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山の事故
《ピピピピピピ》
スマホから着信音が鳴り響き、翼は自分のベットの上で驚いて飛び起きた。昨日はあれから家に帰って、少し両親と話すと、ぐっすりと眠ってしまっていたのだ。
慌ててスマホを手に取ると、着信画面には、有美の名前と番号。時刻はまだ早い。
考えている暇もなく、翼はスマホをさわり、電話をとった。
「翼くん、おはよう。ごめんね、朝早くに……」
有美の声が、暗い。翼にはすぐにそれが分かった。
「ううん。起こしてくれて助かったよ。どうしたの? 凄く元気がないようだけれど、何かあったの?」
「あのね……こんなことでって思われるかも知れないんだけれど、翼くんが、私と同じ感覚を持っているから、もしかしたら分かってくれるかもって……」
有美の声が、少し震えている。翼は、有美の言葉をすぐに理解した。同じものを感じる。そう、有美も、翼や翼の祖母のように、敏感な体質なのだから。
「有美さん、落ち着いて? 僕は有美さんの言葉を絶対に信じるし、きっと同じ感覚を持っているから」
「ありがとう……。あのね、今朝の、地元のニュースになっていたんだけれどね……。利石会社の工事現場で、大きな事故があったの。機械を運転していた人が、病気で意識を失って、機械の制御がきかなくなって、次々に事故が……。本当に幸いに、死人はいなかったの。意識を失った人も、命に別状はないって」
「えっ……そんな事故があったんだね」
「うん……それでね……」
有美が口ごもる。翼には、なんとなくその気持ちが分かった。言っても、理解されないのではないか。変なことを言っていると思われるのではないか。祖母が死んでから、翼がリアルで何度も感じたことだ。
「有美さん、大丈夫。僕は、ちゃんと分かるから」
「そうだよね……。あのね、私、数日前から、何かいつもと違う感覚がしていたの。怖いというか……。なんて言うんだろう。いつも穏やかな山が、怒っているような気がしていたというか……」
「うん、有美さんも、自然に敏感だもんね」
「それでね、そのニュースを見て、活動で知り合った人と連絡をとったんだけれど、その人の情報によると、利石会社が工事をしていたのは、まだ何も手続きの済んでいない、山の中だったの。その山の土地を持っている人も、利石会社とは交渉段階で、山の開発に反対していたんだけれど、利石会社が、勝手に……。お金は払うんだからって……」
「えっ、それって、犯罪なんじゃ……!?」
「うん。その土地の所有者の人は、住んでいるのは街の方なんだけれど、凄く怒ってて……。でも、私が感じるのは、そういうのじゃなくて……」
「山の……自然そのものの怒りを、感じているんだね?」
「うん……」
有美が、小さな声で頷く声がした。
翼は、内心焦っていた。山の怒り。モバの山からの怒りだ。きっとモバ自身ではなく、モバの山に住む、神や、あやかし、木霊や妖精たちの怒り。前に感じた翼の恐怖が、現実になってしまったのだ。
「有美さん、落ち着いて。大丈夫、とは言えないけれど、死人はいなかったんだし、そんな事故があったら、工事も止まるだろう? 僕も、そういうのに詳しい人に、相談しに行ってみるから。工事が止まれば、きっと山の怒りも静まるよ。こんな事故があった以上、もう強引にはできないだろうしね」
翼は、有美を落ち着かせようと、焦る心を隠し、穏やかに言った。有美は翼に言うことができて落ち着いたのか、そのまま話すうちに、段々と声に元気が戻ってきた。
しばらく話した二人は、また夜にお互い連絡をしようと、電話を切る。翼は、急いで準備をして、緑風堂に向かうことにした。
「翼、ご飯は? あと、昨日言ってた、相談したいことも」
部屋を出ると、一時より元気になった母親が、翼に声をかけた。
翼は昨日帰ると同時に、今後について相談したいと、父親と母親に話していたのだ。
「あっ、えっと、今日は用事が重なってて……」
「分かったわ。私もお父さんも、いつでも聞けるようにしておくから」
母親が優しく笑う。翼はその姿を見て、母親と父親は、何か感づいているのかもしれないと思った。だが、今は、モバの山についてが先だ。
「母さん、いつもありがとう。じゃあ、行ってくるね」
母親に声をかけて、翼は家を出る。胸のお守りは、憲和神社を指していた。
「おー、貧天から聞いたぜ。昨日はこいつらが慌てるほど、影響を受けたらしいなぁ」
憲和神社に到着すると、憲和神が社の前で、煙管を持って座っていた。その膝の上にはピンクのメウと、モバが半分半分を陣取って座っている。隣には、清一もいた。
和幸と死乃子も、いつものようにバイクをいじっている。貧天の姿は見えない。
「めうめう!!」
「もば!! 翼、昨日はメウと一緒に寝たと聞いたもば!! モバのところにも泊まりに来るもば!!」
モバがぴょんっと飛んで、翼の腕の中に来た。その姿はいつものモバで、目はくりくりとして、キラキラと輝いている。一緒にお泊まりをしようと、嬉しそうに誘ってくるその姿を見て、やはりモバ自身が怒っているのではないと、翼は感じた。
憲和神は、いつもより気怠そうに煙管から煙を吐き出すと、清一と目を合わせた。
「翼くん、モヤの影響は大丈夫かい? 大分メウたちが吸い取ったみたいだけれど。メウたちはこう見えて、モバの力を直接受けてこの山を創っている、木霊だからね」
「めうめう!!」
清一の言葉に、ピンクのメウが嬉しそうに声を上げると、憲和神の膝の上でぴょんぴょんと飛び跳ねる。それを見て嬉しそうに、モバもきゃっきゃと声をあげた。
「はい、メウたちのお陰で、昨日は楽になってぐっすり寝れました。それで、実は、朝、連絡があって……」
翼が今朝の事を言おうとすると、清一が人差し指を立てて口元に持って行き、翼の言葉を遮った。そして翼の側まで来て、モバを抱き上げると、和幸神のバイクの上に連れて行く。
「モバ、少しお仕事の話があるから、和幸くんたちに乗せて貰っておいで」
「ほら、お前も行ってこい。楽しいぞ」
モバを和幸神のバイクに乗せている清一を見て、憲和神がピンクのメウに言った。ピンクのメウがトテトテとバイクの側に寄ってきて、和幸神がピンクのメウ抱き上げる。
「じゃあ、俺と死乃子で、モバ様の山を一周ぐるりとまわってきますね」
和幸神が清一に向かって頷きながら言うと、モバとピンクのメウを連れて、死乃子と一緒にバイクを走らせ、山道に消えていく。モバとピンクのメウのはしゃぐ声も、一緒に山道へと消えていった。
「ごめんね、モバには聞かせたくなかったし、メウも理解はできなくても、モバに伝えてしまう能力があるからね」
清一の言葉に、翼は頷く。翼は、清一がいつもと違う雰囲気であることに気がついた。いつも憲和神に怒っているように、表に出す怒りとは違う、静かな怒り。そんな初めての雰囲気を感じて、翼はその恐怖に、思わず下を向く。
「お前、雇ってるヒトを怯えさせるなよ。しかもそいつは、玉沖のところのヒトだぞ。あいつ、自分の氏子のことになると、うるせぇんだからな」
憲和神が、ため息をつきながら煙を吐き出した。そして翼を見ると、ニヤリと笑う。
「事故のことだろ? あれ、俺が久しぶりに仕事をして、起こしたんだぜ。大変だったぜ。仕事なんか普段しねぇからよ」
憲和神の言葉に、翼は固まった。あの事故の原因は、確か病気で……。
「憲和。君も怯えさせているじゃないか。ごめんね、翼くん。ちゃんと説明するよ」
清一の言葉に、翼はゆっくりと頷いた。
「利石会社は、ついに手を出してはいけないところにまで手を出してしまった。モバの山の中だよ。ヒトの世界で、あの場所の所有権を持つヒトはね、ずっとあそこを、綺麗に手入れしていたんだ。そこになんの断りもなくあの会社は踏み入った」
清一の言葉に、翼は頷くことしかできない。いつもの優しい清一と違う、恐ろしいほど冷たい目が、そこにはあったからだ。それに合わせるように、風が強く吹き付けて、翼の髪と服の裾が揺れる。
「山はヒトを受け入れるよ。でもそれは昔から、ヒトが山に感謝をして、山と、自然と共に生きてきたからだ。山に踏み入るときには、丁寧にこちらにも分かるように祈祷をして、お願いをして、手順を踏んでいた。利石会社は、その全てを踏みにじったんだ。モバの山に手を出したことで、広仁神社のことには一切興味を持っていなかった、自然神の怒りまでも、利石会社は買ってしまった。大変なことが起きる直前、いつもは何もしない、とある疫病神が、でしゃばってきたんだ」
清一の言葉に、翼はチラリと憲和神を見た。憲和神はどこ吹く風で、煙を吐いている。
「その疫病神は、大昔、ここら辺一体のヒトに好かれ、奉られ、崇められ、神としての力を強くした。だけれどその本質は、ヒトを病気にさせる、ヒトにとっては災いの神だ。それなのにヒトに好かれ、社まで手にしたその疫病神は、自分に好意を向けるヒトたちを好きになってしまってね。ヒトを病気にすることを辞めていたんだ。この社に留まることで、他の疫病神もこの付近には近づかなくなり、ますますヒトから崇められた」
これはきっと、憲和神の昔の話だ。翼は、もう一度憲和神をチラリと見たが、憲和神はどこか楽しそうに、笑みを浮かべて清一を見ている。
「そしてその疫病神は、ひょんなことからこの地域の神、玉沖神様と交流を持つようになり、伴侶にまでなってしまった。子供にも恵まれ、木霊や自然神にまでも好かれ、とても疫病神とは思えない生活をしていた。ヒトを病気にさせず、人々から社が忘れられていき、疫病神としての力が弱くなっても、決してヒトを病気にすることはなかった。そんな疫病神が、仲間の神から情報を得て、ヒトを病気にさせて、事故まで起こさせたんだ。……何があっても嫌いになれない、ヒトを守る為にね」
清一の言葉の意味がどういうことか分からなかったが、思わず翼は顔を上げて、憲和神を見た。憲和神は、笑みを浮かべたまま、煙管の中身を入れ替えている。そんな憲和神を見て、清一はわざとらしく大げさにため息をついた。
「その疫病神が、憲和だよ。広仁様と周りの神々、そして自然神の怒りは限界に近かった。もし憲和が何もしなければ、もっと大きい事故が起こって、死人が出ていたかもしれない。……いや、確実に出ていただろうね。だけれど憲和があの事故を起こすことで、玉沖神様の伴侶が動いた、と、広仁様の周りの神々が一旦立ち止まった。自然神も、工事が一旦止まったことで、今は動きはない」
「すげぇだろ? 俺もやればできるんだぜ。あと、あいつの伴侶っつー肩書きも、勝手に働くんだぜ」
くくくと笑った憲和神を、清一が睨む。憲和神は、そんな清一にニヤリと笑うと、翼を見た。
「こえーよなぁ? こいつも、自然神の一部だからな。それも、モバと力を分けた者だ。モバの山を傷つけることは、こいつを傷つけるのと同じことだからな。だからよ、今回、ヒトを守る形になった俺に、お怒りって訳だ」
翼は何も答えることができず、ただ立ちすくんでいた。有美が感じた山の怒りの感覚。それはやはり、モバの山の自然神たちのものだったのだから。そしていつも優しい清一の本当の怒りに触れ、動けない。
そんな翼の様子を見て、清一がふうっと息を吐き出した。
「ごめんね、翼くん。怖がらせちゃったね。憲和の行動で、ヒトが守られ、広仁様たちが一旦立ち止まってくれたのは事実だ。玉沖神様たちも動いてくれている。このまま何事もなければ、広仁様たちの怒りも少しは静まるかもしれない。だから、翼くん。またヒトの方で動きがあったら、教えてくれるかい? 僕たちが見られないものを、君は見られると思うから。これで全てが丸く収まってくれれば、一番良いんだけれどね」
フッと力を抜いて笑った清一を見て、翼は少し安心すると、黙って頷く。バイクの音と、モバのはしゃぐ声が近づいてきた。
「ま、そんな気張る必要ねぇからな。これで丸く収まれば良いんだからよ。こいつは昔から、この山のことになると見境ねぇからな。今回も広仁のことについて客観的に動いていたくせに、山に手が出されるとコレだからよぉ」
笑いながら憲和神に言われ、翼はやっと少し力が抜けた。憲和神と清一には、自分には分からないが、例え怒ることがあっても確かな絆がある。そう感じたのだ。
「僕は元々ヒトが嫌いなんだから、仕方ないじゃないか……」
清一が呟いた声が聞こえていたのは、憲和神だけだった。
※※※
「うわぁぁぁ、また居心地が良くなってる!! 最高だぁぁぁ」
とある高級マンションの最上階の一室で、貧天が誰も見たこともないような歓喜の声をあげていた。
その部屋には高級な家具が置かれ、食器も服も、全てハイブランドのもの。部屋は雇っている代行によって整えられ、勿論食にも困っていない。
一見すると、誰もが羨むお金持ちの部屋だ。
そんな部屋で貧天は、楽しそうに過ごしている。
ふと、別の部屋から、激しい怒号が聞こえた。何を言っているかは分からないが、その声に、貧天はまたパァァっと楽しそうな笑顔になる。怒号に引きつけられるように、貧天はその部屋に入っていった。
「ふざけるな!! ここまできたんだ、今更中断なんてできねぇぞ!! どれだけでかい金が動いていると思ってんだ!! あぁ? 保証? んなもん、適当に済ませときゃ良いんだよ!! どうせあいつらは駒だ!! 人なんて、いくらでも雇えば良いんだからな!!」
貧天は怒鳴るヒトを、楽しそうに眺める。しばらく眺めた後、また別の部屋へと移動した。
「あら、また新作が出てるわ。こっちも。買っちゃいましょう。あなたも彼女に買ってあげなさいな。財力を見せるのは大事よ」
「あぁ、母さん、そうするよ」
親子だと思われる二人の会話に、貧天はクスクスと楽しそうに笑う。
「こんなに居心地が良い家なんて、滅多にないなぁ」
「やっぱり、あんたがいた」
突然聞こえた死乃子の声に、貧天は笑顔で振り返った。外では見せない貧天の喜びの姿を見慣れているのか、死乃子はため息をついただけだ。
「もう。あんたがいる場所に、私の仕事ありって感じよね。まぁ、まだ確定ではないから、ちょっと様子を見に来ただけだけれど。ほんと、あんたと和幸って、真逆で面白いわ」
死乃子がため息をつきながら言う言葉に何も答えず、貧天はニコニコとしたまま頷いたのだった。
《ピピピピピピ》
スマホから着信音が鳴り響き、翼は自分のベットの上で驚いて飛び起きた。昨日はあれから家に帰って、少し両親と話すと、ぐっすりと眠ってしまっていたのだ。
慌ててスマホを手に取ると、着信画面には、有美の名前と番号。時刻はまだ早い。
考えている暇もなく、翼はスマホをさわり、電話をとった。
「翼くん、おはよう。ごめんね、朝早くに……」
有美の声が、暗い。翼にはすぐにそれが分かった。
「ううん。起こしてくれて助かったよ。どうしたの? 凄く元気がないようだけれど、何かあったの?」
「あのね……こんなことでって思われるかも知れないんだけれど、翼くんが、私と同じ感覚を持っているから、もしかしたら分かってくれるかもって……」
有美の声が、少し震えている。翼は、有美の言葉をすぐに理解した。同じものを感じる。そう、有美も、翼や翼の祖母のように、敏感な体質なのだから。
「有美さん、落ち着いて? 僕は有美さんの言葉を絶対に信じるし、きっと同じ感覚を持っているから」
「ありがとう……。あのね、今朝の、地元のニュースになっていたんだけれどね……。利石会社の工事現場で、大きな事故があったの。機械を運転していた人が、病気で意識を失って、機械の制御がきかなくなって、次々に事故が……。本当に幸いに、死人はいなかったの。意識を失った人も、命に別状はないって」
「えっ……そんな事故があったんだね」
「うん……それでね……」
有美が口ごもる。翼には、なんとなくその気持ちが分かった。言っても、理解されないのではないか。変なことを言っていると思われるのではないか。祖母が死んでから、翼がリアルで何度も感じたことだ。
「有美さん、大丈夫。僕は、ちゃんと分かるから」
「そうだよね……。あのね、私、数日前から、何かいつもと違う感覚がしていたの。怖いというか……。なんて言うんだろう。いつも穏やかな山が、怒っているような気がしていたというか……」
「うん、有美さんも、自然に敏感だもんね」
「それでね、そのニュースを見て、活動で知り合った人と連絡をとったんだけれど、その人の情報によると、利石会社が工事をしていたのは、まだ何も手続きの済んでいない、山の中だったの。その山の土地を持っている人も、利石会社とは交渉段階で、山の開発に反対していたんだけれど、利石会社が、勝手に……。お金は払うんだからって……」
「えっ、それって、犯罪なんじゃ……!?」
「うん。その土地の所有者の人は、住んでいるのは街の方なんだけれど、凄く怒ってて……。でも、私が感じるのは、そういうのじゃなくて……」
「山の……自然そのものの怒りを、感じているんだね?」
「うん……」
有美が、小さな声で頷く声がした。
翼は、内心焦っていた。山の怒り。モバの山からの怒りだ。きっとモバ自身ではなく、モバの山に住む、神や、あやかし、木霊や妖精たちの怒り。前に感じた翼の恐怖が、現実になってしまったのだ。
「有美さん、落ち着いて。大丈夫、とは言えないけれど、死人はいなかったんだし、そんな事故があったら、工事も止まるだろう? 僕も、そういうのに詳しい人に、相談しに行ってみるから。工事が止まれば、きっと山の怒りも静まるよ。こんな事故があった以上、もう強引にはできないだろうしね」
翼は、有美を落ち着かせようと、焦る心を隠し、穏やかに言った。有美は翼に言うことができて落ち着いたのか、そのまま話すうちに、段々と声に元気が戻ってきた。
しばらく話した二人は、また夜にお互い連絡をしようと、電話を切る。翼は、急いで準備をして、緑風堂に向かうことにした。
「翼、ご飯は? あと、昨日言ってた、相談したいことも」
部屋を出ると、一時より元気になった母親が、翼に声をかけた。
翼は昨日帰ると同時に、今後について相談したいと、父親と母親に話していたのだ。
「あっ、えっと、今日は用事が重なってて……」
「分かったわ。私もお父さんも、いつでも聞けるようにしておくから」
母親が優しく笑う。翼はその姿を見て、母親と父親は、何か感づいているのかもしれないと思った。だが、今は、モバの山についてが先だ。
「母さん、いつもありがとう。じゃあ、行ってくるね」
母親に声をかけて、翼は家を出る。胸のお守りは、憲和神社を指していた。
「おー、貧天から聞いたぜ。昨日はこいつらが慌てるほど、影響を受けたらしいなぁ」
憲和神社に到着すると、憲和神が社の前で、煙管を持って座っていた。その膝の上にはピンクのメウと、モバが半分半分を陣取って座っている。隣には、清一もいた。
和幸と死乃子も、いつものようにバイクをいじっている。貧天の姿は見えない。
「めうめう!!」
「もば!! 翼、昨日はメウと一緒に寝たと聞いたもば!! モバのところにも泊まりに来るもば!!」
モバがぴょんっと飛んで、翼の腕の中に来た。その姿はいつものモバで、目はくりくりとして、キラキラと輝いている。一緒にお泊まりをしようと、嬉しそうに誘ってくるその姿を見て、やはりモバ自身が怒っているのではないと、翼は感じた。
憲和神は、いつもより気怠そうに煙管から煙を吐き出すと、清一と目を合わせた。
「翼くん、モヤの影響は大丈夫かい? 大分メウたちが吸い取ったみたいだけれど。メウたちはこう見えて、モバの力を直接受けてこの山を創っている、木霊だからね」
「めうめう!!」
清一の言葉に、ピンクのメウが嬉しそうに声を上げると、憲和神の膝の上でぴょんぴょんと飛び跳ねる。それを見て嬉しそうに、モバもきゃっきゃと声をあげた。
「はい、メウたちのお陰で、昨日は楽になってぐっすり寝れました。それで、実は、朝、連絡があって……」
翼が今朝の事を言おうとすると、清一が人差し指を立てて口元に持って行き、翼の言葉を遮った。そして翼の側まで来て、モバを抱き上げると、和幸神のバイクの上に連れて行く。
「モバ、少しお仕事の話があるから、和幸くんたちに乗せて貰っておいで」
「ほら、お前も行ってこい。楽しいぞ」
モバを和幸神のバイクに乗せている清一を見て、憲和神がピンクのメウに言った。ピンクのメウがトテトテとバイクの側に寄ってきて、和幸神がピンクのメウ抱き上げる。
「じゃあ、俺と死乃子で、モバ様の山を一周ぐるりとまわってきますね」
和幸神が清一に向かって頷きながら言うと、モバとピンクのメウを連れて、死乃子と一緒にバイクを走らせ、山道に消えていく。モバとピンクのメウのはしゃぐ声も、一緒に山道へと消えていった。
「ごめんね、モバには聞かせたくなかったし、メウも理解はできなくても、モバに伝えてしまう能力があるからね」
清一の言葉に、翼は頷く。翼は、清一がいつもと違う雰囲気であることに気がついた。いつも憲和神に怒っているように、表に出す怒りとは違う、静かな怒り。そんな初めての雰囲気を感じて、翼はその恐怖に、思わず下を向く。
「お前、雇ってるヒトを怯えさせるなよ。しかもそいつは、玉沖のところのヒトだぞ。あいつ、自分の氏子のことになると、うるせぇんだからな」
憲和神が、ため息をつきながら煙を吐き出した。そして翼を見ると、ニヤリと笑う。
「事故のことだろ? あれ、俺が久しぶりに仕事をして、起こしたんだぜ。大変だったぜ。仕事なんか普段しねぇからよ」
憲和神の言葉に、翼は固まった。あの事故の原因は、確か病気で……。
「憲和。君も怯えさせているじゃないか。ごめんね、翼くん。ちゃんと説明するよ」
清一の言葉に、翼はゆっくりと頷いた。
「利石会社は、ついに手を出してはいけないところにまで手を出してしまった。モバの山の中だよ。ヒトの世界で、あの場所の所有権を持つヒトはね、ずっとあそこを、綺麗に手入れしていたんだ。そこになんの断りもなくあの会社は踏み入った」
清一の言葉に、翼は頷くことしかできない。いつもの優しい清一と違う、恐ろしいほど冷たい目が、そこにはあったからだ。それに合わせるように、風が強く吹き付けて、翼の髪と服の裾が揺れる。
「山はヒトを受け入れるよ。でもそれは昔から、ヒトが山に感謝をして、山と、自然と共に生きてきたからだ。山に踏み入るときには、丁寧にこちらにも分かるように祈祷をして、お願いをして、手順を踏んでいた。利石会社は、その全てを踏みにじったんだ。モバの山に手を出したことで、広仁神社のことには一切興味を持っていなかった、自然神の怒りまでも、利石会社は買ってしまった。大変なことが起きる直前、いつもは何もしない、とある疫病神が、でしゃばってきたんだ」
清一の言葉に、翼はチラリと憲和神を見た。憲和神はどこ吹く風で、煙を吐いている。
「その疫病神は、大昔、ここら辺一体のヒトに好かれ、奉られ、崇められ、神としての力を強くした。だけれどその本質は、ヒトを病気にさせる、ヒトにとっては災いの神だ。それなのにヒトに好かれ、社まで手にしたその疫病神は、自分に好意を向けるヒトたちを好きになってしまってね。ヒトを病気にすることを辞めていたんだ。この社に留まることで、他の疫病神もこの付近には近づかなくなり、ますますヒトから崇められた」
これはきっと、憲和神の昔の話だ。翼は、もう一度憲和神をチラリと見たが、憲和神はどこか楽しそうに、笑みを浮かべて清一を見ている。
「そしてその疫病神は、ひょんなことからこの地域の神、玉沖神様と交流を持つようになり、伴侶にまでなってしまった。子供にも恵まれ、木霊や自然神にまでも好かれ、とても疫病神とは思えない生活をしていた。ヒトを病気にさせず、人々から社が忘れられていき、疫病神としての力が弱くなっても、決してヒトを病気にすることはなかった。そんな疫病神が、仲間の神から情報を得て、ヒトを病気にさせて、事故まで起こさせたんだ。……何があっても嫌いになれない、ヒトを守る為にね」
清一の言葉の意味がどういうことか分からなかったが、思わず翼は顔を上げて、憲和神を見た。憲和神は、笑みを浮かべたまま、煙管の中身を入れ替えている。そんな憲和神を見て、清一はわざとらしく大げさにため息をついた。
「その疫病神が、憲和だよ。広仁様と周りの神々、そして自然神の怒りは限界に近かった。もし憲和が何もしなければ、もっと大きい事故が起こって、死人が出ていたかもしれない。……いや、確実に出ていただろうね。だけれど憲和があの事故を起こすことで、玉沖神様の伴侶が動いた、と、広仁様の周りの神々が一旦立ち止まった。自然神も、工事が一旦止まったことで、今は動きはない」
「すげぇだろ? 俺もやればできるんだぜ。あと、あいつの伴侶っつー肩書きも、勝手に働くんだぜ」
くくくと笑った憲和神を、清一が睨む。憲和神は、そんな清一にニヤリと笑うと、翼を見た。
「こえーよなぁ? こいつも、自然神の一部だからな。それも、モバと力を分けた者だ。モバの山を傷つけることは、こいつを傷つけるのと同じことだからな。だからよ、今回、ヒトを守る形になった俺に、お怒りって訳だ」
翼は何も答えることができず、ただ立ちすくんでいた。有美が感じた山の怒りの感覚。それはやはり、モバの山の自然神たちのものだったのだから。そしていつも優しい清一の本当の怒りに触れ、動けない。
そんな翼の様子を見て、清一がふうっと息を吐き出した。
「ごめんね、翼くん。怖がらせちゃったね。憲和の行動で、ヒトが守られ、広仁様たちが一旦立ち止まってくれたのは事実だ。玉沖神様たちも動いてくれている。このまま何事もなければ、広仁様たちの怒りも少しは静まるかもしれない。だから、翼くん。またヒトの方で動きがあったら、教えてくれるかい? 僕たちが見られないものを、君は見られると思うから。これで全てが丸く収まってくれれば、一番良いんだけれどね」
フッと力を抜いて笑った清一を見て、翼は少し安心すると、黙って頷く。バイクの音と、モバのはしゃぐ声が近づいてきた。
「ま、そんな気張る必要ねぇからな。これで丸く収まれば良いんだからよ。こいつは昔から、この山のことになると見境ねぇからな。今回も広仁のことについて客観的に動いていたくせに、山に手が出されるとコレだからよぉ」
笑いながら憲和神に言われ、翼はやっと少し力が抜けた。憲和神と清一には、自分には分からないが、例え怒ることがあっても確かな絆がある。そう感じたのだ。
「僕は元々ヒトが嫌いなんだから、仕方ないじゃないか……」
清一が呟いた声が聞こえていたのは、憲和神だけだった。
※※※
「うわぁぁぁ、また居心地が良くなってる!! 最高だぁぁぁ」
とある高級マンションの最上階の一室で、貧天が誰も見たこともないような歓喜の声をあげていた。
その部屋には高級な家具が置かれ、食器も服も、全てハイブランドのもの。部屋は雇っている代行によって整えられ、勿論食にも困っていない。
一見すると、誰もが羨むお金持ちの部屋だ。
そんな部屋で貧天は、楽しそうに過ごしている。
ふと、別の部屋から、激しい怒号が聞こえた。何を言っているかは分からないが、その声に、貧天はまたパァァっと楽しそうな笑顔になる。怒号に引きつけられるように、貧天はその部屋に入っていった。
「ふざけるな!! ここまできたんだ、今更中断なんてできねぇぞ!! どれだけでかい金が動いていると思ってんだ!! あぁ? 保証? んなもん、適当に済ませときゃ良いんだよ!! どうせあいつらは駒だ!! 人なんて、いくらでも雇えば良いんだからな!!」
貧天は怒鳴るヒトを、楽しそうに眺める。しばらく眺めた後、また別の部屋へと移動した。
「あら、また新作が出てるわ。こっちも。買っちゃいましょう。あなたも彼女に買ってあげなさいな。財力を見せるのは大事よ」
「あぁ、母さん、そうするよ」
親子だと思われる二人の会話に、貧天はクスクスと楽しそうに笑う。
「こんなに居心地が良い家なんて、滅多にないなぁ」
「やっぱり、あんたがいた」
突然聞こえた死乃子の声に、貧天は笑顔で振り返った。外では見せない貧天の喜びの姿を見慣れているのか、死乃子はため息をついただけだ。
「もう。あんたがいる場所に、私の仕事ありって感じよね。まぁ、まだ確定ではないから、ちょっと様子を見に来ただけだけれど。ほんと、あんたと和幸って、真逆で面白いわ」
死乃子がため息をつきながら言う言葉に何も答えず、貧天はニコニコとしたまま頷いたのだった。
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