82 / 210
七
しおりを挟む
「ふうん……」
美香のやや腫れぼったい目はそこですこし影をふくんだものになった。
「寄付を払っていても、あんたも仕事しないとならなくなるからね」
雪葉が目を見張る。
「仕事ってなによ?」
「掃除、炊事、洗濯。そういう約束でここに入って来ているんだから。別館の生徒は労働しないといけないの」
美香の言葉に美波もぽかんとしてしまっていた。
「この学院は労働に重きを置いているんだって。勉強と働くことはおなじぐらい大事なんだってさ」
「そ、そりゃそうかもしれないけれど……」
美波はあらためて美香を見てみた。白いエプロンはやや薄汚れている。
「でも、あなたけっこうお腹大きいいじゃない。働いていて大丈夫なの?」
こくん、と美香はうなずく。
「どのみち普通の家庭の主婦でも、出産まではたいてい家事をしなきゃならないんだって」
「私は絶対ご免よ。こんなの違うじゃない! 出産まで最適な状況で迎えられるから、って言われてここへ来たのよ」
雪葉の黒曜石のような瞳が怒りと涙にきらきらと輝く。怒っていても、綺麗な少女だと美波はやけにのんきに思ってしまう。
「とにかく、パパになんとかして来てもらわないと。パパがこの状況を見れば、絶対私をすぐ引き取るわ。私のお腹にいるのは大事な跡取りなんだから」
十代でシングルマザーになることにたいして後ろめたさのまるでなさそうな口調と、〝跡取り〟という言葉に、美波は好奇心をかられた。
「……訊いてもいい? 雪葉の相手……、そのお腹の子のお父さんって誰なの?」 雪葉はすこし鼻をそらす。
「それは言えないわ。でも、言っておくけれど、そこらへんの学生とかじゃないわよ。ちゃんとした……立派な人よ」
「へー。そんな立派な人が、若い女の子に手を出して、妊娠させたわけ?」
美香のぽってりとした唇から、思いもよらず棘のある言葉。
一瞬、雪葉と美香の視線がかちあい、そこで火花が散るのを美波は見た気がした。
十代で妊婦になってしまうという重荷を背負ったもの同士、いたわりあおうという優しい想いは二人のあいだにはまったくないようだ。薄暗いせまい部屋で、憎悪の火花を散らしあう少女――とはもはやいえないかもしれない――、女二人の不毛な諍いに美波はぞっとしてきた。部屋の空気がなんともいえず濁ってきた気がする。
「と、とりあえず、今日は帰るね」
今はとにかくのこの場から去りたい。
美香のやや腫れぼったい目はそこですこし影をふくんだものになった。
「寄付を払っていても、あんたも仕事しないとならなくなるからね」
雪葉が目を見張る。
「仕事ってなによ?」
「掃除、炊事、洗濯。そういう約束でここに入って来ているんだから。別館の生徒は労働しないといけないの」
美香の言葉に美波もぽかんとしてしまっていた。
「この学院は労働に重きを置いているんだって。勉強と働くことはおなじぐらい大事なんだってさ」
「そ、そりゃそうかもしれないけれど……」
美波はあらためて美香を見てみた。白いエプロンはやや薄汚れている。
「でも、あなたけっこうお腹大きいいじゃない。働いていて大丈夫なの?」
こくん、と美香はうなずく。
「どのみち普通の家庭の主婦でも、出産まではたいてい家事をしなきゃならないんだって」
「私は絶対ご免よ。こんなの違うじゃない! 出産まで最適な状況で迎えられるから、って言われてここへ来たのよ」
雪葉の黒曜石のような瞳が怒りと涙にきらきらと輝く。怒っていても、綺麗な少女だと美波はやけにのんきに思ってしまう。
「とにかく、パパになんとかして来てもらわないと。パパがこの状況を見れば、絶対私をすぐ引き取るわ。私のお腹にいるのは大事な跡取りなんだから」
十代でシングルマザーになることにたいして後ろめたさのまるでなさそうな口調と、〝跡取り〟という言葉に、美波は好奇心をかられた。
「……訊いてもいい? 雪葉の相手……、そのお腹の子のお父さんって誰なの?」 雪葉はすこし鼻をそらす。
「それは言えないわ。でも、言っておくけれど、そこらへんの学生とかじゃないわよ。ちゃんとした……立派な人よ」
「へー。そんな立派な人が、若い女の子に手を出して、妊娠させたわけ?」
美香のぽってりとした唇から、思いもよらず棘のある言葉。
一瞬、雪葉と美香の視線がかちあい、そこで火花が散るのを美波は見た気がした。
十代で妊婦になってしまうという重荷を背負ったもの同士、いたわりあおうという優しい想いは二人のあいだにはまったくないようだ。薄暗いせまい部屋で、憎悪の火花を散らしあう少女――とはもはやいえないかもしれない――、女二人の不毛な諍いに美波はぞっとしてきた。部屋の空気がなんともいえず濁ってきた気がする。
「と、とりあえず、今日は帰るね」
今はとにかくのこの場から去りたい。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発
斑鳩陽菜
ミステリー
K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。
遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。
そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。
遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。
臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は十五年ぶりに栃木県日光市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 俺の脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
声の響く洋館
葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。
彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる