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5章 イズナバール迷宮編

258話 月明かりの下で

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 ここは南大陸と同じく熱帯に属するエリアにあるシンの隠れ家、肌をくすぐる夜風を受けながら月明かりと輝く星々の下、ヒトにあらざる4つの人影がオープンテラスでを酌み交わす。
 どっしりと底の広いフラスコ型の、ボトル口に向かって滑らかに反り上がる曲線と幾重にも走る溝が美しい、ブランデーボトルにも似たクリスタルの容器の中には虹色の輝きを放つ液体が揺らめいている。
 神酒ネクタル──不老不死を得られると言われる神の酒、それが2瓶。
 神秘の液体は月明かりを浴びて妖しくも優美にきらめく。

「まさか本当に持ってくるとはのう……シンのヤツ、不老不死になりたいのか?」
「ヴァルナよ、取って来いと言っておきながらそれはなかろう……」
「じゃが古代迷宮あそこのお宝はヒトの願望を形にするんじゃぞ?」

 双龍のやりとりを聞きながらリオンは、すでに眠りの世界に旅立った唯一の人間がいるであろう建物の中を眺め、神酒に口をつける。
 口に含んだ瞬間、口内に広がる酒精を帯びた芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、無意識のうちに口元は緩み目は細まる。
 蜂蜜のように濃厚な甘さは飲み込む時に喉を焦がし、胃の中で燃え盛るように熱を発しながら心地よい酩酊状態へと誘う。
 リオンにとって2度目・・・の神酒は、初めて飲んだ時と全く変わらぬ驚きと感動、そして同時に一抹の寂寥感に襲われる。
 リオンが一人たそがれる中、双龍の会話にエルダーが割り込む。

「まあ、そこは”ムッツリ詐欺師”が思考誘導をしていたし、出るのも当然といえば当然だよねえ」

 そう言ってエルダーは子供の姿のままで神酒を豪快にあおる。
 迷宮攻略の際、シンは自分の目的は神酒だと、攻略メンバーの前で断言した。
 本来ならばその時の彼等のように笑い飛ばす話だが、シンは続けて神酒以外が出た場合は自分は要らぬ、それ以外の物が出た場合はそちらの好きにしてくれと言い放つ事で、彼等の深層に「もしかしたら」との意識を植え付け、古代迷宮の秘宝という、何が眠っているのか余りにも漠然とした中に明確なビジョンを作り出した。
 そうなると当然、最下層に近付く度に彼等の頭の中では「神酒だけは出るな」と逆に強く意識しだし、結果シンの思惑通り最下層のさらに奥の宝物殿には神酒が現れる。
 シンはそれを、ヴリトラを討伐してすぐに転移魔法で50層の入り口前まで飛んで、急いで神酒を回収、その後偽装工作の為に10日かけて魔槍の製作をしていたという訳だ。

「まったく、おかしな場外戦術ばかり得意になりおって……」

 嘆きながらグビリと酒盃を傾けるイグニスを見て、リオンはクスリと笑う。

「とはいえ、3本・・のうち1本はあいつが持って行ったわけじゃが、どうする気かのう?」
「いろいろ調べたいとか言ってましたよ。あと、飲む気はさらさら無いそうです」
「そうか……同族が増えぬで残念か?」

 ──ピタ。

 ヴァルナの言葉にリオンは一瞬硬直して無表情になる。
 同族、その言葉が意味するところは──神酒を飲むという事は魔竜になるという事か?
 応えは是、しかし誰も彼もがなれる訳ではない、魔竜になるためには神酒を飲むだけでは足らず、あるものが必要である──「竜殺し」という名の称号が。
 つまり、竜殺しの称号を持つ者だけが、この神酒ネクタルを飲んだ時に不老不死、死してもかつての姿に生まれ変わり、その記憶を残らず継承する、不滅の存在である魔竜になるという事は、正に不老不死を得るのと同義であった。
 無表情だったリオンはすぐに笑顔に戻ると、

「いえ、むしろシンらしいと安心しましたよ」
「ヤツらしい、か?」
「ええ、独りよがりの正義感で人々を導こう──そんな下らない夢を持とうとしない、実に健全な精神の持ち主ですよ」

 そう言って笑うリオンの顔は、少しだけ寂しそうだった。

「アハハ、ダメだよキミ達、シンはボクの相方オモチャなんだから。魔竜にも勇者にもなってもらったら困るよ」
「しかしですなエルディアス様、時は既に近付いておりますぞ?」
「もちろん、来る時に備えて勇者は別で用意するとも。でもねイグニス、ボクはシンをその列に加えるつもりは無いよ」

 そう断言するエルダーの顔は、笑っていながらも頑として意志を曲げない、そんな力強さを含んでいた。
 愛弟子の処遇が気になるのか、酒盃を空にしたイグニスはそのままエルダーに向き直って姿勢を正す。

「確かに今のシンあれは人を守るという気概は持っておりません。薬師として旅をする程度には人の不幸を減らしたいとは思っていましょうが」
「うん、シンは守護者ガーディアンって感じじゃないよね」
「とはいえ破壊者デストロイヤーにもなれますまい、アイツは根っこの部分でお人好しですぞ?」
「そうだねヴァルナ、だからシンには”ガーデナー”にでもなってもらおうかと思ってるよ」
庭師ガーデナー?』

 怪訝な声を上げる3人に向かってエルダーは頷く。
 庭師とエルダーは言ったが、字面通りの意味であるはずが無い、3人の脳裏には同じ言葉が浮かぶ。
 ガルデニア──箱庭世界と呼ばれるこの地、それを庭とするのであれば庭師とは、つまりこの世界を管理し健全な状態を維持するものという事か?
 しかし、言うなればそれは神の領分、不老不死を拒むシンが望むはずの無い未来。

「なにもシンに神様の真似事をしてもらうつもりは無いさ、今まで通り、世界を旅して来るべき日もシンらしく、思うままに力を振るってもらうつもりさ。人にも、魔族にも──そして勇者達にも」
「勇者にも、ですと?」
「そうさ、1000年前の時も、魔族を押し戻すまではまともだった勇者もいつの間にかおかしくなってしまった、今回は与える加護の数は少ないけれども転生させる数は多い。当然良くない方向に捻じ曲がっちゃう子もいるだろうね」
「……それをシンに間引かせるおつもりですか?」

 リオンの問いにエルダーは当然、と言わんばかりに頷く、そして語る──ボクが言おうが言うまいが、シンならきっとそうする、そうする未来が見えている。これはシンが10歳の時、あの時から決まった事だ──と。
 異世界に転生したシンがこの世界でどのような生き方をするのか、与えられた力をどう使うのか、ティアとエルダーは見守っていた。
 前世の記憶を持ったまま転生したシンは、ごく普通に善良な思考でもって、その力がもたらす恩恵を周囲に惜しみなく分け与えた、無自覚なままに。
 それが転生先で手に入れた新しい家族、新しいコミュニティの幸せに繋がると信じて。

 ──しかし、楽は続けば堕落に繋がる。
 大人達はシンをおだて褒めそやし、甘い汁を搾りとっていった。
 それ自体は何も珍しく無い、富に繋がる才能を持った者が富を貯めこむ才能を持つ者に狙われ、それと気付かぬままに利用される事などどこにでもある話で、その辺に無頓着だったシンがその渦に飲み込まれただけの事。
 最大の問題は、シンがそれを苦痛に思わなかった事かもしれない。
 しかし、子供の力に大人が頼るという歪んだ共生関係は、たった一つの出来事によって全てが破綻する。
 王国と帝国の争い──国家単位で見れば小競り合いであったそれは、結果としてシンの家族を、故郷を、全て奪った。
 与える事の満足の裏で、何の代償もなしに恩恵を受ける側の堕落、帝国の侵攻はきっかけに過ぎなかった。
 だからシンは嫌う、無条件に恩恵を与える事を、施しを受ける事を。

「きっとシンの同郷の勇者達、その何人かはシンと同じてつを踏むだろうね。そしてそこから這い上がるなら良し、でももしそのまま腐ってゆくのであれば、加護を受けている分この世界の人間にはいささか荷が勝ちすぎる」
「だからといって、尻拭いをシンに──」
「シンならきっと言われなくてもやるよ、転生先で浮かれて、良かれと思って世話を焼き、無自覚なまま結果として迷惑をかける、そんな人間が大嫌いだからね」
「──────────」

 エルダーの言葉を聞いて3人は何も喋らない、それが一体誰のことを差しているのか聞くまでも無かった。

「転生させる前に勇者の人格を見極めようとはしないのですか?」
「ボクが勇者達に求めるのはこの世界に転生したいという意思だけだよ、転生した後の行動にまで注文はつけないさ」

 やりたいようにやれ、という事だ。
 そして、繋げるように言葉を続ける。

「変化も無く、ただ平穏無事に──そんな、緩やかに死に向かうだけの世界なんてウンザリなんだよ」

 愛らしい顔を歪ませ、その目に諦観の色を浮かべながらエルダーは吐き捨てる。
 既に定められたシンの未来を憂い、それでもリオンはエルダーに問う。

「──シンは、それで救われるのでしょうか?」
「さあね、そもそもシンは誰かに救ってもらおうなんて思っていないさ」

 エルダーは残った神酒を飲み干すと、今度はさっきとは打って変わって優しい表情を浮かべ、

「なに、ボクとティアはずっとシンを見てきた、あの子は大丈夫さ」

 エルダーの言葉を聞いて、リオンはそれ以上何も語らず、イグニスとヴァルナも黙したまま夜空を見上げる。
 神がそう仰るのだ、ならば何の問題も無い──。
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