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第一章 一人暮らしのご主人様と献身的なメイドさん

第4話 「真面目なソフィアさんはこの世に存在するわけがない!」

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「あははははははっ!」
「笑い事じゃなんだけどぉ」

 昼休み。
 ノアが狂華にリースについて相談すると、聞き終えた狂華は目尻に涙を溜めるほどに笑い声を上げた。
 学内でも一位、二位を争う美少女の珍しい哄笑に、驚いた周囲の視線が集まる。
 群衆の注目など意識もせず、人差し指の甲で涙を拭う。

「とても愉快で素敵なお話だ。現実味がないところが素晴らしい」
「嘘だと思ってるの?」
「まさか。君の言葉は疑わないさ」

 それに、と狂華が指さしたのは狂華が広げているお弁当だ。
 これまでお昼は購買部やコンビニで買ってきたおにぎりやパンで済ませていたノアが、お弁当を持ってきているだけでも珍しいというのに、内容もまた手が込んでいる。
 一切、冷凍食品などがなく、事前に支度をしなければならないだろう唐揚げや、ご飯も白米ではなくオムライスだ。お弁当の蓋の裏に水滴などなく、食中毒にも気を使われている。
 野菜で色映えも良く、作り手が食べる人を気遣っているのがお弁当を見ただけで分かる。
 指摘を受けたノアは、朝のことを思い出し遠い目をする。

「……これでも抵抗したんだよ? 最初は『日本のお弁当は重箱が基本でございます』って、五段の重箱が用意されるところだったんだから。『ご主人様は男の子ですから、よく食べることでしょう』って。無理だよ? 絶対食べきれないよ?」
「どんな内容になるのかとても見てみたいね。やはり、伊勢海老なんかは定番かな? 今度お願いしてみてくれ」
「やだよ。冷蔵庫開けたら赤い甲殻類の幻覚を見て思わず閉めたんだから。白昼夢と思わせて」
「あははははははっ!」
「笑うなー」

 話す度に笑われ、弁当を落とさないよう気を付けながらノアは机に突っ伏する。
 朝から晩まで美人のメイドさんにお世話される毎日。大抵の者(特に男)が聞けば、血の涙を流して羨ましがるだろう。
 ただ、一人暮らしで他人の目を気にせず自由に暮らしていたところから、常に他人が傍にいるに変わったのである。お世話をされるということは、裏を返せば自由がなく管理されているともとれる。
 今回の事例でいえば、リースはノアの生活習慣を正すために、ノアの母から依頼をされている。それは監視ともいえ、怠惰な姿を晒すわけにもいかず、気を張った生活を強いられていた。
 愉快愉快と笑っている狂華だが、ノアの気苦労は理解している。
 ノアの箸を手に取ると、唐揚げを掴み、ノアの口元に運ぶ。

「はい。あ~ん」
「……」

 口元まで運ばれた唐揚げを、ノアは半眼で見つめる。
 しばらく脱力したままノアは見つめていたが、小さく口を開けると雛鳥のようにぱくりと食いついた。

「美味しいかい?」
「…………おいしい」
「そうか。それはよかった」

 慈しむような笑みを浮かべた狂華は、お弁当が空になるまでノアに食べさせ続けた。
 ノアも特に抵抗することなく、狂華の行動を受け入れる。
 傍から見れば恋人のようにしか見えず、クラス内では公認夫婦のように扱われている。ノアも狂華も揃って見目が良いため、その麗しい光景に黄色い悲鳴を上げる者までいた。
 ただ、当人達に恋人や夫婦といった認識はなく、各々やりたいようにやっているだけに他ならなかったが。

「メイドにMSC、ね。ふふふ。そのような愉快な話に仲間外れというのも、少々面白くないね」
「……これ以上、場を掻き回さないでね」
「それは承諾しかねる」

 含みのある怪しい微笑みを浮かべる狂華を見て、ノアは不安になる。狂華の性格を知るだけに、その不安は風船のように大きく膨らみ続けた。

 ――

 学校が終わり、マンションのエントランスまで帰ってきたノアはお化けでも見たように目を見開いた。

「お帰りなさいませ。本日もお勤めご苦労様です」

 背筋を伸ばし、輝く笑顔を浮かべる美しい受付嬢が出迎えたからだ。
 受付には紅茶も本もなく、座っているのは笑顔の素敵な金髪受付嬢。横柄な態度など欠片も見付かりはしない。

「……」
「いかが致しましたか? ご気分が優れないようであれば、お部屋までお連れ致しますよ?」

 石化の呪いに掛かったノアに、受付嬢が心配そうに声を掛けてくる。からかい口調ではなく、心の底から身を案じているのが伝わってくる。

 そんな、馬鹿な……ありえない……っ!

 唇をわなわな震わせるノアは、ビシリッ!! と人差し指を突き付けて糾弾する。

「ソフィアさんがそんなに仕事熱心なわけない! さてはあなた偽物だなーっ!?」
「……………………ふふふ。そのようなことありませんわ? 私は本物のソフィア・ドリトルですよ?」
「嘘つけー! 本物のソフィアさんなら優雅に紅茶を飲みながら本を読んで『あら? もう帰ってきのぉ?』とか言って一瞥して読書に戻るような人だよ! ニコニコしながら受付の仕事ができるほど真面目じゃない!」
「……………………………………それは一面的なモノの見方です。私にも真面目な部分があり、不真面目な部分があるというだけのこと。本日は、真面目なソフィアをノア様が目にしているだけなのです」
「ない! 真面目なソフィアさんなんて夢幻! はっ!? つまりこれは夢!」
「……………………………………………………では、本物かどうか試してあげます。どうぞ、こちらへ」

 誘われ、心底ノアは嫌そうな顔をする。
 逃げ出そうとも考えたが、笑顔の裏に『逃げたら……わかっていますよねぇ?』という圧を感じて逃走を封じられる。魔王からは逃げられない。
 警戒しつつ、言われるがままにノアは近付いていく。
 じりじりとすり足で距離を縮めていたノアだったが、カウンターに触れられる距離まで近付いた瞬間、伸びてきたソフィアの手にがしりと腕を力強く掴まれる。

「――誰が偽物で不真面目なのでしょうかぁ? これは少々、おしおきが必要ですわねぇ? うふふふふふふふふ」
「ひっ!?」

 花のように可憐な笑顔が一変、牙を生やした悪魔の微笑みが浮かび上がる。
 振り払い逃げ出そうとしたが、既に地獄へ繋がる穴へと落下中。手を伸ばせども蜘蛛の糸はなく、悪魔の手は剥がれ落ちない。

「さあ……いらっしゃいませぇ?」
「やぁあああああああああああああああああああっ!?」

 女性とは思えない力で受付の中へと引きずり込まれた儚き子羊。
 もふりと、柔らかなクッションに似たモノに受け止められると、ノアの両頬が悪魔の指で弄ばれる。

「私のような真面目が服を着た可憐な受付嬢に対して、酷いことを言う口はどれでしょうかねぇ?」
「ひはいひはいやめへはひへへはへんなふへふへほうはんてひははひ!(止めて止めて痛い真面目で可憐な受付嬢なんて知らない」
「まだ生意気な事を言えるなんて、なかなか度胸がありますわねぇ?」
「にゃぁああああああああああああ!?」

 膝の上にノアを抱きかかえ、両頬が赤くなるまでソフィアは引っ張り続ける。
 巧みな重心操作なのか、ソフィアの手から逃れようとしても上手く立ち上がれず、ぬいぐるみのように豊満な胸に抱きかかえられたまま、拷問染みた罰をノアは受け続ける。
 ようやくソフィアが満足した頃には、ノアは岸に打ち上げられた魚のようにピクリとも動かず、ソフィアの膝の上で力尽き大人しくしていた。
 掠れた声で発せられるノアの言葉に力はない。

「まごうことなきほんもののソフィアさんでした……」
「それでぇ?」
「まじめでかれんなうけつけじょうです」
「宜しくってよぉ。これに懲りたら、不用意に女性を偽物扱いしないことですわぁ」

 もう……言わない…………。

 心の中で固く誓ったノアは、震えつつもこうなった原因を指摘する。

「そもそも、どうしていつも通りではなかったんですか?」

 普段通り不真面目ならばこんな目に合わなかったのに、という一言をノアは心中に留める。人は成長する生き物である。
 ノアを抱え、肩に顎を乗せたソフィアが耳元で囁くように呟く。

「私にもしがらみはありますわぁ。社会人ですもの。上司に怒られることもあるのですわぁ」

 頬がくっつく程近いため表情こそ伺えないが、その声音には面倒さと、ちょっとした疲れが宿っている気がした。

 本当、珍しい。

 ノアがこれまでソフィアと関わってきた中で聞いたことのない声であった。参っているというほどではないが、精神的に疲労する出来事があったのは確かだろう。
 ようやっとソフィアの捕縛から抜け出したノアはソフィアに「ちょっと待ってて下さい」と言うと、マンションの外に出て行ってしまう。
 ソフィアが不思議に思っていると、直ぐに戻ってきたノアが缶のロイヤルミルクティーを差し出してきた。

「ノア君?」
「あげます。疲れている時こそ甘い物を飲んだほうがいいですよ」

 思いがけないノアの行動にソフィアは一瞬驚くも、直ぐに立て直しにんまりと口元にいやらしい笑みを浮かべる。

「あらぁ? これはもしかして、お姉さんに気があるのかしらぁ?」
「違います。仕事としてなら、普段のだらしない姿はダメでしょうけど、僕としてはいつも通りのソフィアさんのほうが安心します。……いけない方向に慣らされちゃってる気がするけど」

 はは、と乾いた笑いを零すノア。
 缶を差し出されたソフィアは、素直に受け取ると両手で温かな缶を包み込む。
 手に伝わる温度が、そのままノアの優しさであるかのように感じ、くすりと笑う。

「ありがとう。ノア君」

 珍しく、素直にお礼を口にするソフィア。
 気持ちが軽くなった気分だが、一つの懸念がソフィアの心にしこりを残す。

 ……まあ、こんなところを見られていたら、鬼にようにしごかれてしまいそうですけどねぇ。

 絶対零度の家政婦《ハウスキーパー》を思い出し、ソフィアは一つため息を付くのであった。
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