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秘園哀歌 八
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「うん……。あ、でもね、もうすぐ治るの」
「そうですか。それは良かったですね」
ぱっと深海の真珠のように小菊の顔が薄闇にかがやいた。
「楼主様が言っていたの。わたしのおかげで母さんの病気はなおるんですって。旦那様がわたしを買ってくれたから、母さんの薬代をはらえるの」
買ってくれたと目のまえの小菊はうれしそうに言うが、その意味するところをちゃんとわかっているのだろうかと、秀蘭はすこし切なく疑った。
無邪気そのものの小菊の顔を見ていると、おそらくまだこの先、母親の薬代のために自分がどれだけの荷を背負うのか、きちんと理解していない気がする。
ここは大陸最大の帝国、龍蘭。その一番の繁華街といわれる西の都の夜の街だ。
この時代、世界で一番の富と財と繁栄にあふれたこの街は、同時に世界で一番の罪と苦と不幸があつまってくる場所でもあるかもしれないことを、この街に生まれ育ちながら、しかも医師という立場上、貧富、貴賎の人々両方と接しながら、うっかり秀蘭は忘れかけていた。
栄光と富貴きらめくこの都の影に、あふれるほどの悲哀と罪悪がうずめいていることを。
ふいに、廊下がにぎやかになって下足番の声がひびいてきた。
「犀家の若様のお入りー!」
手をたたく飼い主に餌の時刻を知らされてはねる生簀の魚のように、色とりどりの衣をまとった女たちがあふれ出てきて、床のうえをゆうゆうとすすむ黒絹の偉丈夫めがけて、裾をちらして小走りによっていく。
「きゃー、若様、いらっしゃいませ!」
「お待ちしておりましたわぁ」
「今宵は、わたくしの部屋へいらしてぇ」
近くで見てみると、美男というほどではないが犀家の若様というのも、四角ばった顔に八の字に伸ばしている髭がそう悪くもない、なかなか恰幅のいい男である。遊ぶ分だけしっかり金も落としてくれるので色里の客としては申し分ないのだろう。
「おや、医者を呼んだのか?」
秀蘭にむけられた眼光はするどい。
「ええ。例の……あのお客様が急な腹痛で」
「あれが、か。ならば、そういうときこそ自前の薬を飲めば良いものを。おや、小菊、そんな薄着でいると風邪をひくぞ。はやく部屋に行って休むといい。どうだ、たんと食事をしているか。肉や魚をどんどん食え」
そうとう小菊に気をつかっているようで、秀蘭は意外に思った。自分が考えていた以上にふところの深い男なのかもしれない。
(こういう人を粋人というのかもしれないけれど……)
ちゃんと世話してやる分にはどれだけ女遊びをしようが他人があれこれ言うことではないのだろうが、やはり優しい言葉をかけられてさも嬉しそうに頬をそめている小菊や、ぎゃくに色を失ったような顔をしていた凛藍を思い出すと心中複雑だ。
凛藍、小菊、ともに十四のまだ蕾である。
「おや、おまえも来ていたのか?」
御曹司が小者に気づいて声をかけた。
「どうだ、小菊はなかなかふっくらしてきたな。まさに、今が食べごろだろう?」
「さようでございますなぁ。もうそろそろ良いかもしれませんねぇ」
牡丹の絵を浮かべる紙灯篭がひとつ、夜風に負けて明かりをおとす。やはりここは罪深い街だとつくづく思いながら秀蘭は帰路についた。
「そうですか。それは良かったですね」
ぱっと深海の真珠のように小菊の顔が薄闇にかがやいた。
「楼主様が言っていたの。わたしのおかげで母さんの病気はなおるんですって。旦那様がわたしを買ってくれたから、母さんの薬代をはらえるの」
買ってくれたと目のまえの小菊はうれしそうに言うが、その意味するところをちゃんとわかっているのだろうかと、秀蘭はすこし切なく疑った。
無邪気そのものの小菊の顔を見ていると、おそらくまだこの先、母親の薬代のために自分がどれだけの荷を背負うのか、きちんと理解していない気がする。
ここは大陸最大の帝国、龍蘭。その一番の繁華街といわれる西の都の夜の街だ。
この時代、世界で一番の富と財と繁栄にあふれたこの街は、同時に世界で一番の罪と苦と不幸があつまってくる場所でもあるかもしれないことを、この街に生まれ育ちながら、しかも医師という立場上、貧富、貴賎の人々両方と接しながら、うっかり秀蘭は忘れかけていた。
栄光と富貴きらめくこの都の影に、あふれるほどの悲哀と罪悪がうずめいていることを。
ふいに、廊下がにぎやかになって下足番の声がひびいてきた。
「犀家の若様のお入りー!」
手をたたく飼い主に餌の時刻を知らされてはねる生簀の魚のように、色とりどりの衣をまとった女たちがあふれ出てきて、床のうえをゆうゆうとすすむ黒絹の偉丈夫めがけて、裾をちらして小走りによっていく。
「きゃー、若様、いらっしゃいませ!」
「お待ちしておりましたわぁ」
「今宵は、わたくしの部屋へいらしてぇ」
近くで見てみると、美男というほどではないが犀家の若様というのも、四角ばった顔に八の字に伸ばしている髭がそう悪くもない、なかなか恰幅のいい男である。遊ぶ分だけしっかり金も落としてくれるので色里の客としては申し分ないのだろう。
「おや、医者を呼んだのか?」
秀蘭にむけられた眼光はするどい。
「ええ。例の……あのお客様が急な腹痛で」
「あれが、か。ならば、そういうときこそ自前の薬を飲めば良いものを。おや、小菊、そんな薄着でいると風邪をひくぞ。はやく部屋に行って休むといい。どうだ、たんと食事をしているか。肉や魚をどんどん食え」
そうとう小菊に気をつかっているようで、秀蘭は意外に思った。自分が考えていた以上にふところの深い男なのかもしれない。
(こういう人を粋人というのかもしれないけれど……)
ちゃんと世話してやる分にはどれだけ女遊びをしようが他人があれこれ言うことではないのだろうが、やはり優しい言葉をかけられてさも嬉しそうに頬をそめている小菊や、ぎゃくに色を失ったような顔をしていた凛藍を思い出すと心中複雑だ。
凛藍、小菊、ともに十四のまだ蕾である。
「おや、おまえも来ていたのか?」
御曹司が小者に気づいて声をかけた。
「どうだ、小菊はなかなかふっくらしてきたな。まさに、今が食べごろだろう?」
「さようでございますなぁ。もうそろそろ良いかもしれませんねぇ」
牡丹の絵を浮かべる紙灯篭がひとつ、夜風に負けて明かりをおとす。やはりここは罪深い街だとつくづく思いながら秀蘭は帰路についた。
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