みどうめぐるはふたりいる

ムサキ

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第十三話「水の神はいけ好かない」

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ーー第十三話「水の神はいけ好かない」


 江良は思っていた。どうして私はこの人についてきてしまったのだろうかと。あの時も、あの時も、あの時も、この人は自分のことしか考えていない。それなのにどうして、彼から目が離せないのだろうか。

「戻らなくていいの?」
「任せると言った、それ以上はない」彼のその言葉はおそらく江良が期待していたものであった。一度行ったことを曲げるのは水守ハジメではない。彼はただ真っ直ぐ走っていくのだ。だから私は彼から目が離せないのだろうか。

「心配なのか?」
「えぇ、だって、あのレベルの発現者、一般の武装で敵うわけないですよ」
「あぁ、そうかもしれないな」水守は前に向かって言う。「だが、東は任された仕事はこなす男だ。だから、あいつが第一班の班長なんだ」

・・・

 西城の右腹部に綺麗なリバーブローが決まる。西城の口から血が噴き出る。だが、西城はのけぞらずに右拳を司馬の顔に叩きつける。司馬の動きは一瞬止まる。西城の拳はこめかみに当たっていたようだ。西城はこの機を逃さぬように畳みかける。左、右、左のストレートが司馬の顔を変形させる。
「西城! 時間だ」東の言葉に西城は頷き、腰に装着された機械のカートリッジを取り換える。(継続時間が短いのが当座の課題だ)東は地面に杭を打ち付ける。
「東さん、予定本数越えました」隊員が言う。
「よし、西城のタイミングで発動させる」東は言う。「全隊員は領域内から退避せよ」東の視線は西城に向けられる。

「こしゃくな手を使う」司馬は言い、左腕の大きく振るう。西城はそれを軽業師のようなバク転で躱す。
「人類の英知だよ。私たちが考えられ得る対抗策の一つだ」
「劣等種だから生まれえる手段だよ。後手後手の対策だ」
「君だって、自ら生み出した能力じゃないだろう?」

 司馬は目を見開く。不完全な魔力が西城の顔の横で爆ぜる。
「これは私の魔法だ」
「チッ」西城は舌打ちをして、距離を取る。

「退避」東は手元のボタンを押す。足元の装置が起動し、打ち込まれた杭から司馬に向かって赤色の光が伸びて、彼の身体を縛り付ける。
「東さん」西城は東の足元に崩れ落ちる。「上手くいきましたか」東は肩で西城を支える。
「あぁ、黒井さんの作った反魔力装備は上手く作動している」東はそう言って西城に目線を落とした。「西城、よくやった。お前のおかげだ」
 その言葉に西城は、フッと笑い。「そうでしょうね」と答えた。

・・・

「奴らなら大丈夫だ、それよりお前は自分の心配をした方が良い」
「え?」江良は訝しそうな顔を向ける。
「御堂は地下三十メートルの場所にいる」
「はい」
「あいつは、そこに落ちていった」
「はぁ」

「俺たちもそうするんだ」水守は左腕で江良の身体を抱えた。
「え!? ちょっ! ヒィッ」江良は鼓膜が破れんばかりの声で叫んだ。水守の魔法のおかげで落下の速度は速くはないが、地面までの距離の遠さが江良を恐怖させた。勿論、その声は地下にある三人にも届いている。

 オズの悪魔は上を見上げた。水守の影を認めた。彼は水の船に乗り、天から降りてくる。その姿はまるで天の日を隠す月の石のようであった。「お前は」オズの悪魔がそう口に出した時、クアンの手刀が彼の顔を横断した。

「御堂、いるか」水守は順光ながら御堂の姿を捉えられていない。御堂は逆に水守の圧倒的な魔力で、彼を認識していた。
「水守さん」御堂がつぶやき、クアンは水守が味方であると理解する。彼の顔に初めて隙が生まれる。安堵の色がにじみ出る。ただ、オズの悪魔はそんなちっぽけでちんけな隙など気にも留めていなかった。彼の興味はただ、天から降りてくる一人の男にあった。

 オズの悪魔は何も言わず、地面を蹴り、高く飛び上がった。その全ての右拳が水守の左半身に襲い掛かかる。ドドド、と鈍い音がしたかと思うと、オズの悪魔は機械の側面に着地した。「奇妙な手ごたえだ」そう右拳を見ると、全ての骨が粉砕している。

「危ないじゃないか」水守は言う。「こっちは俺だけじゃあないんだ。少しくらいは考えて欲しいものだ」
「は、何を言うか」オズの悪魔は言う。「愛人を戦場に連れ込む方が考えがないのではないか? 水守ハジメ。水属性の魔法使い。うん? その女は愛人ではないのか……だとすると、一層考えのない男だ」

「誰だか知らんが、うちの隊員とやり合っている、ということは敵性有としていいんだな。凶悪そうな見た目をしているしな」
「人を見た目で判断してはならん」オズの悪魔は腕を組み、水守と空中で相対する。

「それは相手が人ならな」水守は江良を水の流れに任せ、両の手の拳を強く握りしめた。「お前は、何者だ? 久々津アキラではないのか」
「久々津アキラの魂はもうここにはない。残念だったな、捕まえる対象はここにはいない。御堂らと敵対しているのは成り行きだ」オズの悪魔はちらりとクアンの顔を見る。
 クアンはその眼を確かに見た。セラミック製の奥歯が音を立てて崩れた。(成り行きなんかじゃない。こいつはすべてを見て、知って、意図的にぼくらと会敵したんだ。この感情を向けられるために。人間の複雑な精神が生み出す蜜を味わうために)

「あぁ、そうだ成り行きだよ」御堂はクアンの前に立って言う。「今まで、お前のシナリオ通りに事が進んでいる。とても腹立たしい。そして、ぼくと彼はお前を殺したい」
「それは叶わぬ願いだと、この四、五分間で分かっただろう? 君たちの攻撃という攻撃はすべて無力化される。万が一当たったとしても、毛ほどのダメージにもならない。何のために拳を振るうのかわからなくなるだろう。そう、君たちはもう絶望していいんだよ」

「おしゃべりな奴だなぁ」水守は言う。いつの間にか御堂に背を向け、オズの悪魔の前に立ちふさがっていた。「つまり、お前は俺とやるべきだってことだろう?」右の拳を握りしめて、顔の前に突き出す。「名前は?」

「オズだ」
「そうか、俺は水守ハジメだ」

 二つの大きな魔力がぶつかり合い、それ以外の全ては壁に叩きつけられた。広がったフィールドの中で、水守は右手を上に掲げて指を鳴らした。その音の波に合わせて水の波紋が宙に描かれる。それらは増幅し、増水した。頭上に描かれる水の流れは、もはや流れとは言えず、母なる海そのものであった。地底の宙に生まれた海は、水守の指先、一点に凝縮された。黒々とした水の珠は水守が照準を合わせて、銃を打ち出す仕草をすると、オズの悪魔に向かって飛んでいった。
 水守が指を鳴らしてから、オズの悪魔の眼前で破裂するまでかかった時間はコンマ一秒である。オズの悪魔は肉を散らし、すぐさま回復に入る。顔を吹き飛ばしたから、言葉では何も語れないが、肉体は恐れという感情を雄弁に語った。

 わたしは悪魔だぞ、と言っている。御堂はつぶやく。なぜ、ただの人間がこれほどの力を持っている、と叫んでいる。

 水守は両手を打ち合わせる。音の波は、無数の節をつくり、そこに水は凝縮していく。オズは動けない。ヘタに動いてはいけないと気づいている。水守の性格を理解している。間合いを詰めてはいけない。かといって離れてもいけない。あの程度の威力で済んだのは、近いと自分も巻き込まれてしまうからだ。

「だったら、俺から行こうかね」水守は両の人差し指をタクトのように振り、雨の珠をオズに向けた。オズはその全てを受け流した。軌道は水守の手の動きから読めたからだ。だが、水守の位置は読めない。彼がどうしようとしているか、オズには読めていない。

 そう、おかしかったんだ、はじめから、と言っている。御堂はつぶやく。どうしてこの男の思考は読めないんだ。私はオズの悪魔なんだぞ。おかしいんだ、この男が来てから、頭の再生も遅い、時間の流れが変わっている。すべてが狂っている。羅針盤も時計の針も。

 オズの懐に水守はいる。大きく振りかぶった右拳は、左回転が加えられ、まもなくオズの胴に突き刺さる。オズはそれを阻止しなければならない。だが、どうやって?
 途方もない衝撃、風がねじれながら空間を駆けた。オズの悪魔はそこに立っていた。「大人げないとはわかっているんだけどね」

「「なかなかどうして、君が強いせいで、ぼくは本来の姿にならなくてはいけなかった。これもすべて君のせいだ。そして、この姿を見たものは、生きて返すわけにはいかない」」オズは言い、御堂はそれと同じ文言をつぶやく。

「異質な魔力。御堂の病室で感じたものと一緒だ」

「あぁ、そんなことより、あぁ、だめだ、この姿になると、人間のことが殺したくなって仕方がない。特にお前、俺をよくもコケにしやがって」
「コケにしたつもりはないが」鋭い爪が水守に襲い掛かる。彼は身体を仰け反らせてそれを交わすが、前髪の毛先がはらりと宙を舞う。「まだしゃべっているんだが?」水守は見下ろす格好で言う。「行儀の悪い奴だな」

「誰にモノを言っている? 人間風情が」
「さぁね、おれはお前が何者かなんて知らないさ。ただ、俺は守るべき者のために戦う」

「その女か?」オズは江良を指さす。江良はオズを見る。唇は震えている。そして、視線はゆっくりと水守の方を向く。上唇が上に向く。その小さな隙間から何かが漏れて出ていきそうであった。だが。
「違う」水守は断定した。江良の喉から出かけた言葉は呑み込まれた。彼女は奥歯をかみしめた。眉の筋肉がこわばる。「あいつは信用している。俺のパートナーだからな」江良は。

「そうか、まぁいい。安い挑発には乗ってくれないみたいだからな」
「それが挑発になると思われていたことが、一番の挑発だ」

「ハッ」
「ハハハ」

 拳がぶつかり合った。
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