巡り会い、繋ぐ縁

Emi 松原

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怒りの向く先

 あれから、モバは和幸神のバイクに乗ったり、翼と一緒にぷりんを食べたりして、少しずつ、いつものモバへと戻っていった。そんなモバを見ながら、翼は今まで感じたことのない感覚に襲われていた。
 出会った時から、モバは小さな子供のようで、放っておけなかった。いつも一緒に遊んでいたし、神だ、ということすら忘れそうになっていたほどだ。
 だが、翼は心のどこかでいつも感じていた。モバの瞳の中にある、強い力を。
 モバは、神聖な山そのもの。どうして今あの姿でいるのかは分からないが、ヒトが生きる前からある山という自然の力に、ヒトが敵うわけないのだ。翼は初めて、モバに秘められている神の力を実感したのである。
 真っ直ぐ家に帰る気になれなかった翼は、駒猫のところに行くことにした。キューピーや山崎の店はまだ開いていないだろうし、駒猫はいつも翼を歓迎して話をしてくれるのだ。

「あれ?」
 駒猫の前に、《ナニカ》がいた。それがヒトなのかなんなのか分からなかったが、翼は反射的に足を止める。《ナニカ》に対して、駒猫が頷いている。
 《ナニカ》が、消えるように去って行く。翼は動いて良いのか分からなかったが、駒猫が翼に気がつき、声をかける。
「翼さん、今日は少し早いのですね。……おや、お元気がないようですが……」
 翼は駒猫に頭を下げると、駒猫の側に行く。
「あの、今日は朝から色々あって……。あの、さっき、ここにいたのは……」
「あぁ、キューピーさんの元に居る、あやかしさんがご挨拶に来てくれたのです。翼さんは、あやかしさんたちが避難してくることをお聞きになられましたか?」
「えっ? 避難……?」
 なんのことか分からず動揺する翼を見て、駒猫が頷いた。
「避難です。キューピーさんが玉沖様にご進言されて、玉沖様が了承されたのです。それで私たち神々に、キューピーさんの元にいるあやかしさんが代表して、説明と挨拶に来てくれたのですよ」
「も、もしかして、梅山町からあやかしが避難してくるってことですか……?」
 翼は、店に来るのが困難になっているあやかしがいる、というキューピーの言葉を思い出していた。
「その通りです。広仁様の怒りに当てられ、あやかしも、ヒトも、影響を受けています。そんな中、あやかしさんたちが魔物化してしまわないよう、キューピーさんが主導で、キューピーさんの元へと避難させるようです。ここはモバ様そのものであり、玉沖様の領域ですからね」
「モバそのものであり、玉沖神様の領域……」
「はい、そうです。モバ様は、自然が芽生えし時から自然に宿っている、自然神。別の言葉で、国津神と言います。一方玉沖様や、梅山の亀本様、我が主も、高天原から降りてきた神、その神たちの系統である天津神と言います。天照大神様が有名ですね。この二つの神々は仲が悪いという話や、争いの話もありますが、ここは一度もそんなことはなく、お互いを尊重し、お互いの分野で共存してきたのですよ」
「なるほど……」
「この山はモバ様そのものですが、玉沖様が守っている領域でもあります。自然神は、あるべきままを受け入れるということが多いので、こういうことは玉沖様が担当しているのですよ」
「えっと、憲和神様は、天津神様ですか? 神社がありますし」
 翼の言葉に、駒猫がふふっと笑う。
「憲和様は、少し特殊な方です。流浪の神である疫病神の中でも、ヒトに奉られて力を持ってここに定住した神ですから。貧天さんのような貧乏神も、古くからいる神ですが、該当はしませんね。これがいわゆる、八百万の神々というものです」
 駒猫の言葉に、翼が頷いた。
 翼は、この八百万の神々という考え方が昔から好きだったのだ。祖母と一緒に神社をまわっているときに、よく祖母が言っていた。この国は八百万の神々がいて、様々なものに神が宿り、自分たちを守ってくれているのだと。
「翼さんは、何があったのですか? 翼さんの元気がないと、我が主も悲しまれるのです」
「あ、えっと、それが……」
 母親や友人が体調を崩していること。利石会社のこと。地域住民のこと。泣き叫ぶモバのこと。翼は今日あったことを一つずつ駒猫に話していく。駒猫は、静かに頷いて相づちをを打ちながら、翼の言葉を聞いていた。
「そんなことが……。モバ様が不機嫌になられたのは、きっとその開拓しようとしているヒトが、山に入って何かをしたのでしょうね。その不快感が、モバ様に現れたのでしょう」
「僕、恥ずかしいんですが、初めてモバの力を実感した気がして」
「ええ、モバ様は今はあのお姿を保つために、本来の力は山にあるままで、一部の力を具現化させていますからね。その影響もあって、モバ様は子供のようなんですよ。元々自然神様は純粋無垢でありながら厳しい方が多いのですが、モバ様は力を具現化させたことによって、心も具現化していますから。翼さんから見て、神と感じるのが難しいのも無理はありません」
 翼は、駒猫に向かって頷くと、下を向いた。
 モバが、もし怒ったら……。その怒りは、どこに向くのだろうか。
「翼さん、少し厳しい言い方になりますが、モバ様のような、それこそ私たちなども比べものにならないほど、ここでこの世界を見守ってきた自然神様は、ヒトが多少何かしようとも、ヒトに関してそれほど興味を持ちませんよ。今日モバ様のご機嫌が悪かったのも、不快感というものが具現化したものでしょうし」
 翼の心を見透かしたように、駒猫が優しく微笑んだ。
「万が一、モバ様が、怒り、という感情を感じたとき。それは、私たちも経験したことがないので、分からないのです。清一さんや、清一さんと仲良くされている憲和様が常にモバ様をお守りしていますしね」
「そうですよね、清一さんがいれば……」
 駒猫の言葉に納得しながらも、ふと翼は先ほどの駒猫の言葉に引っかかる部分があった。
「あの。清一さんって、元は人間なんですよね? でも……」
「ふふっ、気になりますよね。ですが、私からそれを言う訳にはいかないのです。というのも、私たちがここに奉られる前から、清一さんはモバ様の側にいらっしゃいますから。私は知識として知っているだけなのですよ。そうですね……興味がおありでしたら、山崎さんに聞いてみたら良いですよ」
 駒猫の言葉と笑顔に、翼は心が少し楽になって、頷いた。とりあえず、モバの怒りが、ここに住むヒトに向けられることはないだろうと思ったからだ。
 そんな翼を見て、駒猫は少し迷った仕草を見せながら、口を開いた。
「モバ様がお怒りになることはないでしょうが……。他の自然神様たちは、モバ様の聖域が汚されようとしたことに、お怒りになるかもしれません……。それに、広仁様の怒りも。広仁様についている神々も。多くの神が、私たちのように今は中立を保っています。ですが、ほとんどの神が、この山……モバ様に感謝をしています。ですので……」
 駒猫の言わんとすることが分かり、翼は思わずうつむいた。
 モバ自身は怒らないかもしれない。でも、そのモバの周りの神々は?
 多くの神社や祠が、この山にある。それは、モバがそれを受け入れているからだ。あやかしもしかり。キューピーも、山崎も、そして駒猫も、モバがここに居させてくれる、と感謝していることを翼は何度も聞いていた。
 神だけでない。この山は、古来より神聖な山として、ヒトが信仰心を向けていた山だ。今はあまり信仰というものはないかもしれないが、山そのものとして、ヒトにも愛されているのだ。
 そんなモバを不快にさせ、モバそのものの山を傷つける。
 モバを愛する神々、ヒトの怒りは、どこへ向く?
 一言で開発と言っても、手順を踏み、モバという山にお願いをする儀式をちゃんとして、モバが受け入れれば、なんの問題もないのだろう。
 それなのに、利石会社がしていることは、一方的に、横暴に、破壊するのと同じことだ。
 怒りは、利石会社に向くのだろうか。ヒトの怒りはそうだろう。
 でも、神の怒りは……?
 体調を崩した母親の姿。友人とのやりとり。
 翼の体は震えだしていた。ヒトの勝手な行動。それを普段は黙って見守ってくれている神々が、黙っていなくなったら……?
 そんな翼の様子に、駒猫も少し悲しそうにうつむいたのだった。

 それからしばらく、翼と駒猫は、梅山町の地域住民たちが署名活動をしていること、工事の中止を求めていることを話した。
「中立の神の中には、この方たちの応援をしているものもいるんですよ。広仁様に起こったことは許されないことですが、広仁様を愛する住人たちが立ち上がっています。もしかしたら、この声が広仁様に届くんじゃないかと……。そして、利石会社の暴挙を止めてくれるのではないかと。神々は直接的にヒトの世界に干渉はしませんが、手を差し伸べている神は多いのです」
「広仁様に、声を届ける……」
 翼は、駒猫の言葉に頷いた。
 過去を思い出したり、ホームページを見た翼は、広仁神社が愛されていたことを知った。自分は詳しくは覚えていないが、祖母とまわっていたことは間違いない。そこには、祖母との思い出があるはずだ。それに、自分と広仁神様の縁も繋がっていると聞いたし、もしそんな多くの人の声が届けば、何かが変わるのではないだろうか。
 でも、どうやって?
 正直、今梅山町に近づくことはできないと思っていた。あの黒いモヤを見たときから、ずっと。梅山町に入ったことで怖い思いもしたし、清一からも行かない方が良いと言われていた。
 それでも……。
「駒猫さん。実は梅山町のもっと奥になるんですが、署名活動を手助けしている大学生の人たちがいて……。僕、そこに話を聞きに行ってみたいなと思うんです。神様やあやかしさんたちが頑張っているのを、僕は知っています。人が頑張っていることも知りました。僕にできるのは、どちらにも協力して、橋渡しをすることなんじゃないかなって、今話していて思ったんです」
「おっしゃることは分かりますが……梅山町に入ることは、とても危険です。翼さんは守られてもいますが、私たちが見えるくらいに力が強くなっています。その分影響も受けるのです。今までの怖い思い以上のことがあってもおかしくありません」
「はい。でも、僕はこの人たちと話してみたい。それと……。広仁神社があった場所にも、行ってみたいんです。モバが泣き叫んでいるのを見て、モバに対して少し恐怖も感じました。でも、きっと……。他の神様とは比べものにならないかもしれませんが、僕もモバが大好きなんです。モバも、モバそのものの、この山も。ばぁちゃんと歩いた、この山が」
 翼の言葉に、駒猫が何かを言おうとした時、駒猫は何かに気がついたように後ろを振り返った。駒猫の後ろは、神社の本殿だ。
「我が主が呼んでいます。翼さん、少し待っていてくださいね」
 翼は頷くと、本殿に入っていく駒猫を見送り、スマートフォンを見る。
 あの署名活動を手助けしている大学生の人たちは、SNSでも発信をしていた。そこからメッセージを送れば、繋がることができるかもしれない。
 翼がその人たちが発信しているSNSをフォローした時、駒猫がぴょんっと元の場所に戻ってきた。
「翼さん。我が主からです。受け取ってください」
 そう言って翼に差し出した手(前足)には、小さな赤いお守りが握られていた。
 翼はよく意味が分からなかったが、お守りを受け取る。その瞬間、体が少し暖かくなった気がした。
「我が主は、翼さんを応援しています。ですが、天津神は、ヒトに姿を見せることは少ないですから、私が代わりに。このお守りを、清一さんのお守りと一緒に持っていてください。きっと何かの力になると思います」
「い、良いんですか……?」
 翼の言葉に、駒猫が笑う。その笑顔は、どこか吹っ切れた笑顔だった。
「はい。我が主は、今までずっと中立という立場を保ってきました。ですが、翼さんが悩みながらもこうして前を向いて行動しようとしている姿を見て、手を差し伸べたくなったのです。翼さんに手を差し伸べたことで、中立ではないとみなされるかもしれません。ですが、それで良いのです。我々が手を差し伸べたいと思ったヒトに手を差し伸べる。それこそが我々の役目なのですから」
 翼は、目が潤んでいくのが分かった。
 駒猫はいつも翼の話を聞いてくれていた。だが決して、駒猫もこの神社の主も、中立という立場を崩したことはなかったのだ。
 それなのに、応援してくれると言ってくれた。お守りをくれた。
 立場を変えれば、危険なこともあるかもしれないのに。
「ありがとうございます」
 駒猫と本殿に向かって深々と頭を下げた翼を見て、駒猫は嬉しそうに微笑んだのだった。

※※※

「神の心を動かしたか」
 フッと笑った玉沖神の前には、憲和神が気怠そうに座っていた。
「ったく。モバがずっとぐずってやがったから、今日は疲れたぜ。で、駒猫のところが、中立から外れてこっちに寄ったってことで良いのか?」
「正確には、我が可愛い氏子に手を差し伸べただけじゃ。我々に協力して、広仁をどうにかしようとは思っていないであろう。対立はしたくないであろうからな。あの氏子は、己の気持ちと行動で、神への信頼を得て、心を動かしたのじゃ」
「あいつ、ずっと色んなところをまわって頑張ってるもんなぁ」
 はぁ、と煙を吐き出しながら憲和神が頷く。その表情は、どこかとてもくたびれている。
「疲れておるな」
「そりゃあな。モバのお守りをしてたからな」
「それだけではなかろう」
 玉沖神の言葉に、憲和神はニヤリと笑うと、玉沖神を見た。
「どうせ、知ってるんだろ?」
「この近くの流浪の神が集まっておることはな。だが、その目的もなにもわからぬ。お主が動いているのであろう」
「俺はちょいとあいつらを飲みに誘っただけだ。貧天にも協力させたから、なんか褒美を渡さなきゃならねぇけど、あいつ何も欲しがらねぇからなぁ」
「何をする気じゃ」
 玉沖神の言葉に、憲和神は笑ったまま、煙を吐き出した。
「そもそも、俺たち流浪の神は、おめぇやモバ、清一のように真っ向から真っ直ぐに動かねぇんだよ。ま、危険なことはしねぇから安心しろや。流浪の神は、自分の身が一番だからな。今回のことに興味を持ってる奴もほぼ居ねぇし。ただ、ちょっくら調べるだけだ」
 憲和神の言葉に、玉沖神の口角が少しだけ上がる。
「たまには頼りになるのだな」
「おめぇの伴侶になった以上、動かねぇ訳にはいかないだろうが」
 玉沖神が返事をしようとした時、部屋の扉が勢いよくガラガラと開いた。
「ただいまぁ! 母ちゃーん、腹減ったぁ!! あれ、父ちゃん。こっちに来てたんだ。……。あ、俺、外で食べてくるから!!」
 和幸神は、勢いよく扉を閉めて、バタバタと走って外に向かう。
「俺、妹でも弟でもどっちでも良いからねー!!」
 和幸神の叫ぶ声が聞こえたと思ったら、バイクの音が遠のいていく。
 玉沖神と憲和神は顔を見合わせて、苦笑したのだった。

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