苦くて甘い

まつも☆きらら

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第10話

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―――舜・小学3年生―――


「舜ちゃん、まだ帰らないの?」

放課後の校庭。

俺は丸太で作られたベンチに座ってぼんやりと夕日を眺めてた。

声をかけてきたのは同じクラスの城田直人くんだった。

家が近所で、朝学校へ行く途中に会うと必ず『舜ちゃん、おはよー!』って元気に声をかけてくれる子だ。

明るくて友達もたくさんいて、俺みたいな暗い奴にも優しい、太陽みたいな男の子だった。

「・・・まだ、帰りたくない」
「でも、もう暗くなっちゃうよ?一緒に帰ろうよ」
「・・・うん」

どうして帰りたくないのか。
直くんはしつこく聞こうとはしなかった。
だけど何かを感じ取っていたのか、直くんはよく家に誘ってくれた。
直くんの家族もとても優しくて、夕ご飯を食べさせてくれることもあった。
帰りが遅くなり、外が暗くなると『送っていくよ』と直くんのお母さんに言われたけれど・・・
『近いから、大丈夫』
そう言って俺は、いつも断っていた。

誰にも見られたくなかった。

俺が、家でどうしているか・・・・



マンションの1階に俺と母親は住んでいた。

玄関を開け、そっと中に入る。

音をたてないように、気を付けて。

その時、母親の部屋の扉が開いた。

「じゃあ、また来るわ」
「じゃあね」

酒のたばこの匂いの染みついた色の黒い男が部屋から出てきた。
ちらりと俺を横目で見て、そのまま玄関を出ていく。

開いた扉から、半裸でベッドに起き上った母親がお酒を飲んでいるのが見えた。

「・・・お母さん、ただいま」

声をかけても、返事はない。
いつものことだ。

俺はお風呂にお湯を張ろうと、風呂場に足を向けた。

「―――舜、なんか食べるもん作ってよ」
「・・・・わかった」

俺は居間に行き、冷蔵庫から食材を出した。
あるもので適当に料理を作る。
いつの間にか身についていた、料理の腕。
母親はほとんど家事をしない。
料理はテレビで見て覚えたものだった。

物心ついた時から酒浸りの母親は体を壊し外で働くことができず、週に一度会いに来る俺を認知したという父親からの養育費と、その時々の恋人から小遣いをもらって生活していた。
2人暮らしなら困らない程度の養育費をもらっていたはずだが、母親はそのお金をほとんどお酒に使ってしまっていた。
そのために学校の給食費や教材費、積立金などの支払いが遅れることも常で、そのたびに母親は外で男をひっかけ家に連れ込み、お金をせびっていた。
恋人によっては生活費を入れてくれるような奴もいたけれど、ほとんどは長続きせず、常にお金がない状態。

こんな家に、友達を呼べるわけもない。
そして常に違う男が出入りする家。
同じマンション内ではみんな知っていた。
そこに、友達の親を近づけるのは、いやだった・・・・。



―――舜・小学4年生―――


その時の母親の恋人は最悪だった。
酒癖が悪く、酔っぱらうと母親や俺に暴力をふるうやつだった。
実家が金持ちだとかで金払いは良かったから、母親はその男の機嫌を損ねないよういつも気を付けていたけれど、俺は早く別れてほしくて仕方なかった。

ある日曜日。
昼間から母親の部屋で2人が愛し合っている声が聞こえ、俺は宿題に身が入らず耳を塞いでいた。

その時。
何か、物を落としたような音がしたかと思うと―――

『なんだお前!』

男の怒鳴り声に、俺は自分の部屋を飛び出した。
母親の部屋の扉が開いていて、そこに立っていたのは―――

「直くん!」
「あ、舜ちゃ―――」

直くんが振り向くのと、男が手を振り上げるのとほぼ同時だった。
俺は、とっさに直くんの体を押しのけた。

男のごつい手が俺の顔を殴り、俺は壁に吹き飛ばされた。




「ごめんね、ごめんね、舜ちゃん!俺、ただ舜ちゃんと遊びたいと思って・・・」

直くんの手を掴み、家を飛び出して歩く道中で、直くんは泣きながら俺に謝っていた。
口の中に、血の味が広がっていた。
でもその痛みよりも、俺は直くんに見られたことにショックを受けていた。

「・・・あいつ、乱暴だから・・・・もううちには来ない方がいい」
「舜ちゃん・・・・俺のうちに行こう。手当しなくちゃ」
「大丈夫だよ、このくらい。いつものことだし」
「大丈夫じゃないよ!」
「直くん・・・・」
「うちに行こう。ずっと、うちにいればいいよ」

直くんの優しさに、涙が出た。
直くんのお母さんも、何も聞かずに傷の手当てをしてくれた。

それから俺は、放課後も休みの日も、ほとんどを直くんのうちで過ごした。
週末はそのまま泊まり、家族旅行にもくっついていった。
直くんが一人っ子だったのもあるのかもしれないけど、直くんの両親は俺のことを直くんの弟のようだと言ってかわいがってくれた。
俺はその時、初めて『家族の温かさ』を感じたのだった・・・・。



―――舜・小学校卒業式―――

卒業式に、当然俺の母親は来なかった。
期待してもいなかったからどうでもよかった。
どこから調達したのか、卒業式用にと紺のブレザーを俺にくれた。
それだけでも上出来だ。
直くんのお母さんがブレザーの下に着るワイシャツとネクタイを貸してくれた。
直くん用に、予備に買ったから使ってくれと。
『本当は舜ちゃん用に買ったんだよ。選ぶとき、舜ちゃんには紫が似合うからとか言って楽しそうだったもん』
こっそり教えてくれた直くん。
嬉しくて、また俺は泣いた。

卒業式が終わった後、直くんの家へ行く約束をしていた。
一度、着替えのために家に戻り、すぐに出るつもりだった。

だけど、帰った俺を待ち受けていたのは―――

「舜、ちょっと来て」

母親が、部屋の扉の隙間から俺を呼んだ。

「・・・・出掛けるんだけど」
「すぐ終わるわよ。卒業のお祝い、あげるから」

―――お祝い・・・・?

俺は怪訝に思いながらも母親の部屋に入った。

そこにいたのは、母親の恋人だった。

金髪に浅黒い肌、趣味の悪い柄シャツを着た、鋭い目の男。

いつもにやにやしている、気持ちの悪い奴だ。

「よお、卒業だって?おめでとさん」
「・・・どうも」
「じゃ、終わったら呼んで」

そう言って、母親は部屋から出ると扉を閉めた。

「え?ちょ―――」

俺が扉を開けようとすると―――

「おっと、お前はこっちだよ!」

突然腕を引っ張られ、俺の体はベッドに投げつけられた。

「なにす―――」

男が、俺の上に覆いかぶさる。

「卒業祝いだよ!いいことさせてくれたら、小遣いやるからよ!」
「!!は・・・・放せ!!」

俺は男を押しのけようと、手を振り回そうとして―――
その手が、男の耳をはじいた。

「いって―な!!この野郎!!」

男の手のひらが、思い切り俺の頬を打った。

その痛みに、一瞬頭がくらくらして動きが止まる。

「痛い思いしたくなかったら、抵抗するのはやめな!」

そう言って男はもう一度俺の頬を叩き、俺の両手を片手で捩じ上げると、もう片方の手でシャツを乱暴に引き裂いたのだった・・・・。

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