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この蝶々は蛾にも変身します
⑨
しおりを挟む蝶々は時計の針が夕方の5時を指すのを待って、後藤心に電話をかけた。たくさんの人のいる編集部内は避け、窓の見える階段の踊り場に来ている。
「もしもし、後藤先生ですか?
城戸蝶々です…」
「…はい」
まだ寝ていたのか寝起きなのか、後藤の声は低くこもっている。
「今夜、急な会議が入って、そちらに伺えなくなってしまって……」
蝶々はできるだけ明るく、何も気にしていないようにスマホを握りしめた。
「え…? そうなんですか…?
あ~、そうなんだ……
僕は、蝶々さんの漫画を見れるって楽しみにしてたんですけど…」
蝶々はこの会話がスマホ越しでよかったと内心ホッとしていた。面と向かって話したら、蝶々の落胆ぶりが後藤に必ずばれたはず…
「はい、それはまた次回にお願いしますね。私も楽しみに待ってます。
それと週末を挟むので、後藤先生はデッサンや模写を暇な時間に頑張って下さい。銀龍賞へのネームはまだ検討中なので、来週には返事ができると思います」
蝶々は編集者としての仕事を淡々とこなすだけだった。
「蝶々さん、僕、あの……
日曜日なんですが、バイトを朝までにしてもらってるんです。昼から外に出て、風景や街並みのデッサンをしようかと思って。あの、もしよかったら蝶々さんも一緒にどうですか? 迷惑でなかったら……」
蝶々は安易な返事はしないでおこうと自分の本能にブレーキをかけた。後藤に何もトラブルがなかったら、すぐに“はい、行きます”と返事をしたはず。でも、今の蝶々は藤堂の言葉を忘れることはなかった。
「ちょっと今週は立て込んでて……
もし行けそうだったら、メッセージで返事をしますね」
「……はい、分かりました」
後藤の声はますます低かった。せっかく蝶々に開け放たれた扉は静かに閉じようとしている。
蝶々は電話を切ると急いでデスクへ向かった。藤堂さんが帰って来ているかもしれない。後藤先生に何があったのか早く知りたい。蝶々ははやる気持ちを抑え、早歩きで廊下を歩いた。
蝶々が編集部に帰ってくると、藤堂のデスクの椅子にいつものコートがかかっていた。でも、藤堂の姿は見えない。
「浅岡さん、藤堂さんは?」
帰り支度をしていた浅岡は、慌てた様子の蝶々を見て思い出したようにこう言った。
「あ~多分ね~、編集長の所だと思うよ。難しい顔して編集長室に入って行ったから」
蝶々はきっと後藤の事だと確信した。
「蝶々、あんまし気負うなよ。俺達担当編集者は、所詮、ただの担当なんだ。
家庭の事情や、その作家さんが抱えているトラブルとかは、俺達の力じゃ何もできないし、逆に下手に首を突っ込んでその人達を傷つけてしまう事の方が多い。
だから、どんな事情にせよ、自分で突っ走るのだけはやめろ。お前には藤堂さんがついてる。全部、藤堂さんに相談する事、分かったな?」
クールで冷静な浅岡らしい助言だった。
「ありがとうございます……」
蝶々はそんな大好きな先輩に深々とお辞儀をした。
……所詮、担当。されど、担当。でも、私はどういう形でもいいから、後藤先生を救いたい。
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