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第二章 出生の運命〔昭和〕
04 金の卵
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1 金の卵
――一九六九年、八月。
「やあ、美濃部葵さん! みっちゃんじゃないか」
栃木で行われた栃正中学校の同級会で、夢咲善生が、酔っぱらいながら、両手を挙げて近寄って来た。
夢咲善生と美濃部葵は、共に一九四四年生まれで、栃木県にあるこの中学校からの幼馴染みである。
「えっと。夢咲……、善生君? 変わらないですね」
葵は、小柄で百四十センチもない。
まだ、若かったので、痩せており、真っ直ぐな黒髪を肩下に流し、可愛い顔をしていた。
葵が、誰かしらと頭を巡らせて言い当てられた。
人の名前と顔を覚えるのが苦手なので、胸を撫で下ろした。
善生も小柄で、ふざけたりして、身長は決して教えたりしなかった。
それもあって、中学の頃、十年も前の記憶を引き出せたのかも知れない。
いや、申年で、猿の様な顔をしていたのもあるだろう。
「美濃部さんも相変わらずですね。いやあ、何と言うか、中学を出て直ぐに就職したワタシなんかと違いますよ」
褒めたつもりか、善生は無駄にお喋りだった。
「どうですか?」
呑兵衛の善生は、葵にお酒を勧めた。
「ジュースがいいかしら。残念ですけれど、アタシ、下戸なんです。中学の時は分からなかったわよね」
本当に飲めない葵は、丁重に断った。
善生は、十五の春から、「金の卵」と呼ばれる時代に上京して、真岡の父親から「赤紙」と兄弟で言う手紙が来ると、親父には逆らえないから、遣り繰りして実家に仕送りをしていた。
「最初は、東京で電気店の丁稚奉公から始めたんですよ。今は、兄貴らと肉体労働です。性分ですかね」
善生は九人兄弟の五男であったから、真岡の父親が子供達に話していた。
「姉一人、男ばかりの兄弟だ。男ばかりして、何か一つの仕事をしなさい」
そう言っていたので、兄の基成と一緒に建築会社を興した。
肉体労働である。
「いえ、アタシは、美濃部の兄達のお世話になりながらやっと学費をこさえて、高校を卒業したのですよ。十八になってから仕事を覚えました。夢咲さんとは大違いの世間知らずですよ」
恥ずかしそうな、葵。
葵の兄達は、皆、優しかった。
「葵ちゃん、頭が良いんだ。俺達が仕送りをがんばるから、高校を出なさい。葵ちゃんは、がんばって勉強するんだぞ」
そう言って、送り出してくれたのである。
葵は、がんばって、県で一番の真《まこと》女子高等学校に入学し、山を二つも超えて、自転車で通学していた。
兄達の希望通り、一等の成績で卒業できた。
高校に行った分、周囲より一足遅く上京した。
それが、善生に対して恥ずかしい気持ちを抱かせていた。
でも、勉強して、電話交換手になり、がんばっていた。
お互いに、決してがんばらなかった生き方はしていなかった。
何に負い目を感じようか……。
2 規格外のアタシ
宴も酣になった頃、善生が切り出した。
「あのですね、さっきから気になっていたのですが……」
残りのビールを飲み干して、テーブルにことんと置く。
真摯な眼差しが向けられる。
「な、何でしょう?」
葵は、アプローチを掛けられているとは思わなかった。
「美濃部さん、一段とお美しくなりましたね」
にへっと笑うので、素敵な事を言われているのに、複雑な心境になった。
「お美しくだなんて、そんな事ありませんよ。垢抜けていませんよ」
葵は心底びっくりした。
アタシは規格外に小柄なのに。
縁遠い言葉だと思った。
「美濃部さん、ワタシは、洋画が好きなのですよ。今度、お付き合い願えないですかね?」
相当へろへろして酔っていたのが見苦しかったが、気持ちはしっかりしていた。
「え? 洋画ですか……?」
趣味ではないので、葵は、眉間に皺を寄せたいのを我慢した。
「偶には良いと思いますよ。ワタシも見たいのでね。でも、一人だと詰まらないのですよ。映画館を出た後、話とかできたら楽しいじゃないですか」
にやついているのは、印象が良くないと思った。
「そ、そうですか? 余り映画には詳しくないので……」
明らかに引いていた。
「良いじゃないですか」
しつこい酔っぱらいは嫌だと思った。
「……そうですね。考えさせてください」
軽く、頭を下げた。
善生は、決してハンサムでもなかったし、品格がある訳でもなかった。
そんな話をしていて、ふっと物思いに耽った。
先頃の事である。
ちくりと刺さる胸の痛みを思い出した。
「美濃部さん、今夜は楽しかったよ」
日暮里吾朗さんの自宅で夕飯をこさえて、洗い物をしていた。
「そう仰っていただけて、良かったわ」
「美濃部さん、貴女の背が人並みにあれば良かったのにね」
その男は、東北でも一番の東大学出らしい。
しかし、インテリジェンスも思い遣りの欠片もない一言だった。
その言葉に葵はショックを受け、馬鹿にされてまでお付き合いするなんてごめんだと思ったのであった。
最後の茶碗を手に取った時、かたんと置いた。
ついぞその茶碗は洗われる事はなかった。
葵は、見事な失恋をした。
はっと我に返ると善生の目の前であった。
「……あの。アタシ、小柄でしょう。小柄の中の小柄。病気ではないのですよ」
「愛らしいと思いますが?」
善生はそっと見つめた。
葵は、心の中で、何とも苦い涙を流した。
「いえ、ごめんなさい。……東京で。東京でお会いしましょう」
葵の精一杯の背伸びであった。
「……喜んで!」
――一九六九年、八月。
「やあ、美濃部葵さん! みっちゃんじゃないか」
栃木で行われた栃正中学校の同級会で、夢咲善生が、酔っぱらいながら、両手を挙げて近寄って来た。
夢咲善生と美濃部葵は、共に一九四四年生まれで、栃木県にあるこの中学校からの幼馴染みである。
「えっと。夢咲……、善生君? 変わらないですね」
葵は、小柄で百四十センチもない。
まだ、若かったので、痩せており、真っ直ぐな黒髪を肩下に流し、可愛い顔をしていた。
葵が、誰かしらと頭を巡らせて言い当てられた。
人の名前と顔を覚えるのが苦手なので、胸を撫で下ろした。
善生も小柄で、ふざけたりして、身長は決して教えたりしなかった。
それもあって、中学の頃、十年も前の記憶を引き出せたのかも知れない。
いや、申年で、猿の様な顔をしていたのもあるだろう。
「美濃部さんも相変わらずですね。いやあ、何と言うか、中学を出て直ぐに就職したワタシなんかと違いますよ」
褒めたつもりか、善生は無駄にお喋りだった。
「どうですか?」
呑兵衛の善生は、葵にお酒を勧めた。
「ジュースがいいかしら。残念ですけれど、アタシ、下戸なんです。中学の時は分からなかったわよね」
本当に飲めない葵は、丁重に断った。
善生は、十五の春から、「金の卵」と呼ばれる時代に上京して、真岡の父親から「赤紙」と兄弟で言う手紙が来ると、親父には逆らえないから、遣り繰りして実家に仕送りをしていた。
「最初は、東京で電気店の丁稚奉公から始めたんですよ。今は、兄貴らと肉体労働です。性分ですかね」
善生は九人兄弟の五男であったから、真岡の父親が子供達に話していた。
「姉一人、男ばかりの兄弟だ。男ばかりして、何か一つの仕事をしなさい」
そう言っていたので、兄の基成と一緒に建築会社を興した。
肉体労働である。
「いえ、アタシは、美濃部の兄達のお世話になりながらやっと学費をこさえて、高校を卒業したのですよ。十八になってから仕事を覚えました。夢咲さんとは大違いの世間知らずですよ」
恥ずかしそうな、葵。
葵の兄達は、皆、優しかった。
「葵ちゃん、頭が良いんだ。俺達が仕送りをがんばるから、高校を出なさい。葵ちゃんは、がんばって勉強するんだぞ」
そう言って、送り出してくれたのである。
葵は、がんばって、県で一番の真《まこと》女子高等学校に入学し、山を二つも超えて、自転車で通学していた。
兄達の希望通り、一等の成績で卒業できた。
高校に行った分、周囲より一足遅く上京した。
それが、善生に対して恥ずかしい気持ちを抱かせていた。
でも、勉強して、電話交換手になり、がんばっていた。
お互いに、決してがんばらなかった生き方はしていなかった。
何に負い目を感じようか……。
2 規格外のアタシ
宴も酣になった頃、善生が切り出した。
「あのですね、さっきから気になっていたのですが……」
残りのビールを飲み干して、テーブルにことんと置く。
真摯な眼差しが向けられる。
「な、何でしょう?」
葵は、アプローチを掛けられているとは思わなかった。
「美濃部さん、一段とお美しくなりましたね」
にへっと笑うので、素敵な事を言われているのに、複雑な心境になった。
「お美しくだなんて、そんな事ありませんよ。垢抜けていませんよ」
葵は心底びっくりした。
アタシは規格外に小柄なのに。
縁遠い言葉だと思った。
「美濃部さん、ワタシは、洋画が好きなのですよ。今度、お付き合い願えないですかね?」
相当へろへろして酔っていたのが見苦しかったが、気持ちはしっかりしていた。
「え? 洋画ですか……?」
趣味ではないので、葵は、眉間に皺を寄せたいのを我慢した。
「偶には良いと思いますよ。ワタシも見たいのでね。でも、一人だと詰まらないのですよ。映画館を出た後、話とかできたら楽しいじゃないですか」
にやついているのは、印象が良くないと思った。
「そ、そうですか? 余り映画には詳しくないので……」
明らかに引いていた。
「良いじゃないですか」
しつこい酔っぱらいは嫌だと思った。
「……そうですね。考えさせてください」
軽く、頭を下げた。
善生は、決してハンサムでもなかったし、品格がある訳でもなかった。
そんな話をしていて、ふっと物思いに耽った。
先頃の事である。
ちくりと刺さる胸の痛みを思い出した。
「美濃部さん、今夜は楽しかったよ」
日暮里吾朗さんの自宅で夕飯をこさえて、洗い物をしていた。
「そう仰っていただけて、良かったわ」
「美濃部さん、貴女の背が人並みにあれば良かったのにね」
その男は、東北でも一番の東大学出らしい。
しかし、インテリジェンスも思い遣りの欠片もない一言だった。
その言葉に葵はショックを受け、馬鹿にされてまでお付き合いするなんてごめんだと思ったのであった。
最後の茶碗を手に取った時、かたんと置いた。
ついぞその茶碗は洗われる事はなかった。
葵は、見事な失恋をした。
はっと我に返ると善生の目の前であった。
「……あの。アタシ、小柄でしょう。小柄の中の小柄。病気ではないのですよ」
「愛らしいと思いますが?」
善生はそっと見つめた。
葵は、心の中で、何とも苦い涙を流した。
「いえ、ごめんなさい。……東京で。東京でお会いしましょう」
葵の精一杯の背伸びであった。
「……喜んで!」
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