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第7話 救い救われ。けれど、死は遠ざからず。

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 ■■

 誰にも見つからないよう細心の注意を払いながら、カルトヘルツィヒとシャルロットは城外の森へと抜け出していた。
 共に歩く中、傷口が塞がり血が流れなくなったが、シャルロットは心配そうに何度も声をかけてきた。

「腕は、本当に治療しなくて宜しいのですか?」

「大丈夫です、そのうち生えてくるので……多分」

 一度生えたから二度目も生えるだろうという安易な考えであったが、傷口の塞がる速度からもほぼ間違いないだろうとカルトヘルツィヒは考えていた。

(シャルロットさんの反応的にこれが普通ってわけじゃなさそうだし、この体が特別なのかも)

 既に痛みも引いており、平常心を取り戻してきたカルトヘルツィヒは、泣きに泣いた影響で垂れそうになる鼻をすする。

 城への帰り道が分かるギリギリのライン。
 そこで、カルトヘルツィヒは足を止めると、シャルロットを先へと促す。

「見送れるのはここまでです。早く戻って魔王様に報告しないと怪しまれてしまうので。危険な森……だとは思うんですけど、一人で大丈夫ですか?」

「はい。明日も知れぬ囚われの身だったのです。この程度の困難、きっと乗り越えてみせます」

 正直、カルトヘルツィヒは魔王城周辺の森がどれぐらい危険なのか理解していない。
 前回、魔法を使おうと訪れた際も深くは潜らなかったため、ただただ不気味だなという印象しか抱かなかった。

(日本の樹海よりも恐ろしげだし、遠回しな殺人にならないことを祈ろう)

 幸いと言ってはなんだが、牢屋に囚われていた時よりも生気に満ちたシャルロットは笑顔を浮かべており、まだ危険は去っていない状況を悲観してはいなかった。
 最後まで強く尊い彼女を目を細めて眩しそうに見つめていると、真剣みを帯びたシャルロットが声をかけてきた。

「お一つ、お聞かせ願いないでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「どうして自身の身を危険に、それこそ文字通り身を切ってまで私を逃がしてくださるのですか? 元々、兄と繋がり私を捕えたのはカルトヘルツィヒ様でございましょう? それが、なぜ」

 シャルロットからすればカルトヘルツィヒに囚われて、逃がされるのだ。
 壮大なマッチポンプでしかなく、彼女でなかったとしても疑問に思うのは当然だ。
 けれど、現在のカルトヘルツィヒからすれば、そもそもどうやってシャルロットを捕えたのか詳細すら知らず、囚われていた少女を助けた、という意識しかないのだ。

 体こそ変わらないが、シャルロットを捕えたカルトヘルツィヒと、彼女を逃がすカルトヘルツィヒは別人なのだ。齟齬が出るのは当然であった。

(そんな話をしたところで、頭がおかしいと思われるだけだよね)

 なので、カルトヘルツィヒはどうして助けようとしたのかだけを話すことにした。

「人を殺すのは悪いことだから」

「……本気、ですか?」

「いやまぁ、殺す勇気もなかったってだけでもあるんですけど」

 目を丸くしてシャルロットは驚愕を露わにするが、カルトヘルツィヒにとってはまごうことなき事実であった。
 人を殺すのは悪いことであるし、人を殺すことへの抵抗が大きかった。

 現代日本出身の今のカルトヘルツィヒとっては至極当然の倫理観であるのだが、危険と隣合わせの世界で生きる異世界人であるシャルロットには衝撃が大きかったようだ。

「これまで、血も涙もなく我ら人族を殺戮してきたカルトヘルツィヒ様らしく……いいえ、そも魔族らしくない答えですね」

 話を聞く限り、シャルロットの国と魔王の国は戦争をしているのだろう。
 これまで散々に殺戮を繰り返したであろう敵国の、それも幹部が人を殺すのは悪いことだとどの口で言えるのか、という話である。

 シャルロット側からすれば激怒しても仕方のない発言であったはずだが、彼女が怒りだすことはなかった。
 ただただ、なにかを確かめるように蒼玉の瞳でカルトヘルツィヒを見つめるばかり。

(うぅ、こんな美少女に見つめられるのは、居心地が悪い)

 しかも、無理矢理服を破ったからか、ドレスのあちこちが切れて至る箇所から白い肌が覗いてしまっている。なにやら見てはいけないモノを見ている気分になって、恥ずかしくなって目を逸らしたカルトヘルツィヒは、さっさと帰ろうと別れを告げる。

「それじゃぁ、帰ります。その、シャルロットさんも気を付けて帰ってください」

「もし」

 背を向けて城に戻ろうと歩き出そうとしたが、シャルロットに声をかけられ足を止める。 

「あの……まだなにか?」

「最後にお名前をお教えくださいませんか?」

 真摯な表情のシャルロットの問いであったが、カルトヘルツィヒは意味がわからないと首を捻った。

(カルトヘルツィヒって呼んでたし、知ってるはずだよね?)

 疑問はあるが、尋ねられたのでカルトヘルツィヒは答える。

「名前……? カルトヘルツィヒですけど」

「いいえ。私を捕えた魔王軍幹部であるカルトヘルツィヒ様ではなく、私を救ってくれた貴方様のお名前を教えてくださいませんか?」

「――」

 ……なんというか。
 知らない世界の、知らない他人になっていて。
 嘆く暇もなく、状況に流されるままに動くしか彼はできずにいたのだ。

 誰も知らない世界で、カルトヘルツィヒ、カルトヘルツィヒと知らない名前で呼ばれて、そういうものだと彼は受け止めるしかできずにいた。
 けれど、シャルロットはカルトヘルツィヒという体の中にいる清水倫理《しみずりんり》という存在を見つけ出してくれた。

 そのただ一事がどれだけ嬉しく、幸運なことなのか。それは清水倫理にしかわかりえない気持ちであった。

(あはは……これじゃぁ、どっちが救われたかわからないなぁ)

 とめどなく流れる涙を右腕で拭いながら、この世界で唯一自分を知るシャルロットに名前を告げる。

「っ、ずびっ……清水、倫理って、言います」

「シミズリンリ様……聞き慣れぬ名ですが、良き響きのお名前ですね」

「あり、がどう、ございまずっ」

「お礼を言うのは私です」

 シャルロットは短くなったスカートの裾を摘まみ、お礼を告げる。

「ユマン王国が第三王女シャルロット・ブークリエは、此度の恩を生涯忘れぬことをここに宣言致します。命を助けていただき、ありがとうございました、シミズリンリ様」

 深く下げられた頭。
 本来であれば王女であるシャルロットが、魔族、しかも中身は誰とも知れない男に容易に頭を下げるなんて、王族という存在をちゃんと理解していないカルトヘルツィヒでさえ、あってはならないことだとわかる。

 それ故に、彼女が今出来うる最上級の感謝だというのが理解でき、カルトヘルツィヒの涙の勢いは増すばかりだ。

「じゃるろっどざん……」

「もし、次に出会う奇跡があったならば、その時はシャルとお呼び下さい、リンリ様」

 蕾が花開いたようなシャルロットの笑顔は、これまで彼女が見せた表情の中で、一番綺麗で、可愛らしいものであった。

 ■■

 太陽が昇らず、いつ窓の外を見ても夜であるため、時間間隔が狂いそうになるカルトヘルツィヒがひと眠りして目覚めた翌日。
 玉座の間で膝を付いた彼は、幼女のようなゴスロリ魔王に報告を行っていた。

「王女シャルロット・ブークリエは、魔王様のご命令通り、私の手で殺しました」

「クスクス。そう、殺したんですのね」

 素直に受け入れてくれそうなトイフリンの反応に、カルトヘルツィヒは内心安堵する。
 けれど、そんな彼の油断を知ってか、魔王は彼が聞いてほしくなかった質問をなんでもないように投げつけてくる。

「それで、死体はあるのかしら?」

「っ、いいえ。申し訳ございませんが、力を入れ過ぎてしまい肉片程度しか残っておりません」

「クスクスクスクス。へぇ、なるほどなるほど」

 なにかを納得したようにトイフリンは何度も頷くと、いつかのように黒いゴスロリチックの日傘を広げて浮かび上がると、カルトヘルツィヒの前に降りて俯く彼の手を小さな手で触れる。
 指を一本一本、舐めるように撫でられ、カルトヘルツィヒは恐ろしさで冷や汗が止まらなくなる。

「ねぇ私《わたくし》のカルトヘルツィヒ? 逃がした言い訳のために、死体がないなんて稚拙《ちせつ》な嘘をついているわけではないですわよねぇ?」

「……っ、も、もちろんですっ」

 ボキリと、酷く耳に残る音。
 左手の人差し指が折られたのだ。

「~~っ!?」

 あまりの痛みにカルトヘルツィヒは声なき悲鳴を上げた。
 だが、なにより恐ろしいのはシャルロットを逃がしたことを知られること。
 トイフリンが確信を持ってカルトヘルツィヒを痛ぶっているのか、それとも、拷問によって屈服させて真意を確かめようとしているのか。

 どちらなのかわからない以上、カルトヘルツィヒは歯を喰いしばって痛みに耐えるしかなかった。
 けれども、そんな彼の心情すらもお見通しなのか、魔王は華奢な両手でカルトヘルツィヒの顔を持ち上げると、ドロリとした血の瞳を間近で合わせる。恐怖を植え付ける。

「そうね……指、十本耐えたら認めようかしら?」

「じゅっ……!?」

(この痛みを、あと九回も耐えなきゃいけないの!?)

 告げられた拷問内容に心胆を寒からしめる。
 いっそ正直に告白してしまい楽になりたいと弱きが顔を見せるが、その先にはどうあれ死が待っている。

 カルトヘルツィヒが生き残るには、トイフリンの気の済むまで拷問に耐えるしかないのだ。
 血のごとき不気味な目を視界一杯に見せられながら、虫のように這う指が彼の手をなぞった時であった。一緒についてきていたディーナがトイフリンに声をかけたのは。

「トイフリン様、お楽しみ中申し訳ございません」

「あらぁ? どうしましたの私《わたくし》のディーナ」

「差し出がましくも主《あるじ》の身の潔白のため、口を挟ませていただきます」

「へぇ、身の潔白?」

「はい」

 ディーナは一つ頷くと、素知らぬ顔で平然と嘘をついた。

「カルトヘルツィヒ様がシャルロット・ブークリエ様を殺したのを、その場に伴った私が証言致します」

「絶対に殺したと、私《わたくし》に宣言するんですのね? ディーナ」

「はい。間違いございません」

 トイフリンの確認を、ディーナはハッキリと肯定する。
 けれど、彼女の言葉が真っ赤な嘘であることを、カルトヘルツィヒは知っている。
 なにせ、カルトヘルツィヒはシャルロットを逃がして、殺してなどいないのだから。
 カルトヘルツィヒがシャルロットを殺した現場をディーナが見れるはずがないのだ。

(庇って、くれているの?)

 トイフリンから顔を逸らすことのできないカルトヘルツィヒは、内心で驚くしかない。
 カルトヘルツィヒとディーナ、二人の証言をどう受け止めたのか。
 しばし悩む素振りを見せたトイフリンは、カルトヘルツィヒの手を離すと、ふわりと飛んで玉座へと舞い戻る。

「クスクスクス。宜しいですわぁ。此度の件、ディーナの進言に免じて信じてあげますわぁ」

「ありがとうっ、ございます!」

「――ですから」

 助かった。
 カルトヘルツィヒがそう思った矢先、トイフリンは釘を刺す。

「今後、私《わたくし》の耳にシャルロット・ブークリエが生きていた、なんて根も葉もない噂が届かないよう、くれぐれも注意してくださいまし?」

「……は、はひ」

 やっぱり死んだかもしれない。

 ■■

「し、死ぬかと思った……」

 九死に一生を得てどうにか生きて自室に戻ってきたカルトヘルツィヒは、力尽きたようにベッドへと倒れ込む。

(異世界の魔王軍幹部になってから、死ぬか生きるかで落ち着く暇もなかったからなぁ)

 まだ完全に殺されないと決まったわけではないが、間近の死は回避できた。
 それもこれも、全てはメイドであるディーナの助け船があってこそだ。

「ありがとうございました、ディーナさ――――んっ!?」

 起き上がってディーナにお礼を言おうとした瞬間、なにかに突き飛ばされて背からベッドに倒れ込んでしまう。
 なにが起こったのか。目を白黒させていると、ディーナがカルトヘルツィヒの体の上に跨ってきた。

 ディーナの顔を見上げ、ようやくカルトヘルツィヒは彼女に押し倒されたことを悟る。
 けれど、罰だなんだと言っていた時のように、艶のある行動でないことは直ぐに察しがついた。
 なぜならば、鈍く銀色に光る短剣が彼の首筋にあてがわれていたからだ。

「な、なななな、なにっ!?」

「ご主人様――」

 ディーナはマリンブルーの瞳を細め、妖艶に笑う。

「――貴方様は何者でございますか?」

 ディーナから告げられた問いによってカルトヘルツィヒは理解する。
 いまだ命の危機が遠ざかっていなかったことを。

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