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出会い、そして決意
「母さん、まだ体調が悪いの?」
朝起きた翼は、何もない机の上を見て、母親の部屋に顔を出した。
幾分か顔色は良くなっているようだが、まだ元気はないようだ。
「翼、ごめんね。体は大分楽になってきたのよ。後は少し怠さが残っているだけで」
「うん、無理しないで。僕は外で食べるけれど、母さんはちゃんと食べているの?」
「お父さんが準備してくれているから大丈夫よ。といっても、レトルトだけれどね。早く元気にならなくちゃ。翼は何も心配しないで、この休みを楽しんで」
「ありがとう……。じゃあ、今日も出てくるね」
そう言うと、翼は家を出て、玉沖神社に行くのとは反対側に向かうバス停の駅に向かう。
バスを待っている間に、SNSを開き、メッセージのやり取りを確認した。
今、大学の休みで緑島町に戻ってきていること。祖母とまわっていたはずの神社が壊され、今こうして活動している人たちがいることを知ったこと。その場所を見てみたいと思っていること。そうメッセージを送ると、なんと大学生の代表の方から返事があり、会ってくれることになったのだ。
広仁神社の場所を正確に覚えていないと言ったら、案内までしてくれるという。
こんな風にご縁が繋がることもあるんだな、と、翼はSNSを見ながら思った。思えば、緑風堂のことを知ったのも、SNSの掲示板だった。新しい物も、使い方次第で、良いご縁は繋がっていく。なんとなくそれが嬉しくて、翼は少し笑顔になると、時間通りにやってきたバスに乗った。
梅山町の向こうは田舎といってもまだまだ栄えている。背の高い建物は減っていき、都会過ぎないが住むのには困らない、といった感じで、黒いモヤさえ見えていなければとても魅力的な町だ。そう。この黒いモヤさえ見えていなければ。
黒いモヤは、霧のように辺りを覆っていた。翼は梅山町に入った瞬間、ズシン、と体が重くなり、うっと気分が悪くなったが、その瞬間、首から下げていた清一に貰った石と、駒猫に貰ったお守りが熱くなり、少し体が軽くなったのだ。
守られている。そう確かに実感した翼は、待ち合わせ場所のバス停で、無事に下車した。
「あ、神谷さんですか? 初めまして。私、メッセージのやり取りをさせて頂きました、村上 有美です!」
長い髪をポニーテールにした女性が、元気よく翼に話しかけてきた。明るい色のワンピースを着ているその姿は、翼の想像していた姿と違う。翼はもっと、なんというか、地味な方を想像していたのだ。
「神谷です。今日はお時間を取って頂き、ありがとうございます」
「あははっ、そんなにかしこまらなくて良いですよ! 私たち、同級生ですし! 昨日少しお話したように、私も神谷さんと同じで、玉沖神社の氏子に当たる場所が実家なんですけれど、学校も違ったし、今まで面識がなかったんですね。狭い町だと思っていましたけれど、意外と広かったって思いました!」
村上の明るい声に、少し肩の力が抜けた翼は、村上と一緒に歩き出す。村上は、翼に積極的に話しかけてくれた。
「私の父方の家が、神事、いわゆる神楽を舞う家系だったんです。地域的なものなので、全国的なものではないんですけれど。それで、小さいときから神社が当たり前のように側にあって。歴史を学ぼうと思ったのも、神社が好きだったからなんです。宗教か、と言われたらよくわからないんですけれどね。お葬式とかはお寺でやるし、父方の従姉妹も、普通にチャペルで結婚式をしていましたし」
「確かに……。神様にお参りするって、特に海外の方から見たら、宗教の一つですよね。当たり前のように普段行っていたから、そんなこと考えたことありませんでした」
「神道は宗教か、という話題は、定期的に上がるんですよ。この国は神仏混同でもありますしね。でも私は、神様がそこら辺に沢山いて、自然に私たちの生活に密着している、そんな考えの神道が好きなんです。今日は行く予定はないのですが、この近くに、外国人の神主さんがいる神社があるんですけれど、その方が言っていたことが面白くて。八百万の神々の考え方は、自然に神が宿っていて、神社に奉られている神もいる。他の国の神は、隣や二軒隣に住んでいる神だから、ご近所さんの神だって」
クスクスと笑う村上に、つられて翼も笑顔になった。村上の明るさだろうか。黒いモヤのまとわりつくような重さが、村上と話し始めてから、さらに軽減された気がする。
翼も、祖母との思い出を村上に話した。モバや他の神々のことは伏せたが、最近ずっとモバの山に行くことが日課だとも。
「この山々は、別々の山のようで連なっていますからね。昔の方は、山を神聖なものとして、祈っていました。それがこの山々です。そうやって山の自然そのものが大事にされてきたからこそ、ここの山々には、色んな神社や祠、言い伝えや伝承、妖怪の話まで、沢山のものがあるんですよ」
村上の言葉に、翼は笑顔で頷いた。その通りだ。モバの山を中心に、沢山の神がいて、キューピーたちあやかしもいる。それを勉強という形でしている村上は凄いなと、翼は感心した。何より、その話をする村上は、とても楽しそうなのだ。
ふと、翼は、自分が学んでいることを、こんなに生き生きと話せるだろうかと思った。
大学生の長期休暇は長いとはいっても、もう半分もすれば終わってしまう。そうすれば、ここがどういう状況であろうと、翼は大学に戻ることとなる。
暗くなりかけた心に、この黒いモヤが入り込んできそうな、そんな感覚がする。
「でも、休みの間だけでも、神社のことや、この山のことに興味を持って貰えて、本当に嬉しいです! 広仁神社のこと、私、許せないんですけれど……。でも、それで改めて、神社が地域の人の心のより所になっていたんだって気がつけたんです。だから、神社も再建させたいし、山の開発も、本当に必要なもの以外はやめてほしい。そう思うようになったんです。今回、神谷さんが地元だからって興味を持ってくれたことも、私の力になりました!! 広仁神社で、感謝しないとですねっ!!」
村上の明るい言葉で、翼の心に入りかけていた黒いモヤが、スッと引いていった気がした。翼は今、心の回復をしている。山崎の言葉を思い出す。
今は、目の前のことに全力で向き合って、取り組もう。大学に戻るとき、自分がどんな気持ちになるかはわからないが、その時はまたその時に考えれば良い。翼はそう気持ちを切り替えたのだった。
「ここが、広仁神社の跡地です。今は、更地になってしまって。でも、本当はここに、何か建てる予定だったらしいんです。地域住民の反対があったからか、今は工事が止まっているようなんですが」
翼は、更地になって、地面がむき出しになっている場所を眺めていた。周りの風景で、なんとなく思い出す。祖母と一緒に、この場所に来ていたことを。
更地の前には、お酒や、お菓子が無造作に置かれていた。村上によると、近所の人たちが、お供えにと持ってきているらしい。
村上は、まるでそこに本殿があるかのように、二礼し、二拍手し、手を合わせる。翼も同じようにして、目を閉じた。
【翼、ここの神様はね、少し気性の荒い神様だって有名なのよ。良く言えば、とても感情の豊かな神様で、私たちヒトに、とっても寄り添ってくれる神様なの】
ふと、翼の頭の中に、祖母の言葉がよみがえった。そうだ。ここに一緒に来ていた時に、祖母がそう言っていた。
(……広仁様。お久しぶりです。緑島町の翼です。ここに戻ってきて、色々あって、今日ここに来ました)
翼は心でそう語りかけながら、今日までのことを思い返す。心で思えば、神様には伝わる。祖母の教えてくれたことだ。
(僕に何ができるかはわからないけれど、僕は、僕のできること、やろうと思ったことをやってみようと思っています。さっき、村上さんの言葉を聞いて、驚いたんです。この神社の再建を祈っていることも、それに、広仁様に感謝しなきゃって言葉も。……僕も、きっとそうだと思ったんです。広仁様のことがなければ、僕はモバたちと出会うことはなかった。ただ帰ってきても、ここまで心の回復はできなかった。だから……広仁様、本当にありがとうございます)
ここに来るまで、翼は広仁神社に来て、何を祈れば良いのかずっと考えていた。だが、いざその場に立って、手を合わせてみると、驚くほどすらすらと言葉が出てくる。
もしかしたら、神社に参る人たちは、みんなそうなのかもしれない。手を合わせて祈れば、自然と心の言葉が出てくる。それを神様に聞いて貰うだけでも、スッキリする。それが、神社が根付いてきた理由なのかもしれない。
顔を上げると、そこには村上の微笑む顔があった。翼も、つられて微笑む。そうしてまた一礼すると、村上に連れられて、歩き出した。
「ここが、亀本神社です。ご存じかもしれませんが、この地区の氏神様です。父の知り合いのご縁で、ここの脇にある集会所を借して頂いているんです。亀本神社の方も、私たちの活動に協力してくれていて」
そう言いながら、村上は亀本神社の本殿の前に立つと、また二礼二拍手して一礼する。翼も同じようにして、挨拶をすると、村上に連れられて集会所の中に入った。
中に居たのは、村上と同じ大学の人が数人に、この地域の老人会に入っているという人が数人だ。皆が翼に好意的に接してくれて、温かい雰囲気で雑談をしている人たちに、翼は驚いた。署名活動を始め、利石会社に反対活動をしている人たちだ。もっと、殺伐としていると思っていたのに。
署名活動の話は最初の数分で終わった。すでに、ホームページに書いてあったことでもあったからだ。その後は、モバの山についての伝承や、言い伝えを、老人会の人が楽しそうに教えてくれたり、それに沿った資料を村上たちが見せてくれたりした。
翼は、そんな話が楽しくて、気がついたら集中して聞いていた。そして思った。こんなに歴史がある山、土地、神社。それを守りたいと思う気持ちは、村上や仲間、老人会の人や地域住民にとっては当たり前のことで、決して利石会社の人と争いたい訳ではないのだと。
ここに来て良かった。自分に何ができるかわからないけれど、村上たちに少しでも協力したい。そして、清一たちに橋渡しがしたい。翼は、そんな気持ちになると、決意を示すように、首から下げているお守りを握りしめた。
その後も時間ギリギリまで色々な資料を見せて貰っていた翼だが、ふと、とある古文を訳したものが目に止まった。それによると、本当に古来、まだ文明とも呼べるものがない時代、不作や疫病が続いたとき、モバの山に、人が生け贄にされていた、という一文だ。
翼は首をかしげた。確かに、そういう話はよく昔話などで聞いた気がするし、全国各地であったことなのだろう。でも、モバが人を貰って喜ぶとは思えない。当時は今のモバの姿ではなかったと思うが、モバは人を生け贄に貰って、何を思ったのだろうか。
そう思ったとき、翼の心に、何かが引っかかった。でも、何に引っかかったのか分からなかった翼は、このことを山崎に聞いてみようと思った。山崎なら、当時のことを知っているかもしれない、そう思ったのだ。
無意識にこの話題を清一にすることを避けていることに、翼は気づいていなかった。
※※※
「広仁。聞いたであろう。我が可愛い氏子たちの声を。我が可愛い氏子たちが、お前のために縁を繋いだことも」
真っ暗な闇の中、玉沖神の声が響く。問いかけられたものは、何も答えない。
「亀本が決断できないことはよく分かっておる。亀本の事なかれも、亀本の立場も、想いも。だからこそ、もしもこれ以上そなたが正気を失うのであれば、妾がそなたを斬らなければならぬ。それが、神産みの頃より続く正統派の神の中でも、氏神を賜ったものの勤め。広仁、思い出すのじゃ。聞くのじゃ。そなたへ語りかけ続ける、ヒトの声を」
「……時々、こうして正気に戻ることがある」
暗闇の中から、小さな声が響き渡った。弱々しく、疲れた声だ。
「だがまた、すぐに怒りに飲まれるのだ。なんの断りもなしに、なんの敬意も想いもなく、一方的に踏みにじられた、この心が」
「……そなたがこれ以上正気を失い、そなたにつく神々ですら庇えきれなくなる前に。戻ってこい」
玉沖神の言葉に、返ってくる言葉はなかった。
「色々とすまないな。だが、事なかれは言いすぎじゃないか、玉沖の姉様」
亀本神社の本殿の中で、お茶をすすりながら翼と村上を見守っていた玉沖神に、亀本神がむっとした声で言った。
「何が違うというのじゃ」
「玉沖の姉様が変わっておるのだ。豊穣の神であり、氏神でありながら好戦的な部分がある。それに、伴侶に選んだのが……」
亀本神がそこまで言ったところで、玉沖神は残ったお茶を飲み干し、立ち上がる。亀本神が、ため息をついた。
「だが、感謝はしておるよ。玉沖の姉様。多くの神が、広仁の味方につき、周りを固めておる。我が手を出したら、それこそどうなるか」
「だから事なかれと言っておるのじゃ。さっさとその周りを固めておる神々との話を進めるのじゃ。何度でも。妾もまた来る」
亀本神が頷いた時には、玉沖神は消えていたのだった。
「母さん、まだ体調が悪いの?」
朝起きた翼は、何もない机の上を見て、母親の部屋に顔を出した。
幾分か顔色は良くなっているようだが、まだ元気はないようだ。
「翼、ごめんね。体は大分楽になってきたのよ。後は少し怠さが残っているだけで」
「うん、無理しないで。僕は外で食べるけれど、母さんはちゃんと食べているの?」
「お父さんが準備してくれているから大丈夫よ。といっても、レトルトだけれどね。早く元気にならなくちゃ。翼は何も心配しないで、この休みを楽しんで」
「ありがとう……。じゃあ、今日も出てくるね」
そう言うと、翼は家を出て、玉沖神社に行くのとは反対側に向かうバス停の駅に向かう。
バスを待っている間に、SNSを開き、メッセージのやり取りを確認した。
今、大学の休みで緑島町に戻ってきていること。祖母とまわっていたはずの神社が壊され、今こうして活動している人たちがいることを知ったこと。その場所を見てみたいと思っていること。そうメッセージを送ると、なんと大学生の代表の方から返事があり、会ってくれることになったのだ。
広仁神社の場所を正確に覚えていないと言ったら、案内までしてくれるという。
こんな風にご縁が繋がることもあるんだな、と、翼はSNSを見ながら思った。思えば、緑風堂のことを知ったのも、SNSの掲示板だった。新しい物も、使い方次第で、良いご縁は繋がっていく。なんとなくそれが嬉しくて、翼は少し笑顔になると、時間通りにやってきたバスに乗った。
梅山町の向こうは田舎といってもまだまだ栄えている。背の高い建物は減っていき、都会過ぎないが住むのには困らない、といった感じで、黒いモヤさえ見えていなければとても魅力的な町だ。そう。この黒いモヤさえ見えていなければ。
黒いモヤは、霧のように辺りを覆っていた。翼は梅山町に入った瞬間、ズシン、と体が重くなり、うっと気分が悪くなったが、その瞬間、首から下げていた清一に貰った石と、駒猫に貰ったお守りが熱くなり、少し体が軽くなったのだ。
守られている。そう確かに実感した翼は、待ち合わせ場所のバス停で、無事に下車した。
「あ、神谷さんですか? 初めまして。私、メッセージのやり取りをさせて頂きました、村上 有美です!」
長い髪をポニーテールにした女性が、元気よく翼に話しかけてきた。明るい色のワンピースを着ているその姿は、翼の想像していた姿と違う。翼はもっと、なんというか、地味な方を想像していたのだ。
「神谷です。今日はお時間を取って頂き、ありがとうございます」
「あははっ、そんなにかしこまらなくて良いですよ! 私たち、同級生ですし! 昨日少しお話したように、私も神谷さんと同じで、玉沖神社の氏子に当たる場所が実家なんですけれど、学校も違ったし、今まで面識がなかったんですね。狭い町だと思っていましたけれど、意外と広かったって思いました!」
村上の明るい声に、少し肩の力が抜けた翼は、村上と一緒に歩き出す。村上は、翼に積極的に話しかけてくれた。
「私の父方の家が、神事、いわゆる神楽を舞う家系だったんです。地域的なものなので、全国的なものではないんですけれど。それで、小さいときから神社が当たり前のように側にあって。歴史を学ぼうと思ったのも、神社が好きだったからなんです。宗教か、と言われたらよくわからないんですけれどね。お葬式とかはお寺でやるし、父方の従姉妹も、普通にチャペルで結婚式をしていましたし」
「確かに……。神様にお参りするって、特に海外の方から見たら、宗教の一つですよね。当たり前のように普段行っていたから、そんなこと考えたことありませんでした」
「神道は宗教か、という話題は、定期的に上がるんですよ。この国は神仏混同でもありますしね。でも私は、神様がそこら辺に沢山いて、自然に私たちの生活に密着している、そんな考えの神道が好きなんです。今日は行く予定はないのですが、この近くに、外国人の神主さんがいる神社があるんですけれど、その方が言っていたことが面白くて。八百万の神々の考え方は、自然に神が宿っていて、神社に奉られている神もいる。他の国の神は、隣や二軒隣に住んでいる神だから、ご近所さんの神だって」
クスクスと笑う村上に、つられて翼も笑顔になった。村上の明るさだろうか。黒いモヤのまとわりつくような重さが、村上と話し始めてから、さらに軽減された気がする。
翼も、祖母との思い出を村上に話した。モバや他の神々のことは伏せたが、最近ずっとモバの山に行くことが日課だとも。
「この山々は、別々の山のようで連なっていますからね。昔の方は、山を神聖なものとして、祈っていました。それがこの山々です。そうやって山の自然そのものが大事にされてきたからこそ、ここの山々には、色んな神社や祠、言い伝えや伝承、妖怪の話まで、沢山のものがあるんですよ」
村上の言葉に、翼は笑顔で頷いた。その通りだ。モバの山を中心に、沢山の神がいて、キューピーたちあやかしもいる。それを勉強という形でしている村上は凄いなと、翼は感心した。何より、その話をする村上は、とても楽しそうなのだ。
ふと、翼は、自分が学んでいることを、こんなに生き生きと話せるだろうかと思った。
大学生の長期休暇は長いとはいっても、もう半分もすれば終わってしまう。そうすれば、ここがどういう状況であろうと、翼は大学に戻ることとなる。
暗くなりかけた心に、この黒いモヤが入り込んできそうな、そんな感覚がする。
「でも、休みの間だけでも、神社のことや、この山のことに興味を持って貰えて、本当に嬉しいです! 広仁神社のこと、私、許せないんですけれど……。でも、それで改めて、神社が地域の人の心のより所になっていたんだって気がつけたんです。だから、神社も再建させたいし、山の開発も、本当に必要なもの以外はやめてほしい。そう思うようになったんです。今回、神谷さんが地元だからって興味を持ってくれたことも、私の力になりました!! 広仁神社で、感謝しないとですねっ!!」
村上の明るい言葉で、翼の心に入りかけていた黒いモヤが、スッと引いていった気がした。翼は今、心の回復をしている。山崎の言葉を思い出す。
今は、目の前のことに全力で向き合って、取り組もう。大学に戻るとき、自分がどんな気持ちになるかはわからないが、その時はまたその時に考えれば良い。翼はそう気持ちを切り替えたのだった。
「ここが、広仁神社の跡地です。今は、更地になってしまって。でも、本当はここに、何か建てる予定だったらしいんです。地域住民の反対があったからか、今は工事が止まっているようなんですが」
翼は、更地になって、地面がむき出しになっている場所を眺めていた。周りの風景で、なんとなく思い出す。祖母と一緒に、この場所に来ていたことを。
更地の前には、お酒や、お菓子が無造作に置かれていた。村上によると、近所の人たちが、お供えにと持ってきているらしい。
村上は、まるでそこに本殿があるかのように、二礼し、二拍手し、手を合わせる。翼も同じようにして、目を閉じた。
【翼、ここの神様はね、少し気性の荒い神様だって有名なのよ。良く言えば、とても感情の豊かな神様で、私たちヒトに、とっても寄り添ってくれる神様なの】
ふと、翼の頭の中に、祖母の言葉がよみがえった。そうだ。ここに一緒に来ていた時に、祖母がそう言っていた。
(……広仁様。お久しぶりです。緑島町の翼です。ここに戻ってきて、色々あって、今日ここに来ました)
翼は心でそう語りかけながら、今日までのことを思い返す。心で思えば、神様には伝わる。祖母の教えてくれたことだ。
(僕に何ができるかはわからないけれど、僕は、僕のできること、やろうと思ったことをやってみようと思っています。さっき、村上さんの言葉を聞いて、驚いたんです。この神社の再建を祈っていることも、それに、広仁様に感謝しなきゃって言葉も。……僕も、きっとそうだと思ったんです。広仁様のことがなければ、僕はモバたちと出会うことはなかった。ただ帰ってきても、ここまで心の回復はできなかった。だから……広仁様、本当にありがとうございます)
ここに来るまで、翼は広仁神社に来て、何を祈れば良いのかずっと考えていた。だが、いざその場に立って、手を合わせてみると、驚くほどすらすらと言葉が出てくる。
もしかしたら、神社に参る人たちは、みんなそうなのかもしれない。手を合わせて祈れば、自然と心の言葉が出てくる。それを神様に聞いて貰うだけでも、スッキリする。それが、神社が根付いてきた理由なのかもしれない。
顔を上げると、そこには村上の微笑む顔があった。翼も、つられて微笑む。そうしてまた一礼すると、村上に連れられて、歩き出した。
「ここが、亀本神社です。ご存じかもしれませんが、この地区の氏神様です。父の知り合いのご縁で、ここの脇にある集会所を借して頂いているんです。亀本神社の方も、私たちの活動に協力してくれていて」
そう言いながら、村上は亀本神社の本殿の前に立つと、また二礼二拍手して一礼する。翼も同じようにして、挨拶をすると、村上に連れられて集会所の中に入った。
中に居たのは、村上と同じ大学の人が数人に、この地域の老人会に入っているという人が数人だ。皆が翼に好意的に接してくれて、温かい雰囲気で雑談をしている人たちに、翼は驚いた。署名活動を始め、利石会社に反対活動をしている人たちだ。もっと、殺伐としていると思っていたのに。
署名活動の話は最初の数分で終わった。すでに、ホームページに書いてあったことでもあったからだ。その後は、モバの山についての伝承や、言い伝えを、老人会の人が楽しそうに教えてくれたり、それに沿った資料を村上たちが見せてくれたりした。
翼は、そんな話が楽しくて、気がついたら集中して聞いていた。そして思った。こんなに歴史がある山、土地、神社。それを守りたいと思う気持ちは、村上や仲間、老人会の人や地域住民にとっては当たり前のことで、決して利石会社の人と争いたい訳ではないのだと。
ここに来て良かった。自分に何ができるかわからないけれど、村上たちに少しでも協力したい。そして、清一たちに橋渡しがしたい。翼は、そんな気持ちになると、決意を示すように、首から下げているお守りを握りしめた。
その後も時間ギリギリまで色々な資料を見せて貰っていた翼だが、ふと、とある古文を訳したものが目に止まった。それによると、本当に古来、まだ文明とも呼べるものがない時代、不作や疫病が続いたとき、モバの山に、人が生け贄にされていた、という一文だ。
翼は首をかしげた。確かに、そういう話はよく昔話などで聞いた気がするし、全国各地であったことなのだろう。でも、モバが人を貰って喜ぶとは思えない。当時は今のモバの姿ではなかったと思うが、モバは人を生け贄に貰って、何を思ったのだろうか。
そう思ったとき、翼の心に、何かが引っかかった。でも、何に引っかかったのか分からなかった翼は、このことを山崎に聞いてみようと思った。山崎なら、当時のことを知っているかもしれない、そう思ったのだ。
無意識にこの話題を清一にすることを避けていることに、翼は気づいていなかった。
※※※
「広仁。聞いたであろう。我が可愛い氏子たちの声を。我が可愛い氏子たちが、お前のために縁を繋いだことも」
真っ暗な闇の中、玉沖神の声が響く。問いかけられたものは、何も答えない。
「亀本が決断できないことはよく分かっておる。亀本の事なかれも、亀本の立場も、想いも。だからこそ、もしもこれ以上そなたが正気を失うのであれば、妾がそなたを斬らなければならぬ。それが、神産みの頃より続く正統派の神の中でも、氏神を賜ったものの勤め。広仁、思い出すのじゃ。聞くのじゃ。そなたへ語りかけ続ける、ヒトの声を」
「……時々、こうして正気に戻ることがある」
暗闇の中から、小さな声が響き渡った。弱々しく、疲れた声だ。
「だがまた、すぐに怒りに飲まれるのだ。なんの断りもなしに、なんの敬意も想いもなく、一方的に踏みにじられた、この心が」
「……そなたがこれ以上正気を失い、そなたにつく神々ですら庇えきれなくなる前に。戻ってこい」
玉沖神の言葉に、返ってくる言葉はなかった。
「色々とすまないな。だが、事なかれは言いすぎじゃないか、玉沖の姉様」
亀本神社の本殿の中で、お茶をすすりながら翼と村上を見守っていた玉沖神に、亀本神がむっとした声で言った。
「何が違うというのじゃ」
「玉沖の姉様が変わっておるのだ。豊穣の神であり、氏神でありながら好戦的な部分がある。それに、伴侶に選んだのが……」
亀本神がそこまで言ったところで、玉沖神は残ったお茶を飲み干し、立ち上がる。亀本神が、ため息をついた。
「だが、感謝はしておるよ。玉沖の姉様。多くの神が、広仁の味方につき、周りを固めておる。我が手を出したら、それこそどうなるか」
「だから事なかれと言っておるのじゃ。さっさとその周りを固めておる神々との話を進めるのじゃ。何度でも。妾もまた来る」
亀本神が頷いた時には、玉沖神は消えていたのだった。
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店に通うようになった莉亜は、蓬が料理人として致命的なある物を失っていることを知ってしまう。そして、それを失っている蓬は近い内に消滅してしまうとも。
それでも蓬は自身が消える時までおにぎりを握り続け、店を開けるという。
そこにはおむすび処の唯一のメニューである塩おにぎりと、かつて蓬を信仰していた人間・セイとの間にあった優しい思い出と大切な借り物、そして蓬が犯した取り返しのつかない罪が深く関わっていたのだった。
「これも俺の運命だ。アイツが現れるまで、ここでアイツから借りたものを守り続けること。それが俺に出来る、唯一の贖罪だ」
蓬を助けるには、豊穣の神としての蓬の名前とセイとの思い出の味という塩おにぎりが必要だという。
莉亜は蓬とセイのために、蓬の名前とセイとの思い出の味を見つけると決意するがーー。
蓬がセイに犯した罪とは、そして蓬は名前と思い出の味を思い出せるのかーー。
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※ノベマに掲載していた短編作品を加筆、修正した長編作品になります。
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