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 それでも、今はもうほとんど声も覚えていない母マリーの悲しげな自分を呼ぶ声が聞こえもすれば、アガットの寂しそうな青い目が頭によぎったりもする。

(コンスタンス、行っては駄目よ)

(コンスタンス、戻って来て)

 どこへ? どこへ戻ればいいの? と怒鳴りたくなる自分をコンスタンスは自覚した。

(戻る場所なんてどこにもないじゃない)

 玄関を抜け、とぼとぼと三段の石段を下り、館を後にしながらコンスタンスは考え込んでいた。

(とにかくいったん家に戻って、とりあえず荷物を……そうだわ、持って行けるだけのものを準備しよう。ブラシに、気に入りの香水、着替え。下着もいるし)

 とにかくあの家でこれからエマと暮らすのはもう無理だ。荷物を持ったらとりあえずカルロスを頼ってこの館に戻ってくるしかない。そして……、それからのことを考えよう。

(もしかしたら、しばらくは仕事しなくても置いてもらえるかもしれないわ)

 希望的観測でコンスタンスはそう考えてみた。勿論、置かせてもらうからには掃除や下働きの仕事をしなければならないだろうが、それでもすぐ客を取るよりはましだろう。

 まだ男の子とろくに手もつないだことのないコンスタンスには、見知らぬ男に身体を売るなど、やはり恐ろしい。自分よりも年下のブリジットやビュルがそういうことをしているというのがいまだに信じられない。

「ねぇ、あなた、あの家の人?」

 通りに出たところでそうコンスタンスに声をかけて来たのは、見知らぬ少女だった。

「え? いえ」

 コンスタンスはあわてた。コンスタンスと歳も変わらない相手は笑った。悪い笑い方ではない。

「私、そこの洗濯屋の手伝いなんだけれど、頼まれていた洗濯物を持ってきたの。奥様、もう起きているかしら?」

 言われてみれば少女は質素なブラウスのうえに白いエプロンをかけて、仕上がったばかりの清潔そうなシーツを積んだ籠を両手で抱えている。亜麻あま色の髪をきっちりと結い上げ、袖をまくりあげ白い肌を朝日に照らしているその様子は、いかにも労働階級の少女だ。コンスタンスはいきなり自分の身体にまとわりついてるアルコールや煙草の臭いが気になった。
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