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第二章
第35話 前世の最期
しおりを挟む俺は一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
……いや、理解をしたくなかった。
好きな子に死ねと言われてショックを受けないヤツなんているのだろうか?
『えっと……ドッキリ?』
『いいえ。本気よ』
眉ひとつ動かさない彼女の表情を見て、俺は悟った。
これは"ガチ"のやつだ。
咄嗟に自分の鼻柱をぎゅっと押さえる。泣きそうだ。
いつの間に、そこまで嫌われてしまったのだろうか。
俺の無自覚な何かしらの行動が、彼女を不快にさせてしまったのかもしれない。
もしかしたら、話を合わせる為だけに特に好きでもない乙女ゲームを嫌々やっていたのを勘づかれていたのだろうか。
彼女のような熱狂的なファンからしたら、そんな姿勢は耐え難い冒涜に違いない。
そういえば、ハナちゃんお気に入りの魔王ルート解放の話をした時、かなり微妙な表情をしていた気もする。
きっとこれだ、と俺が脳内で指を鳴らしたのと同時に、ハナちゃんはこちらへずい、と身を乗り出した。
反発するように俺は後退り、背中が壁とピッタリくっつく。足元で何かを踏んづけたような気がしたが、それどころではない。
『ね、あたしの事、愛しているんでしょう?』
その声は、先ほどよりも少し上ずっていた。
なぜかは分からないが、彼女は興奮しているように見えた。
『ええ? 愛、というか……』
俺は面食らった。
たしかに彼女は、長年の初恋相手だ。
小学校の頃から、10年間ひたすら想い続けていた。
だが"愛"とまで言われると、さすがに違和感があった。
『いい? これはあなたにとって、願ってもないことよ。大好きなあたしに貢献できるのだから。後の事はあたしが全部やっとくから、あなたは何にもしなくていいの。生贄としてただ大人しく、あたしに殺されてくれるだけでじゅうぶんよ』
早口で一気に言うと、ハナちゃんはキラキラした瞳でこちらを見据える。
俺はといえば、現代社会にあるまじき血なまぐさい単語の羅列に、ひたすら目を剥いていた。
『い、生贄って、何で……何でそんなことを』
俺の問いに、彼女は今さらという風に首をかしげた。
『ずっと言ってるじゃない。あたしはただ、彼に会いたいの。ゲームのテキストなんかじゃ満足できない。あたしの声に反応して、自分の意思で動く彼のそばで、その体温を感じていたいの』
彼、とは、18禁乙女ゲームの隠しキャラ、魔王ルドゥアールの事だろう。
そんな話は、確かに何度も聞かされた。
夢見る女子のかわいい妄想だと思って、いつも聞き流していたのだが……
『あたしの母の実家がね……呪禁師だか陰陽師だかでのしあがった旧家の傍系で。こないだ500年モノの倉の掃除の手伝いをしたら、"界の理を越える術"についての本が見つかったの』
一気にスピってきた話の内容についていけず、俺は口をぎゅっと結ぶ。
そんな俺には目もくれず、ハナちゃんは夢見心地で話を続けた。
『その中に、物語の世界へ入り込む術なんてのもあって――どうやら源氏物語に入りたくて試行錯誤したご先祖様がいたみたいね。紫の上になって、光源氏が須磨に下った隙に財産を掠めるだけ掠め取ってゲリラ出家からの還俗コンボキメて好き放題やって見せるって書いてあったわ』
『は、はぁ……それはおもしろそうな……』
源氏物語の内容なんてろくすっぽ覚えていない俺は、適当に相づちを打った。
どうにかこの密室から抜け出せないかと、顔は動かさないまま、部屋の端から端まで視線だけを巡らせる。
『道教だかなんだか知らないけど、全部漢文で書いてあって読むのが本当に大変だったわ……それでも、なんとか転生陣を用意してひととおりの作法もしっかり頭に入れた。食べるものとか、起きてすぐに歩きだす足まできっちり従わなきゃいけないのよ。吉日も占って、ゲームの世界に入るために必要なものはほぼ全部揃ったわ……あと足りないのは、ひとつだけ』
捲し立てるように言い切った彼女は、そこでピタリと黙って俺をじっと見た。
『それが……生贄?』
静かな部屋に、俺の声がポツリと響いた。
ハナちゃんは、ゆっくりと頷く。
『そう。最後に必要なのは、心からあたしを愛する者の命よ。すぐに用意できるものでもないから悩んでたんだけど。あなたに告白された時、まさに天啓だと思ったわ。異界の君に身を焦がすあたしの運命を憐れんだ神が、この者を遣わせてくれたんだって悟ったの』
その恍惚とした表情を見て、俺は頭のてっぺんから、さぁと血の気が引くのを感じた。
彼女は別に、俺に怒っているわけでも、嫌っているわけでもなかった。
都合のいい生贄とやらが見つかったと、喜び勇んで俺を呼び出したのだ。
――支離滅裂だ。気が狂っている。
目の前の彼女が、何か得体の知れない化物に見えた。
狂気に圧倒されまいと、俺は歯を食い縛った。
唇だけを持ち上げて、隙間からなんとか声を出す。
『そ、そんなことして、もし俺が君に命を捧げたとして……望みどおりゲームの世界に行けなかったら、君は残りの長い人生を殺人犯として過ごすことになるんだよ』
『あら、そんなこと』
俺の決死の言葉に、ハナちゃんは刃物を持たない方の手のひらを顔にあて、ぷ、と笑った。
『知ってる? あたしの友達の間で、あなたは悪質なストーカーとして有名よ。悩んでるフリをしたら、みんなが騙されてくれたわ。いい? 今日ここで、どうしても想いが叶わなかった青年は、とうとう凶行に走るの。命の危険を感じたあたしは必死に抵抗して、弾みであなたを殺してしまう』
正当防衛よ。と得意気に言ってのける彼女の姿に、俺はすっかり覇気を奪われてしまった。
現代警察の科学力からして、彼女の正当防衛が認められる可能性は限りなく低いように思えるが、妄想の世界へ浸りきった彼女にそれを告げたとて、俺を殺す意思は変わらないように感じたのだ。
俺は彼女の計画を聞いてしまったのだから。
向こうは刃物を持っているし、こちらは荒事経験ゼロのモヤシだが、さすがに男と女。
膂力の差でなんとかねじ伏せて逃げればよし、後の事はその時考えよう。
じりじりと近付くハナちゃんを、よく観察する。
そして、いつでも牽制できるよう、踏ん張るために足を前後にずらそうとした俺は、その足の裏が膠で貼り付けられたかのように地面にがっちりと固定されているのに気付いた。
『う、何、ヒェッ……!』
何事かと足元を見た俺は、自分が踏んでいるものを見て慌てて飛び退こうとした。が、引き続き動けない。
『こんなとこにわ、藁人形が……君がやったの……?』
『ああ、それね。軽い厭魅の一種よ。見よう見まねだけど効果があってよかった』
そのあまりにも冷たい言い方に、俺はぶるりと震えた。
『ハナちゃん、俺達、小さい頃からずっと一緒に遊んできたじゃないか。何で、何で……こんなことできるんだよ。俺を殺して、君は平気なの?』
もはや命乞いですらない。半ベソだ。
俺の悲痛な問いかけに心動かされた様子もなく、彼女は淡々と答える。
『平気……? そうね。あなたは、何にも要求しないであたしのお願いなんでも聞いてくれてとっても便利だったけど……向こうの世界へ行ったら、それも関係ないわよね』
その時やっと、俺は彼女の本質を理解した。
常日頃から3次元の男に興味がないと言っていたのは、比喩でも誇張表現なんでもない。
彼女には自分以外の他人――いや、俺が、ひとりの人間として見えていないのだ。
(惨めだなぁ)
底のない虚しさが、心を占める。
何もかもが、どうでもいい気がした。
『じゃ、さようなら』
歪んだ笑みの彼女が、刃物を振り上げる。
もはや抵抗する気は、起きなかった。
――――
「うっ……ォエッ…………」
前世の最期を詳細に思い出した俺は、その場でえづいた。
胸が焼け付くように熱い。苦しくて、目尻に涙が滲んだ。
その事実を受け入れることを、体が拒否しているようだった。
透明な胃液だけが、地面に垂れる。
「ちょっと! 汚いわね」
それを見たハナちゃん――エレーヌが、眉間に皺を寄せながら、後ろへ退いた。
「そういうグズなところ、前と全然変わってないわね。本当に、イライラする」
吐き捨てるように言葉をぶつけたあと、エレーヌは気を取り直すように咳払いをした。
「おっと、それどころじゃなかった。ね、あたしは別に、聖女の地位とかどうでもいいの。彼――ルドゥアール様とのイベントの時動きやすいように、教会の言うことに合わせてやっただけなんだから」
俺はマントの裾で口もとを拭い、顔を上げた。
これはきちんと洗ってからアレクシスに返そう。
「あの第二王子だってそう。宝玉を守る魔物を倒すのに、あの男の戦力があるのとないのとじゃ難易度に天と地ほどの差があるから、味方に引き入れたかったんだけど――彼が既にあなたの虜だったせいで、あたしの計算がかなり狂ったわ」
忌々しげに言いながら、エレーヌは肩から下げたポシェットに手を突っ込み、なにやら探しているようだった。
両手サイズのポシェットの中に、彼女の腕が肘まで埋まっている。魔法で中身を拡張してあるのだろう。
「妖精イベントのこともそうだけど……ねぇ、あたしの目的のために潔く死んでくれたのに、結局邪魔してたら意味がないじゃない。どういうつもりなの?」
「どういうつもりも何も……」
前世のその辺の事はたった今思い出したばかりだ。
俺はただ、ローズを守るために動いていたに過ぎない。
そう反論しようと口を開く俺を、エレーヌの歓声が遮った。
どうも回答を期待していたわけではないらしい。
「あー、あった!」
エレーヌがポシェットからようやく引っ張り出したのは、人の顔くらいの大きさの丸い鏡だった。
縁に爪を差し入れるようにひっかけると、パキッと音がしてそれは二面、一対の鏡に分かれた。
俺は、それ――その魔道具に見覚えがあった。
留学前のミュゲが、同じものの片割れを我が家に置いていったからだ。
鏡といっても水盆のようなものだ。
力を含ませた水を張っておき、そこへ手紙を浸すと対になったもう片方へ手紙に書かれた文字が転送される。
鳩を飛ばすよりずっと速い、遠くにいるもの同士を繋ぐ通信機器のようなものである。
ローズがミュゲにSOSを送ったのも、この魔道具だった。
「水鏡……?」
その魔道具の名を思わず口に出すと、エレーヌは意外そうな顔をした。
「あら、知ってるの? ……ああ、そういえば魔道具に詳しいモブがいたわね。ほら」
エレーヌは片割れの水鏡を指の先でつまみ、こちらへ寄越した。
完全に汚物扱いだが、距離をとってもらえる分にはこちらとしてもありがたいので、黙って受けとる。
「第二王子は籠絡できないわ、聖女候補でもなくなって折檻されるわで、あなたのせいであたしの計画台無しよ。少しは使えるかと思ったクレマンもなんかよそよそしいし。でも、今はロジェであるあなたがこのゲームの事を知ってるなら、話が早いわ」
もう片方をポシェットへ押し込み、エレーヌはにこりと笑った。
「期待してるわよ。今度こそ協力してね、ロジェくん」
「なんだよ、協力って何を……」
水鏡を手に目を白黒させる俺に、彼女は舌打ちをした。
ころころと豹変する態度が、げに恐ろしい。
前世の俺は、彼女のどこが好きだったんだっけ。
「いつまでも頭が悪いんだから……いい? あんたのせいで、未だあたしはルドゥ様に会えないままなの。あの魔物を倒すための手駒がひとりもいないんだから。さすがに神話級の魔物となると、あたしの魔法は通用しないし」
腹立たしげに言って、エレーヌはその自慢の髪をくしゃりと掻き乱した。
「だから責任とって、あたしの代わりに例の宝玉を取ってきなさいな。誘惑したお供も連れてったらいいわ。そして、あたしが神殿で宝玉を捧げ……」
と、急にエレーヌがパッと視線を上げた。
――遠くから、こちらへ向かう足音が聞こえる。
「アレクシスが帰ってきたわね。あたし、堅っ苦しい脳筋男が生理的に無理なのよ……じゃ、宝玉が手に入ったら、水鏡で教えてね。ルドゥ様の眠る神殿で待ち合わせしましょう」
言いたいことを一方的にぽんぽんと投げると、すぐにエレーヌは何かしらの詠唱を唱え出した。
その体に、緑の光が纏われていく。
その光を見て、俺はすぐにピンときた。
テレポートだ。
複数の攻略対象と同時進行するため、ヒロインだけが使える瞬間移動の魔法。
牢を抜け出したのも、この魔法を使ったに違いない。
「あ、待て、俺は協力なんてしない!」
手の中の水鏡を振り上げ、消え行くエレーヌへ慌てて声を掛ける俺に、彼女は嘲笑を伴いながら最後の言葉を発した。
「いいえ、あなたは協力せざるを得ないわ。すぐに、分かる――――」
やがて彼女を覆う緑の光は中心へ収束し、その光が消えると共に、エレーヌの姿は完全に見えなくなってしまった。
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