双珠楼秘話

平坂 静音

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急報 一

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「お止め下さい! お帰り下され!」
 真珠のように月光に光る玉砂利たまじゃりのうえを輪花たちが進んでいくと、裏門の前で、下男が必死に扉向こうの声のぬしにさけんでいるのが見えた。
 どうやら声の主は正門では家人に聞こえないと踏んで、裏側にある小さな門まで来て、そこで叫んでいるようだ。
「たのもう! おおい! 誰かいないのかぁ!」
「や、止めて下さいって」
 初老の下男は弱りきって、額には汗が浮いている。
「どうしたというのだ?」
「あ、若旦那様」
「おーい、そこにいるかぁ!」
 その声に、英風の表情が薄闇にも明るくなる。
「その声は、やはり西破せいはか? おい、すぐかんぬきをはずしてくれ」
「で、ですが大奥様が……、誰も入れるなと」
 下男の顔には苦悩が浮かぶ。
「西破は私の親友なのだ。いいから、はずせ」
 下男はしぶしぶというふうに閂をはずした。
「おお、英風、元気だったか?」
 いかつい顔の背の高い男が猪のように門から飛びこんできた。一瞬輪花はその獰猛さに怯えたが、身にまとっている黒い衣はそこそこ上等そうで、出自は悪くなさそうだ。 
「西破、いったいどうしたというのだ? 何かあったのか?」
「何かあっただと?」
 西破と呼ばれた相手の、夜目にも色が黒そうに見える顔がゆがんだ。だが目には善意が光っている。 
「おまえ、俺が昨日早馬で届けさせた手紙を読んでいなかったのか?」
「手紙? 数日前のものなら読んだが」
 英風の表情が曇った。はたで聞いていた輪花はびっくりして桂葉を見たが、桂葉の顔は無表情だ。
「お父上の具合が突然悪くなったから、すぐに見舞いに帰った方がいいと手紙を出したのだ」
「なんだって!」
「本当に知らなかったのだなぁ」
 西破は太い眉を悔しげにゆがめた。
「お父上は、お前が結婚した日の夜から熱を出され寝込んでしまったのだ。無理して式に出たのが悪かったようだ……。最初は、おまえに心配をかけさせないようにとお母上も、わざとお前には知らせなかったのだそうだが、
熱はなかなかひかず……。もしかしたら今晩当たり危ないのでは、と」
「な、何故もっと早く知らせなかったのだ? 手紙ではなくて誰か使いをやってくれれば良かったではないか」
 西破はさらに悔しそうな顔になった。
「昨日お前の兄上が使いをやったという。だが、門前払いされたそうだ」
「なんだって!」
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