双珠楼秘話

平坂 静音

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再出発 三

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 老いた男は病にかかっており、長椅子に身体をあずけたまま会う非礼を詫びた。彼は病と老いのためにか痩せ細っており、頭は禿げていたが、髪は十年前に自分で剃髪ていはつしたのだという。衰えた相貌は、とても闇の世界で活躍した男とは思えなかった。どことなく陳円を思い出させて、英風は胸が詰まった。
 意外なことに、呆殷は驚くほど寛大だった。
「よろしいでしょう。借金はすべて無かったことにさせてもらいましょう」
「え? ですが、それは」
「その代わり、条件があります」
 しばしの沈黙の後に発された呆殷の言葉に、英風は目を見張った。
「あの屋敷を輪花という娘にゆずることです」
 言葉をうしなった英風に、彼は説明した。
「私は……もう、十六年も昔の話ですが、商売相手の男の妻に懸想してしまいました。そして、その相手と何度か密会し……彼女は、私の子を身ごもった。当然、おもてむきは夫の子として生み、育てた」
 その不倫で出来た子が、輪花だという。
「その事に気づいた夫、商売相手の男ですが……、仕事がうまくいかなかったせいもあって、失意のあまり自害してしまった。その後、妻も心痛のあまり後を追うように病死しました」
 良心の呵責もあったのでしょう……。低い声で呆殷は言いたした。
「私は、当時かなり危ない橋を渡っていたので、到底、残された子どもを引き取ることは出来なかったのです。人を遣わして、近所に住んでいた善良な官僚の夫婦に育ててもらうように依頼しました。いくばくかの養育費もわたしてね。そしてその娘……輪花が年頃になったとき、やはり裏で手をまわして、呂家で働くように手配した。呂家の窮状を知っていたうえでです。すでに呂家は私のものになっていたから、今までの詫びも兼ねて、あれに屋敷を与えてやろうと思って。今まで何もしてやれなかった償いに、村一番の家をあれのものにしてやろうと思ったのです」
 最初から輪花はこの男の思惑に導かれて呂家に来たのだ。考えてみれば、呂家の使用人たちは皆、係累が少なく、何かしらの事情を抱えた人間ばかりが集められていたのだが、輪花の場合はそこにさらに呆殷が一枚噛んでいたらしい。
 呆殷はかわいた唇を皮肉にゆがめた。
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