53 / 116
二
しおりを挟む
それでも、今はもうほとんど声も覚えていない母マリーの悲しげな自分を呼ぶ声が聞こえもすれば、アガットの寂しそうな青い目が頭によぎったりもする。
(コンスタンス、行っては駄目よ)
(コンスタンス、戻って来て)
どこへ? どこへ戻ればいいの? と怒鳴りたくなる自分をコンスタンスは自覚した。
(戻る場所なんてどこにもないじゃない)
玄関を抜け、とぼとぼと三段の石段を下り、館を後にしながらコンスタンスは考え込んでいた。
(とにかくいったん家に戻って、とりあえず荷物を……そうだわ、持って行けるだけのものを準備しよう。ブラシに、気に入りの香水、着替え。下着もいるし)
とにかくあの家でこれからエマと暮らすのはもう無理だ。荷物を持ったらとりあえずカルロスを頼ってこの館に戻ってくるしかない。そして……、それからのことを考えよう。
(もしかしたら、しばらくは仕事しなくても置いてもらえるかもしれないわ)
希望的観測でコンスタンスはそう考えてみた。勿論、置かせてもらうからには掃除や下働きの仕事をしなければならないだろうが、それでもすぐ客を取るよりはましだろう。
まだ男の子とろくに手もつないだことのないコンスタンスには、見知らぬ男に身体を売るなど、やはり恐ろしい。自分よりも年下のブリジットやビュルがそういうことをしているというのがいまだに信じられない。
「ねぇ、あなた、あの家の人?」
通りに出たところでそうコンスタンスに声をかけて来たのは、見知らぬ少女だった。
「え? いえ」
コンスタンスはあわてた。コンスタンスと歳も変わらない相手は笑った。悪い笑い方ではない。
「私、そこの洗濯屋の手伝いなんだけれど、頼まれていた洗濯物を持ってきたの。奥様、もう起きているかしら?」
言われてみれば少女は質素なブラウスのうえに白いエプロンをかけて、仕上がったばかりの清潔そうなシーツを積んだ籠を両手で抱えている。亜麻色の髪をきっちりと結い上げ、袖をまくりあげ白い肌を朝日に照らしているその様子は、いかにも労働階級の少女だ。コンスタンスはいきなり自分の身体にまとわりついてるアルコールや煙草の臭いが気になった。
(コンスタンス、行っては駄目よ)
(コンスタンス、戻って来て)
どこへ? どこへ戻ればいいの? と怒鳴りたくなる自分をコンスタンスは自覚した。
(戻る場所なんてどこにもないじゃない)
玄関を抜け、とぼとぼと三段の石段を下り、館を後にしながらコンスタンスは考え込んでいた。
(とにかくいったん家に戻って、とりあえず荷物を……そうだわ、持って行けるだけのものを準備しよう。ブラシに、気に入りの香水、着替え。下着もいるし)
とにかくあの家でこれからエマと暮らすのはもう無理だ。荷物を持ったらとりあえずカルロスを頼ってこの館に戻ってくるしかない。そして……、それからのことを考えよう。
(もしかしたら、しばらくは仕事しなくても置いてもらえるかもしれないわ)
希望的観測でコンスタンスはそう考えてみた。勿論、置かせてもらうからには掃除や下働きの仕事をしなければならないだろうが、それでもすぐ客を取るよりはましだろう。
まだ男の子とろくに手もつないだことのないコンスタンスには、見知らぬ男に身体を売るなど、やはり恐ろしい。自分よりも年下のブリジットやビュルがそういうことをしているというのがいまだに信じられない。
「ねぇ、あなた、あの家の人?」
通りに出たところでそうコンスタンスに声をかけて来たのは、見知らぬ少女だった。
「え? いえ」
コンスタンスはあわてた。コンスタンスと歳も変わらない相手は笑った。悪い笑い方ではない。
「私、そこの洗濯屋の手伝いなんだけれど、頼まれていた洗濯物を持ってきたの。奥様、もう起きているかしら?」
言われてみれば少女は質素なブラウスのうえに白いエプロンをかけて、仕上がったばかりの清潔そうなシーツを積んだ籠を両手で抱えている。亜麻色の髪をきっちりと結い上げ、袖をまくりあげ白い肌を朝日に照らしているその様子は、いかにも労働階級の少女だ。コンスタンスはいきなり自分の身体にまとわりついてるアルコールや煙草の臭いが気になった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる