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第38話

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病院の個室のベッドに寝かされた皐月は、点滴を打ってもらいようやく顔色がよくなってきていた。

携帯の電源を切っているため今岩本さんと関がどうしているのかはわからなかった。

2人が清水から話を聞けているのか気になってはいたけれど、皐月の傍を離れることはできなかった。

今皐月から離れたら、また皐月がどこかへ行ってしまうような気がして・・・・。

しばらくすると、皐月の瞼が震えゆっくりとその目を開いた。

「・・・・稔・・・・?」
「皐月・・・・おはよ」

心細そうに俺を見上げる皐月の手を、ぎゅっと握る。

「・・・よかった。顔色、だいぶいいよ」
「稔・・・・俺・・・・清水先生のこと・・・・」
「・・・何か、思い出した?」

皐月が起きあがろうとするので、俺はその体を支えベッドに座らせてやった。

「・・・・うん、思い出した・・・・。というより、どうして思い出せなかったのか、わかったっていうか・・・・」
「どういうこと?」
「俺・・・あの3人のことが、ちゃんと思い出せないって言ったでしょ?」
「ああ」
「正確には、清水先生に関わることだけが、どうしても思い出せなかったんだ」
「清水先生のことだけ?でも・・・」
「田中も、吉田も今東京に住んでて2人とも清水先生が東京にいるって知ってから頻繁に飲みに行ってるんだ。田中と吉田の2人だけの時のことは、見えてくる。でもそこに清水先生が加わると・・・・わからなくなっちゃうんだ。それは、中学時代のことを思い出してもおんなじで・・・・。あの2人と遊んだ記憶は鮮明に思い出せるのに、清水先生とはどんな話をしていたのか・・・・その時の周りの状況もぼやけて、よく思い出せない。施設に来てくれた時のことも、覚えてはいるのにその内容が思い出せなかった。どうしても・・・・」
「その理由が、わかったってこと?」

俺の言葉に、皐月はゆっくりと頷いた。

「岩本さんが、思い出させてくれたんだ」
「岩本さんが?」
「取り調べの時・・・・『催眠術を掛けられたんじゃないか』って言われた。俺は、覚えてなくて・・・でも、その言葉を聞いてから、急にいろんなことを思い出して・・・・。まだ全部は思い出せないけど・・・・」

皐月が、一度唇をきゅっと噛みしめた。

「岩本さんの言う通り、先生は俺に催眠術を掛けるために施設に会いに来てたんだ・・・。先生が俺に掛けた催眠術は、たぶん今野とのことを忘れるためのものだったと思う。そして・・・・俺の気持ちを自分に向けさせるため・・・。だけどその催眠術は完全じゃなくて・・・俺は、今野とのことを忘れることはできなくて、代わりに先生とのことを忘れていったんだ」
「先生とのことを・・・・」
「うん・・・・先生であることは、ちゃんと覚えてるよ。でも、先生との会話とかは忘れてしまうんだ。だから、先生は何度も俺に催眠術を掛けに来たんだと思う。何度も何度も、俺が今野とのことを忘れるまで。先生のことを、好きになるまで・・・・」
「でも、忘れられなかった・・・・」
「うん・・・・。どうしても忘れられなくて・・・・先生は、その原因を、俺の潜在意識がそうさせると思ったんだと思う。俺が、本当は今野のことを好きなんじゃないかって・・・・そして、俺が親戚の家へ行くことになった時・・・・先生に言われたんだ。『もう、きみとは会わない』って」
「会わない?」
「そう。これで、終わりにするって。俺は、何を言われてるのかわからなかった。どうして先生がそんなこと言うのかわからなくて・・・・。でも、転校するとき吉田と田中に言われたんだ。清水先生とは、もう会わない方がいいって」
「2人が?」

―――じゃあ、その2人は清水のことを怪しんでいたってことなのか?

「今までずっと、忘れてた。でも、思い出したんだ・・・・吉田と田中は、俺と仲が良かったから・・・・何度か先生に無視されたり、突然理由もわからず怒られたことがあるんだ。それで、先生が俺に何かするつもりなんじゃないかって心配してくれてたみたい。だけど俺がいなくなってから、嫌がらせは受けなくなって普通に接してたらしい。俺の中でも、ずっと先生は優しい先生のままで・・・・だから、こっちで再会した時も・・・」
「こっちで再会?それ、浩斗くんと一緒にいた時のこと?」

俺の言葉に、皐月は首を横に振った。

「・・・・・事件の前の日に、家に帰る途中偶然会ったんだ。先生の家が、すぐ近くだから・・・・食事でも一緒にって言われて・・・・行ったんだ」

事件の前日。

確か俺は仕事で遅くなって、夕食も関と一緒に食べたんだ・・・・。

「最初は先生の作ってくれた料理を一緒に食べて・・・・普通に近況報告してたと思う・・・・でも・・・俺が今、恋人と一緒に住んでるって言った途端、先生の態度が変わって・・・・」

話しながら、皐月の顔が苦痛にゆがみ額を手で押さえ、俯いた。

「皐月?大丈夫か?辛いなら・・・・」
「だいじょぶ・・・・『忘れなさい』って・・・・」
「え?」
「『忘れなさい』って、先生の声が響いて・・・・・でも、もう・・・思い出したいんだ・・・全部・・・稔・・・・」

皐月が、俺の手を握り、潤んだ瞳で見つめる。

「ん?」
「俺のこと・・・・全部知っても、嫌いにならないで・・・・」
「嫌いになんか、なるわけないだろ?」

俺は皐月を安心させるように笑って見せた。

―――大丈夫。愛してるから・・・・

皐月はちょと笑みを浮かべると、一度目を閉じて息を整えるように深呼吸した。

「・・・・先生は言ったんだ。『きみはぼくを裏切ったのか』って。俺は、意味がわからなくて・・・・『ずっと僕を好きだと言っただろう』って。『ずっと僕を好きでいなさいって言っただろう』って」
「それは・・・・催眠術で好きだと言わされたってこと?」
「うん。俺は・・・・そんなこと、言った覚えないって言った。俺が今愛してるのは、今の恋人だけで・・・・先生とはそういう関係になれないって。そしたら、急に先生が俺に飛びかかって来て・・・・首を絞められそうになったんだ」
「首を・・・・」
「必死に抵抗して、先生の体を突き飛ばして・・・・・そしたら、急に先生は俺に謝りだした。申し訳ないって・・・・もうこんなことしないから、また会って欲しいって・・・・。俺はもう会いたくないって言って先生の家を出たんだけど・・・・俺、その前に先生にアドレスとか教えてて・・・・翌日、何度もメールを送ってきたんだ」
「それで、ホテルに呼び出されたの?でも、なんで・・・・断らなかったの?」
「ずっと、断ってたよ。でも、先生が・・・・俺の恋人が誰だかわかったって・・・・。会ってくれなければ恋人に中学の時のことを・・・今野とのことも話すって・・・・」
「・・・・それで、会ったんだ」

皐月が黙って頷いた。

「でも、また何かされるかもしれないと思って・・・・受付で部屋と俺の顔を印象づけといたんだ。部屋へ行ったら、突然後ろからバケツに入った冷水を掛けられた。驚いて振り返ると、先生がナイフを持ってて・・・・2つのベッドの隙間に座るように言われて、そこに座らされて・・・・催眠術を掛けられたんだ。『きみの恋人は、このぼくだよ』『今までの恋人のことは忘れなさい』『きみが好きなのは、僕だ』そう言われ続けたけど、俺は稔のことを忘れなかった。『俺の恋人は、先生じゃない。俺の恋人は、今の人だけだ』って言ったんだ。先生は、一度は諦めたように俺に温かいコーヒーを淹れてくれて・・・。俺は、びしょ濡れで寒かったからそれを飲んで・・・・そしたらそれに睡眠薬が入ってて・・・・」

そのあとは、俺たちが見た通りなのだろう。

そして、皐月は清水のこと、清水に関わることを忘れていた・・・・・。

それが特殊な能力を持つ皐月だからなのか、清水の催眠術が不完全なものだったからなのかはわからない。

だけど皐月は、清水が自分を好きになる催眠術を掛けようとすればするほど、清水のことを忘れていった・・・・。

清水はそれが許せなかったのかもしれない。

その後再会した時に驚いた様子を見せなかったのは皐月が自分と会っていたことを忘れているとわかっていたからなんだろう。

そして密かにまた皐月をつけ狙い、皐月と一緒に家に入った浩斗くんを恋人と思いこんで襲った・・・・。

そこまでは説明がつく。

今野のことはどうだろう?

何らかの原因で、今野は清水が犯人だと気付いて・・・・そのために殺されたということだろうか。

「・・・稔、岩本さんと俊哉は清水先生のところへ?」
「え?ああ、たぶん・・・・拒否されてなければ署の方で事情聴取してる最中だと思うけど」
「俺・・・先生に会いたいんだけど」
「え・・・・でも・・・・」

戸惑う俺に、皐月は微笑んだ。

「もう、大丈夫。中学の時のことも、事件の日のことも思い出せたし・・・・きっと、先生に会えば・・・・全てが分かると思う。今野のことも・・・・」
「それで、皐月は平気なのか?もしかしたら、また辛い思いをするかもしれない」
「大丈夫・・・・・稔が、傍にいてくれれば」

皐月が、ずっと皐月の手を握っていた俺の手を握り返した。

「・・・・先生の声が頭に響いて、ものすごい頭痛に襲われた時―――俺、無意識に稔の名前を呼んだんだ。そしたら・・・稔が、俺の手を掴んでくれた気がした」
「え・・・俺・・・・」
「うん、傍にいなかったのは知ってるよ。でも、本当にそんな気がしたんだ。そしたら、嘘みたいに楽になって・・・・ただ、気を失っただけなんだけどね。でも・・・きっと俺、稔が傍にいてくれるだけでがんばれる気がするんだ」
「皐月・・・・」

俺は、皐月が堪らなく愛しくなってその体をぎゅっと抱きしめた。

「わかった。傍にいるよ。今度こそ、誰に何を言われても皐月の傍を離れたりしない。それで・・・今度こそ、はっきりさせよう。もう、こんなことは終わりにしよう」

これ以上、皐月が苦しむところを見たくない。

皐月が傷つくのを見たくない。

もう、これ以上皐月を危険にさらしたくない・・・・。

俺が、皐月を守るんだ。

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