ココロオドル蝶々が舞う

便葉

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この蝶々は勇敢に空をも飛ぶ

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「今日はこれを持って来たんです」


 後藤はそう言ってバッグの中からたくさんのコビー用紙を取り出した。それは蝶々と一緒に選んだ有名漫画家の絵を模写したものだった。


「すご~い、それに絵が上手くなってる。それもこんなたくさん… 丁寧に且つスピーディに描けるようになった?」


 蝶々はその絵を隅から隅までしっかり見ている。


「はい、線の強弱をどういうところでつけるのか、後は女の子を描く時の曲線の使い方とか、自分なりに分かっているつもりではいたんですが、また改めて勉強させてもらいました」


 蝶々は努力を努力と思わない彼のひたむきさと漫画へのほとばしる情熱に、素直に感動していた。


「あと、これも」


 後藤はスッケチブックを取り出し、そこに挟んでいる一枚を照れくさそうに蝶々に見せた。


「後藤先生、これって」


 蝶々はその絵のあまりの美しさにため息をついた。あの時、蝶々と一緒にスケッチした風景画だった。絵の具を使い、カラー版で仕上げている。森の緑と奥に見える灰色のビル群が絶妙な遠近法で描かれていて、見る者の目を惹きつける。


「蝶々さんの風景画にはまだまだ敵いません。でも、こうやってたくさんの色々な物を描くことによって、確実に絵が上手くなってきているのは僕も実感してるんです」


 蝶々は色々な想いが交錯して堪えていた涙がポロポロこぼれてきた。後藤のお母さんの葛藤や苦しみも、家出をしてまで漫画を選んだ少年の頃の後藤の思いも、やはりそれはデビューがあってからこそ報われる。


「蝶々さん、どうしたんですか?」


 蝶々は後藤の顔を見ていると、京子と会った話を教えてあげたいと思った。あなたのお母さんはあなたのことを忘れてなんかいない、愛いているのはもちろんのこと、漫画家になる夢も心の中でずっと応援してるって…


「後藤先生… 実はね…」


 蝶々が小さな声でそう言ったと同時に、突然、藤堂が入ってきた。


「後藤先生、久しぶり。今日はどうしましたか?」


「と、藤堂さん……」


 藤堂は四角いメガネのせいで、いつもよりちょっとだけきつく見える。デニムのパンツに白の襟無しシャツ、その上に黒のカーディガンをはおった藤堂の姿は、隙のないインテリ風の嫌な奴に見えた。
 後藤も明らかに嫌な顔をしている。まるでデートを邪魔されたみたいなそんな表情だ。


「蝶々、このブースは三時から予約が入ってるそうだ。それと後藤君、僕が担当だってことも忘れないでね。
 今は後藤先生から預かってる三つのネームを一つに絞る作業にちよっと時間がかかってるけど、君は確実にデビューをする人間だ。
 それが、近々なのかもっと先なのかそこはまだはっきりとは言えないけど、でも、デビューをするのは決定してる。だから、その時に向けていい準備をすること。
 突然、大きな仕事がやってきても冷静にこなせるようにしといてほしい。お願いします」


 藤堂はそう言うと、蝶々に腕時計を見せて早く出ろと目で促しその場を去った。後藤はさっきまでの表情とは違い、嬉々とした満悦の顔になっている。
“デビューは先になるかもしれないけれど、君の漫画は不動のものだ、自信を持って待ってていてほしい”
 藤堂のその言葉は後藤に魔法をかけた。

 蝶々は久しぶりにメモ帳を出し、藤堂の言葉を忘れないように記した。

……藤堂さんはやっぱりゴッドだわ。仕事に関してはミジンコなんかじゃない。



「蝶々さん、じゃ、僕はこれで帰ります。それと、あの件は何か進展はありましたか?」


 蝶々は突然の質問に動揺を隠しきれなかった。


「あ、うん…… それがね……」


 後藤はそんな蝶々の様子を見て俯いてしまう。


「あまり無理をしないでくださいね。あの男は、あ、父親ですが、自分の得にならないことは容赦なく切り捨てる人間ですから。あんな人間のために、蝶々さんが傷つくのは見たくないんです。
 僕は、別に堂々とデビューできなくてもいいと思ってます。人の陰に隠れてゴーストライターみたいなそんなんでも漫画が描ければいいと思ってますから」


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