龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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暗夢黒珠 二

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(お父様は気難しい方だから)
 母は笑みに諦めをこめてつぶやく。 
「お嬢さんがた、歌を買いなさらんかね?」
 いつのまにか歌売りの老女が窓近くまでしのびこんできていた。粗末な黒布を頭からかぶり、手には古びた龍の形をあしらった竪琴を持っている。黒木の龍頭りゅうとう龍尾りゅうびのはざまで、初秋の風をうけた弦のはなつ銀のきらめきから、それが名のある匠の手による名器だということが察せられ、朱蘭はやや意外に感じた。
「おや、これはめずらしい。あんた、南方人の血をひいているのかい?」
 老女がほそい目をびっくりしたように丸くして、珠々をおもしろそうに見る。帝国のさいはてに位置するこのむらでも、珠々のような容貌の娘は人目をひくのだ。 
「あんた、名はなんというんだい?」
「珠々よ。旦那様がつけてくださったの」
 ジュジュというもとの名の音に、帝国の文字をあてはめたのは朱蘭の父だ。
「どこの生まれだい?」
「南の国だけれど、よく覚えていないの」
 老女は一目見て主としれる高価な紅絹べにぎぬの衣をまとった朱蘭よりも、簡素な藍色あいいろの衣すがたの珠々に熱心に話しかける。朱蘭は自分が無視されたようで、おもしろくない。
「おばあさん、歌を売りたいのでしょう? どんな歌を持っているのかしら?」
 最初は歌なぞ買う気はなかったけれど、なんとなく老女の興味を自分に向けたくて朱蘭はたずねてみた。
「どんな歌がいいかね、別嬪さん?」
「たのしい歌がいいわ」
 答えたのは珠々だった。朱蘭は珠々の出過ぎた態度を横目でにらんだが、当人はまるで気づいていない。
「そうかい? お嬢さん。あんたを見ていると歌がひとつ浮かんだよ。これはどうだい?」
 老女が絃をひからびた指ではじくや、娘たちの背後から甲高い声がひびいてきた。
「お嬢様、いけませんよ、そんな薄汚い歌売りなんぞ近づけては。おまえ、さっさとあっちへお行き!」
 太った女中頭が、犬でも追いはらうように老女を追いはらおうとする。
「おやおや、今日はちょっと日が悪かった。お嬢さん方、また来るよ」
 黒布の下の細い目をさらに細めて、老女は朱蘭がびっくりするほどの素早さで窓辺から遠ざかり、門外へときえてしまった。   
「まったく、ああいう輩は油断がならない! お嬢様、行けませんよ、あんな素性の知れない女を近づけては。おや、珠々、おまえまだいたのかい? はやく台所へお行き。まったくさぼってばかり。今夜は晩飯ぬきだよ!」
 女中頭は、今度は鼠でも追いはらうように珠々を仕事場へとせかす。女中頭に手をひかれて室を出ていく珠々を、朱蘭は苦笑しながら見送った。そしてそのまま歌売りのことなぞすぐ忘れてしまった。

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