては、あながち嘘ではないだろう。
 小学校六年の後半になり、いじめが激しくなった頃、越境入学が許されていなかった当時、進学先となる葛飾区立梅ノ木中学校の校内暴力も盛んで、私立中学へ行くしか逃れる道がなかった。
 それで、進学塾へ通い、何とか志望校へ合格した。
 善生の恐ろしい言動を思い出す。

 ガシッ!
 
「受かりやがって! 受かりやがって!」

 グッガッツグッガッツ……!

 そう怒鳴りながら、私を突き飛ばし、地下足袋の足で頭を踏みつけた。
 信じられなさに、あーも、うーも、言葉が出なかった。
 私は、DVディーブイを受ける時には、『沈黙』をする。
 他に考えられないからだろう。

 そして、紫藤美中学三年の時に、器楽部に入って、又、バイオリンを弾いた。
 その翌年、高校一年生では声楽部にいた。
 顧問の音楽の先生が同じなので、色々あっても、いい想い出がある。
 音楽は、好きだ。

 羽理科大の部活は、やはりバイオリンを弾きたくて、管弦学部に入った。
 しかし、失敗だった。
 人間関係が、泥沼化しており、楽器のある部室にもヘビースモーカーがいた。
 ラブホテラーだと名簿に書く恥知らずもおり、私としては、耐えられなかった。
 一年の時は、前期だけ管弦学部にいたが、夏休みには、鬼の羽大愛の農場実習で、酷い集団をつかまされたと思い、後期から退学しようと考えていた。

「あ、乗り換えしないと」
 
 好きな人がいるせいか、今の羽理科大とは、部活の相性がいい。
 音楽ではないけれども、好きな絵も描けそうだし、これから楽しみにしよう。

 絹矢先輩に会えるから。

 やっと、学校と相性がいい方向に行ったと思った。
 部活も。

  2 十九

 次に乗ったのは、地下鉄線だ。

 ゴゴー。
 ゴー。

 よくおぞましい痴漢に面食らったが、それがなければ、いい乗り物だ。
 満員電車でも、知らない人に押し入れて貰える。
 始発から乗れるので、この時間なら、座って帰れる。
 一度、操車場まで行った愚かな経験があるが。

 私が、十九歳の頃、短大を卒業して、浪人が決まった。
 まだ、ハッピーマンデーが導入される以前の話で、一月十五日に成人式が行われた。
 笑子伯母さんの四姉妹が、誰も袖を通さなかった黄色い菊の刺繍のある振袖をいただいた。
 着付けはできないので、近くの美容院に頼んだら、夜中の二時なら大丈夫と言ってくれた。
 着付け、ヘアスタイル、メイクの後で、様々な事をするのだが、結局、早い時間で助かったと思った。
 慌てなくていい。
 ガールスカウトで知り合いのリーダーが写真館を開いており、そこで、その日に写真を撮っていただいた。
 赤いベルベットの椅子に腰掛け、黄色い菊の袖を垂らした。

「真珠の指輪をさせれば良かった」

 葵は撮り終わってから思い付いた。
 しかし、何かぎとぎとするので、指輪の類はなくて正解だったと今は思う。
 見栄を張っても仕方がない。

 その後、その年だけ狭い会場となった、区のホールで、講演を聞いた。
 講演は、日本通の外国出身テレビ関係者だった。
 後に、テレビコメンテーターとして気に入った方だと思うのだから、世の中面白いものだ。

 地元中学に行かなかったせいか、知った顔などいないと思ったが、同じく私立中学を受験した男子にひょいと挨拶をされた。
 男の子と言う事もあって、それ程、関わりがなかったが、模擬試験に一緒に行ったりしたものだ。
 他の新成人は、どうも頭がよろしくなく見えた。

 成人式の何が大変かって、着物に着られてしまっている他、足袋が小柄だからと小さ過ぎるので、履物に食い込んで足が痛いのなんの。
 ちょこちょこと歩んでいた。

 二十二歳の櫻を乗せた地下鉄の唸り声が、すっと明るくなった。
 地上へ出たのだ。
 今度は、JRに少しだけ乗る。

 一つだけ、ゆったりとした笑顔を夜空に思い描いた。

 母方の優一お祖父さんが、私のお祝いに、庭で鯛を焼いてくれていた。
 それは、区の成人式から帰宅後に知った。

 お祖父さん、どうしていますか……?

 十九歳の私は、それから体調を崩していた。
 亀有の内科医に、この病は、ここでは治らないから、紹介状を持ってこの病院へ行ってくださいと言われた。

 葵は、遠いから面倒臭い。
 お前は、病気になる訳がない。
 だから行かない。

 見事な論法で、病院行きの機会とお金をむしり取った。
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