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3-3 類える現実

第111話 きっかけ 5

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 遠慮に回る事を判断したリオンの胸中に触れた現状からでは、とうとうこの場を恋愛的な空気に導く外的要因を見失ってしまった。
 もはや頼れるものは己の拙い頭脳か、或いは運否天賦に──と言う名の職務放棄しか残された道は無し。
 だがそうは言っても、不確定要素が性に合わず、人生において一度も賭け事を経験した事のない俺が下せる決断とは、やはり"観察"しかない訳だ。

 しかし箸休めとなる『カカソースの"シュガーマッシュ"ソルベ』──ほんのりとした甘さを備えた、凡そ常識的なキノコの味わいとは異なる、エルフ族が甘味として用いるキノコのチョコソース和え──を堪能し終え、いよいよメインディッシュに差し掛かろうかというこのタイミングでは、長考に更ける事もままならない。


(幸いみんな楽しんでくれてるよな……)

(うん。友達だよね? って聞かれたら、友達だと言い切れるぐらいには親交は深まってると思う)

(……雰囲気作りの為に、例えば俺が道化を演じてアメリアに言い寄る……?──厳しいか。アメリアは察知して乗ってくれるだろうけど、の存在が恐ろしすぎる) 
 
(ならあえてハンナちゃんを口説きにかかって嫉妬心を煽る……?)

(──いやそれは、既にマルクスさんがハンナちゃんに気がある前提の揺さぶりだ。内心が伺い知れない現状じゃあ、協力してくれてるみんなの混乱を招くだけだよな……)

(マルクスさんを一旦呼び出して、直接聞いてみる……だと何かを企んでる事がバレるよな)

(どの道今回の真相は説明するつもりだけど、それは依頼が終わった後にしたいし……)

(……うん。俺の御膳にもキノコは入れよう)
 ハッキリとした結論が浮かぶものは、現実逃避の議題のみ。

 迫るタイムリミットに普段にも増して考えが纏まらず、メインの到着を待つ皆に愛嬌を振りまき練り歩くリーフルの姿を目で追いながら焦燥感に苛まれる。

「──あ」
 リーフルが丁度マルクスの前に差し掛かった時、爪が皿を引っかけてしまい、僅かに残るカカソースがこぼれてしまった。

「──! ホ……」
 リーフルが申し訳なさげに小さく呟く。

「ああ、大丈夫だよ」
 マルクスが爽やかな笑顔と共にリーフルの頭を撫で、自前のハンカチを取り出し拭き取る。

「す、すみませんマルクスさん」

「──!」
 一連の様子を観察していたハンナが何か閃いたのか、おもむろにポーチに手を伸ばす。

「──マルクスさん、どうぞこちらをお使いになってください」
 ハンナが差し出したものは、繊細な刺繍が施されしっかりとした厚みのある、ひと目で高価な物だと察しのつくハンカチ。

 ハプニングを好機と捉え、すかさず『優しさアピール』のリベンジに打って出ようという機転の利いた振る舞いだ。

「ああ、大丈夫ですよ。そんな綺麗なハンカチ、汚すの勿体無いですよ」

「そんな! お気にされずに。それにその……お持ちの物はもうお役目を終えられそうですし……」

「──折角ですから、お近付きの印として、どうぞこちらをお受け取りくださいまし」
 ハンナが上品な笑顔と共に、想定していたよりもさらに一歩踏み込んだアピールを披露している。

 一見した限りでは確かにハンナの主張通り、マルクスの持つハンカチは、複数の布が継ぎ合わされ様々な色をした随分くたびれた物で、そろそろ買い替え時と判断しても何ら不思議の無い年季の入った代物のように見える。

「あ~……いや、はは……」
 マルクスが言い淀みばつの悪そうな表情を浮かべ、返答に難儀しているような様子が伺い知れる。

「──ああ! マルクスさん程の方ですものね。でも心配なさらないで。貴方様に相応しい、携帯なされても不足はない金額の物です!」

「アハハ……実はこれ、子供達からのプレゼントで……」

(子供達……なるほど、それで言い淀んで。流石チームのリーダーを担うマルクスさんらしいなぁ)

 幼少より本当の兄妹のように育った四人は、今更という縛りなど無くとも、皆それぞれが互いを良く理解し想い合い、優れた連帯が取れる事は、先日の掃討任務でも改めて実感したところだ。
 そんな未知の緑翼の面々だが、中でも長男の気質が窺えるマルクスは、角が立たぬよう絶妙な折衷を導き出す事に長けているのだと思われる。
 
 恐らく察するに、ハンナの親切を無下に断る事も心苦しいところだが、自身の持つ子供達からの贈り物を卑下する訳にもいかず、ハッキリとした返事が出来ない、といったところだろう。

「お子様たち? ファンの方からの贈り物でしたの? それは素晴らしいですわね! でも私もファンの一人です! 私のハンカチの方が貴方様が持つに相応しい──」
 
「──『ボロボロになったらまた作ってあげる』って言われてて。あの子達、このハンカチが廃れていくのを楽しみに待ってるんですよ。もちろん俺自身も」

「破けてしまった服とかテーブルクロスとか。新品を買うお小遣いなんて無いからって、お古を活用して縫ってくれた、俺にとっては凄く価値のある物なんです」
 マルクスの語気に若干力が入り、表情も薄っすらと強張っている。
 
 例え戦闘中であろうと、普段は爽快で柔和な雰囲気を纏うマルクスの、ほんの極僅かではあるが、"怒気"とも取れる感情を目にするのは初めてかもしれない。

「──!!」
 事情を察したハンナの表情が強張り差し出している手が震え、行き場を失くした高級そうなハンカチが空をさまよう。

「だから遠慮しておきます。ごめんね、ハンナちゃん。気持ちだけ受け取っておくね」

「あ、あの……私、知らなかったから……」
 ハンナが俯き、震えた声で小さく呟く。

「へぇ~! 素敵なハンカチね!」

「確かに。金には代えられねえ、とんでもない価値だな」

「フッ──なんと尊き宝か。俗世の物品に対し、久しく羨望を抱いたぞ」


「…………」
 ハンナが尚も俯いたまま、寂し気に肩を落としている。 

「──あ、ごめんごめん! 気にしないでハンナちゃん。知らなかったんだし当然だよ。ハンナちゃんは何も悪くな──」
 ハンナの様子を見たマルクスが慌ててフォローに回っている。

「──いや! マルクスさん」
 言葉尻を遮るように突如リオンが割り入る。

「……なぁハンナちゃん? だとしてもだよ。ちゃんとはした方がいいと思うぜ?」

「そんなリオンさん! 俺は大丈夫ですよ!」

「いいや! そんな事は無いですよ。身内の集まりとは言え、一応今ここは大人同士の社交の場です」

「大人になったら下げたくもない頭を下げなきゃいけない時だってある。ましてや自分に少しの落ち度でもあるなら尚更だ。あずかり知らない事だったとは言え、失言は失言だ」

「ハンナちゃんは今"箱"から出て、一人の女性に成ろうとしてる。その第一歩が、この場な訳じゃん? だったら、忠告してあげられる人が居るならしてあげなきゃダメだと俺は思いますよ」

「……うむ。確かにリオンの言う通り。失言を発してしまったのなら、謝罪は必要やもしれんな」

「──あ……!」
 リオンの指摘に、ハンナが我に返り顔を上げる。
 
「あの……ごめんなさいっ! マルクスさん!」
 ハンナが立ち上がり、高級そうなハンカチが舞い落ちる。

「大切な宝物を……お金の価値と比べてしまうなんて、とても失礼な事を言ってしまったわ」

「本当にごめんなさい……」

「──あぁ! いいよいいよ! 頭を上げてハンナちゃん」

「それと、リオンさん。指摘してくれてありがとうございました。おかげで間違いを放置したままにせずに済みましたわ」
 リオンに向かい頭を下げ感謝を伝えている。

「う、うん。俺の方こそ、きつい言い方しちゃってすまなかったな」

 リオンがハンナの下に歩み寄り、ハンカチを拾い上げ手渡す。

「ありがとうござ──ひゃッ!!」
 ハンカチを差し出すリオンの指に手が触れ、ハンナが驚嘆の声をあげる。 

「──ご、ごめん!」

「ふふふ……どうやらリオンさんのそのは、心だけでなく、御手にも宿っているようですね……」
 キャシーが不敵な笑みを浮かべ、茶化すように話している。

 場を和ませるように放たれたキャシーの冗談によって、少し淀んでしまったこのテーブルに、皆の笑顔が返り咲く。

(リオン……やっぱり良い奴だなぁ)
 

 察せられた様子から見るに、もちろんハンナ自身も自らが発した言葉が、"失言"だったという事には自主的に気付き、謝罪の念自体が宿っていた事に違いはないだろう。
 それに、少々強引にも見える先程の必死なアピールは『母の期待に応えたい』という純粋な願い故に突き進んだ結果なのであって、マルクスには申し訳ない想いも抱くがハンナの行動を咎める気にはなれない。

 だがリオンの指摘するように、今この瞬間は大人同士の社交の場であり、普段であればフォローしてくれるような人物は傍に居らず、責任は自身一人が背負っている。
 
 例えば親しい友人や家族といった、一から十まで言わずとも伝わるような間柄であれば、形式ばった正式な謝罪の言葉など無くとも成立はするだろう。
 しかし他人──手探りの間柄においては、わざわざ謝罪を口にするという行為が、如何に関係を円滑に運ぶ材料になり得るのかは、大人になるにつれ自然と身に着けてゆく処世術の一つだ。
 なのでハンナは多少気まずい想いに晒される事にはなってしまったが、リオンのハッキリとした"熱意"は、彼女にとって良い財産になったと思う。

 先程のリオンのように『多少場が乱れようが、この人の為に』といった、他人の為を想い熱くなれる程の熱量は、俺には足りない部分だ。

 裏表が無く情に熱い男リオン。
 否応にも大人と定められてからは珍しい、貴重で大切にしたい繋がりの一人だ。
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