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三
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ガブリエルは彼と目が合ったらしい。男性は帽子を上げて会釈している。手にはステッキを持ち、遠目にも髭があることがわかる。裕福な中年男性という感じだ。数秒、ガブリエルと彼は無言で向き合い、やがて男性はゆっくりと教会のある方へ向かって行った。
「……今日は友人のお葬式だから来たけど……」
ガブリエルがつぶやくように言う声は苦い笑いに満ちている。
「私は教会へは行けないの」
娼婦は教会や小学校へは近づいていけないことになっており、そのことを思い出させられてコンスタンスの方が気色ばんだ。今、自分はそんな仕事につこうかどうかと悩んでいるのだ。
少しはなれたところに立っていたフィオー刑事の咳払いが聞こえる。彼が刑事だと気づいたのか、ガブリエルが一瞬身体をこわばらせたのが知れる。それでも彼女は貴婦人のようにしとやかに優雅に黒い喪服の裾を揺らして去って行った。
「ああいう人たちと知り合いなのか?」
フィオー刑事の声には小さな棘がこもっており、コンスタンスは眉をしかめた。
「エマの……、継母の昔の友人なんですって」
コンスタンスはあえて継母という言葉を強調した。やはりエマを母と呼ぶのには抵抗があるのだ。
「ということは、彼女もモンマルトルで働いていたのか? もしくはその前の店で?」
「よくご存知ね」
どこかからのどかに鳥の鳴き声が聞こえてくる。少なかった参列者は散りはじめていた。
「仕事なんでね。全部調べさせてもらったよ。
こうなったらざっくばらんに言おう。君の母上エマは、かつてはモンマルトルの酒場で働いていた。時折り客の男と付き合うこともあった。そこで君の父上のデュホォール氏と出会ったのだと最初は思っていたのだが、二人の出会いはもっと以前にさかのぼるものだった」
刑事は背広の内側から取り出したメモ帳のようなものを見ながら言葉を続ける。
「エマはもとは北フランスの田舎の出で、パリに出てきてすぐある家の女中として働いていた。そこでの生活は決して楽しいものではなかったようだ。そのころ、父親の商売を継いだばかりのデュホォール氏と出会って恋に落ちた。そして赤ちゃんを産んだようだ。それが、君だった」
「……今日は友人のお葬式だから来たけど……」
ガブリエルがつぶやくように言う声は苦い笑いに満ちている。
「私は教会へは行けないの」
娼婦は教会や小学校へは近づいていけないことになっており、そのことを思い出させられてコンスタンスの方が気色ばんだ。今、自分はそんな仕事につこうかどうかと悩んでいるのだ。
少しはなれたところに立っていたフィオー刑事の咳払いが聞こえる。彼が刑事だと気づいたのか、ガブリエルが一瞬身体をこわばらせたのが知れる。それでも彼女は貴婦人のようにしとやかに優雅に黒い喪服の裾を揺らして去って行った。
「ああいう人たちと知り合いなのか?」
フィオー刑事の声には小さな棘がこもっており、コンスタンスは眉をしかめた。
「エマの……、継母の昔の友人なんですって」
コンスタンスはあえて継母という言葉を強調した。やはりエマを母と呼ぶのには抵抗があるのだ。
「ということは、彼女もモンマルトルで働いていたのか? もしくはその前の店で?」
「よくご存知ね」
どこかからのどかに鳥の鳴き声が聞こえてくる。少なかった参列者は散りはじめていた。
「仕事なんでね。全部調べさせてもらったよ。
こうなったらざっくばらんに言おう。君の母上エマは、かつてはモンマルトルの酒場で働いていた。時折り客の男と付き合うこともあった。そこで君の父上のデュホォール氏と出会ったのだと最初は思っていたのだが、二人の出会いはもっと以前にさかのぼるものだった」
刑事は背広の内側から取り出したメモ帳のようなものを見ながら言葉を続ける。
「エマはもとは北フランスの田舎の出で、パリに出てきてすぐある家の女中として働いていた。そこでの生活は決して楽しいものではなかったようだ。そのころ、父親の商売を継いだばかりのデュホォール氏と出会って恋に落ちた。そして赤ちゃんを産んだようだ。それが、君だった」
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