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散り花 一
しおりを挟む朝餉の時刻を過ぎたころ、英風の実家である崔家から早馬が来たという連絡を受けた輪花は、てっきり英風が帰ってきたのだと思って、胸をはずませて出迎えに走った。だが、そこには崔家からの使いらしき男がいるだけで、英風の姿は見えなかった。
裏門のちかく、桑の木のそばで待っていた中年男は、輪花を見てかるく会釈する。
「英風様は?」
「しばらくお父上のお側におられるとのことです」
英風から言いふくめられているらしく、下男は目を伏せて伝言だけを述べた。
「しばらく戻れないので、留守を頼むと。金媛様や奥様、大奥様にはくれぐれもよろしくとのことで」
「そう……」
輪花がしょんぼりとうなずいたとき、背後から足音が響いてきた。
「英風様はお戻りでないのかい?」
現われたのは、いつになく慌てている枇嬋だ。朝日が彼女の額の汗を照らす。
「まったく! 婿殿の一番のお勤めは呂家を守ることだというのに! ちょっと、おまえ、婿殿はいつになったら戻られるのだい?」
いかにも朴訥そうな男は、そう訊かれて困ったような顔をした。輪花は内心彼に同情したが、黙っているしかない。
「いやぁ……、私に言われても。私はただ坊ちゃま、いえ英風様のお言付けを伝えに来ただけなんで」
「ええい、頼りにならない男だね!」
枇嬋はその後もあれこれと愚痴めいたことを言ったが、やがて諦めたように背を向けた。まるで旋風のようだ。
「ごめんなさい。びっくりしたでしょう?」
枇嬋の黒色の背中が見えなくなってから、輪花はひどく気まずい想いで下男に謝った。
「ああ。あれじゃ、坊ちゃんはさぞ苦労が絶えないだろうね」
苦笑してから下男はつづけた。
「しかし、さすがに呂家だね。使用人も皆あんたみたいな別嬪さんばかりなら、坊ちゃんも苦労のしがいがあるだろうね」
「そんな、別嬪さんだなんて」
輪花は頬が火照るのを感じた。中年男の世辞でも、異性の賞賛は輪花の心をうるおしてくれる。だが、さらにつづいた下男の言葉は輪花が思いもしなかったものだった。
「いやいや。あの婆さんもだが」
「枇嬋さん?」
「枇嬋さんていうのかい? あの人も若い頃はさぞかし別嬪だったんだろうねぇ」
枇嬋が消えて行った方を眺めながら目尻を下げている男を見、輪花は珍しいものを見た想いになった。
「そ、そうなの?」
若い輪花には今ひとつわからないが、中年の下男の目には、枇嬋がとうに失くしたはずの在りし日の輝きがまだ見えるようだ。
「ああ。ありゃ、若いころは相当の器量良しだったはずだ」
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