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暗夢黒珠 十 終わり
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「珠々が伯父に汚された身体だろうが、肌の色が自分とちがっていようが問題ではない」
きらめく双眼には、朱蘭の知っているあの夢見がちな少年の名残がうかびあがるが、強い意志も感じられる。朱蘭も気づかなかった強烈な自我をひそめていた彼には、世間一般の常識や概念などまったく無意味のようだ。
「私は珠々を愛しているのだ。おそらく、珠々がまだほんの子どもだったころに、初めて会った日から、ずっと愛してきた」
朱蘭はその場にくずれ落ちそうになった。
(風凰が、珠々を愛している? わたしが亡くなってしまったからではなく、最初から風凰は珠々しか見ていなかった……?)
朱蘭の胸は恐れと怒りと嫉妬ではじけた。
「そうだ、娘。おまえは寝たきりになった伯父の世話役になってくれ。ちょうど良かった。伯父の室はこの離れの一番はし、あそこだ」
風凰が指さした先の廊下の奥に、外側からつっかえ棒をはめこんだ戸が見える。
「若い娘にはきびしい仕事かもしれないが、おまえは朱蘭に似ている」
あまりのことに呆然として放心してしまっている朱蘭は、風凰に肩をおされて、戸の前にまできた。すえた匂いがする。
「亡くなった娘によく似たおまえに世話してもらえば、伯父も幸せだろう。……伯父はもう自分が誰であるかもわからないのだが」
木戸の向こうからは、獣の唸り声のような音が聞こえてくるが、まぎれもなくそれは父の声だ。朱蘭は足が震えるのを自覚した。
邑落一番の有力者だった父。今は失権した犯罪者で、若い娘を犯したあげく、酒に溺れて頭がおかしくなってしまい、こんな獰猛な声で叫んでいる。そんなおぞましい狂人が、板一枚向こうにいるのだ。
(いや! 開けないで! 見たくない)
風凰の手がつっかえ棒をはずした。
「さぁ、中に入ってくれ」
(いやあああ!)
「朱蘭? 具合はどうだい?」
いつのまにか朱蘭は藤椅子に腰かけたままうたた寝していたようだ。風凰と珠々が心配そうに自分を見ている。
「お嬢様、汗びっしょり」
珠々がかわいた布で額の汗をぬぐってくれる。朱蘭は悪夢をふりはらうように椅子の上で背骨をのばした。自分を包みこむ安堵感に涙が出そうになった。
「ああ、珠々、ありがとう」
「暑そうだね。朱蘭、裏庭を散歩しに行かないか? 池の側の花壇はこの時期、金盞花がきれいだよ」
「お嬢様、それがいいですよ」
二人にせかされるように朱蘭は立った。風凰は今は目にひそめた強い意志をかくそうとせず朱蘭を見、そして珠々に微笑みかけた。
朱蘭は庭を散歩しているときに足を踏みはずして池に落ちて――。
あれは、夢だ。夢のなかのこと。朱蘭は自分に言い聞かせた。
頭がぼんやりしてきた。何かひっかかる。
だが朱蘭は微熱のせいで何も考えられない。そんな朱蘭を、風凰は強引に散歩に行かせようとして手をひっぱるのだ。
竪琴の音が、裏庭から聞こえてくる。
(どうだい? この物語は?)
老いた女の声が朱蘭には聞こえた。
終わり
きらめく双眼には、朱蘭の知っているあの夢見がちな少年の名残がうかびあがるが、強い意志も感じられる。朱蘭も気づかなかった強烈な自我をひそめていた彼には、世間一般の常識や概念などまったく無意味のようだ。
「私は珠々を愛しているのだ。おそらく、珠々がまだほんの子どもだったころに、初めて会った日から、ずっと愛してきた」
朱蘭はその場にくずれ落ちそうになった。
(風凰が、珠々を愛している? わたしが亡くなってしまったからではなく、最初から風凰は珠々しか見ていなかった……?)
朱蘭の胸は恐れと怒りと嫉妬ではじけた。
「そうだ、娘。おまえは寝たきりになった伯父の世話役になってくれ。ちょうど良かった。伯父の室はこの離れの一番はし、あそこだ」
風凰が指さした先の廊下の奥に、外側からつっかえ棒をはめこんだ戸が見える。
「若い娘にはきびしい仕事かもしれないが、おまえは朱蘭に似ている」
あまりのことに呆然として放心してしまっている朱蘭は、風凰に肩をおされて、戸の前にまできた。すえた匂いがする。
「亡くなった娘によく似たおまえに世話してもらえば、伯父も幸せだろう。……伯父はもう自分が誰であるかもわからないのだが」
木戸の向こうからは、獣の唸り声のような音が聞こえてくるが、まぎれもなくそれは父の声だ。朱蘭は足が震えるのを自覚した。
邑落一番の有力者だった父。今は失権した犯罪者で、若い娘を犯したあげく、酒に溺れて頭がおかしくなってしまい、こんな獰猛な声で叫んでいる。そんなおぞましい狂人が、板一枚向こうにいるのだ。
(いや! 開けないで! 見たくない)
風凰の手がつっかえ棒をはずした。
「さぁ、中に入ってくれ」
(いやあああ!)
「朱蘭? 具合はどうだい?」
いつのまにか朱蘭は藤椅子に腰かけたままうたた寝していたようだ。風凰と珠々が心配そうに自分を見ている。
「お嬢様、汗びっしょり」
珠々がかわいた布で額の汗をぬぐってくれる。朱蘭は悪夢をふりはらうように椅子の上で背骨をのばした。自分を包みこむ安堵感に涙が出そうになった。
「ああ、珠々、ありがとう」
「暑そうだね。朱蘭、裏庭を散歩しに行かないか? 池の側の花壇はこの時期、金盞花がきれいだよ」
「お嬢様、それがいいですよ」
二人にせかされるように朱蘭は立った。風凰は今は目にひそめた強い意志をかくそうとせず朱蘭を見、そして珠々に微笑みかけた。
朱蘭は庭を散歩しているときに足を踏みはずして池に落ちて――。
あれは、夢だ。夢のなかのこと。朱蘭は自分に言い聞かせた。
頭がぼんやりしてきた。何かひっかかる。
だが朱蘭は微熱のせいで何も考えられない。そんな朱蘭を、風凰は強引に散歩に行かせようとして手をひっぱるのだ。
竪琴の音が、裏庭から聞こえてくる。
(どうだい? この物語は?)
老いた女の声が朱蘭には聞こえた。
終わり
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