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エリートの感覚についていけません

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 凪の大きな手はずっと舞衣の身体を包み込んでいる。まるで最愛の天使に出会ったみたいに。
 タロウはそんな二人をジッと見ていた。舞衣って一体何者なのだろう?と頭の中ははてなマークでいっぱいだ。

 エレベーターが52階へ到着すると、舞衣はまるで映画の世界に迷い込んだような錯覚に陥った。
 玄関まで続くアプローチには、モダンで近代的な格子柄の大理石が敷き詰められている。足元のフロアライトがその幾何学的な模様を浮かび上がらせ、ここが住居とは思えないようなお洒落な雰囲気を作り出した。そして、52階専用フロアの玄関扉は、頑丈なオークの木で作られた重厚でおもむきのある観音開きタイプのダブルドアだ。


「す、すごい…」


 舞衣はこんな豪華なマンションに招待されたのは初めてだった。今までの舞衣が抱いていた豪華なマンションのイメージが一瞬で塗り替えられてしまった。
 すると、キョロキョロとあちこち見回している舞衣の後ろで、タロウが急に凪に話しかけた。


「凪さん、舞衣さんを何時に迎えに来たらいいですか?」


 タロウは玄関に入る前の凪にそう聞いた。


「必要なら連絡する。もう帰っていいよ」


 タロウはチラッと舞衣を見た。その目は鋭く、でも、凪の大切な所有物となっている舞衣を疑い探ることは決してしない。


「分かりました」


 強面イケメンのタロウはそう言うと、エレベーターに乗りいなくなった。


 二人が玄関へ入ると、人感センサーで全ての電動機器が作動し始めた。舞衣は靴を脱ぎ、リビングへ吸い込まれるように入って行く。
 すると、舞衣の目の前で、重厚なカーテンが滑るように開き出す。


「……………」


 舞衣は何も言葉が出ない。20畳以上ほどあるリビングルームは座席のない映画館のようだ。
 床面から天井までの長く伸びた大きな窓がリビングの正面にあって、そして、そのスクリーンのような大きな窓から東京の夜景が一望できた。そんな窓を囲むように、豪華なグレー色のソファが並んでいる。

 舞衣がうっとりとした表情で窓の外を見つめていると、凪がワインとワイングラスを持って現れた。


「気に入った?」


 凪は立ちすくむ舞衣をソファに座らせ、自分も隣に腰かける。


「あ、でも、凪さん……」


 凪はワインのコルクをポンと空け、舞衣を見る。


「タロウさんは、凪さんは他人を家には入れない人だって言ってました。
 私なんかを、入れてもよかったんでしょうか…?」


 凪は鼻でふっと笑って、グラスにワインを注ぐ。


「何でだろうな?
 でも、今日で、俺の中の何かがぶっ飛んだのは分かった。

 分かりやすく言うと、俺はお前に嵌まった。
 もっと分かりやすく言うと、全神経がお前を求めてる。

 だから、家に連れて来たいし、一時でも離れたくない。
 もっともっと分かりやすく言うなら、お前はもう俺のものだ」


 舞衣は胸が激しくドキュンというのが分かった。

 これって、愛の告白?

 でも、凪は涼し気な顔をしている。

 もし好きな人に愛の告白をしたのなら、少しは動揺するものでは?

 舞衣はそんな事を思いながら、でも、さっき凪に言われた言葉を何度も自分の中で繰り返した。

 全神経がお前を求めてる……
 一時も離れたくない……
 お前はもう俺のものだ……

 舞衣はその言葉だけで、もう心の底から凪にメロメロになっていた。


「ほら」


 凪は舞衣にグラスを渡すと、自分のグラスを舞衣のグラスにカチンと当てる。凪はいつの間にか部屋着に着替えていた。でも、舞衣の思い描いている部屋着ではない。グレーの柔らかい素材のスウェットパンツに白い厚手のシャツは、それだけで洗練されて見えた。
 舞衣の隣に腰かけた凪は、ワイングラスを揺らしながら反対の腕で舞衣をまた引き寄せる。


「で、トオルに何を言われた?」


「え?」


 舞衣はあまりの幸せな時間に酔いしれて、会社での落ち込んだ出来事など忘れていた。


「トオルさん?
 あ、そうか、あ、でも、それは、私も勉強不足で…」


 凪は舞衣の肩を抱き寄せ、正面の窓から見える夜景に目をやる。
 そんな窓ガラスに映る凪の顔は、鋭利な刃を持つ捕食者のような険しい顔をしていた。

「トオルさんは、もっと私に一流になれって教えてくれただけです。
 今の会社で働くには、今までの価値観は全て捨てた方がいいって…」


 舞衣はそう言うと、拭き掃除を怒られた時の凹んだ気持ちが甦ってきた。いい事をしたと自信を持って言える事を、怒られるなんて思わなかったから。

 凪はそんなクルクル変わる舞衣の表情をずっと見ていた。確実に、今でもまだ落ち込んでいるのが分かる。


「何をしてたの?」


 凪は窓の外の夜景から目を離さずにそう聞いた。


「いや…… いいです…
 多分、ハイスペックな人達と、私みたいな一般庶民の感覚は、全然違うんです。
 きっと、凪さんに言っても、分からないと思うので…」


 舞衣は下を向いた。
 トオルのように呆れた顔をされたら、きっと立ち直れない。


「いい事をしたんだろ?」


 凪は優しく舞衣にそう問いかけた。俺はうさ子を守るよと目がそう言っている。
 舞衣は、ワインのせいもあって涙がこみ上げた。


「拭き掃除をしていただけなんです…
 掃除とか整理整頓というのは、皆、あまりしたがりません…

 私はバイトでも他の人達より失敗することが多くて、だから、挽回する意味も含めて、受付のカウンターや入口の窓ガラスを、時間が空いた時はいつも綺麗にしてきました。

 バイト先の鬼店長もその時はいつも私を褒めてくれました……」


 舞衣は小さく深呼吸をした。


「でも、いいんです…
 今、私はEOCの人間としての適正を問われている時期で、一か月後に社長に判断されるみたいで。
 一生懸命、EOCの人間になれるように頑張るのはもちろんですが、でも、もし、それでダメだったら、それがきっと私のための答えなのかなとそう思ってます。

 三流の人間が、一か月そこらで一流の人間にはなれるとはやっぱり思えないし」


 すると、凪は舞衣の顔を自分の方へ向かせた。


「ねえ、一流って何?

 確かに、俺達は掃除をするとかっていう感覚は全く持ち合わせてないけど、でも、それをすることで皆が気持ちよくなるのならそれは凄い事であって、その状況下ではその行為が一流なんだと俺は思うけどな。

 一流ってそういうもんだろ?

 俺達みたいな人間が一流って言われるのは金を持ってるからで、でもそれが果たして真の一流かなんて誰も知らない。
 それに、舞衣が言ってるその状況下では、俺達は三流の人間だよ。

 そんなもんだよ……

 俺から言わせれば、一流とかどうでもいいって感じだけどね。
 本当に一流な人間は、自分の事を一流なんて言わないし、気づいてない。

 今日の舞衣みたいにね…」


 自分らしさを捨てようと思っていた自分の考えが、凪の言葉で消えていく…

 舞衣はまた注がれたワインを一気に飲み干した。

 凪さんがいいって言ってくれるなら、それでいい。
 舞衣、明日からまた頑張れるよね? 

 舞衣は心が軽くなるのが分かった。

 凪の言葉は舞衣の心に沁みわたる。
 この美味しいワインと綺麗な夜景と、そして凪の温かさが優しくじんわりと……


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