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引きこもり中学生大地くんとの出会い
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うーむ。
俺は唸りながらいつもの公園を掃除していた。
悩みの種は、何を隠そう、スミさんのことだ。
あれから何度かスミさんの所に行っているが、いつも5分もかからないような要件で、後はずっとお茶とお菓子を食べながらの雑談をしているのだ。
仕事が楽なら良いじゃないかと思うかもしれないが、これでお金を貰っても良いのだろうか。時給900円+仕事固定のプラス金。一体何個食パンが買えるだろう。
そんなことを考えながら箒で公園を掃除していると、いつもお昼頃に、決まって同じベンチに座って書類らしきものを見たり、お弁当を広げている、スーツ姿の女性が、ぼーっといつもと同じベンチに座っているのを見つけた。こんな時間にどうしたのだろう。
この女性、多分俺よりも年下だろう。いつも同じベンチに座っているので可愛いなぁと思っていたが、今日はどこか様子が変だ。
不思議に思って見ていると、足元に空き缶が落ちていた。
全く、近くにゴミ箱があるのに、なんでそこら辺に捨てるかなぁ。
すっかりと公園掃除が板についてきた俺は、空き缶に近づいた。
そに瞬間、女性がビクッとしてこっちを見た。
……そりゃ、ピンクのつなぎの男がいきなり視界に入ったら驚くよな。
「すみません、空き缶を拾おうと思ったんです」
俺は女性に頭を下げて、空き缶を拾った。
「あ、あぁ、清掃員さん……」
女性が呟いた。
正確にはなんでも屋だが、特にここで言う事ではないだろう。
そう思って頭を下げて立ち去ろうとすると、
「いつも公園のお掃除ありがとうございます」
と女性に笑顔で言われた。
それはそれは可愛らしい笑顔で。
なんだろう、この気持ち。お礼を言われて嬉しいのと、なんというか……食パンを一気にまとめ買いした時の高揚感というか……。
女性は腕時計を見ると、ハッとして、俺に笑顔で頭を下げると、立ち去っていった。
一体なんなんだ、この気持ちは。
俺はそんな高揚感と、今日こそは仕事らしい仕事をしようと、次にスミさんの家に向かったが、撃沈した。
楽しそうに色々聞いてくるスミさんに答えるのに精一杯で、また仕事らしい仕事ができなかった。
せっかく正社員の話が出たのに、これじゃあ……。
2時間後、俺は会社の事務所で報告書を書いていた。
スミさんについては正直に書いているが、社長から怒られたことはなく、指摘もされない。
だからと言って、このままで良いのだろうか。
そんなことを考えながら報告書を書き終え、社長に持っていくと、社長が難しそうな顔をしていた。
嫌な記憶が蘇る。クビを宣告されたあの日。
固定の仕事をちゃんとこなせていない俺は、まさか……。せっかく正社員の話まで出ていたのに。
絶望して立ち尽くしてしまった俺に、社長が気がついた。そして笑顔になる。
「あぁ、先野くん。報告書かね?」
「はっ、はい!!」
俺は反射的に報告書を渡した。
報告書を受け取った社長が、その場で目を通す。
「うん、上出来だ」
「へっ……?」
俺は変な声が出た。上出来……なのか?これで!?前の上司には、どんなに頑張って書類を作って持って行っても怒鳴られていたのに。
「ところで先野くん」
「は、はい!」
「君、大学を卒業してたよね?」
「はい、有名大学じゃないですが……」
俺の言葉に、社長が少し考え込むような顔をした。こんな社長初めてだ。
「先野くん、固定の仕事をもう一つ増やしても良いかい?」
社長の言葉に、俺の心がサンバを踊り始めた。固定がもう一つ増える!?まさかのカレーパンが買える日が来るんじゃないか!?
心でサンバを踊っている俺と対照的に、社長の顔は暗い。そして書類を渡された。
「三星 大地くん。中学二年生の引きこもりの男の子だ。一年生の二学期からほとんど外に出ていない。その子の母親からの依頼で、受験の為に勉強を教えて欲しいという内容だ。大学を卒業している人が条件でね」
俺は首をかしげた。
確かにここはなんでも屋だ。だけれど、今時、家庭教師の会社は山ほどあるし、家のチラシにも個別で力を!的なものが沢山あった。
住所を見ると、そこは高級マンションのようだし、何故わざわざここに?
「……今まで何人もの家庭教師を雇ったらしいが、みんな一日で辞めてしまったらしくてね……」
……社長の顔が暗かったのは、そういうことか。
「だから固定と言っても、一回限りになるかもしれない。それでも行ってくれるかい?」
社長の言葉に、俺は頷いた。
カレーパンへの道を諦めたくないし、中学生の勉強くらいならなんとかなるだろう。それに……こんな社長の顔、初めて見たのだから。
夕方、俺は三星 大地くんの家に車を走らせた。それにしても、一日でみんな辞めてしまう場所。よほど勉強ができないのだろうか?それとも、暴力でも振るわれるのだろうか?
コインパーキングに車を止めて少し歩くと、三星 大地くんの住むマンションが現れた。やっぱり高級マンションだ。
オートロックも完璧。
俺はボタンを操作して三星 大地くんの家に繋ぐ。すると女性の声がして、ロックがあいた。
エレベーターに乗って部屋の前まで行くと、チャイムを鳴らす。
すぐに女性が出てきて、一瞬俺の姿を見て顔をしかめると(ピンクのつなぎだから当たり前か)そのまま部屋に入れられた。
椅子に座るように言われたので言われるがままに座ると、女性は一気に喋り始めた。
「初めまして。大地の母です。全く、今日も荷物が届いたのかと思ってしまいました。あぁ、大地がいつもネットで何か買うんです。携帯ゲームにも沢山課金して。学校にも行かなくて。挙げ句の果てに家庭教師はみんな追い出して。もう、母親として情け無いばかりで……」
うむ、思ったよりも癖のある子のようだ。
「学校でのいじめもね、ちゃんと謝ってもらって解決したんですよ。それなのに、あの子ったら」
……ん?いじめだって?
大地くんが引きこもったのは、いじめが原因……?
それを聞こうとした瞬間、目の前にドサっと問題集の山が置かれた。
「とにかく受験までに間に合わせないと。下手な高校に行かれても困りますから。2時間でお願いしていますが、3時間でも4時間でもお金なら払います」
母親に質問する暇もなく、俺は問題集の山を持って、大地くんの部屋に案内された。
「大地!!新しい家庭教師の方よ!!分かってるの!!もう後がないんだからね!!」
扉の向こうに向けて母親が怒鳴った。
俺はその迫力に萎縮してしまったが、母親が扉を開けたので、恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。
部屋は思ったより殺風景だった。
ベッドの上で、大地くんだと思われる男の子が座ってスマホをいじっていた。
「じゃあ、お願いしますね!」
バタンと扉が閉まる。
「えっと、初めまして。なんでも屋、幸正株式会社の先野 優人です……」
俺は問題集の重さでよろよろとしながら、とりあえず自己紹介をした。
「……なんでも屋?」
大地くんが初めて顔を上げた。
そして顔をしかめた。
「あ、あはは……これ、制服なんだ。初めて見た時は驚いたけど今では結構気に入って……おっと」
問題集が崩れそうになる。
「そこに問題集置いて。勝手に座って」
大地くんが言った。
ん?案外優しいじゃないか。
俺は勉強机だと思われる場所に問題集を置くと、どこに座ろうか迷ったが、とりあえず一番上の問題集を手に取って、大地くんの目の前に座った。
ベッドの上の大地くんからは見下ろされる形になるが、ベッドに座っているんだからしょうがない。
大地くんが、俺を見ていた。
「……そんな場所に座った人初めて」
「え!?おかしかったかな!?」
俺は慌てた。
「別に良いけど」
大地くんはそう言うと、スマホの画面に顔を戻した。
何か話しかけた方が良いのだろうが、俺はとりあえず問題集を開いてみた。
……待て、待て待て待て!!これ本当に中学生の問題集か!?
中学生の勉強ならなんとかなると思ったのに、これじゃちんぷんかんぷんだ。
あぁ、俺のカレーパンへの夢は終わってしまった……。
問題集を逆さまにしてみたが、分かるわけない。
「……さっきから何してんの」
大地くんに言われてハッとなった俺は、素直に謝ることにした。
「す、すまない!内容が全く分からなくて……こんなに難しいとは思わなかったんだ」
あぁ、さようならカレーパン。そして食パン、やっぱりお前が最強だ……。
「別に良いよ。その問題集の中身、もう全部分かってるから」
「えっ!?」
驚いた俺に、大地くんはスマホを見たまま言った。
「だから、勉強できないフリしてんの。知らない?最近はスマホで勉強教えてくれるアプリがあるの」
大地くんが言った。
まさか、大地くんはゲームに課金をしていたんじゃないのか?一人でずっと勉強していたのか?
「凄いなぁ。そりゃ、家庭教師なんか、あ、いや、俺みたいな勉強もロクにできない家庭教師は必要ない時代になったんだなぁ」
「……俺の言ってること信じるの?」
大地くんが顔を上げて俺を見た。
俺は首をかしげた。
「疑う必要があるのかい?」
大地くんは驚いた顔で俺を見ている。
何か言った方が良いのだろうか。
「おじさん、なんでそんな格好してなんでも屋なんてやってるの」
うっ、痛いところを……。
でもどうせ今日限りだし、別に良いか。
「いやぁ、おじさん、前にいた会社をクビになってねぇ、ははっ、やっと見つけたのがなんでも屋だったんだ。でもね、結構この仕事気に入っててね。社長もいい人だし、このピンクのつなぎだってよく見たら可愛いだろ?」
「……」
大地くんは黙って俺を見ている。
「確かに大学には行ったけれど、おじさん、大して勉強しなかったツキが回ってきたなぁ。今の子がこんなに難しい勉強を頑張ってるなんて知らなかったよ」
「それ、超難関高校用の問題集だけどね」
「そうなのかい?それをスマホで勉強できる時代なのか。うーん、君は将来、カレーパンをたらふく食べられるんだろうなぁ」
「カレーパン?」
「あ、いや、こっちの話だ!」
「おじさん、変」
「えっ!?」
変だと言われても……確かに、初めて見るとこのピンクのつなぎは変か……。
「今までの人は、俺の言うことなんか信じなかったよ。机に座らせようとして、テストさせようとしたり。凄い上から目線で腹が立ったから、これが解けたら勉強してやるって言ってたんだ」
大地くんはそう言って、後ろに隠していたと思われる問題集を渡してきた。
なんだ、これ。日本語が分からない。俺は小学生からやり直した方が良いんじゃないか……?
「そしたらみんな一日で辞めていった」
「うーん、おじさんは辞めていくんじゃなくてクビだなぁ。だっておじさんより大地くんの方が勉強できるのに、家庭教師なんておかしいだろう?」
あぁ、自分で言っても悲しい。だが少年よ、カレーパンを食せ。
そう思っていると、突然大地くんは立ち上がり、俺から問題集をひったくった。
何をするのか見ていると、ものすごい速さで問題集を埋めていき、次に赤ペンを取ると丸をしたり直しを入れたりし始めた。
「はい。これ母さんに見せなよ。次はいつ来るの?」
大地くんの言葉を理解するのに数分かかった。
大地くんは見事に筆跡を変えて、本当に一緒に勉強したかのような問題集になっていた。母親に偽造するということだ。
「おじさんなんかが、また来ても良いのかい?」
「これ以上、面倒な人が来ても困るから」
こうして2時間が経ち、母親に問題集を見せた俺は絶賛された。
しきりに勧められた晩御飯を断って(最初とは人が違うようで怖かった)会社に戻ると、社長が待っていてくれたのかすぐに俺の元に来てくれた。
俺は口頭で、隠さずに、大地くんのこと、何があったのかを伝えた。
社長はうんうんと聞いてくれると、
「それで、明日からも行ってくれるかい?」
と聞いてきた。
「え、行っても良いんですか?」
俺の問いに、社長はふっと笑った。
「大丈夫。きちんと報告さえしていてくれたら、何かあったら私が出向くさ」
社長の言葉に俺は黙って頷いた。
「ヒーローに近づいてきたようだね」
社長はそう言うと、戻っていった。
どういうことだろう?
まぁ良い。これで固定の仕事が3つになった!!
カレーパンへの道は開けたぞ!!
俺は唸りながらいつもの公園を掃除していた。
悩みの種は、何を隠そう、スミさんのことだ。
あれから何度かスミさんの所に行っているが、いつも5分もかからないような要件で、後はずっとお茶とお菓子を食べながらの雑談をしているのだ。
仕事が楽なら良いじゃないかと思うかもしれないが、これでお金を貰っても良いのだろうか。時給900円+仕事固定のプラス金。一体何個食パンが買えるだろう。
そんなことを考えながら箒で公園を掃除していると、いつもお昼頃に、決まって同じベンチに座って書類らしきものを見たり、お弁当を広げている、スーツ姿の女性が、ぼーっといつもと同じベンチに座っているのを見つけた。こんな時間にどうしたのだろう。
この女性、多分俺よりも年下だろう。いつも同じベンチに座っているので可愛いなぁと思っていたが、今日はどこか様子が変だ。
不思議に思って見ていると、足元に空き缶が落ちていた。
全く、近くにゴミ箱があるのに、なんでそこら辺に捨てるかなぁ。
すっかりと公園掃除が板についてきた俺は、空き缶に近づいた。
そに瞬間、女性がビクッとしてこっちを見た。
……そりゃ、ピンクのつなぎの男がいきなり視界に入ったら驚くよな。
「すみません、空き缶を拾おうと思ったんです」
俺は女性に頭を下げて、空き缶を拾った。
「あ、あぁ、清掃員さん……」
女性が呟いた。
正確にはなんでも屋だが、特にここで言う事ではないだろう。
そう思って頭を下げて立ち去ろうとすると、
「いつも公園のお掃除ありがとうございます」
と女性に笑顔で言われた。
それはそれは可愛らしい笑顔で。
なんだろう、この気持ち。お礼を言われて嬉しいのと、なんというか……食パンを一気にまとめ買いした時の高揚感というか……。
女性は腕時計を見ると、ハッとして、俺に笑顔で頭を下げると、立ち去っていった。
一体なんなんだ、この気持ちは。
俺はそんな高揚感と、今日こそは仕事らしい仕事をしようと、次にスミさんの家に向かったが、撃沈した。
楽しそうに色々聞いてくるスミさんに答えるのに精一杯で、また仕事らしい仕事ができなかった。
せっかく正社員の話が出たのに、これじゃあ……。
2時間後、俺は会社の事務所で報告書を書いていた。
スミさんについては正直に書いているが、社長から怒られたことはなく、指摘もされない。
だからと言って、このままで良いのだろうか。
そんなことを考えながら報告書を書き終え、社長に持っていくと、社長が難しそうな顔をしていた。
嫌な記憶が蘇る。クビを宣告されたあの日。
固定の仕事をちゃんとこなせていない俺は、まさか……。せっかく正社員の話まで出ていたのに。
絶望して立ち尽くしてしまった俺に、社長が気がついた。そして笑顔になる。
「あぁ、先野くん。報告書かね?」
「はっ、はい!!」
俺は反射的に報告書を渡した。
報告書を受け取った社長が、その場で目を通す。
「うん、上出来だ」
「へっ……?」
俺は変な声が出た。上出来……なのか?これで!?前の上司には、どんなに頑張って書類を作って持って行っても怒鳴られていたのに。
「ところで先野くん」
「は、はい!」
「君、大学を卒業してたよね?」
「はい、有名大学じゃないですが……」
俺の言葉に、社長が少し考え込むような顔をした。こんな社長初めてだ。
「先野くん、固定の仕事をもう一つ増やしても良いかい?」
社長の言葉に、俺の心がサンバを踊り始めた。固定がもう一つ増える!?まさかのカレーパンが買える日が来るんじゃないか!?
心でサンバを踊っている俺と対照的に、社長の顔は暗い。そして書類を渡された。
「三星 大地くん。中学二年生の引きこもりの男の子だ。一年生の二学期からほとんど外に出ていない。その子の母親からの依頼で、受験の為に勉強を教えて欲しいという内容だ。大学を卒業している人が条件でね」
俺は首をかしげた。
確かにここはなんでも屋だ。だけれど、今時、家庭教師の会社は山ほどあるし、家のチラシにも個別で力を!的なものが沢山あった。
住所を見ると、そこは高級マンションのようだし、何故わざわざここに?
「……今まで何人もの家庭教師を雇ったらしいが、みんな一日で辞めてしまったらしくてね……」
……社長の顔が暗かったのは、そういうことか。
「だから固定と言っても、一回限りになるかもしれない。それでも行ってくれるかい?」
社長の言葉に、俺は頷いた。
カレーパンへの道を諦めたくないし、中学生の勉強くらいならなんとかなるだろう。それに……こんな社長の顔、初めて見たのだから。
夕方、俺は三星 大地くんの家に車を走らせた。それにしても、一日でみんな辞めてしまう場所。よほど勉強ができないのだろうか?それとも、暴力でも振るわれるのだろうか?
コインパーキングに車を止めて少し歩くと、三星 大地くんの住むマンションが現れた。やっぱり高級マンションだ。
オートロックも完璧。
俺はボタンを操作して三星 大地くんの家に繋ぐ。すると女性の声がして、ロックがあいた。
エレベーターに乗って部屋の前まで行くと、チャイムを鳴らす。
すぐに女性が出てきて、一瞬俺の姿を見て顔をしかめると(ピンクのつなぎだから当たり前か)そのまま部屋に入れられた。
椅子に座るように言われたので言われるがままに座ると、女性は一気に喋り始めた。
「初めまして。大地の母です。全く、今日も荷物が届いたのかと思ってしまいました。あぁ、大地がいつもネットで何か買うんです。携帯ゲームにも沢山課金して。学校にも行かなくて。挙げ句の果てに家庭教師はみんな追い出して。もう、母親として情け無いばかりで……」
うむ、思ったよりも癖のある子のようだ。
「学校でのいじめもね、ちゃんと謝ってもらって解決したんですよ。それなのに、あの子ったら」
……ん?いじめだって?
大地くんが引きこもったのは、いじめが原因……?
それを聞こうとした瞬間、目の前にドサっと問題集の山が置かれた。
「とにかく受験までに間に合わせないと。下手な高校に行かれても困りますから。2時間でお願いしていますが、3時間でも4時間でもお金なら払います」
母親に質問する暇もなく、俺は問題集の山を持って、大地くんの部屋に案内された。
「大地!!新しい家庭教師の方よ!!分かってるの!!もう後がないんだからね!!」
扉の向こうに向けて母親が怒鳴った。
俺はその迫力に萎縮してしまったが、母親が扉を開けたので、恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。
部屋は思ったより殺風景だった。
ベッドの上で、大地くんだと思われる男の子が座ってスマホをいじっていた。
「じゃあ、お願いしますね!」
バタンと扉が閉まる。
「えっと、初めまして。なんでも屋、幸正株式会社の先野 優人です……」
俺は問題集の重さでよろよろとしながら、とりあえず自己紹介をした。
「……なんでも屋?」
大地くんが初めて顔を上げた。
そして顔をしかめた。
「あ、あはは……これ、制服なんだ。初めて見た時は驚いたけど今では結構気に入って……おっと」
問題集が崩れそうになる。
「そこに問題集置いて。勝手に座って」
大地くんが言った。
ん?案外優しいじゃないか。
俺は勉強机だと思われる場所に問題集を置くと、どこに座ろうか迷ったが、とりあえず一番上の問題集を手に取って、大地くんの目の前に座った。
ベッドの上の大地くんからは見下ろされる形になるが、ベッドに座っているんだからしょうがない。
大地くんが、俺を見ていた。
「……そんな場所に座った人初めて」
「え!?おかしかったかな!?」
俺は慌てた。
「別に良いけど」
大地くんはそう言うと、スマホの画面に顔を戻した。
何か話しかけた方が良いのだろうが、俺はとりあえず問題集を開いてみた。
……待て、待て待て待て!!これ本当に中学生の問題集か!?
中学生の勉強ならなんとかなると思ったのに、これじゃちんぷんかんぷんだ。
あぁ、俺のカレーパンへの夢は終わってしまった……。
問題集を逆さまにしてみたが、分かるわけない。
「……さっきから何してんの」
大地くんに言われてハッとなった俺は、素直に謝ることにした。
「す、すまない!内容が全く分からなくて……こんなに難しいとは思わなかったんだ」
あぁ、さようならカレーパン。そして食パン、やっぱりお前が最強だ……。
「別に良いよ。その問題集の中身、もう全部分かってるから」
「えっ!?」
驚いた俺に、大地くんはスマホを見たまま言った。
「だから、勉強できないフリしてんの。知らない?最近はスマホで勉強教えてくれるアプリがあるの」
大地くんが言った。
まさか、大地くんはゲームに課金をしていたんじゃないのか?一人でずっと勉強していたのか?
「凄いなぁ。そりゃ、家庭教師なんか、あ、いや、俺みたいな勉強もロクにできない家庭教師は必要ない時代になったんだなぁ」
「……俺の言ってること信じるの?」
大地くんが顔を上げて俺を見た。
俺は首をかしげた。
「疑う必要があるのかい?」
大地くんは驚いた顔で俺を見ている。
何か言った方が良いのだろうか。
「おじさん、なんでそんな格好してなんでも屋なんてやってるの」
うっ、痛いところを……。
でもどうせ今日限りだし、別に良いか。
「いやぁ、おじさん、前にいた会社をクビになってねぇ、ははっ、やっと見つけたのがなんでも屋だったんだ。でもね、結構この仕事気に入っててね。社長もいい人だし、このピンクのつなぎだってよく見たら可愛いだろ?」
「……」
大地くんは黙って俺を見ている。
「確かに大学には行ったけれど、おじさん、大して勉強しなかったツキが回ってきたなぁ。今の子がこんなに難しい勉強を頑張ってるなんて知らなかったよ」
「それ、超難関高校用の問題集だけどね」
「そうなのかい?それをスマホで勉強できる時代なのか。うーん、君は将来、カレーパンをたらふく食べられるんだろうなぁ」
「カレーパン?」
「あ、いや、こっちの話だ!」
「おじさん、変」
「えっ!?」
変だと言われても……確かに、初めて見るとこのピンクのつなぎは変か……。
「今までの人は、俺の言うことなんか信じなかったよ。机に座らせようとして、テストさせようとしたり。凄い上から目線で腹が立ったから、これが解けたら勉強してやるって言ってたんだ」
大地くんはそう言って、後ろに隠していたと思われる問題集を渡してきた。
なんだ、これ。日本語が分からない。俺は小学生からやり直した方が良いんじゃないか……?
「そしたらみんな一日で辞めていった」
「うーん、おじさんは辞めていくんじゃなくてクビだなぁ。だっておじさんより大地くんの方が勉強できるのに、家庭教師なんておかしいだろう?」
あぁ、自分で言っても悲しい。だが少年よ、カレーパンを食せ。
そう思っていると、突然大地くんは立ち上がり、俺から問題集をひったくった。
何をするのか見ていると、ものすごい速さで問題集を埋めていき、次に赤ペンを取ると丸をしたり直しを入れたりし始めた。
「はい。これ母さんに見せなよ。次はいつ来るの?」
大地くんの言葉を理解するのに数分かかった。
大地くんは見事に筆跡を変えて、本当に一緒に勉強したかのような問題集になっていた。母親に偽造するということだ。
「おじさんなんかが、また来ても良いのかい?」
「これ以上、面倒な人が来ても困るから」
こうして2時間が経ち、母親に問題集を見せた俺は絶賛された。
しきりに勧められた晩御飯を断って(最初とは人が違うようで怖かった)会社に戻ると、社長が待っていてくれたのかすぐに俺の元に来てくれた。
俺は口頭で、隠さずに、大地くんのこと、何があったのかを伝えた。
社長はうんうんと聞いてくれると、
「それで、明日からも行ってくれるかい?」
と聞いてきた。
「え、行っても良いんですか?」
俺の問いに、社長はふっと笑った。
「大丈夫。きちんと報告さえしていてくれたら、何かあったら私が出向くさ」
社長の言葉に俺は黙って頷いた。
「ヒーローに近づいてきたようだね」
社長はそう言うと、戻っていった。
どういうことだろう?
まぁ良い。これで固定の仕事が3つになった!!
カレーパンへの道は開けたぞ!!
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