龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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暗夢黒珠 三

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 その夜、夕餉の席で出された肉団子を朱蘭はそっと紙につつんでとっておいた。珠々の好物だからだ。可哀想に今夜は夕食をもらっていない珠々のために、朱蘭は黒光りする屋敷の廊下を、音をたてずに布靴ですすんだ。
 使用人たちの小部屋がある北側の離れへは行ってはいけないことになっているが、朱蘭はときどきこっそり両親や侍女たちの目を盗んではしのびこんで、珠々に菓子をあたえたりしていた。それは深窓の令嬢である朱蘭にとって、唯一のちょっとした冒険だったのだ。
 珠々の部屋は端にある小部屋である。ほんとうにせまい部屋で朱蘭の室の三分の一もないが、女中頭にいわせれば使用人に個室があるだけでもたいへんな厚遇だそうだ。
(ふつうは、使用人はみな大部屋で雑魚寝ですからね。ひとつ部屋がもらえるなんて、あたしから見たら恵まれてますよ。まぁ、あの子はちょっと事情がちがってますけれど)   
 そこで丸顔の女中頭はやや眉をゆがめた。珠々をうらやんでいるのだろうが、朱蘭は珠々に特別気をつかってくれた父の情に感謝した。
 きっと異国の地につれてこられて心細い珠々に、父は同情したのだ。父は商売ひとすじの冷たい人と、周囲でささやかれていることに朱蘭も気づきはじめていただけに、父の意外な思いやりがうれしかった。
 朱蘭自身も、富貴の身とはいえ、他者への優しさを忘れたくないと思っている。
「珠々、お腹が空いたでしょう? おまえの好きな肉団子をもってきてあげたわよ。あっ」
 木の戸をそっと引いた朱蘭は、そこに思いもよらぬものを見て仰天した。

「どなた?」
 そこにいたのは、すらりとした身体を異国風の袖なしの黒絹の衣につつんだ美しい女性だった。その双眼は夜を飲みこんだかのように黒々として薄闇に爛々とかがやいている。
 波打つ黒髪にまもられた肩の色はなめらかな飴色あめいろで、あきらかに異人と知れる。強烈な香りをはなつ黒蘭のような風情の女だ。
 歳は朱蘭より八つか九つほど上だろうか? はるかに大人びて見えるのは、おそらくこの女は、朱蘭が百年生きても知ることのないものを、すでに知ってしまっているからだろう。
 そのほっそりとした腰つきや、首をかすかにかしげる仕草、目尻をほんのりつりあげる様子からして、全身に薄墨うすずみ色の霧か霞をまとっているかのような神秘性がにじんでいる。それは、朱蘭にとってほとんど驚異であり、異様であった。
 おそらくそれは、色気というものだろう。朱蘭はもちろん、朱蘭の母も、叔母や、女中たちすべてを見わたしても、こんな不思議な雰囲気をそなえている女は身近には一人もいない。おそらく朱蘭がこの先もっと大人になっても、目のまえのこの女のもつ蠱惑こわくさの半分も得ることはないだろう。
「あなた、だれ?」
 女に先に訊かれて朱蘭はびっくりした。
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