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「なんだか、修行僧みたいだな」
2限目が始まるまえの、ざわついた教室。
隣に座った秋斗が、トートバッグからレジュメを取り出しながら、そんな言葉を口にした。
「修行僧って…もしかしておれのこと?」
問いかけたおれを見て、秋斗は、あからさまにため息をつく。
「ほかにだれがいるんだよ。千年、週明けから葛西のこと避けまくってるだろ。神経とがらせて気配さぐって、目も合わせないようにするとか、なんの苦行だよ。こっちまで息苦しくなる」
「…ごめん」
フットサルの試合後、サトルさんのマンションで大泣きしてから4日が過ぎていた。
秋斗のいう通り、あれからおれは、麟太郎を徹底的に避けている。
同じ大学に通い、学部まで一緒となると、そうでもしないかぎり完全に距離を取ることはむづかしい。
気持ちを断ち切るためとはいえ、これまで以上に麟太郎の動向を気にするなんて皮肉以外のなにものでもないけれど、それがおれに思いつく精一杯の方法だった。
おれのただならない気配を察しているのか、麟太郎のほうから近づいてくるそぶりが一切ないのが、救いといえば救いなのかもしれない。
今日はまだ、一度も見かけてないな…。
この授業は麟太郎も履修している。いま来ていないとなると、ひょっとしたら今日は休みなのかもしれない。
具合でも悪いんだろうか。
めったに風邪もひかない麟太郎が体調を崩すなんて想像しづらいけれど、たまにはそういうことだってあるだろう。
大丈夫かな…。
心のすき間を縫うように心配が胸をよぎり、おれは軽く頭をふって、その感情にフタをした。
あいつのことは考えない。忘れるって決めたんだから。
「まえにも葛西を避けてるのには気づいてたけど、今回は、それとは次元が違うよな。なにか心境の変化でもあったのか?」
「まぁ…そんなとこ」
あいまいな応えを返したおれに、秋斗が、心持ち顔を寄せてくる。
「ちょっと事実確認したいんだけどさ」
「うん。なに?」
「千年は、葛西のことが好きなんだよな。つまり、そういう意味で」
小声で話す秋斗の言葉に、おれは黙ってうなずいた。
なんとなく察してくれていることは知っていたから、驚きはない。
ただ、サトルさん以外と改めてこんな話をするのは初めてで、なんとなく落ち着かない気持ちになる。
「千年がこの大学に入ったのも、葛西の影響?」
「それが…違うんだよな」
おれは首を横にふり、少し考えてから口をひらいた。
「麟のことは、卒業を機にすっぱりあきらめるつもりだったんだ。進路が別れて会わなくなれば、そのうち忘れられるだろうと思ってたから。でも、フタを開けたら、あいつもここを受験しててさ。いま思えば笑い話なんだけど…」
おれがその事実を知ったのは、合格発表の当日だった。
あのときの衝撃は忘れられない。
麟太郎がキープしていた偏差値なら、もっと上の大学を狙えたはずだし、実際、おれも含めた周囲のだれもが、教師のすすめる難関大学に願書を出したものと思いこんでいたのだ。
「つまり、葛西の方が千年を追ってきた形になるのか」
それを聞いて、おれは思わず笑ってしまった。
「追ってきたわけじゃないよ。興味のあるゼミがここにしかないんだって、麟がいってた」
「ふぅん。で、おまえはそれを真に受けたってわけか」
「…それ、どういう意味?」
「相手は口達者な葛西だぞ?その気になれば、理由なんていくらでも作れる」
「…アキは、麟がこの大学に入ったべつの理由があるっていいたいわけ?」
「うちの大学は、そこそこの知名度があるってだけで、カリキュラムも至って平凡だし、ランクを下げてまで入りたくなるほど魅力的な要素があるわけじゃない。T大やK大に入れる頭があったら、俺なら迷わずそっちを選ぶ」
優等生タイプの秋斗から、理路整然とそんなふうにいわれたら、ほんとうにそんな気がしてくるから不思議だ。
麟太郎の説明に疑問を抱いたことなんて、いままで一度もなかったのに。でも…。
「べつの理由って、なんだよ」
「そんなの俺が知るわけないだろ。少しでも気になるなら、本人に聞いてみれば?」
意味深に引っかき回したわりには、あっさり突き放す秋斗に、おれは、かすかないらだちをおぼえた。
「そういうの、もういいから。あいつの話は終わりにしよう」
「ほんとうに、終わりにできんのか?肝心なこと、まだ葛西にいえてないんだろ」
「世のなかには、いわない方がいいことだってある。友だちだと思ってたやつに告られて喜ぶノンケの男はいないんだよ。キモいって軽蔑されるだけならまだしも、麟はきっと、おれに裏切られたと思うはずだ」
「まぁ、いってることはわからないでもないよ」
秋斗がいった。
「おまえはやさしいやつだから、周りに気を使って本音をのみこみがちなのも知ってる。でも、葛西はおまえのそういうとこ、どう思ってるんだろうな」
「え…」
「いまの千年は、葛西のこと、あんまり信用してないように見える」
試すような秋斗の視線が、じりじりと肌を灼く。
返す言葉が見つからないまま固まっているうちに、先生が教室に入ってきた。
にぎやかに騒いでいた学生たちが、ガタガタと椅子を鳴らして席に着く。
だらけた空気が引き締まり、授業が始まってからも、麟太郎が姿を見せることはなかった。
三雲がおれのもとにやってきたのは、その昼休みのことだ。
「千年っち。麟から、なにか連絡なかったか?」
混雑した学食。日替わりランチをのせたトレーとともに、おれの正面に滑りこむなり、三雲がたずねる。
その顔を見て、おれは思わず息をのんだ。
「三雲…どうしたんだよ、それ」
よく日に焼けた頬骨のあたりに、真っ赤なアザが浮いていた。まだできたばかりらしく、直視するのもはばかられるような痛々しさだ。
隣でカレーを食べていた秋斗も、スプーンを宙で止め、あんぐりと口を開けて三雲を見ている。
「その話は後だ。それより麟だよ。あいつ、朝から大学来てねーんだ。電話は出ないし、メッセージ送っても既読すらつかない」
「まだ寝てるんじゃないのか?子どもじゃないんだから、そんなに騒がなくても」
至って冷静に、秋斗が取りなす。
「そうなんだけど、昨日のことがあるからさ」
と、三雲。
「昨日、なにかあったの?」
胸をざわつかせながらたずねたおれに、三雲は同じ質問を返してきた。
「おまえらこそ、なにがあったんだよ。千年っち、ここんとこ麟とケンカしてるだろ。先週まであんだけイチャコラしてたのに、週が明けた途端、目も合わせてねーもんな」
思わず、秋斗と顔を見合わせた。
事情を知っている秋斗をのぞけば、周囲はみな、いまだにおれと麟太郎が恋人同士だと思いこんでいる。
それに関しては、もちろんおれにも責任があるんだけど。
「やっぱり、日曜のアレのせいか?ミユちゃんから、相当きついこといわれたんだろ」
少し声を落として、三雲がいった。
「あのコ超絶かわいいけど、気が強かったもんなぁ。でも気にすんなって。もう絶対、千年っちには絡んでこないから」
「…彼女に、なにかしたの?」
麟太郎が女性を手荒く扱うなんてありえない。わかってはいるものの、こないだの剣幕を思うと、一抹の不安がよぎる。
「千年っちにはいうなって、麟から口止めされたんだけどさ…あいつ、みんなが見てるまえでミユちゃんに頭さげたんだよ。『俺になら、なにをしてもかまわない。でもタマを巻きこむのだけはやめてくれ』って。好きな男にそこまでされたら立つ瀬ないだろ。どんだけ未練タラタラでも、あきらめざるを得ないよな」
「麟が、そんなことを…?」
「だからさ、これで一件落着なわけ。いいかげん、麟のこと許してやってくんねぇかな。んで、とっとと仲直りしてくれ、頼むから、この通り」
両手を合わせた親指の間に箸を挟んで、三雲がおれを拝んだ。
いや、これは「いただきます」の合掌なのか?
メインのハンバーグに猛然と箸をつけはじめた三雲を眺めながら、とりあえず、彼の思いこみを否定してみる。
「許すもなにも、おれはべつに怒ってないよ」
「はぁ?じゃあ、おまえらなんでケンカしてんの」
「いや、ケンカとか、そういうことじゃなくて…」
「逆に聞くけど、三雲がそこまで千年と葛西の仲を気にする理由はなんなの」
やりとりを見かねた秋斗が、横から助け船を出してくれた。
「あいつ、ここんとこ様子がおかしいんだよ」
三雲は、かなり大きく切りわけたハンバーグを口のなかに放りこみ、さらに頰がふくらむほど白米をつめこむと、二、三度咀嚼しただけでごくりと飲みこむ。それから続けた。
「週明けからずっと、情緒不安定って感じ。話しかけてもどこかうわの空だし、練習に顔出しても全然身が入ってなくて、ありえない凡ミス連発するし。で、極めつけがコレ」
三雲は箸を止めずに、左手の人差し指で頰のアザを指した。
「昨日、S大の体育館で練習試合やったんだけどさ、向こうにひとり、タチの悪いやつがいたんだわ。そいつから何度かえげつないラフプレーくらってるうちに、とうとう麟のヤツ、ブチギレちまって。掴みかかったのを止めに入ったら、このざまってわけ」
かなりの修羅場だったろうに、三雲は豪快なペースでハンバーグと白米を腹におさめながら、淡々と話し続ける。
「あいつ、いったん暴れ出したら手がつけられなくてさ。5人がかりで押さえつけて、なんとかケガ人は出さずにすんだけど、向こうの大学からは出禁くらうわ、ウチのチームも当面は活動停止になるわで…。ま、すんだことはしょうがないから、それはべつにいいんだけど」
「なんか、ごめん。麟が迷惑かけて」
「いや、迷惑とかじゃなくて、心配なんだよ」
当然のように、三雲がいった。
「麟は冷静なやつだから、ふだんなら絶対、挑発に乗ったりしないんだ。らしくないことばっかで、マジ調子狂うわ。どう接していいかわかんねーってのが正直なとこ」
席に着いてから5分も経っていないのに、三雲の食器はほとんど空になっている。
おれは、まだ半分以上残っている自分のトレーに目を落とした。
たしかに、聞けば聞くほど麟太郎らしくない話だった。
週明けから様子がおかしいというなら、三雲の見立て通り、原因はおれにあるのかもしれない。
サトルさんを巻きこんで口論したことを気に病んでいるのか、それとも、おれがあからさまに避けているせいなのか…。
最後に残ったみそ汁を胃に流しこむようにして飲み切ると、三雲は、「ごちそうさん」と合掌してから言葉を継いだ。
「チームの連中も、麟を責める気なんてこれっぽっちもないんだけど、麟は麟でああいう性格だからさ。いま頃、必要以上に責任感じてんのかも。アパートまで行ってみようかとも思ったんだけど、俺が会いに行ったところで根本的な解決にはならないし。まずは千年っちが行ってやるのが一番なんだよ。けんかじゃないなら、なおさら話し合わねぇと。長年連れ添った夫婦の間も会話が大事っていうだろ?」
いろいろ引っかかるポイントはあるけれど、それをすべてチャラにして余りあるほど、おれにとっては不穏過ぎる話の流れに背中が冷える。
「ちょっと待って。まさか、おれにアパートまで行ってこいって話?」
「だから、そういってる」
あっさりうなずく三雲に、おれは、あわてて首を横にふった。
「ムリだよ。おれ、今日バイトあるし」
「終わってからでいいって」
「終わってからでもムリだから!」
「麟のこと、心配じゃねーの?そんなに薄情なやつだったのかよ、千年っち」
麟太郎のために平気で体を張る男にそこまでいわれたら、つい、ひるんでしまう。
「んじゃ、頼んだからな。何時になってもかまわないから、一応、報告くれよ。あいつの様子、俺も知りたいからさ」
勝手なことをいい置くと、三雲はおれの返事も待たずに席を立って行った。
「ご丁寧に逃げ道までふさいで行くとか、三雲もけっこうやり手だな」
感心したように、秋斗がつぶやく。
「アキは、だれの味方なんだよ」
思わず不満をもらしたおれに、秋斗は当然のように応えた。
「俺は平和主義者なの。周りの空気が荒れるのは我慢できないし、横にいるやつが笑わなくなるのはもっと気に食わない」
それから、なぜか楽しげなトーンでつけ足した。
「ま、腹くくって行ってこいよ。こそこそ逃げ回ってるより、そっちのほうが千年らしいと思うけどね、俺は」
2限目が始まるまえの、ざわついた教室。
隣に座った秋斗が、トートバッグからレジュメを取り出しながら、そんな言葉を口にした。
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「ほかにだれがいるんだよ。千年、週明けから葛西のこと避けまくってるだろ。神経とがらせて気配さぐって、目も合わせないようにするとか、なんの苦行だよ。こっちまで息苦しくなる」
「…ごめん」
フットサルの試合後、サトルさんのマンションで大泣きしてから4日が過ぎていた。
秋斗のいう通り、あれからおれは、麟太郎を徹底的に避けている。
同じ大学に通い、学部まで一緒となると、そうでもしないかぎり完全に距離を取ることはむづかしい。
気持ちを断ち切るためとはいえ、これまで以上に麟太郎の動向を気にするなんて皮肉以外のなにものでもないけれど、それがおれに思いつく精一杯の方法だった。
おれのただならない気配を察しているのか、麟太郎のほうから近づいてくるそぶりが一切ないのが、救いといえば救いなのかもしれない。
今日はまだ、一度も見かけてないな…。
この授業は麟太郎も履修している。いま来ていないとなると、ひょっとしたら今日は休みなのかもしれない。
具合でも悪いんだろうか。
めったに風邪もひかない麟太郎が体調を崩すなんて想像しづらいけれど、たまにはそういうことだってあるだろう。
大丈夫かな…。
心のすき間を縫うように心配が胸をよぎり、おれは軽く頭をふって、その感情にフタをした。
あいつのことは考えない。忘れるって決めたんだから。
「まえにも葛西を避けてるのには気づいてたけど、今回は、それとは次元が違うよな。なにか心境の変化でもあったのか?」
「まぁ…そんなとこ」
あいまいな応えを返したおれに、秋斗が、心持ち顔を寄せてくる。
「ちょっと事実確認したいんだけどさ」
「うん。なに?」
「千年は、葛西のことが好きなんだよな。つまり、そういう意味で」
小声で話す秋斗の言葉に、おれは黙ってうなずいた。
なんとなく察してくれていることは知っていたから、驚きはない。
ただ、サトルさん以外と改めてこんな話をするのは初めてで、なんとなく落ち着かない気持ちになる。
「千年がこの大学に入ったのも、葛西の影響?」
「それが…違うんだよな」
おれは首を横にふり、少し考えてから口をひらいた。
「麟のことは、卒業を機にすっぱりあきらめるつもりだったんだ。進路が別れて会わなくなれば、そのうち忘れられるだろうと思ってたから。でも、フタを開けたら、あいつもここを受験しててさ。いま思えば笑い話なんだけど…」
おれがその事実を知ったのは、合格発表の当日だった。
あのときの衝撃は忘れられない。
麟太郎がキープしていた偏差値なら、もっと上の大学を狙えたはずだし、実際、おれも含めた周囲のだれもが、教師のすすめる難関大学に願書を出したものと思いこんでいたのだ。
「つまり、葛西の方が千年を追ってきた形になるのか」
それを聞いて、おれは思わず笑ってしまった。
「追ってきたわけじゃないよ。興味のあるゼミがここにしかないんだって、麟がいってた」
「ふぅん。で、おまえはそれを真に受けたってわけか」
「…それ、どういう意味?」
「相手は口達者な葛西だぞ?その気になれば、理由なんていくらでも作れる」
「…アキは、麟がこの大学に入ったべつの理由があるっていいたいわけ?」
「うちの大学は、そこそこの知名度があるってだけで、カリキュラムも至って平凡だし、ランクを下げてまで入りたくなるほど魅力的な要素があるわけじゃない。T大やK大に入れる頭があったら、俺なら迷わずそっちを選ぶ」
優等生タイプの秋斗から、理路整然とそんなふうにいわれたら、ほんとうにそんな気がしてくるから不思議だ。
麟太郎の説明に疑問を抱いたことなんて、いままで一度もなかったのに。でも…。
「べつの理由って、なんだよ」
「そんなの俺が知るわけないだろ。少しでも気になるなら、本人に聞いてみれば?」
意味深に引っかき回したわりには、あっさり突き放す秋斗に、おれは、かすかないらだちをおぼえた。
「そういうの、もういいから。あいつの話は終わりにしよう」
「ほんとうに、終わりにできんのか?肝心なこと、まだ葛西にいえてないんだろ」
「世のなかには、いわない方がいいことだってある。友だちだと思ってたやつに告られて喜ぶノンケの男はいないんだよ。キモいって軽蔑されるだけならまだしも、麟はきっと、おれに裏切られたと思うはずだ」
「まぁ、いってることはわからないでもないよ」
秋斗がいった。
「おまえはやさしいやつだから、周りに気を使って本音をのみこみがちなのも知ってる。でも、葛西はおまえのそういうとこ、どう思ってるんだろうな」
「え…」
「いまの千年は、葛西のこと、あんまり信用してないように見える」
試すような秋斗の視線が、じりじりと肌を灼く。
返す言葉が見つからないまま固まっているうちに、先生が教室に入ってきた。
にぎやかに騒いでいた学生たちが、ガタガタと椅子を鳴らして席に着く。
だらけた空気が引き締まり、授業が始まってからも、麟太郎が姿を見せることはなかった。
三雲がおれのもとにやってきたのは、その昼休みのことだ。
「千年っち。麟から、なにか連絡なかったか?」
混雑した学食。日替わりランチをのせたトレーとともに、おれの正面に滑りこむなり、三雲がたずねる。
その顔を見て、おれは思わず息をのんだ。
「三雲…どうしたんだよ、それ」
よく日に焼けた頬骨のあたりに、真っ赤なアザが浮いていた。まだできたばかりらしく、直視するのもはばかられるような痛々しさだ。
隣でカレーを食べていた秋斗も、スプーンを宙で止め、あんぐりと口を開けて三雲を見ている。
「その話は後だ。それより麟だよ。あいつ、朝から大学来てねーんだ。電話は出ないし、メッセージ送っても既読すらつかない」
「まだ寝てるんじゃないのか?子どもじゃないんだから、そんなに騒がなくても」
至って冷静に、秋斗が取りなす。
「そうなんだけど、昨日のことがあるからさ」
と、三雲。
「昨日、なにかあったの?」
胸をざわつかせながらたずねたおれに、三雲は同じ質問を返してきた。
「おまえらこそ、なにがあったんだよ。千年っち、ここんとこ麟とケンカしてるだろ。先週まであんだけイチャコラしてたのに、週が明けた途端、目も合わせてねーもんな」
思わず、秋斗と顔を見合わせた。
事情を知っている秋斗をのぞけば、周囲はみな、いまだにおれと麟太郎が恋人同士だと思いこんでいる。
それに関しては、もちろんおれにも責任があるんだけど。
「やっぱり、日曜のアレのせいか?ミユちゃんから、相当きついこといわれたんだろ」
少し声を落として、三雲がいった。
「あのコ超絶かわいいけど、気が強かったもんなぁ。でも気にすんなって。もう絶対、千年っちには絡んでこないから」
「…彼女に、なにかしたの?」
麟太郎が女性を手荒く扱うなんてありえない。わかってはいるものの、こないだの剣幕を思うと、一抹の不安がよぎる。
「千年っちにはいうなって、麟から口止めされたんだけどさ…あいつ、みんなが見てるまえでミユちゃんに頭さげたんだよ。『俺になら、なにをしてもかまわない。でもタマを巻きこむのだけはやめてくれ』って。好きな男にそこまでされたら立つ瀬ないだろ。どんだけ未練タラタラでも、あきらめざるを得ないよな」
「麟が、そんなことを…?」
「だからさ、これで一件落着なわけ。いいかげん、麟のこと許してやってくんねぇかな。んで、とっとと仲直りしてくれ、頼むから、この通り」
両手を合わせた親指の間に箸を挟んで、三雲がおれを拝んだ。
いや、これは「いただきます」の合掌なのか?
メインのハンバーグに猛然と箸をつけはじめた三雲を眺めながら、とりあえず、彼の思いこみを否定してみる。
「許すもなにも、おれはべつに怒ってないよ」
「はぁ?じゃあ、おまえらなんでケンカしてんの」
「いや、ケンカとか、そういうことじゃなくて…」
「逆に聞くけど、三雲がそこまで千年と葛西の仲を気にする理由はなんなの」
やりとりを見かねた秋斗が、横から助け船を出してくれた。
「あいつ、ここんとこ様子がおかしいんだよ」
三雲は、かなり大きく切りわけたハンバーグを口のなかに放りこみ、さらに頰がふくらむほど白米をつめこむと、二、三度咀嚼しただけでごくりと飲みこむ。それから続けた。
「週明けからずっと、情緒不安定って感じ。話しかけてもどこかうわの空だし、練習に顔出しても全然身が入ってなくて、ありえない凡ミス連発するし。で、極めつけがコレ」
三雲は箸を止めずに、左手の人差し指で頰のアザを指した。
「昨日、S大の体育館で練習試合やったんだけどさ、向こうにひとり、タチの悪いやつがいたんだわ。そいつから何度かえげつないラフプレーくらってるうちに、とうとう麟のヤツ、ブチギレちまって。掴みかかったのを止めに入ったら、このざまってわけ」
かなりの修羅場だったろうに、三雲は豪快なペースでハンバーグと白米を腹におさめながら、淡々と話し続ける。
「あいつ、いったん暴れ出したら手がつけられなくてさ。5人がかりで押さえつけて、なんとかケガ人は出さずにすんだけど、向こうの大学からは出禁くらうわ、ウチのチームも当面は活動停止になるわで…。ま、すんだことはしょうがないから、それはべつにいいんだけど」
「なんか、ごめん。麟が迷惑かけて」
「いや、迷惑とかじゃなくて、心配なんだよ」
当然のように、三雲がいった。
「麟は冷静なやつだから、ふだんなら絶対、挑発に乗ったりしないんだ。らしくないことばっかで、マジ調子狂うわ。どう接していいかわかんねーってのが正直なとこ」
席に着いてから5分も経っていないのに、三雲の食器はほとんど空になっている。
おれは、まだ半分以上残っている自分のトレーに目を落とした。
たしかに、聞けば聞くほど麟太郎らしくない話だった。
週明けから様子がおかしいというなら、三雲の見立て通り、原因はおれにあるのかもしれない。
サトルさんを巻きこんで口論したことを気に病んでいるのか、それとも、おれがあからさまに避けているせいなのか…。
最後に残ったみそ汁を胃に流しこむようにして飲み切ると、三雲は、「ごちそうさん」と合掌してから言葉を継いだ。
「チームの連中も、麟を責める気なんてこれっぽっちもないんだけど、麟は麟でああいう性格だからさ。いま頃、必要以上に責任感じてんのかも。アパートまで行ってみようかとも思ったんだけど、俺が会いに行ったところで根本的な解決にはならないし。まずは千年っちが行ってやるのが一番なんだよ。けんかじゃないなら、なおさら話し合わねぇと。長年連れ添った夫婦の間も会話が大事っていうだろ?」
いろいろ引っかかるポイントはあるけれど、それをすべてチャラにして余りあるほど、おれにとっては不穏過ぎる話の流れに背中が冷える。
「ちょっと待って。まさか、おれにアパートまで行ってこいって話?」
「だから、そういってる」
あっさりうなずく三雲に、おれは、あわてて首を横にふった。
「ムリだよ。おれ、今日バイトあるし」
「終わってからでいいって」
「終わってからでもムリだから!」
「麟のこと、心配じゃねーの?そんなに薄情なやつだったのかよ、千年っち」
麟太郎のために平気で体を張る男にそこまでいわれたら、つい、ひるんでしまう。
「んじゃ、頼んだからな。何時になってもかまわないから、一応、報告くれよ。あいつの様子、俺も知りたいからさ」
勝手なことをいい置くと、三雲はおれの返事も待たずに席を立って行った。
「ご丁寧に逃げ道までふさいで行くとか、三雲もけっこうやり手だな」
感心したように、秋斗がつぶやく。
「アキは、だれの味方なんだよ」
思わず不満をもらしたおれに、秋斗は当然のように応えた。
「俺は平和主義者なの。周りの空気が荒れるのは我慢できないし、横にいるやつが笑わなくなるのはもっと気に食わない」
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