16 / 43
幸せを呼ぶチョココロネ
しおりを挟むうむ……。
俺はスミさんの家に車を走らせながら、難しい顔をしていた。
鈴子さんと正式に付き合うことになったのはとても嬉しい。だけれど、手を出しちゃいけないと言われていたのに抱きしめてしまった……。
スミさんのお説教が待っているのだろうか。
そう思いながらも、俺はスミさんの元に行くのが嬉しかった。
話したいことがいっぱいあるんだから。
そう思った瞬間、ハッとした。
いつも車を走らせているときは、どうやって仕事らしい仕事をしようか、今日も話だけで終わるのか、そればかり考えていた。
今、俺は何を考えていた……??
その答えが出る前に、俺はスミさんの家に到着した。
スミさんが、外に出て待っていてくれた。
俺を見ると、慌てたように駆け寄ってきた。
どうしたんだ!?
「告白、どうだった?」
玄関先で、心配そうにスミさんに聞かれて、何故か俺は胸が熱くなった。
スミさんとは他人なのに、こんなに心配してくれていたんだ。
俺は、何故か目頭が熱くなったけれど、それ以上の笑顔で頷いた。
するとスミさんがホッとしたような顔をして、笑ってくれた。
「ええ、ええ、もちろんそうよね。ごめんなさいね、あれだけ偉そうに言っておいてすごく心配だったの」
「いえ!!スミさんが背中を押してくれたお陰です!だから今日は、いつもの倍以上に庭仕事を頑張りますね!!」
笑顔で言った俺に、スミさんも笑顔で頷いた。
庭仕事が終わったら、沢山話したいことがある。
俺は、気合いを入れて庭仕事に臨んだ。
長靴を履いて、庭を見た俺は驚いた。
俺が草を抜いたところに、植木鉢が一つ置いてあったのだ。
「スミさん、これ……」
「ふふふ、せっかく庭が綺麗になってきたからね、とっても久しぶりに種からお花を植えたのよ。重い荷物が運べないから、まだこの一つだけだけれど」
スミさんが笑った。
「あなたを見てたらね、どうしても種から植えたくなったの」
「俺を……ですか?」
「ええ。あなたが、私に色んなことを思い出させてくれたのよ。そんなあなたは、私にとって種。これから芽を出すの。雨風に耐えて、どんな花を咲かせてくれるのかとっても楽しみなのよ。だから何を植えたのかは秘密」
嬉しそうにスミさんが笑った。
俺が……種……。
スミさんは、この歳でクビになってアルバイトをしているこんな俺が種で、花を咲かせることができると思っていてくれているのか……??
それにしても……。
「スミさん、こういうことこそ頼んでくれたら、車だって出すし、荷物だって運びますのに……」
俺の言葉に、スミさんが笑った。
「今回は、内緒でやりたかったのよ。でもそうね、とても荷物が重く感じちゃったから、次からは一緒に買い物に行きたいわ」
その言葉に、俺は思わず満面の笑みで頷いた。
この嬉しさは、仕事ができるという気持ちじゃなかった。
でも、じゃあなんなんだろう?
そう思いながら、俺はいつものように草むしりを始めた。
チラリと植木鉢を見ると、とても嬉しくなった。もっともっと庭を綺麗にして、スミさんと一緒に買い物に行って、植木鉢を増やしたい。
理由はわからないけれど、そんな気持ちが大きくなって、想像したら草むしりが楽しくてしょうがない。
「はい、一時間経ったわよ。途中、少しくらい休憩を入れて欲しいのに……」
スミさんが、優しい笑顔で声をかけてくれた。
もう一時間か。結構な重労働をしているはずなのに、全然苦じゃない。むしろ……。
俺は、もう一度植木鉢を見た。
今はまだ土だけの植木鉢。早く芽が出たら良いなぁ。
そう思いながら、手と顔を洗って、いつものように座ると、スミさんが嬉しそうに台所に消えていく。
すぐに漂ってくる、甘い匂い。
ここに来る前に、鈴子さんのお弁当を食べたのに、一気に胃の中が隙間をあける。
スミさんが、お盆を持って嬉しそうに戻ってくると、俺の前に置いた。
これは……!!これは!!
「チョココロネよ、今の若い人は当たり前に知っているのでしょう?」
「も、もちろんです!!」
ああ、このぐるぐるした綺麗な湾曲、その中に、たっぷりと入ったチョコレート……。こんなにたっぷりのチョコレートが入ったチョココロネを見るのは初めてだ。
「あのね、これは、幸せを呼ぶチョココロネなのよ」
「え!?」
スミさんの作るものはどれも幸せを呼んでくれる。それに、スミさんからそんなことを言うのは初めてだ。
「夫が、新しいものが大好きだったって言ったでしょう?チョココロネをはじめて見つけて買ってきた時にね、とても笑いながら二人で食べたの。だって、どちらから食べたら良いかわからないし、かじったらチョコがこぼれるし……」
スミさんが目を細めた。
ああ、旦那さんのことを話す時のスミさんは、なんて素敵な笑顔なんだろう。
「それでもね、夫は、もっとチョコが入ってたら良いのになって言って、私を見るのよ」
スミさんがクスクス笑った。
「甘い物が大好きな人でね。そんな顔で言われたら、作らずにはいられなくて。それで、これを作ったの。またゲラゲラ笑いながら夫は食べてね。そうしたらその日にね、吉報が届いたの」
スミさんに手で促されて、俺はがぶりとチョココロネにかぶりついた。
大量のチョコが口に流れ込んできて、パンに絡みつく。外に溢れるチョコを、慌ててお皿で受け止めた。
ああ……甘い……幸せだ……。
「ふふふ、それでね、それから、チョココロネを作るたびに吉報が届いてね。私と夫の間で、幸せを呼ぶチョココロネと呼ぶようになったのよ。……今日これを作って待っていたのも、あなたのことを心配していたら、このチョココロネを思い出して。あなたから吉報を聞きたかったから」
スミさんが満面の笑みになった。
そしておしぼりを渡してくれる。俺の口周りはチョコまみれだったようだ。
「さあ、約束よ。食べながら、彼女とのことを詳しく聞かせて頂戴な」
俺は恥ずかしくなって、またチョココロネにかぶりついた。溢れ出すチョコレート。笑わずにはいられない。きっと、スミさんと旦那さんは、このチョココロネで沢山笑って幸せな時間を過ごしたのだろうな。
そう思いながら、俺は、鈴子さんのことを話した。
うんうんと笑顔で聞いてくれるスミさん。
そして怒られることを覚悟して、最後に抱きしめたことを言ったけれど、スミさんは逆に褒めてくれたから、俺は安心したし、何故かスミさんに話すのが嬉しかった。
「でも、少し心配ね。食事をあまりとらず、働きづめなんでしょう?」
スミさんの心配そうな言葉に、俺は手を置いて、真面目に頷いた。
「それに、いつも公園で一人でいたんでしょう?話を聞く限り、一人が好きなわけじゃないみたいだし……」
「そうなんです。いつも少し褒めただけで泣いてしまって……」
「ちゃんと、様子を見て話を聞いてあげるのよ。……なんだか、我慢することを覚えてしまっているようで心配だわ」
スミさんの言葉に、俺は背筋を伸ばして頷いた。
スミさんの言葉は全くお小言に感じない。本当に心配して、俺を想ってくれているのがわかるから。
それに、スミさんの言葉で、何かが腑に落ちた。
鈴子さんは、一人で頑張ってきたから、全部一人で我慢しているのかもしれない。
俺ができることは何だろう。
そんな俺を見透かしたように、スミさんが笑った。
「あなたなら大丈夫よ。私の幸せを思い出させてくれたのだから」
「……え?」
聞き返した瞬間に、家の電話が鳴った。
「あらあら、また何かの勧誘かしら?ちょっと待っていてくださいね」
そう言うと、スミさんは電話に出た。
俺はチョココロネを堪能していた。
「そんなやすい言葉で、今更何を!!恥を知りなさい!!」
「ええ、孫が可愛いからこそ、あなた達のやったことが許せないわ。自分で蒔いた種は自分で責任持って刈り取りなさい!!その姿を見せることが、私が可愛い孫にできる一番の教育よ!!」
俺は驚いて、思わずチョコをお皿に沢山こぼしてしまった。
スミさんの怒った声……。あんなスミさんの声を聞くのは、初めてだ。
電話を一方的に切ったと思われるスミさんは、悲しそうな顔で戻ってきた。
「スミさん……」
「あら、ごめんなさいね。聞こえていたわよね」
「いえ……」
「息子だったわ」
スミさんが苦しそうに笑った。
「え……」
「息子は二人とも、勘当したの」
「勘当……?」
「色々あってね。それから、一度も会ってないわ。孫にできる私の最初で最期の、大切なことを学んでもらう為には、これが一番良いと思って」
「……」
「そんな顔しないで。私、そのことで後悔していないのよ。むしろ、最近夫との幸せな思い出がどんどん溢れてきて、とても幸せなの」
スミさんがにっこりと笑った。その笑顔に、嘘はなかった。
俺は、突然、自分の開いてしまった引き出しを思い出した。
スミさんの幸せの引き出しが開いて、俺はすごく嬉しい。だけれど、俺の開かれてしまった引き出しは……。
「どうしたの?苦しいことがあるなら、話して頂戴」
俺は、慌てて首を振った。スミさんになら、話せるかもしれない。昔の、あの子のことを……。だけれど、それは違う気がした。
俺は、お皿に落ちたチョコをパンですくって、口に運んだ。
うん、美味しい。思わず頬が緩む。
きっと旦那さんもそうだったのだろう。何か辛いことや苦しいことがあっても、このチョココロネを食べたら、笑顔になれる。
俺は、チラリとスミさんを見た。
スミさんは、静かに旦那さんの仏陀を見つめていた。
息子さんのことは、聞かない方が良いんだろうな……。
スミさんにとって、開きたくない引き出しだろうし……。
でも、意外だった。スミさんの性格を考えると、息子さんやお嫁さん、お孫さんととても仲が良いのかと思っていた。
……でも。
毎日、スミさんは依頼を入れてくれる。だから俺が固定になったのだ。その間、息子さんが来たということは一度も聞かなかった。
その理由が、やっと分かった。
仏陀を見つめるスミさんの表情から、俺はなんとも言えない感情を感じた。
スミさんが旦那さんのことを話す時の幸せそうな顔。そんな旦那さんとの子供を勘当。
優しいスミさんだ。辛くないはずない。
だけれど、俺にはなにも言えない。
スミさんのように、気の利いた言葉でも言えたら良いのに。
時間になった。
俺はいつものように、旦那さんの仏陀に挨拶をして立ち上がった。
「じゃあ、また明日ね。運転、気をつけて。彼女のことも、また教えてね」
玄関で、スミさんが声をかけてくれる。
「スミさん、また、彼女のことの相談に乗ってくださいね!それに買い物にも行きましょう!!」
俺は、笑って言った。
今の俺には、スミさんが必要だ。
仕事のはずなのに。こんなの、仕事じゃないと、悩んでいたはずなのに。
スミさんが笑うと俺は嬉しい。
今の俺にできることは、庭仕事と……スミさんと旦那さんの幸せの引き出しを開くことだと思った。
スミさんは、一瞬驚いた顔をしたけれど、笑顔で頷いてくれた。
会社で報告書を書いて社長に報告すると、社長は優しく笑って頷いていた。
「君は、もしかしたら天性のヒーローなのかもしれないね」
社長の言葉に、俺は首を傾げた。
俺は何か言おうとしたが、社長が真面目な顔になった。
「実は、三星 大地くんのお母さんから君に新しい依頼があってね……」
「え……」
依頼内容を聞いた俺は、吐き気を覚えた。だけれど、断ることもできなかった。心配そうに見つめる社長に無理矢理笑顔をつくって、俺は社長室を出た。
……俺は、どうしたら良いんだ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
チェイス★ザ★フェイス!
松穂
ライト文芸
他人の顔を瞬間的に記憶できる能力を持つ陽乃子。ある日、彼女が偶然ぶつかったのは派手な夜のお仕事系男女。そのまま記憶の奥にしまわれるはずだった思いがけないこの出会いは、陽乃子の人生を大きく軌道転換させることとなり――……騒がしくて自由奔放、風変わりで自分勝手な仲間たちが営む探偵事務所で、陽乃子が得るものは何か。陽乃子が捜し求める “顔” は、どこにあるのか。
※この作品は完全なフィクションです。
※他サイトにも掲載しております。
※第1部、完結いたしました。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~
白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。
国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街はパワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。
その商店街にあるJazzBar『黒猫』にバイトすることになった小野大輔。優しいマスターとママ、シッカリしたマネージャーのいる職場は楽しく快適。しかし……何か色々不思議な場所だった。~透明人間の憂鬱~と同じ店が舞台のお話です。
※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に商店街には他の作家さんが書かれたキャラクターが生活しており、この物語においても様々な形で登場しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。
コラボ作品はコチラとなっております。
【政治家の嫁は秘書様】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981
【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339
【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232
【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】
https://ncode.syosetu.com/n7423cb/
【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376
【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271
【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271
【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる