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1章.大学授業編
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演習室を出たところで、キーファが通りかかる。
頭を下げてくる彼に、リディアは呼び止める。
「お疲れ様。今から帰るの?」
学生に「お疲れ様」というのが正しいのか、「ご苦労さま」と言うほうがいいのか、未だにわからない。
「昨日はすみません。先生だって知らなくて、タメ口きいてしまって」
真面目だが、意外に口調は砕けている。
「ううん。私が言いそびれたから。驚いたでしょう、ごめんなさい」
騙したみたいで気まずかったが、彼は落ち着きがあるというか、大人だ。
何を思ったにしろ流して、今は生徒という距離で当たり障りなくリディアに合わせて話している。
「先生は、今は――」
白く埃が付いたスーツに、リディアは笑う。
「演習室の大掃除をしようとしたけど、手がつけられなくて。来週の演習は場所の変更をするかも」
「そうですか」
彼もどう答えていいのかわからないのだろう、相槌だけをうち黙り込む。
無表情の眼差しに、リディアも圧倒される。
「あのね」
片方の肩に背負うデイパックの肩ベルトを掴む彼の手に力が込められる。白く握りしめられている拳、ああ、警戒されている。
「私――」
(――魔法師団にいたけど、特殊魔法以外は全然だったの)
それとも。
(――なかなか魔法の発現ができなくて、いつも落ちこぼれだったの)
けれど、キーファは落ちこぼれではない。
演習以外の成績は優秀、去年の研究では高評価を貰っている。
自分も同等だ、なんて言えない。気休めの言葉なんて迷惑だろう。
「――先生は、王国魔法師団にいたんですよね?」
迷うリディアを先制するようにキーファが言う。
「どうして、辞めたんですか?」
それは、当たり前の質問、行く先々で聞かれる問い。
生徒から尋ねられるのも時間の問題だった。ただ、どこまで正直に言うか。
見透かすように、まっすぐ見つめてくる瞳に誤魔化しが正しいとは思えないが、全てを言えないのはリディアにもプライドがあるからかもしれない。
「――失ったから」
彼の目元がピクッと微かに引き攣る。
ああ、選択肢が無くて来たなんて、教わる側の生徒は言われたくないだろう。間違えた。
「任務で失敗して、魔法が使えなくなったの。魔法師団にいられなくなったの」
「そう、なんですか」
「ああ、でも! 教えるのに支障はないから! 魔法師の資格は失ったわけじゃないし。教えるぐらいの簡単な魔法は使えるから、って、その――」
(間違えた。魔法は使えるからって、魔法を使えない生徒に言う言葉じゃない)
だが彼は、僅かに笑った。声を立てない静かな笑い方だ。
「気にしないでください。先生が魔法を使えるのは当然で、俺が使えないのとは関係ないですから」
「――まだ使えないって決まったわけじゃない……でしょ」
黙り込む彼に、更に失言を重ねたのだと気づく。
「色々、失言だった。ごめん……なさい、ね」
(なに、この謝り方……)
どんな口調で話せばいいのかわからない。頭を下げると、彼はデイパックを握りしめていた手から力を抜いていた。
「先生、もうかなり遅いですよ。暗いので送っていきます」
驚いてPPを見ると、午後八時。確かに窓の外は真っ暗だ。
「いいえ、私は大丈夫だけど。コリンズ君こそ帰れる? 気をつけないと!」
彼は本当に苦笑していた。
「俺は平気ですよ、男なんで。先生は女でしょ」
「え!」
かなり驚いた、生徒だよね?
そんな気を遣ってもらうほどじゃないのに。
「いえいえ、私は社会人だからね。送ってもらうほどじゃないから。――気をつけて帰ってね」
彼は物言いたげな顔で、けれどきゅっと口を引き結んで、頭を下げた。
「では、失礼します。先生――」
「気をつけてね、本当に」
部屋に戻ると、サイーダが帰り支度をしていた。
「お疲れ様です。サイーダ先生、遅いですね」
「ええ、研究費の申請。応募が明日までだから」
サイーダは年上で、おまけに経験が豊富だ。
なかなか呼び捨てにはできず、”先生”を付けて呼ぶリディアに、サイーダは何も言わなかった。
とはいえ、今の話題は聞き流せない。
リディアは帰り支度をしながら、エッと顔を上げた。
「研究……」
「そう、応募も教員の評価対象だから。研究費取れなくてもね」
「ああ、ええと、そうですよね」
研究振興協会が年に一回募集する、研究費の助成制度。
あらゆる分野の研究者が応募して、助成金を獲得するために必死になって応募するものだけど、研究計画は練りに練って、詳細に書類を書かないといけない。
応募したといういうことも、教員の評価対象になるし、応募しなかったら、やる気が無いと見なされる。
多分、応募しない職員は誰もいない。
研究……どこにそんな暇があるのだろう。毎日雑用で、研究の仕事は、遥か遠い彼方にある。
そもそも、リディアが呪詛版を研究対象にしたのは、自分の呪いを解くためなのに。
全然、進んでいない。おかしい、おかしい。
「もう大変。何度書き直ししたことか! 研究する暇ないのに!」
取り組む時間がなくても、必死で研究しますアピール。
当然お金を得てしまえば、計画通りに進めなければいけない。
一つの事業みたいなものだけど、授業も学生の育成も併用。
おまけに応募した研究だけではなく、いくつも掛け持ちで研究をしなければいけない。
「ああ、でも時間は作らなきゃいけないのよ。リディア、あなたも授業も生徒の面倒を見るのも、ほどほどにしといたほうがいいわよ。研究があなたの評価にされるんだから。うまくやんないと」
「ええと、はい。――ありがとうございます」
サイーダは、常に仕事をしている。
授業の準備もそうだけど、論文も書いているのだろう。
教育経験も長いし、助言が勉強になる。
リディアは、その姿勢を尊敬する。
けれど、"ほどほど"を勧めるのだ。
ほどほどって、どのくらい?
いずれにしても。
研究費の応募ができなかったリディアは、今年度の評価はゼロだ。
仕事をしていないという評価になるだろう。
そして、呪いもこのままだ。
頭を下げてくる彼に、リディアは呼び止める。
「お疲れ様。今から帰るの?」
学生に「お疲れ様」というのが正しいのか、「ご苦労さま」と言うほうがいいのか、未だにわからない。
「昨日はすみません。先生だって知らなくて、タメ口きいてしまって」
真面目だが、意外に口調は砕けている。
「ううん。私が言いそびれたから。驚いたでしょう、ごめんなさい」
騙したみたいで気まずかったが、彼は落ち着きがあるというか、大人だ。
何を思ったにしろ流して、今は生徒という距離で当たり障りなくリディアに合わせて話している。
「先生は、今は――」
白く埃が付いたスーツに、リディアは笑う。
「演習室の大掃除をしようとしたけど、手がつけられなくて。来週の演習は場所の変更をするかも」
「そうですか」
彼もどう答えていいのかわからないのだろう、相槌だけをうち黙り込む。
無表情の眼差しに、リディアも圧倒される。
「あのね」
片方の肩に背負うデイパックの肩ベルトを掴む彼の手に力が込められる。白く握りしめられている拳、ああ、警戒されている。
「私――」
(――魔法師団にいたけど、特殊魔法以外は全然だったの)
それとも。
(――なかなか魔法の発現ができなくて、いつも落ちこぼれだったの)
けれど、キーファは落ちこぼれではない。
演習以外の成績は優秀、去年の研究では高評価を貰っている。
自分も同等だ、なんて言えない。気休めの言葉なんて迷惑だろう。
「――先生は、王国魔法師団にいたんですよね?」
迷うリディアを先制するようにキーファが言う。
「どうして、辞めたんですか?」
それは、当たり前の質問、行く先々で聞かれる問い。
生徒から尋ねられるのも時間の問題だった。ただ、どこまで正直に言うか。
見透かすように、まっすぐ見つめてくる瞳に誤魔化しが正しいとは思えないが、全てを言えないのはリディアにもプライドがあるからかもしれない。
「――失ったから」
彼の目元がピクッと微かに引き攣る。
ああ、選択肢が無くて来たなんて、教わる側の生徒は言われたくないだろう。間違えた。
「任務で失敗して、魔法が使えなくなったの。魔法師団にいられなくなったの」
「そう、なんですか」
「ああ、でも! 教えるのに支障はないから! 魔法師の資格は失ったわけじゃないし。教えるぐらいの簡単な魔法は使えるから、って、その――」
(間違えた。魔法は使えるからって、魔法を使えない生徒に言う言葉じゃない)
だが彼は、僅かに笑った。声を立てない静かな笑い方だ。
「気にしないでください。先生が魔法を使えるのは当然で、俺が使えないのとは関係ないですから」
「――まだ使えないって決まったわけじゃない……でしょ」
黙り込む彼に、更に失言を重ねたのだと気づく。
「色々、失言だった。ごめん……なさい、ね」
(なに、この謝り方……)
どんな口調で話せばいいのかわからない。頭を下げると、彼はデイパックを握りしめていた手から力を抜いていた。
「先生、もうかなり遅いですよ。暗いので送っていきます」
驚いてPPを見ると、午後八時。確かに窓の外は真っ暗だ。
「いいえ、私は大丈夫だけど。コリンズ君こそ帰れる? 気をつけないと!」
彼は本当に苦笑していた。
「俺は平気ですよ、男なんで。先生は女でしょ」
「え!」
かなり驚いた、生徒だよね?
そんな気を遣ってもらうほどじゃないのに。
「いえいえ、私は社会人だからね。送ってもらうほどじゃないから。――気をつけて帰ってね」
彼は物言いたげな顔で、けれどきゅっと口を引き結んで、頭を下げた。
「では、失礼します。先生――」
「気をつけてね、本当に」
部屋に戻ると、サイーダが帰り支度をしていた。
「お疲れ様です。サイーダ先生、遅いですね」
「ええ、研究費の申請。応募が明日までだから」
サイーダは年上で、おまけに経験が豊富だ。
なかなか呼び捨てにはできず、”先生”を付けて呼ぶリディアに、サイーダは何も言わなかった。
とはいえ、今の話題は聞き流せない。
リディアは帰り支度をしながら、エッと顔を上げた。
「研究……」
「そう、応募も教員の評価対象だから。研究費取れなくてもね」
「ああ、ええと、そうですよね」
研究振興協会が年に一回募集する、研究費の助成制度。
あらゆる分野の研究者が応募して、助成金を獲得するために必死になって応募するものだけど、研究計画は練りに練って、詳細に書類を書かないといけない。
応募したといういうことも、教員の評価対象になるし、応募しなかったら、やる気が無いと見なされる。
多分、応募しない職員は誰もいない。
研究……どこにそんな暇があるのだろう。毎日雑用で、研究の仕事は、遥か遠い彼方にある。
そもそも、リディアが呪詛版を研究対象にしたのは、自分の呪いを解くためなのに。
全然、進んでいない。おかしい、おかしい。
「もう大変。何度書き直ししたことか! 研究する暇ないのに!」
取り組む時間がなくても、必死で研究しますアピール。
当然お金を得てしまえば、計画通りに進めなければいけない。
一つの事業みたいなものだけど、授業も学生の育成も併用。
おまけに応募した研究だけではなく、いくつも掛け持ちで研究をしなければいけない。
「ああ、でも時間は作らなきゃいけないのよ。リディア、あなたも授業も生徒の面倒を見るのも、ほどほどにしといたほうがいいわよ。研究があなたの評価にされるんだから。うまくやんないと」
「ええと、はい。――ありがとうございます」
サイーダは、常に仕事をしている。
授業の準備もそうだけど、論文も書いているのだろう。
教育経験も長いし、助言が勉強になる。
リディアは、その姿勢を尊敬する。
けれど、"ほどほど"を勧めるのだ。
ほどほどって、どのくらい?
いずれにしても。
研究費の応募ができなかったリディアは、今年度の評価はゼロだ。
仕事をしていないという評価になるだろう。
そして、呪いもこのままだ。
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