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第2話
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「あ、おはよ。朝ご飯作ったよ」
朝起きると、舜がキッチンに立っていた。
「え・・・あー、でも俺、朝はいつも食べてない・・・・」
「そうなの?」
顔を上げた舜の眉が、ちょっと寂しげに下げられた。
「あ、いや、食べるよ。せっかくだし」
「・・・・食べれる?」
「うん、まあ、いけると思う」
その言葉に舜は嬉しそうに笑った。
「コーヒー入れるね」
スクランブルエッグにトーストとコーヒーという、子どものころ以来のまともな朝食だった。
「・・・舜くんは、いつも朝食作ってるの?」
「んー、誰かいる時はね。1人の時は、めんどくさくて」
テーブルで俺の向かい側に座った舜は、トーストを口に運んだ。
「俺のことは、気ぃ使わなくていいよ。ずっと1人でやってきたし・・・」
「ゆうは、お母さんとは一緒に住んでなかったの?」
「大学に入ってからは、1人暮らしだった。家から大学まで遠かったから」
「ふーん・・・・夜は、いつもどうしてるの?」
「適当に、コンビニで弁当とか買ってる。時間も不規則だし・・・・本当に、俺のことは気にしないでいいから」
気を使われると、それが気になって研究に集中できない。
1人暮らしを始めたのには、そういう理由もあった。
俺のことを心配していることはわかっていたけれど、あれこれ世話を焼きたがる母親を鬱陶しいと思ってしまっていたのだ。
ふと気付くと、舜は朝食を食べ終え、コーヒーカップを片手に俺の顔をじっと見つめてにこにこと笑っていた。
「な・・・・なに?」
「・・・おいしい?」
「え・・・うん。おいしい・・・・けど・・・・」
「んふふ、良かった。俺ね、人がおいしそうに何か食べてる姿って好きなの。ゆうって無表情に見えるけど、口角が上がってちゃんと『おいしい』って顔してるから、嬉しい」
本当に嬉しそうに、無邪気にそう言う舜に俺の心臓は落ち着かない。
「そ・・・う?俺、誰かと一緒に食事するのなんて何年振りか・・・・・」
別に、1人で食べることに何の苦もない。
好きな時間に好きなものを食べる、そんな生活が快適だと思っていた。
「そっか。じゃ、これからこの家にいる時は、俺と一緒に食べよ。俺、ゆうが好きなもの作れるようにしとくから」
「え・・・・いや、だから俺のことは―――」
「うん、わかってる。いるときだけでいいよ。いないときは、俺も適当にやっとくし。ただ、この家にいる時は俺に作らせて、ごはん。そんで、一緒に食べよ」
なんだか、意外な気がした。
整った顔立ちは、ともすれば冷たい印象を受ける。
どこか冷めてるような舜の瞳は暗く寂しげな影を宿しているように見えるけれど、笑うとその目は細められ子どものように幼くなる。
舜は、すごくさびしがり屋なのかもしれない。
決して無理強いはしないけれど、俺と一緒にご飯を食べたがるのはそのせいかもしれない・・・・・。
「あ!ゆう、お帰り!」
たまたま、仕事が早く終わっただけだ。
いつもだったら夜の9時過ぎに仕事が終わり、コンビニに寄って10時ごろに帰宅する。
それからコンビニ弁当を食べて風呂に入って、翌日の準備をしてから寝る。
毎日同じことの繰り返し。
別に、それを不満に感じたこともなかった。
今日は、たまたま5時に仕事を終え、6時に帰ってきた。
マンションに帰ると、舜が俺の好きなハンバーグやコーンスープを作っているところだった。
「すげえ・・・・・」
食卓を見て驚いている俺を見て、舜が嬉しそうに笑う。
「今、サラダも作るから座って待ってて。あ、手ぇ洗ってね」
「あ、はい・・・・」
言われたとおりに手を洗い戻ってくると、おいしそうなサラダがテーブルに乗ったところだった。
「さ、食べよ!いただきます!」
「―――いただきます。・・・・・あ、うまい!」
「ほんと?よかった!ハンバーグが好きって言ってたから、今日は絶対ハンバーグにしようと思ってたの」
俺のために・・・・?
ニコニコと楽しそうな舜に、俺は戸惑っていた。
「あの・・・舜くん?俺、今日はたまたま早かったけど、いつももっと遅いし・・・・だから本当に、気ぃ使わないで―――」
こんな料理を作ってくれてると思ったら、気になって仕方ない。
「そしたら、ゆうが帰って来てからあっためればいいじゃん。1人分だけ作るのとか、かえって面倒なんだよ。そんなに手間じゃないから、ゆうこそ気にしないで」
そう言って舜は優しく笑った。
風呂に入った俺は、また驚くことになる。
「舜くん?なんか、お湯の色が紫なんだけど!」
キッチンで洗い物をしていた舜が、楽しそうに笑う。
「あ、入浴剤入れたんだ。ラベンダー、きれいでしょ?」
「き・・・れいだけど・・・・」
「あ、ゆうラベンダー嫌い?他のが良かった?薔薇とかもあるけど」
「ば・・・・いや、別にいいんだけどさ、いつも入浴剤とか入れるんだ?」
「うん、俺、長風呂だからさ。香りとか楽しめる方がいいなって思ってさ。あとシャボン玉とかアヒルさんも買ってきちゃった」
―――・・・・シャボン玉・・・・アヒルさん・・・・?
なんか・・・・なんか、舜てちょっと・・・・変?
その後も舜はとにかく楽しそうだった。
この日の風呂は2時間。
普通だったら何かあったんじゃないかと心配するところだけど、バスルームからはご機嫌な歌がずっと聞こえているから、のぼせてるわけではないとわかる。
出てくると、亀の飼育をしてる小部屋にいた俺の傍へ来て、なにをするでも、話しかけるわけでもなく、ただじっと俺がえさをやったりしているのを見つめていた。
壁際に置いてあった壊れかけの椅子に座り、体育座りに頬杖をついて楽しそうに俺を見ているのだ。
「・・・・俺のこと見てて楽しいの?」
「うん、楽しい。カメも、可愛いね」
「そう・・・・だね」
亀は俺にとって研究材料で、決して可愛いから飼っているわけではなかったけれど―――
舜にそう言われると、なんだかかわいく思えてきた。
「全部違うカメ?何種類いるの?」
「5種類。本当はもっと見てみたいけど、ウミガメはさすがに無理だしね」
「ウミガメ?浦島太郎だ!」
―――ちょっと良く意味がわからないけど。
それでも、舜に見られたり話しかけられたりして、不快になったりいらいらしたりすることはなかった。
誰かに自分の行動を逐一見られるとか、研究中に話しかけられるとか、一番俺が嫌ってることだ。
学生時代はそれなりにもてたし付き合っていた女の子だっていた。
だけど研究に没頭している時は彼女のことも見えなくなってしまう。
結局いつもそれが原因でけんか別れすることが多かった。
だから恋愛なんて煩わしいだけだと、自分は1人が性に合っているんだと思っていたのだ・・・・・。
「ねえ、俺もカメにえさやってみたい!だめ?」
「いいよ。じゃあ、こっちに来て」
「うん!」
椅子からぴょんと飛び下りるようにして俺の傍に駆け寄る舜。
大きな目をさらに大きくして、俺に言われたとおり亀にえさをやり、満足そうに笑う。
無意識なのか、俺の服の袖をきゅっと掴むしぐさに、ドキッとする。
「かわいいなあ、カメ。ね、ゆう」
「うん・・・・可愛いね」
キラキラ輝く瞳が、ときどき俺に向けられると嬉しくなる。
その眩しい笑顔が、俺だけに向けられることがどうしてこんなに嬉しいんだろう。
亀と、舜と俺しかいないその狭い空間で、俺はなぜか舜の顔をまっすぐに見ることができず、そっと盗み見るようにして高鳴る胸を抑えていた・・・・・。
「ゆう、久しぶり」
大学の構内を歩いていると、後ろから懐かしい声が俺を引きとめた。
「―――慶さん!なんでここに?」
俺の高校時代の先輩で、某有名医大に進み今は父親の経営する大病院で医師として働いている水島慶さんがそこにいた。
「ここの講師に知り合いがいて、今日はその人に用事があってきたんだ。ゆうはまだ研究室にいるんだ?」
爽やかな笑みを浮かべる慶さんは、俺の数少ない理解者で、友達と呼べる存在の1人だった。
「ええまあ」
「なぁ、俺もう用事終わってこの後2時間ほど暇なんだけど、一緒にランチでもどう?」
「もちろん、喜んで」
「へえ、お前に弟がいるなんて、初耳だ」
「俺だって知らなかったんだってば!本当にあのオヤジ、最後までふざけたやつでしたよ」
「ふはは。で、どうなの?共同生活は?お前、そういうの苦手じゃなかった?」
「苦手苦手。絶対無理だと思ってましたよ。でもなんか・・・・不思議と大丈夫っていうか・・・・」
俺の言葉に、慶さんは心底驚いた顔をした。
「へえ!お前って、確かに外面はいいけど、その分家にいる時はとことん外の世界をシャットアウトするって言ってたじゃん」
「外面いいは余計でしょ」
「事実じゃん」
「そうだけど・・・・いや、なんか本当に・・・・やっぱり血が繋がってるからなのかな。全然、嫌じゃないよ。むしろ・・・・癒されるっていうか・・・・」
「へえ~え」
慶さんが腕を組んで、俺をまじまじと見つめた。
舜と暮らし始めて1週間。
俺はなるべく仕事を早く終わらせるようにして、家で舜と食事をするようにしていた。
舜と2人で、おしゃべりをしながら食べる食事はおいしかった。
舜が作ってくれるものは何でもおいしかったし、食事中のおしゃべりなんて面倒だと思っていたのに、今は毎日それが楽しみだった。
入浴剤の香りも癒されるし、舜の好きなアヒルさんも邪魔にならない。
2人で亀にえさをやる時間も楽しみの1つになっていた。
いつも1人で集中して取り組んでいた研究レポートも、リビングのソファーでくつろぐ舜の隣で、舜が俺の肩にもたれてテレビを見ているのを感じながらやっていた。
そんな生活は初めてだった。
研究の障害になるどころか、逆に舜と食事ができるようにと、前よりも研究に集中できるようになっていたのだ。
「―――なんか、新婚さんみてえだな」
「し・・・!何言ってんの、慶さん!」
「お前こそ、何慌ててんの」
「別に・・・・慌ててなんか・・・・」
「なんか・・・会ってみてえなあ、お前がそんなにかわいがる『弟』くんに」
「・・・・そのうち、紹介しますよ」
「楽しみにしてるよ。なぁ、その舜くんに、彼女はいないの?」
「え・・・・彼女・・・・?」
その言葉に、俺の胸がドクンと嫌な音をたてた。
「だって、すげえイケメンなんだろ?彼女くらいいるんじゃねえの?てか、いない方が不思議な気がするけど」
―――確かに・・・・だけど・・・・
舜に、彼女・・・・・?
初めて気付いたその可能性に、俺は、まるでそれを想像することができない自分に驚いていた・・・・・。
朝起きると、舜がキッチンに立っていた。
「え・・・あー、でも俺、朝はいつも食べてない・・・・」
「そうなの?」
顔を上げた舜の眉が、ちょっと寂しげに下げられた。
「あ、いや、食べるよ。せっかくだし」
「・・・・食べれる?」
「うん、まあ、いけると思う」
その言葉に舜は嬉しそうに笑った。
「コーヒー入れるね」
スクランブルエッグにトーストとコーヒーという、子どものころ以来のまともな朝食だった。
「・・・舜くんは、いつも朝食作ってるの?」
「んー、誰かいる時はね。1人の時は、めんどくさくて」
テーブルで俺の向かい側に座った舜は、トーストを口に運んだ。
「俺のことは、気ぃ使わなくていいよ。ずっと1人でやってきたし・・・」
「ゆうは、お母さんとは一緒に住んでなかったの?」
「大学に入ってからは、1人暮らしだった。家から大学まで遠かったから」
「ふーん・・・・夜は、いつもどうしてるの?」
「適当に、コンビニで弁当とか買ってる。時間も不規則だし・・・・本当に、俺のことは気にしないでいいから」
気を使われると、それが気になって研究に集中できない。
1人暮らしを始めたのには、そういう理由もあった。
俺のことを心配していることはわかっていたけれど、あれこれ世話を焼きたがる母親を鬱陶しいと思ってしまっていたのだ。
ふと気付くと、舜は朝食を食べ終え、コーヒーカップを片手に俺の顔をじっと見つめてにこにこと笑っていた。
「な・・・・なに?」
「・・・おいしい?」
「え・・・うん。おいしい・・・・けど・・・・」
「んふふ、良かった。俺ね、人がおいしそうに何か食べてる姿って好きなの。ゆうって無表情に見えるけど、口角が上がってちゃんと『おいしい』って顔してるから、嬉しい」
本当に嬉しそうに、無邪気にそう言う舜に俺の心臓は落ち着かない。
「そ・・・う?俺、誰かと一緒に食事するのなんて何年振りか・・・・・」
別に、1人で食べることに何の苦もない。
好きな時間に好きなものを食べる、そんな生活が快適だと思っていた。
「そっか。じゃ、これからこの家にいる時は、俺と一緒に食べよ。俺、ゆうが好きなもの作れるようにしとくから」
「え・・・・いや、だから俺のことは―――」
「うん、わかってる。いるときだけでいいよ。いないときは、俺も適当にやっとくし。ただ、この家にいる時は俺に作らせて、ごはん。そんで、一緒に食べよ」
なんだか、意外な気がした。
整った顔立ちは、ともすれば冷たい印象を受ける。
どこか冷めてるような舜の瞳は暗く寂しげな影を宿しているように見えるけれど、笑うとその目は細められ子どものように幼くなる。
舜は、すごくさびしがり屋なのかもしれない。
決して無理強いはしないけれど、俺と一緒にご飯を食べたがるのはそのせいかもしれない・・・・・。
「あ!ゆう、お帰り!」
たまたま、仕事が早く終わっただけだ。
いつもだったら夜の9時過ぎに仕事が終わり、コンビニに寄って10時ごろに帰宅する。
それからコンビニ弁当を食べて風呂に入って、翌日の準備をしてから寝る。
毎日同じことの繰り返し。
別に、それを不満に感じたこともなかった。
今日は、たまたま5時に仕事を終え、6時に帰ってきた。
マンションに帰ると、舜が俺の好きなハンバーグやコーンスープを作っているところだった。
「すげえ・・・・・」
食卓を見て驚いている俺を見て、舜が嬉しそうに笑う。
「今、サラダも作るから座って待ってて。あ、手ぇ洗ってね」
「あ、はい・・・・」
言われたとおりに手を洗い戻ってくると、おいしそうなサラダがテーブルに乗ったところだった。
「さ、食べよ!いただきます!」
「―――いただきます。・・・・・あ、うまい!」
「ほんと?よかった!ハンバーグが好きって言ってたから、今日は絶対ハンバーグにしようと思ってたの」
俺のために・・・・?
ニコニコと楽しそうな舜に、俺は戸惑っていた。
「あの・・・舜くん?俺、今日はたまたま早かったけど、いつももっと遅いし・・・・だから本当に、気ぃ使わないで―――」
こんな料理を作ってくれてると思ったら、気になって仕方ない。
「そしたら、ゆうが帰って来てからあっためればいいじゃん。1人分だけ作るのとか、かえって面倒なんだよ。そんなに手間じゃないから、ゆうこそ気にしないで」
そう言って舜は優しく笑った。
風呂に入った俺は、また驚くことになる。
「舜くん?なんか、お湯の色が紫なんだけど!」
キッチンで洗い物をしていた舜が、楽しそうに笑う。
「あ、入浴剤入れたんだ。ラベンダー、きれいでしょ?」
「き・・・れいだけど・・・・」
「あ、ゆうラベンダー嫌い?他のが良かった?薔薇とかもあるけど」
「ば・・・・いや、別にいいんだけどさ、いつも入浴剤とか入れるんだ?」
「うん、俺、長風呂だからさ。香りとか楽しめる方がいいなって思ってさ。あとシャボン玉とかアヒルさんも買ってきちゃった」
―――・・・・シャボン玉・・・・アヒルさん・・・・?
なんか・・・・なんか、舜てちょっと・・・・変?
その後も舜はとにかく楽しそうだった。
この日の風呂は2時間。
普通だったら何かあったんじゃないかと心配するところだけど、バスルームからはご機嫌な歌がずっと聞こえているから、のぼせてるわけではないとわかる。
出てくると、亀の飼育をしてる小部屋にいた俺の傍へ来て、なにをするでも、話しかけるわけでもなく、ただじっと俺がえさをやったりしているのを見つめていた。
壁際に置いてあった壊れかけの椅子に座り、体育座りに頬杖をついて楽しそうに俺を見ているのだ。
「・・・・俺のこと見てて楽しいの?」
「うん、楽しい。カメも、可愛いね」
「そう・・・・だね」
亀は俺にとって研究材料で、決して可愛いから飼っているわけではなかったけれど―――
舜にそう言われると、なんだかかわいく思えてきた。
「全部違うカメ?何種類いるの?」
「5種類。本当はもっと見てみたいけど、ウミガメはさすがに無理だしね」
「ウミガメ?浦島太郎だ!」
―――ちょっと良く意味がわからないけど。
それでも、舜に見られたり話しかけられたりして、不快になったりいらいらしたりすることはなかった。
誰かに自分の行動を逐一見られるとか、研究中に話しかけられるとか、一番俺が嫌ってることだ。
学生時代はそれなりにもてたし付き合っていた女の子だっていた。
だけど研究に没頭している時は彼女のことも見えなくなってしまう。
結局いつもそれが原因でけんか別れすることが多かった。
だから恋愛なんて煩わしいだけだと、自分は1人が性に合っているんだと思っていたのだ・・・・・。
「ねえ、俺もカメにえさやってみたい!だめ?」
「いいよ。じゃあ、こっちに来て」
「うん!」
椅子からぴょんと飛び下りるようにして俺の傍に駆け寄る舜。
大きな目をさらに大きくして、俺に言われたとおり亀にえさをやり、満足そうに笑う。
無意識なのか、俺の服の袖をきゅっと掴むしぐさに、ドキッとする。
「かわいいなあ、カメ。ね、ゆう」
「うん・・・・可愛いね」
キラキラ輝く瞳が、ときどき俺に向けられると嬉しくなる。
その眩しい笑顔が、俺だけに向けられることがどうしてこんなに嬉しいんだろう。
亀と、舜と俺しかいないその狭い空間で、俺はなぜか舜の顔をまっすぐに見ることができず、そっと盗み見るようにして高鳴る胸を抑えていた・・・・・。
「ゆう、久しぶり」
大学の構内を歩いていると、後ろから懐かしい声が俺を引きとめた。
「―――慶さん!なんでここに?」
俺の高校時代の先輩で、某有名医大に進み今は父親の経営する大病院で医師として働いている水島慶さんがそこにいた。
「ここの講師に知り合いがいて、今日はその人に用事があってきたんだ。ゆうはまだ研究室にいるんだ?」
爽やかな笑みを浮かべる慶さんは、俺の数少ない理解者で、友達と呼べる存在の1人だった。
「ええまあ」
「なぁ、俺もう用事終わってこの後2時間ほど暇なんだけど、一緒にランチでもどう?」
「もちろん、喜んで」
「へえ、お前に弟がいるなんて、初耳だ」
「俺だって知らなかったんだってば!本当にあのオヤジ、最後までふざけたやつでしたよ」
「ふはは。で、どうなの?共同生活は?お前、そういうの苦手じゃなかった?」
「苦手苦手。絶対無理だと思ってましたよ。でもなんか・・・・不思議と大丈夫っていうか・・・・」
俺の言葉に、慶さんは心底驚いた顔をした。
「へえ!お前って、確かに外面はいいけど、その分家にいる時はとことん外の世界をシャットアウトするって言ってたじゃん」
「外面いいは余計でしょ」
「事実じゃん」
「そうだけど・・・・いや、なんか本当に・・・・やっぱり血が繋がってるからなのかな。全然、嫌じゃないよ。むしろ・・・・癒されるっていうか・・・・」
「へえ~え」
慶さんが腕を組んで、俺をまじまじと見つめた。
舜と暮らし始めて1週間。
俺はなるべく仕事を早く終わらせるようにして、家で舜と食事をするようにしていた。
舜と2人で、おしゃべりをしながら食べる食事はおいしかった。
舜が作ってくれるものは何でもおいしかったし、食事中のおしゃべりなんて面倒だと思っていたのに、今は毎日それが楽しみだった。
入浴剤の香りも癒されるし、舜の好きなアヒルさんも邪魔にならない。
2人で亀にえさをやる時間も楽しみの1つになっていた。
いつも1人で集中して取り組んでいた研究レポートも、リビングのソファーでくつろぐ舜の隣で、舜が俺の肩にもたれてテレビを見ているのを感じながらやっていた。
そんな生活は初めてだった。
研究の障害になるどころか、逆に舜と食事ができるようにと、前よりも研究に集中できるようになっていたのだ。
「―――なんか、新婚さんみてえだな」
「し・・・!何言ってんの、慶さん!」
「お前こそ、何慌ててんの」
「別に・・・・慌ててなんか・・・・」
「なんか・・・会ってみてえなあ、お前がそんなにかわいがる『弟』くんに」
「・・・・そのうち、紹介しますよ」
「楽しみにしてるよ。なぁ、その舜くんに、彼女はいないの?」
「え・・・・彼女・・・・?」
その言葉に、俺の胸がドクンと嫌な音をたてた。
「だって、すげえイケメンなんだろ?彼女くらいいるんじゃねえの?てか、いない方が不思議な気がするけど」
―――確かに・・・・だけど・・・・
舜に、彼女・・・・・?
初めて気付いたその可能性に、俺は、まるでそれを想像することができない自分に驚いていた・・・・・。
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