龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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風歌月舟 十

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 ひろい庭に土をもりあげ、白幕をはった舞台が用意された。柳家にかぎらず富豪の屋敷では贔屓ひいきの芸人をかかえ、客人をもてなす余興のためにこうした舞台をそなえている。
「伊蘭樹さま、よろしくお願いします」
 なにも知らない栴檀樹は、よっぽど謙虚な性質らしく、昨夜の伊蘭樹の無礼な態度を責めるどころか、つつましやかに頭をさげた。この道で生きていくには彼女はあまりにも清らかで、伊蘭樹はもどかしさに歯がゆくなった。
「栴檀樹様、ひとつお訊ねしてよろしいでしょうか?」
「まぁ、なんですの?」
 瞳がぱっちりとうれしそうに見ひらかれた。華やかな衣をまとい化粧をほどこした今朝の栴檀樹は、やっぱり桃の精である。この娘はこうして舞台に立つときが一番魅力的なのに、どうしてわざわざ穢土えどをさまよって、まぼろしの夢を追いかけるのだろう。伊蘭樹は悔しさに歯噛みしたくなるのをおさえた。
「栴檀樹様は、想うだけの恋をしていらっしゃるとおっしゃった。それでお幸せか?」
 百万言の言葉よりも、ほんのり紅く染まった頬は雄弁だった。
 はい、と小声でうなずかれ、伊蘭樹はつい声をあららげた。
「それでは、仮に……その想うだけの恋すらうしなったとき、どうなさる?」
「まぁ……、それは……」
 とまどいつつも栴檀樹は言葉をつないだ。
「とても、悲しいにきまっていますわ。……そうなったら、わたくしは、生きてはいけません。悲しみのあまり死んでしまうかもしれません」
 そんな状況を想像しているのか、栴檀樹の顔は心底つらそうだ。伊蘭樹は内心、ほぞを噛んだ。もどかしい。
 けれど、どこかでおおいに納得がいった。
(この娘は、弱いんじゃない。もしかしたら、俺以上に頑固で、依怙地で、はげしくて、誇りたかいのかも……俺よりも、もっとはるかに強烈なものを秘めているのかも)
 栴檀樹は、芸以上に、恋に魂をささげぬいているのだ。
(……たった、二日の恋だった。俺の恋なんて、なんてはかないんだろう)
 従者がきて御曹司の来場を告げ、二人は目を見かわし、ともに舞台にすすんだ。
「では、まいりましょうか?」
「はい、まいりましょう」
 秋の朝に、美しい調べがひびく。
 一座の者も庭のすみにひかえており、屋敷じゅうのほとんどの召使たちが見にきている。
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