旅するイスカ

とるる やびほ

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 『病室』の前面はガラス張りだ。そこから射し込む光の明るさで目が覚めた。

 ベッドから下りる。

 サヤは壁際に設置してある大きなソファベッドの上でシーツをかぶり、猫のように丸くなって眠っていた。黄色いサンダルが脱ぎ捨ててある。お気に入りなのだろう。よく見かける。

 便所に行って用を足し、洗面所で歯をみがいた。

 それから朝の空気を胸にめいっぱい流しこんでやろうと思い、『病室』を通りすぎて、前部デッキに出た。

 船首に立って、深呼吸。
 島の空は高い。
 今日もお天道様のもとですごせそうだ。
  
 湖の波打ち際に打ちあげられているものを、ふいに視界の端にとらえた。
 そちらに目をやる。
 眉間にしわを寄せ、なかば凝視。

 どうやら間違いない。
 人が倒れているようだ。

 起きたらしいサヤがやってきた。彼の隣で眠たげに目をこする。。

「見てみろ」と、彼は波際でうつぶせになっているそれに向けて、あごをしゃくって見せた。

「誰か倒れてる?」
「ああ」
「死体?」
「どうだかな」

 そう言うと、ライジは両腕を突き上げ、伸びをした。
 大きなあくびが出た。

 背中に「おはよーっ」という、底抜けに明るいあいさつ。浴びせられた。
 高い声はフェスのそれだ。
 振り返ると、フェスがWと一緒にいて、二人は近づいてくる。

 髪を金色に染め上げているフェスは、グレーのつなぎを着ている。左の耳はビスビスとピアスだらけである。

 一方、長髪に巨躯のWは黒いTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ姿だ。いつもシルバーのウイングネックレスをつけている。Wはそばまでくると「おはよう、サヤさん、それに船長も」と言って、にこりと笑って見せた。おだやかなのが、やっこさんの気質だ。

 よほど馬が合うらしく、フェスとWはたいてい一緒にいる。

「早いね、船長。ひょっとして、ラジオ体操?」フェスの口調は子供っぽい。「だったら混ぜて混ぜて?」
「んなわけねぇだろ」ライジは素っ気なく言った。「やりたきゃ、勝手によそでやれ」
「なにそのいい方。ひど~い。愛を感じな~い」
「愛なら今切らしてる」
「愛は有限だってこと?  なんだか深いね、って、おや?  おやおやおやおや?」フェスが右手をひさしにして背伸びをして、湖の方を眺め出した。それから、「あっちで人が倒れちゃってるように見えるんですどぉ?」と言った。

 どうやらフェスも浜辺に打ち上げられている『モノ』に気付いたらしい。

「ねーねー、船長、あれって人だよね?  僕の気のせい?」

 ライジは病衣の胸ポケットから煙草のソフトパックを取りだした。一本くわえると、その切っ先にライターで火をともす。ひとつ煙を吐いてから、「ったく、フェスはうるせぇなあ」と、口に出した。

「えへへ。なんたって僕はフェスだからね~」
「なんだ、おい。朝っぱらから、がんくび揃えてよ」ネズミがやってきた。「みんなでラジオ体操でもするのか?」
「まったく、しつけぇな」ライジは舌打ちした。
「しつこい?  なにがだよ?」不思議そうなネズミだった。


 デッキの端に設置されている長方形の箱、その側面についている青いボタンを蹴飛ばすと、箱がべーっと縄ばしごを吐き出す。それが船の下まで垂れ下がる。

 煙草をくわえたまま、ライジははしごを下りた。
 サヤ、それにフェス、W、ネズミもついてきた。

 行き倒れたような態勢のまま動かない人間に歩み寄る。
 Wが波の届かないところまでそいつを引きずって、仰向けに転がした。ぐったりとしたままだ。物も言わない。やっぱり死んでいる。

 ライジはしゃがみこんだ。
 他の四人とともに死体を囲んだ。
 くわえていた煙草をぷっと吹いて捨て、ライジはあらためて死体を観察する。

 死体は白い着衣をまとっている。上下ともシンプルな作りでポケットすら付いていない。腹部の真ん中付近に刺し傷が認められる。大きな傷ではないが、深さはありそうだ。傷口周辺の血痕は薄い。湖を漂流でもして、そのせいである程度、洗い流されたのだろうか。なんにせよ、状態からして、ただのどざえもんでないことは明らかだ。

「起きぬけに死体とご対面とはビックリ仰天だよぅ」フェスが興味深そうに死体の顔に顔を近づける。「あんまりお目にかかる機会なんてないもんね~」
「その機会は少ない方がいいかな」フェスの横で苦笑を浮かべたWが「綺麗な顔をした死体だね」と口にした。

 その通りだった。
 苦しみにゆがんだ表情ではない。
 死を受け入れたかのような、安らかな顔をしている。

 フェスの「だったら自殺?」という問いに、ライジは「いや、他殺だろ」と返した。

「ん?  どうして?」
「なんとなくだよ、なんとなく」
「えー、なんとなくぅ?  でもだけど、船長の勘って当たっちゃうからなぁ」

 唐突に、サヤがライジの左肩を左の人差し指でもってつついた。

「なんだよ」
「あのね?」
「あん?」
「今日は涼しいね」
「ああ」
「いい天気だね」
「ああ、それで?」
「ううん。それだけ」
「もう黙ってろ」

「うーん」と、うなったのはネズミだ。「間違いねぇ。着てるもんからして、こいつはシャク族の男だな」
「なんだ、ネズミ。知ってんのか?」ライジはネズミに流し目を寄越す。
「ああ。この島にあっちゃ珍しくもないなんともない、少数民族の一つさ」
「そいつらはどこに住んでんだ?」
「地図にものってねぇ、ごく小さな村だ。西にあって、森に囲まれてる」
「ふぅん。西ねぇ。どれくらいかかる?」
「どれくらいかかるって、おいおい、まさか、届けてやろうってんじゃねぇよな?」
「自殺にしろ他殺にしろ、弔ってやりたいヤツくらいはいるだろ」
「そりゃそうかもしれねーけど…。船長らしくねー発言だなぁ。極度のめんどくさがりのくせしてよ」
「たまにゃ働いたってバチは当たるめぇよ」
「だけど、遠いぜ?  対岸まで迂回しなきゃなんねぇわけだから」
「どれくらいかかる?」
「今すぐ出ても、着くのは夕方だな」
「それでいい。朝飯食ったら出発だ」ライジは腰を上げた。

  クルー達も立ち上がる。

「W。この仏さんを、四駆の荷台にのせてくれ」
「了解」
「じゃあ僕は船長ご自慢の四駆を持ってくるねー」

 フェスがそう言い、いち早く、イスカに向かって駆け出した。
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