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挑戦の塩バターパン
しおりを挟む鈴ちゃんにプロポーズして、花のパン祭りも大成功に終わり、俺はいつもの日常に戻っていた。
変わったことと言えば、鈴ちゃんの左手薬指の指輪。
それに、海里さんと、公園をもっと楽しんでもらえて盛り上げていくにはどうすれば良いか話し合うこともあった。
鈴ちゃんのお店も順調に話が進んでいて、お店の場所も会社が提案してくれることになった。
そこを鈴ちゃんの車椅子用にリフォームする。
鈴ちゃんも俺も、治療費以外は自分たちのお金でしっかりやっていきたくて、お金のこともお互いに話し合った。
後は住む場所を考えていかないとなあと思いながら、いつもの公園掃除を終えて事務所に戻ると、社長が真面目な顔をして待っていた。
何かあったのかな??
「先野くん、大地くんのお母さんから連絡があってね……。もう一度大地くんと一緒に暮らす努力をしてみたい、病院に通いながら、大地くんの夢を応援する努力がしたいと……」
「えっ……」
「大地くんのお母さんも病院に通っているし、大地くんのお父さんからも連絡があったんだ」
「……はい」
どうしてもモヤモヤしてしまう。
もし、また大地くんが一人っきりになって追い詰められてしまったら?
どうしてもそんな考えが頭に浮かぶ。
その反面、大地くんのお母さんがちゃんと病院に通って、夢を応援する努力をしようとしていることに驚いていた。
「それで……大地くんのお父さんから、先野くん指名での依頼が二つあるんだが……」
「へっ……?」
間抜けな声が出てしまった。
大地くんのお父さんからの依頼??
「一つは大地くんの荷物を家まで運ぶこと、もう一つは……受けるかどうかは、君自身で決めてくれ……実は……」
俺は、スミさんの家に向けて車を走らせた。
玄関前には、スミさんと大地くんが待っていてくれた。
「おじさん!!」
大地くんが、駆け寄ってきた。不安そうだけれど、そこにはしっかりとした意志があるように見えた。
俺は、笑って頷くと、三人で家に入った。
意外にも、スミさんは微笑んでいた。
「おじさん、父さんからの依頼聞いた?」
三人でいつもの場所に座ってすぐ、大地くんが言った。
俺は笑顔で頷いて、自分のスマホを取り出した。
「もちろん。お受けしたよ!おじさん、正直凄く嬉しいよ!!……心配だったからね」
大地くんが安心したように笑って、自分のスマホを取り出した。
大地くんのお父さんからのもう一つの依頼。
それは、大地くんのことを見守る存在であって欲しいこと。
具体的には、大地くんが気軽に連絡をとったり助けを求めることのできる存在であって欲しいこと。
依頼期間は、大地くんが家を出るまでだけれど、その先は任せてくれると。
社長から、プライベートにも入ってくる依頼だからと心配されたけど、俺は胸を張って
「大丈夫です!何かあっても社長がいますから!!」
と言って、事務所を出てきたのだ。
大地くんと連絡交換をしている間、スミさんは台所に立っていた。
甘くて優しい香りが漂ってくる。
そしてスミさんが、俺たちの前に持ってきたのは、大地くんがこの家に来たあの日の、ホットケーキどら焼きだった。
俺たちはしばらく無言で食べていたけれど、きっとあの日を思い出していたと思う。
「ふふふ、寂しくなるけれど、大地くんが自分で家に戻ることを決めたから、笑って送り出すのがばあの役目よ」
「スミさん……」
大地くんがつぶやいた。そして俺を見る。
「俺ね、母さんとどうなっていきたいのか正直分からないんだ。だって、子供の時から、ああだったから」
「うん」
「だけどさ……スミさんとおじさんと一緒にいて思ったんだよね。俺、こうやって誰かと話をして、ご飯食べたりしたかったんだって」
「……うん」
「……俺、母さんとも話してみようと思うんだ。前と変わらなかったら、すぐに逃げて良いって父さんが言ってくれたし、おじさんやスミさんがいてくれるって思ったら安心して帰れると思えたんだ」
スミさんが、静かに涙を流していた。
そしてそのまま、大地くんを抱きしめた。
「あなたが来てくれてね、私、凄く幸せな日々を過ごせたのよ。優人くんが思い出させてくれた幸せを、大地くんがもう一度私に実感させてくれたの。本当に、本当にありがとう」
「スミさん……」
大地くんの頬にも涙が伝う。
「本当に、子供を巣立ちさせる気分だわ……。でも、大地くんの人生はこれからよ。自分の夢を追って、辛い時苦しい時は、この日々を思い出して」
「はい……」
「大丈夫、またいつでも会えますよ、俺がいますし!!」
俺も目に涙が溜まっていて、必死で言った。
スミさんが、優しく笑った。
「ええ、そうね、いつでも私はここにいるもの。じゃあ、そろそろ荷物を運びましょ」
そう言うと、スミさんは俺も抱きしめてくれた。
車に荷物を運んで、大地くんを助手席に乗せる。
大地くんは窓を開けて、スミさんと手を握り合っていた。
「大丈夫。大地くんがどんな道を歩んでも、応援しているわ」
「スミさん……ありがとう!!俺、本当にスミさんが大好きだよ!!」
「ええ、ええ、私も大好きよ。大事な私の家族よ。だから……いってらっしゃい」
スミさんがにっこりと笑った。
「いってきます!!」
泣きながら、大地くんも精一杯笑ったのが分かった。
俺はその姿を見て、ある決意をした。
こうして、俺たちはスミさんの家を後にしたのだった。
大地くんの家に着いた。
ここに来るのが本当に久しぶりな気がする。
数回に分けて、荷物を大地くんの部屋に運ぶ。
「お疲れ様。荷ほどきは手伝わなくて大丈夫かい?」
「うん、そんなに沢山の荷物じゃないから。おじさん、ありがとう……」
「……不安かい?」
「うん……」
「大地くん、大地くんが頑張っているのを……いや、みんなが頑張っているのを見てね、おじさん決めたことがあるんだ」
「え?」
「おじさん、もう一度小説を書いてみようかと思うんだ。プロを目指すかはわからないけれど、今なら、もう一度楽しく書けるかもしれないと思って。だからあの時の約束だ。書けたら一番に君に見せるよ」
大地くんが目を見開いた。でもすぐに、少し笑って、頷いてくれた。
その時、大地くんのお母さんが顔を出した。
「あの、先生。お茶でもいかがですか?」
大地くんのお母さんは、前と全然雰囲気が違う。
「はい、喜んで」
俺はそう言うと、大地くんを見た。
「俺もいく」
大地くんが、俺の服の裾を軽く掴んで言った。
大地くんが一歩一歩踏み出そうとしていることが伝わってきて、胸が熱くなった。
初めて、大地くんの家で、大地くんと大地くんのお母さんと同じ場所に座った。
「先生……この前は、本当に申し訳ありませんでした……」
「えっ、いや、僕も失礼なことを言いまして……」
今目の前にいるのは、本当に大地くんのお母さんなのだろうか。
そう思うほどに、大地くんのお母さんは別人のようだった。
「あれから主人と話し合って……病院に通い始めました。今は通院と、薬と、カウンセリングを受けています」
「……」
下を向いてゆっくりと話す大地くんのお母さんに驚きながらも、俺と大地くんは次の言葉を待った。
「お医者さんに言われました。大地はあなたじゃないって。……私は、いつも周りの目を気にしていました。何か言われるのが嫌で、言われない為には隙を作っちゃいけないと思っていたんです。特に……ここのマンションは、人の噂が娯楽のようになっていて……」
「……」
「主人が、謝ってくれたんです。一人で育児をさせたこと、そして、そんな場所で私も追い込まれていたことに。それで……先野さんが来れるように近くにはなると思いますが、この家を引っ越そうと思っています」
「えっ!?!?」
俺と大地くんは同時に声を出していた。
「病院の先生からも進められたんです。ここにいても、私にとっても大地にとっても良くないと。今度主人が帰ってきた時に詳しい話はしますが、ここのように、近所とのコミュニティが強くないところにしたいと思っています。それで……」
大地くんのお母さんが、何かを決心するように、顔を上げて大地くんを見た。
「もし……学校が変われば、学校へ行きたいと思う……?」
きっと、大地くんのお母さんは、一生懸命大地くんに歩み寄ろうとしているのだろう。
震える声で、ゆっくりと大地くんに聞いた。
「……どうだろう。一人で勉強するのに慣れちゃったし……学校はみんな高校受験に向けての授業なんだろうし……少し考えさせて」
「えぇ……お父さんが帰ってきた時に、またゆっくり決めましょう……」
俺は、その姿を見て、自分が大地くんのお母さんを責めることしかせず、【その後】を考えていなかったことを改めて痛感させられた。
私だけが悪者なのか。
大地くんのお母さんの言葉が蘇った。
翔也くんのことも、大地くんのお母さんのことも、社長がいたから、今こうしていられるのだと思う。
社長はヒーローだ。
でも俺は……。
大地くんのお母さんが、立ち上がって台所に向かった。
「おじさん?どうしたの?下を向いて」
「えっ、いや、はは、おじさんもまだまだ駄目だなあって思ってね。社長は本物のヒーローだけれど、おじさん、独りよがりだったのかもしれないなあと思って」
俺はわざと明るく言った。
でも、大地くんは、真面目な顔をしていた。
「俺にとっては、おじさんは本物のヒーローだよ」
「えっ!?」
「だって、初めて出会った時……俺と向き合って、俺を俺として見てくれた人は、おじさんだけだった」
「……」
俺は何も言えず、大地くんを見つめていた。
すると、大地くんのお母さんが戻ってきた。
「あの、先生……これ、お土産に……。……大地の為に、塩バターパンを作ったんです。……玉ノさんに言われた後、私は、大地が食べていることは見ていても、その中身を全く見ていなかったことに気がつかされました。これからは、母親より前に、一人の人間として、大地と向き合っていきたいと思っています。……どうか玉ノさんによろしくお伝えください」
「……はい」
俺は塩バターパンを受け取ると、玄関で靴を履いた。
「おじさん」
「ん?どうしたんだい?」
大地くんを見ると、不安そうだけれど、どこか安心したように笑っていた。
「また連絡するね!!スミさんによろしくね!!」
「あぁ、もちろん!!またね!!」
俺は大地くんの家を出た。
ヒーロー……か。
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