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4話

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――今日は恥ずかしくて顔を合わせられない。でも帰らないで。

 そうやってトーイくんが言うから私達は布団の上で背中合わせに座る。
 重なった背中からトーイくんの体温と体の震えが伝わってきて、私に体重を掛けないよう気を遣ってくれているのがわかった。
 顔を合わせることよりもこんな風にくっついて座っている方がよっぽど恥ずかしい。トーイくんも薄々気付いているだろうが、お互い何も言わなかった。
 どうか、不自然に早くなる心臓の音がトーイくんに伝わっていませんように。

「ええっ!? 第一級アマチュア無線技士の免許持ってるの!?……って、それってすごい?」
「別に。高校レベルの物理と数学の問題も試験に出るだけ」

 いつも通り抑揚のない声だけれど、心なしか得意気に聞こえる。

「へー! トーイくんって頭良いんだね。その免許を取るとどうなるの?」
「無線局を開局出来る。無免許で電波飛ばすのは電波法違反。多分夏々も四級なら取れる」
「いやー……私はどうかな」

 つい昨日モールス信号を覚えてみようかなと思い始めた程度の人間にいきなり国家試験はハードルが高い。

「ねぇ、今度誰かと通信してるとこ見せて」
「出来ない。無線機没収された」
「えっ、なんで?」
「外で遊べって」
「そ、そうなんだ」

 ああ、無線機が使えないからスマホのアプリでモールス信号を送っていたのか。
 確かにトーイくんはアウトドア派には見えない。でも、毎日この店に通っているわけだし、外で遊んでいると言える気もするけど。

「無線ってどんな感じなの? 面白い?」
「うん。僕はスターチルドレンですって言うとみんな驚く。通信相手はCIAに未来人に宇宙人。メリーさんやトイレの花子さんもいた」
「いいなー! すっごく楽しそう」

 多分通信相手はトーイくんに合わせて面白おかしく返事してくれているのだろう。そんな面白そうな会話が出来るなら私もしてみたい。
 私が話に食い付くと、背中に感じていたトーイくんの体温が少し離れていく。
 どうしたのかと首を曲げて後ろを見たらトーイくんは背中を丸め、体育座りをしていた。

「楽しい。でも寂しい」
「寂しい……?」
「うん。少しだけ」

 短く区切られ、淡々としている言葉たち。トーイくんは感情表現が苦手なだけで感情のないロボットなんかじゃないから、きっと今言葉通りの顔をしている。
 顔が見えない人達と、そのとき限りの電波でのやりとり。トーイくんはスターチルドレンで、通信相手はCIAや未来人や宇宙人。それが楽しくて、少しだけ寂しいのなら――

「……う。重い」
「あははっ、ごめんごめん」

 トーイくんの丸まった背中に遠慮なくもたれ掛かる。トーイくんと私の背中に開いた隙間が埋まってさっきより体温が伝わる。
 押し潰されて不満を訴える声はやっぱり淡々としていたけれど、微かに笑い声混じりだった。

ツーツーツートツー ツートツートト

 帰り際にトーイくんが鳴らしたモールス信号は以前に聞いた"またね"とは違っていたのにトーイくんは"またね"だと言い張った。
 でも、絶対にそうではなかったと思う。家に帰ったらモールス信号を猛勉強すると心に誓い、アダルトコーナーを後にした。


「あーー生き返るー……ん?お前まだいたのか。借りる物決まったか?」
「は、はい! えーっと」

 CDコーナーの関係者専用ドアから、汗で髪を濡らした森崎さんが顔を出す。あと少しタイミングがずれていたらアダルトコーナーから出る場面を目撃されていたかもしれない。
 間一髪のところだったと安堵し、近くの棚のCDを適当に三枚手に取った。
 「渋いな」なんて感心されるから一体何のCDかと思えば、知らない国の名前も聞いたことがない民族音楽のアルバムだった。
 どうしよう……全然興味ない。悪いことはするもんじゃないなと痛感しながらも、私は明日もまたいけないことをしでかしてしまうだろう。





 午前十時から十二時までの二時間は森崎さんのお昼寝タイム――
 大分前からアダルトコーナーに通い詰めているらしいトーイくんの情報は正確だった。おかげで毎日必ず二時間、トーイくんと会えるようになった。

「昨日借りたこのアルバムも最っ高だったんだよ! 遠い国の人々の文化や生活が音楽を通して伝わってきて感動するよ」
「聞いてみる」

 私は最近ハマっている民族音楽のアルバムを見せながら熱弁する。正直なことを言えば興味ないだろうけど、いつもとりあえず全曲聞いて感想をくれるトーイくんは優しい。
 トーイくんは早速ヘッドホンをしてアルバムを聞き始める。暇になった私はグラビアアイドルのポスターに貼られた紙に何気なく視線を向けた。
 モールス信号の聞き取りは自信ないけど、符号ならアルファベットから和文まで全部丸暗記した。数日前にポスターに貼られた紙が"グミを与えると喜びます"から、"お気持ちだけで十分です"に書き換えられていたのを見て、なんて書いてあるのかすぐにわかったときは嬉しかったな。
 モールス信号のおかげでトーイくんと少しだけ心を通わせることが出来た気がした。

「……私ね、この店の黒いカーテンの先は異世界に繋がってるって、そうだったらいいなってずっと思ってた。だからここから不思議な音が聞こえた日、入ってみたの……」
「あったの? 異世界」

 独り言に近い私の呟きをトーイくんは拾う。私が想像していた異世界はあったのか……?
 その場に立ってぐるりと見回してみるとなんて面白味のない世界だろう。仕切りの黒いカーテン、アダルトビデオが並べられた棚、専用レジ、グラビアアイドルのポスターが貼られた関係者用ドアくらいしか目につかない。
 よく毎日飽きもせず通っていられたなと冷静に思いながら床に視線を落としたら、生活感溢れる布団一枚分の変な空間が存在していた。
 そして、眠たげな目をしたトーイくんが首を傾げて私を見上げている。

「なかったよ。でも、トーイくんに会えた」
「……っ!」
「トーイくんのおかげで毎日楽しいんだ。ありがとね」

ツーツーツートツー ツートツートト
ツーツーツートツー ツートツートト
ツーツーツートツー ツートツートト

「えっ、なに?」

 突然鳴り響くモールス信号。俯いたトーイくんがスマホを操作して同じ音を繰り返す。
 このモールス信号は帰り際に"またね"だと主張していた日以降、聞く機会が多くなっていた。二文字の言葉なはずだから"またね"ではおかしい。

「ばかって意味」
「本当に!? ひどっ」
「嘘。解読して」

 それは私にとってネイティブ英語の聞き取り問題と同じくらい難解に感じる。

「ヒント! 何かヒントちょうだい」
「うましか」
「うましか? それがヒントなの?」
「嘘」
「もう、なにそれ!」

 きっとこのモールス信号は楽しいとか嬉しいとか、そういう意味の言葉なんだと思う。だからこのモールス信号を出しているときのトーイくんの表情はどことなく優しげで、グミを食べているときみたいに幸せそうなのだ。
 なかなか解読出来ないのは悔しいが、トーイくんが幸せそうだからこのモールス信号を聞くと私も幸せな気持ちになれる。

 今日もレンタルビデオショップモリサキのアダルトコーナーには平和な時間が流れています。
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