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第8話「料理の隠し味は少しの狂気」

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 窓から差し込む陽光がシルディアの意識を浮上させる。
 部屋の眩しさに目を細め、起き上がろうとして失敗した。

(そうだった。オデルと抱き合って寝たの忘れてた)

 体に回された腕は重く、逃れることもままならない。
 寝入っていても緩まない力に、シルディアは苦笑する。

(抱き合って寝るって言われた時は純潔の危機を感じたけれど、文字通りの意味で安心したわ)

 シルディアの起床時には絶対に起きているオデルが、まだ寝ている。
 その事実が少しだけシルディアの心を高揚させた。

(今まで熟睡した事がないんだもの。もう少し寝かせてあげましょう)

 オデルはまばゆい光をものともせず寝息を立てている。
 初めて見るオデルの寝顔は、いつもより幼く見えた。
 目にかかりそうな前髪に触れれば、見た目以上に柔らかく黒絹のような触り心地だ。

(何をすればこんな肌触りになるのかしら? 寝不足のはずなのに肌も荒れていないなんて羨ましい)

 頬を撫でれば、予想以上の滑らかさに驚いた。
 柔らかなもち肌は赤子のようだ。
 時間にして一分ほどだろうか。オデルの肌を堪能し、はたと我に返る。

(わたしったら、はしたないことを……。意識のない人をベタベタ触るのはマナー違反だわ)

 手を離し、恥ずかしさからオデルに背中を向けようと身を捻る。
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられているため、背を向けるのは骨が折れたが、なんとか反対を向くことに成功した。
 シルディアがほっと息を吐いた瞬間。

「触るのはもうおしまい?」
「っ!?」

 からかうような声が聞こえた。
 腕に力が籠められ、引き寄せられる。
 背中からオデルのぬくもりが伝わり、急に距離の近さを自覚してしまった。
 触れ合う背中から早鐘を打つ鼓動に気付かれてしまいそうだ。

「おはよう」
「お、おはよう。いつから起きていたの……?」
「流石に顔を触られたら起きるよ」
「う、ごめんなさい」
「もっと触ってくれてもよかったんだよ? 楽しそうに触るシルディアをもっと見たかったな」
「……意地悪だわ」
「ふっ。可愛いなぁ。俺の白百合は」
「……ちゃんと寝れた?」

 シルディアはオデルの言葉を無視し、問いかける。
 抱きしめられながら寝た成果は彼にしか分からないことだ。

「うん。初めて熟睡というものをした気がするよ。頭がすっきりしてる」
「! よかった!」
「ありがとう。シルディア」
「元はと言えば、わたしにつがいとしての自覚がないから、オデルを蝕む激痛が消えないのよ。恨まれこそすれ、お礼なんて……」
「俺はシルディアを恨んだりしないよ。恨むとすれば、元凶である竜の王かな」
「そんな罰当たりな……」

 元気づけるための冗談だろうとシルディアは軽やかに笑った。
 反応に満足したのか、オデルはシルディアから手を離し起き上がる。
 続いて起き上がったシルディアに、彼は気の抜けた笑みを向けた。

「そろそろ起きようか。もう昼過ぎぐらいにはなってそうだし、お腹空いたでしょ?」
「だいじょう――」

 言い切る前に、きゅるると可愛らしい音が鳴った。
 自身のお腹から聞こえた音に、シルディアは体中から火が出るかと錯覚する。
 彼女の腹の虫に肩を揺らし笑ったオデルから視線を逸らすが、逃がさないとばかりに手を取られリビングルームへとエスコートされた。



 オデルに連れられてシルディアがテーブルについてから十分が経っただろうか。
 ワゴンを引いたオデルが申し訳なさそうに眉を下げる。

「だいぶ寝坊しちゃったから、いつもみたいに品数なくてごめんね」
「? それは構わないのだけど……」

 テーブルに並べられたのはサンドイッチだ。
 卵が挟まったものもあれば、肉と野菜が挟まったものもある。さらに白いホイップと苺が挟まったものまで用意されていた。
 いつものように隣に座ったオデルと一緒に手を合わせ、神に祈りを捧げる。

「ずっと気になっていたのだけど」
「うん?」
「どうしてオデルが自ら厨房に入るの? 料理人と侍女がいるなら、食事を持って来るのは侍女であるヴィーニャの役割だと思うわ」
「ヴィーニャはあくまでもシルディアのお世話係だよ。それに、厨房に料理人はいないよ?」
「え? ならどうして食事が? ……まさか」
「そのまさかだよ。俺が作っているよ」
「なぜ皇王自ら料理を……おかしいでしょ」
「なにもおかしくはないよ。合理的な判断だ」
「? どういう……?」

 オデルがサンドイッチを食んだと同時に、トマトから汁が滴る。
 滴った汁は皿に落ち、赤色の水たまりを作った。

「俺が作れば、毒見役が死ななくてすむ」
「!」
「もううんざりなんだよ。誰かが死ぬのは」

 そう言ったオデルは実に寂しそうな笑いを浮かべていた。
 常に狙われる立場である彼の気持ちは、痛いほど分かる。
 シルディアは妖精姫の影武者として生きてきた。それはなぜか。
 妖精姫という存在は常に死と隣り合わせだからだ。

(毒を飲めばただの人は死んでしまう。そのリスクを少しでも減らすためにわたしの存在は隠された。すべてはフロージェを守るために。なら、オデルは? 皇族、しかも竜の王となることが決まっている皇太子なんて、いい的だわ)

 妖精姫であり、双子の妹でもあるフロージェを守るため、シルディアの存在は秘匿された。
 入れ替わったとしても片方がいないという事態がないように。
 しかし、この方法は双子だからできる技である。
 兄弟はいても、年齢が違えば意味がない。むしろ、未来の皇王を守るために進んで影武者になろうとする者はいないだろう。
 なにせ、兄が死ねば、次の皇太子は弟へと回るのだから。
 使い捨ての駒と言われても否定できないような人間に成り下がろうとする酔狂な者はいない。

「何人死んだの?」
「九十九人。六歳頃、食事は自分で作った方がいいと気が付いた」
「そう」
「最初は死人を出したくなくて始めた料理だったんだが、意外と面白くて今ではどんな料理も作れるようになったよ」
「凝り性なのね」
「そのおかげで今シルディアに手料理を振舞えるんだ。役得だと思わない?」

 愁いの帯びた顔が一変して、オデル照れ隠しのように笑った。
 シルディアは彼の笑顔を横目にサンドイッチへと手を伸ばす。
 デザートに用意されたであろうホイップと苺のサンドイッチに口をつけた。

「へぇ。シルディアはやっぱり好きな物を最初に食べるタイプなんだね」
「んむ!?」
「最初に食べないと誰かに取られたりしてたの?」
「……どうして?」

 サンドイッチを飲み飲み込み、シルディアは首を傾げる。
 笑みを深くしたオデルが憶測を口に出す。

「俺がそうだから」
「だからってわたしも同じとは限らないじゃない」
「苺、好きでしょ。ほら、俺の分もあげる」
「え、いいの? ありがとう」

 オデルから苺のサンドイッチを渡された。
 シルディアは満面の笑みで受け取り、サンドイッチを食べようとして気付く。

「っ、謀ったわね!?」
「ふ、くくっ。可愛いなぁ。どうして苺が好きなの?」
「……どんな理由でも笑わない?」
「笑わないよ。俺はシルディアの全てを知りたいからね」

 彼の言葉に背中を押され、シルディアは初めて好きな理由を口にした。

「六歳ぐらいだったかしら? 夜会でイチゴジャムのクッキーをもらったことがあるの。それがすごく美味しかったから……」

 しりすぼみに紡いだ言葉だったが、オデルの耳にはちゃんと届いていたようで、彼はなぜか口元を手で覆った。

「……たまらないな」

 オデルが何かを呟いていたが、手で覆われて聞こえない。

「なにか言った?」
「いや、こっちの話」
「? 変なの」

 薄く笑ったシルディアは、残ったサンドイッチに手を付けた。
 すべてを食べ終わった頃。
 食事をするシルディアを眺めてたオデルが唐突に喋り始めた。

「そういえば、体を構成する細胞は一か月で入れ変わると言われているのは知ってる?」
「知っているわ。でもどうして今その話?」
「俺がシルディアに手料理を出す理由にも関係があるんだ」
「ますます意味が分からないわ。さっき毒見が死ぬのが嫌だって話はどこに行ったの?」

 振られた話題の意味が理解できず、シルディアは眉を寄せる。

「もちろんそれも嘘じゃないよ。でも、一番の理由は……」
「一番の理由は?」
「一か月間。俺と同じ食事をすれば、血が、肉が、君の全てが、俺と同じになるんだ。実行しない手はないだろ?」

 狂気じみた言葉に、シルディアは目を見開いた。
 しかし、皇国へ来てから向けられている重い愛情を思い出し、すぐさま衝撃から戻ってきた。

「同じ食事なら料理人が作っても一緒になるわよ」
「いいや。それは違うよ」

 ため息交じりに呟いたが即座に否定される。

「?」
「俺が丹精込めて作った食事が、シルディアを構成する全てになるのがたまらないんだ」
「……そう」

 言うだけ言って満足したのか、オデルはワゴンに乗せた食器を片付けるため厨房に向かった。
 一人残されたシルディアは胸の奥に燻ぶる温かな気持ちに困惑する。

(どこを取っても狂気を感じるような言動。でも、どうしてかしら? 嫌じゃない)

 初めて宿った感情に、シルディアは頭を悩ませるのだった。
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