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絵師 一
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奥殿に入り、火玉の室の前まで来ると、話し声が聞こえてきた。そして火玉の笑い声。
「輪花です。失礼します、大奥様」
霞のような垂れ布をかきわけ奥にすすむと、見慣れない人物が黒檀の小さな椅子に腰かけていた。
「おや、輪花、ちょうどいい、こっちへおいで。この人が、ほら、先日話していた絵師の先生だよ」
「先生だなんて。ただの絵描きです。袁清鳳と申します」
輪花はそう名乗った相手を見て一瞬、言葉をうしなった。
首あたりで切りそろえた黒髪は、伸ばさないのが惜しいような濡れ濡れとしたみごとな射干玉色だ。対照的に頬や首は真珠のように色白。そして唇は紅を塗ったかのように赤い。男性のように黒い袍衣に身をつつんではいるが、身体の線はしなやかだ。
「どうしたんだい? そんな顔をして?」
火玉がまるで少女のように軽やかな笑い声をたてる。輪花が驚いている理由を充分承知していながら言っているのだ。
「あ、す、すいません。てっきり男性だと思っていたので」
なんとなく老人の男の絵師だと思っていた。実際、この時代、絵師といえばたいていは男性である。女性の絵師というのは珍しい。
(それも……こんな綺麗な人だなんて)
よく見ると、目鼻顔だちはまぁ整ってはいる方だが、ものすごい美人というのではない。容姿だけを比べてみれば玉蓮や金媛の方がずっと整っている。清鳳と名乗った――本名かどうか判らないが――、その絵師をきわだたせて見せるのは、この時代には稀な断髪と、男のような身形だろう。男性の衣をまとうことで、かえって奇妙な色香を放っているのだ。一目見たら忘れられない。
輪花は胸が高鳴ってきた。寝台に腰かけている火玉の、いつにない上機嫌の理由もしのばれる。
「清鳳さんは都でもかなり名の知れた絵師でね、今回、私の絵を直してもらうためにわざわざ来てもらったんだよ」
田舎の名家は何かあるとやはり都の人を呼びたがるものだ。絵師であれ、妓女であれ、学士であれ、都で仕事をして地位を得ている者は、それだけで一流と信用できるのだ。
「清鳳さんは……かつてこの絵を描いてくれた絵師の弟子になるらしくてね……」
火玉は壁にかけられた彼女の若い頃の絵に目を向けた。相変わらず若く美しい乙女が絵のなかに佇んでいる。
「亡き師匠から、度々、呂家の大奥様の話をうかがったことがあります」
清鳳が通りの良い声で言った。
「あら、そうかい?」
「輪花です。失礼します、大奥様」
霞のような垂れ布をかきわけ奥にすすむと、見慣れない人物が黒檀の小さな椅子に腰かけていた。
「おや、輪花、ちょうどいい、こっちへおいで。この人が、ほら、先日話していた絵師の先生だよ」
「先生だなんて。ただの絵描きです。袁清鳳と申します」
輪花はそう名乗った相手を見て一瞬、言葉をうしなった。
首あたりで切りそろえた黒髪は、伸ばさないのが惜しいような濡れ濡れとしたみごとな射干玉色だ。対照的に頬や首は真珠のように色白。そして唇は紅を塗ったかのように赤い。男性のように黒い袍衣に身をつつんではいるが、身体の線はしなやかだ。
「どうしたんだい? そんな顔をして?」
火玉がまるで少女のように軽やかな笑い声をたてる。輪花が驚いている理由を充分承知していながら言っているのだ。
「あ、す、すいません。てっきり男性だと思っていたので」
なんとなく老人の男の絵師だと思っていた。実際、この時代、絵師といえばたいていは男性である。女性の絵師というのは珍しい。
(それも……こんな綺麗な人だなんて)
よく見ると、目鼻顔だちはまぁ整ってはいる方だが、ものすごい美人というのではない。容姿だけを比べてみれば玉蓮や金媛の方がずっと整っている。清鳳と名乗った――本名かどうか判らないが――、その絵師をきわだたせて見せるのは、この時代には稀な断髪と、男のような身形だろう。男性の衣をまとうことで、かえって奇妙な色香を放っているのだ。一目見たら忘れられない。
輪花は胸が高鳴ってきた。寝台に腰かけている火玉の、いつにない上機嫌の理由もしのばれる。
「清鳳さんは都でもかなり名の知れた絵師でね、今回、私の絵を直してもらうためにわざわざ来てもらったんだよ」
田舎の名家は何かあるとやはり都の人を呼びたがるものだ。絵師であれ、妓女であれ、学士であれ、都で仕事をして地位を得ている者は、それだけで一流と信用できるのだ。
「清鳳さんは……かつてこの絵を描いてくれた絵師の弟子になるらしくてね……」
火玉は壁にかけられた彼女の若い頃の絵に目を向けた。相変わらず若く美しい乙女が絵のなかに佇んでいる。
「亡き師匠から、度々、呂家の大奥様の話をうかがったことがあります」
清鳳が通りの良い声で言った。
「あら、そうかい?」
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