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幸せを呼ぶチョココロネ

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うむ……。
俺はスミさんの家に車を走らせながら、難しい顔をしていた。
鈴子さんと正式に付き合うことになったのはとても嬉しい。だけれど、手を出しちゃいけないと言われていたのに抱きしめてしまった……。
スミさんのお説教が待っているのだろうか。
そう思いながらも、俺はスミさんの元に行くのが嬉しかった。
話したいことがいっぱいあるんだから。
そう思った瞬間、ハッとした。
いつも車を走らせているときは、どうやって仕事らしい仕事をしようか、今日も話だけで終わるのか、そればかり考えていた。
今、俺は何を考えていた……??
その答えが出る前に、俺はスミさんの家に到着した。

スミさんが、外に出て待っていてくれた。
俺を見ると、慌てたように駆け寄ってきた。
どうしたんだ!?
「告白、どうだった?」
玄関先で、心配そうにスミさんに聞かれて、何故か俺は胸が熱くなった。
スミさんとは他人なのに、こんなに心配してくれていたんだ。
俺は、何故か目頭が熱くなったけれど、それ以上の笑顔で頷いた。
するとスミさんがホッとしたような顔をして、笑ってくれた。
「ええ、ええ、もちろんそうよね。ごめんなさいね、あれだけ偉そうに言っておいてすごく心配だったの」
「いえ!!スミさんが背中を押してくれたお陰です!だから今日は、いつもの倍以上に庭仕事を頑張りますね!!」
笑顔で言った俺に、スミさんも笑顔で頷いた。
庭仕事が終わったら、沢山話したいことがある。
俺は、気合いを入れて庭仕事に臨んだ。

長靴を履いて、庭を見た俺は驚いた。
俺が草を抜いたところに、植木鉢が一つ置いてあったのだ。
「スミさん、これ……」
「ふふふ、せっかく庭が綺麗になってきたからね、とっても久しぶりに種からお花を植えたのよ。重い荷物が運べないから、まだこの一つだけだけれど」
スミさんが笑った。
「あなたを見てたらね、どうしても種から植えたくなったの」
「俺を……ですか?」
「ええ。あなたが、私に色んなことを思い出させてくれたのよ。そんなあなたは、私にとって種。これから芽を出すの。雨風に耐えて、どんな花を咲かせてくれるのかとっても楽しみなのよ。だから何を植えたのかは秘密」
嬉しそうにスミさんが笑った。
俺が……種……。
スミさんは、この歳でクビになってアルバイトをしているこんな俺が種で、花を咲かせることができると思っていてくれているのか……??
それにしても……。
「スミさん、こういうことこそ頼んでくれたら、車だって出すし、荷物だって運びますのに……」
俺の言葉に、スミさんが笑った。
「今回は、内緒でやりたかったのよ。でもそうね、とても荷物が重く感じちゃったから、次からは一緒に買い物に行きたいわ」
その言葉に、俺は思わず満面の笑みで頷いた。
この嬉しさは、仕事ができるという気持ちじゃなかった。
でも、じゃあなんなんだろう?
そう思いながら、俺はいつものように草むしりを始めた。
チラリと植木鉢を見ると、とても嬉しくなった。もっともっと庭を綺麗にして、スミさんと一緒に買い物に行って、植木鉢を増やしたい。
理由はわからないけれど、そんな気持ちが大きくなって、想像したら草むしりが楽しくてしょうがない。


「はい、一時間経ったわよ。途中、少しくらい休憩を入れて欲しいのに……」
スミさんが、優しい笑顔で声をかけてくれた。
もう一時間か。結構な重労働をしているはずなのに、全然苦じゃない。むしろ……。
俺は、もう一度植木鉢を見た。
今はまだ土だけの植木鉢。早く芽が出たら良いなぁ。
そう思いながら、手と顔を洗って、いつものように座ると、スミさんが嬉しそうに台所に消えていく。
すぐに漂ってくる、甘い匂い。
ここに来る前に、鈴子さんのお弁当を食べたのに、一気に胃の中が隙間をあける。
スミさんが、お盆を持って嬉しそうに戻ってくると、俺の前に置いた。
これは……!!これは!!
「チョココロネよ、今の若い人は当たり前に知っているのでしょう?」
「も、もちろんです!!」
ああ、このぐるぐるした綺麗な湾曲、その中に、たっぷりと入ったチョコレート……。こんなにたっぷりのチョコレートが入ったチョココロネを見るのは初めてだ。

「あのね、これは、幸せを呼ぶチョココロネなのよ」
「え!?」
スミさんの作るものはどれも幸せを呼んでくれる。それに、スミさんからそんなことを言うのは初めてだ。
「夫が、新しいものが大好きだったって言ったでしょう?チョココロネをはじめて見つけて買ってきた時にね、とても笑いながら二人で食べたの。だって、どちらから食べたら良いかわからないし、かじったらチョコがこぼれるし……」
スミさんが目を細めた。
ああ、旦那さんのことを話す時のスミさんは、なんて素敵な笑顔なんだろう。
「それでもね、夫は、もっとチョコが入ってたら良いのになって言って、私を見るのよ」
スミさんがクスクス笑った。
「甘い物が大好きな人でね。そんな顔で言われたら、作らずにはいられなくて。それで、これを作ったの。またゲラゲラ笑いながら夫は食べてね。そうしたらその日にね、吉報が届いたの」
スミさんに手で促されて、俺はがぶりとチョココロネにかぶりついた。
大量のチョコが口に流れ込んできて、パンに絡みつく。外に溢れるチョコを、慌ててお皿で受け止めた。
ああ……甘い……幸せだ……。
「ふふふ、それでね、それから、チョココロネを作るたびに吉報が届いてね。私と夫の間で、幸せを呼ぶチョココロネと呼ぶようになったのよ。……今日これを作って待っていたのも、あなたのことを心配していたら、このチョココロネを思い出して。あなたから吉報を聞きたかったから」
スミさんが満面の笑みになった。
そしておしぼりを渡してくれる。俺の口周りはチョコまみれだったようだ。
「さあ、約束よ。食べながら、彼女とのことを詳しく聞かせて頂戴な」
俺は恥ずかしくなって、またチョココロネにかぶりついた。溢れ出すチョコレート。笑わずにはいられない。きっと、スミさんと旦那さんは、このチョココロネで沢山笑って幸せな時間を過ごしたのだろうな。
そう思いながら、俺は、鈴子さんのことを話した。
うんうんと笑顔で聞いてくれるスミさん。
そして怒られることを覚悟して、最後に抱きしめたことを言ったけれど、スミさんは逆に褒めてくれたから、俺は安心したし、何故かスミさんに話すのが嬉しかった。

「でも、少し心配ね。食事をあまりとらず、働きづめなんでしょう?」
スミさんの心配そうな言葉に、俺は手を置いて、真面目に頷いた。
「それに、いつも公園で一人でいたんでしょう?話を聞く限り、一人が好きなわけじゃないみたいだし……」
「そうなんです。いつも少し褒めただけで泣いてしまって……」
「ちゃんと、様子を見て話を聞いてあげるのよ。……なんだか、我慢することを覚えてしまっているようで心配だわ」
スミさんの言葉に、俺は背筋を伸ばして頷いた。
スミさんの言葉は全くお小言に感じない。本当に心配して、俺を想ってくれているのがわかるから。
それに、スミさんの言葉で、何かが腑に落ちた。
鈴子さんは、一人で頑張ってきたから、全部一人で我慢しているのかもしれない。
俺ができることは何だろう。
そんな俺を見透かしたように、スミさんが笑った。
「あなたなら大丈夫よ。私の幸せを思い出させてくれたのだから」
「……え?」

聞き返した瞬間に、家の電話が鳴った。
「あらあら、また何かの勧誘かしら?ちょっと待っていてくださいね」
そう言うと、スミさんは電話に出た。
俺はチョココロネを堪能していた。

「そんなやすい言葉で、今更何を!!恥を知りなさい!!」
「ええ、孫が可愛いからこそ、あなた達のやったことが許せないわ。自分で蒔いた種は自分で責任持って刈り取りなさい!!その姿を見せることが、私が可愛い孫にできる一番の教育よ!!」

俺は驚いて、思わずチョコをお皿に沢山こぼしてしまった。
スミさんの怒った声……。あんなスミさんの声を聞くのは、初めてだ。
電話を一方的に切ったと思われるスミさんは、悲しそうな顔で戻ってきた。
「スミさん……」
「あら、ごめんなさいね。聞こえていたわよね」
「いえ……」
「息子だったわ」
スミさんが苦しそうに笑った。
「え……」
「息子は二人とも、勘当したの」
「勘当……?」
「色々あってね。それから、一度も会ってないわ。孫にできる私の最初で最期の、大切なことを学んでもらう為には、これが一番良いと思って」
「……」
「そんな顔しないで。私、そのことで後悔していないのよ。むしろ、最近夫との幸せな思い出がどんどん溢れてきて、とても幸せなの」
スミさんがにっこりと笑った。その笑顔に、嘘はなかった。

俺は、突然、自分の開いてしまった引き出しを思い出した。
スミさんの幸せの引き出しが開いて、俺はすごく嬉しい。だけれど、俺の開かれてしまった引き出しは……。
「どうしたの?苦しいことがあるなら、話して頂戴」
俺は、慌てて首を振った。スミさんになら、話せるかもしれない。昔の、あの子のことを……。だけれど、それは違う気がした。
俺は、お皿に落ちたチョコをパンですくって、口に運んだ。
うん、美味しい。思わず頬が緩む。
きっと旦那さんもそうだったのだろう。何か辛いことや苦しいことがあっても、このチョココロネを食べたら、笑顔になれる。

俺は、チラリとスミさんを見た。
スミさんは、静かに旦那さんの仏陀を見つめていた。
息子さんのことは、聞かない方が良いんだろうな……。
スミさんにとって、開きたくない引き出しだろうし……。
でも、意外だった。スミさんの性格を考えると、息子さんやお嫁さん、お孫さんととても仲が良いのかと思っていた。
……でも。
毎日、スミさんは依頼を入れてくれる。だから俺が固定になったのだ。その間、息子さんが来たということは一度も聞かなかった。
その理由が、やっと分かった。

仏陀を見つめるスミさんの表情から、俺はなんとも言えない感情を感じた。
スミさんが旦那さんのことを話す時の幸せそうな顔。そんな旦那さんとの子供を勘当。
優しいスミさんだ。辛くないはずない。
だけれど、俺にはなにも言えない。
スミさんのように、気の利いた言葉でも言えたら良いのに。


時間になった。
俺はいつものように、旦那さんの仏陀に挨拶をして立ち上がった。
「じゃあ、また明日ね。運転、気をつけて。彼女のことも、また教えてね」
玄関で、スミさんが声をかけてくれる。
「スミさん、また、彼女のことの相談に乗ってくださいね!それに買い物にも行きましょう!!」
俺は、笑って言った。
今の俺には、スミさんが必要だ。
仕事のはずなのに。こんなの、仕事じゃないと、悩んでいたはずなのに。
スミさんが笑うと俺は嬉しい。
今の俺にできることは、庭仕事と……スミさんと旦那さんの幸せの引き出しを開くことだと思った。
スミさんは、一瞬驚いた顔をしたけれど、笑顔で頷いてくれた。


会社で報告書を書いて社長に報告すると、社長は優しく笑って頷いていた。
「君は、もしかしたら天性のヒーローなのかもしれないね」
社長の言葉に、俺は首を傾げた。
俺は何か言おうとしたが、社長が真面目な顔になった。
「実は、三星 大地くんのお母さんから君に新しい依頼があってね……」
「え……」


依頼内容を聞いた俺は、吐き気を覚えた。だけれど、断ることもできなかった。心配そうに見つめる社長に無理矢理笑顔をつくって、俺は社長室を出た。


……俺は、どうしたら良いんだ。
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